PM18:33

 部活を終えた後、カズコは自転車でマリの家に向かった。途中、めずらしくコンビニに寄って少し買い物をした。

 家の前に到着すると、玄関の前に立ち、腕時計を確認して、これから三十分くらいはだいじょうぶね、と心のなかで言った。もちろん三十分では物足りない。それではいくらくらい時間があれば満足かと問われれば、何とも返答に困る。無理に答えを出そうとすれば、「永遠」にでもなるのだろうか。

 カズコもマリもともに人間である以上はその「永遠」という願いが決して受け入れられないものだということは理解している。いつかは別れがやってくるのだ。それどのような形になるのか、想像もつかなかった。しかもふたりの場合は、一般的な男女のカップルのようなありきたりな未来像を描くのは難しい。

「おじゃましまーす」と言いながら玄関のドアを開けると、エヴェレットがギャーッというしわがれた鳴き声に続いて、「オカエリ、オカエリ」と繰り返した。

 この九官鳥にカズコが「ただいま」と返事するのは少しへんな感じがしたが、とりあえず、そう言ってみると、エヴェレットは首を左に少し傾けた。

 薄暗い玄関のなかで、下駄箱の上に置いてある電話機が、「伝言アリ」というボタンを赤く表示させていた。カズコの家はいまだにプッシュ式の古い電話で、このコードレス式の留守番電話を少しうらやましく思っている。

「あ、カズコちゃん。お疲れ様」エヴェレットの鳴き声でカズコの来訪に気付いたマリが、二階から大きな声でそう言った。

 二階に上がりマリの部屋に入ると、カズコはまだ制服を着ていた。

「マリちゃん、着替えてなかったの?」

「うん。ほら、ちょっとスカート見てたのよ。スソがへんなことになってないか。何せ、自分でこんなことやったの初めてだから」

 マリは立って、腰を左右に振りながら鏡の前で視線を下に向けている。

「心配しなくても、大丈夫よ」

「本当? どうにかして、ちょっとでも短く見せる方法はないものかなあ」

 マリはウエストのホックをはずして、ウエストラインを何度も内側に折り込んで、むりやりミニスカートにしてみた。ひざの長さのスソが、少しずつ短くなって、ひざ上5センチくらいになる。

「マリちゃん、それあんまりやっちゃダメよ」

「なんで?」

「あんまりやりすぎると、スカートのファスナーに力が加わって、曲がってしまうのよ。折り目からプリーツがしわしわになっちゃうし、それにウエストが太く見えるようになっちゃうよ」

「へえ。そっか。言われてみれば、そうだよね」マリは折り目をもとに戻した。「部活のほうは、どう?」

「うん、そこそこ順調かな。明日からテスト期間で部活禁止になるけど、文化祭にはたぶん余裕で間に合いそう」

 マリも、手芸部がテディベアを作っているということはカズコから聞いていた。マリにとってはテディベアというものはお店で売っているものであって、まさか手作りできるとは想像もしていなかった。「作るのに何か特殊な機械とかいるんじゃないん?」などとトンチンカンなことを聞いてしまったが、カズコは笑いながら、意外と簡単なのよ、と言った。

「ねえ、完成したテディベアはどうするの?」

「どうするって、文化祭で展示するのよ」

「いや、そうじゃなくて、その後。ひとつしかないのに、瀬戸さんとふたりで分けるわけにもいかないでしょ?」

「あ……」カズコが一瞬、口を開けて固まった。「そういえば、考えてなかったわ。そう言われてみれば、そうよね。まあ、写真にでも撮って私はそれをもらって、本体のほうは瀬戸さんにもらってもらおうかな」

「じゃ、私も写真ちょうだいね」

「うん」

 カズコがマリの部屋をざっと見回すと、昨日と違う部分が目に入った。学習机の上に、めずらしく教科書や参考書が山のように積んである。

「下の電話、留守番電話のメッセージが入ってたみたいだよ」

「あ、あれね。たぶんお母さんが使ってる化粧品の通販のやつなのよ。毎週、このくらいの時間に電話掛けてるから。どうせ出てもお母さんいないし、ほったらかしにしちゃった」

「教科書、持って帰ったんだ。めずらしい。ちゃんと勉強する気になった?」机の上を見てカズコが言う。

「いやあ、それは……その……。さすがにこれだけの量を一度で持って帰るのは、重かったわ」とマリは言葉を濁す。

 マリのおかしな態度を悟ったカズコが、

「また、やるつもりなの? カンニング。こればっかりは私、関心しないわよ」と言った。「もう大学の推薦もらえるのもほぼ確実なんだし、これからは少々悪い点取っても、問題ないでしょ?」

「お願い。見逃して」とマリは手を合わせた。「今回だけは、絶対に下手な点数取るわけにはいかないの。約束する。これが終わったら、私もうタイムリープしないから。絶対しない。だから、最後の一回ってことで」

「ホント?」

「うん。テスト終わったら、時計捨ててもいい」

「捨てちゃ、ダメよ。でも、じゃあ最後に、見て見ぬふりしてあげるわ」

「ありがとう。座って。そろそろ来てくれるんじゃないかと思って、お茶準備してたんだ」

 マリはカズコに座布団を出した。そして、急須に入れていたお茶を湯のみに入れた。

「あ、マリちゃん。私、コンビニでアイスクリーム買ってきたんだけど、一緒に食べよ」

「アイス? うん。ありがとう。でも、この時期にめずらしいね」

「お昼の続き、させてもらおうと思って」

 カズコはコンビニの袋から九十八円で売っているラクトアイスを取り出して蓋を開けた。そして、それを木の匙ですくうと、

「はい。あーん」とマリの口に向けて差し出した。

「な、何やってんのよ。恥ずかしい。バカップルじゃあるまいし」

「誰も見てないから、いいじゃない。お昼はマリちゃんが同じこと私にやったのよ。ほら、あーん」

「自分で食べるってば」

「だって、アイスひとつしか買ってないから、木ベラもひとつしかもらえなかったし、こうして食べるしかないじゃない。あーん」

 マリは観念して口を開けた。口のなかで冷たいアイスクリームが柔らかく溶けていく。赤い顔をごまかすようにマリはうなずいた。

 いきなりカズコが座っているマリの身体に飛びつくように抱きついてきて、キスをした。唇を軽く吸って、

「甘いね」と言った。

「アイス、溶けちゃうじゃない」とマリが言うのも聞かずに、カズコはマリをその場に押し倒した。

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