PM18:49

 息が詰まりそうなほど長いキスをして、ふたりは顔を少し離した。唇を重ねているあいだは、心臓の鼓動が高まって、頭のなかがまるで液体になったかのような感覚がする。そして、まるで時間が止まって、この世界中にふたりきりになったような錯覚を覚える。

 実際に、そうなってしまってもかまわないとすら思えてくる。たとえ世界が滅んだとしても、私たちは幸せに生きていける。

 マリにとってはカズコがすべてで、カズコにとってはマリがすべてだった。

 つないでいた手を放して、マリはカズコの後頭部に手を伸ばした。そしてカズコの長いツインテールからヘアゴムを優しく抜き取った。肩の上に乗っていたカズコの髪が、マリの頬に降ってきた。

「良い匂い」マリは髪を一筋手にってに頬ずりしながら言った。「シャンプー、変えた?」

「ううん、変えたのはリンスのほう」

「そっか」

 カズコは顔を寄せてマリのおでこにキスをした。マリの短い前髪が鼻に当たる。

「マリちゃんの髪の毛も、良い匂いだよ」

「そうかなあ。自分ではあまりわかんないや」

 カズコはマリの前髪の生え際から耳に向かって頭を撫でた。まるで水のように柔らかい感触が手を伝わって自分のなかに入ってくるのがわかる。

 マリはその手をつかんで、もう一度しっかりと手をつないだ。カズコの顔が近づいてきて、またキスをする。カズコの舌がマリの口のなかに入ってきた。マリも、それをすくい出すかのように舌で受ける。温かい。

 さっきよりも長いキスがようやく終わったあと、

「ねえ、カズコちゃん。後ろ向いて」とマリが言った。

「うん」カズコは少し身体をずらし、マリに背中を向けて寝ころんだ。

 マリはカズコの腕を伸ばしてカズコの首をうしろから包み込むようにしてカズコを抱いた。身長差があるため、立ったままではマリがカズコを後ろから抱きしめるのは難しい。だからいつもふたりきりになると、こうして寝ころがって背中を見せたカズコを抱きしめる。

 マリの吐息が、かすかにカズコの長い髪の毛を浮かせて、重力に従ってもとの場所に戻る。

 右手をカズコの頬当てて、指先で唇をなぞった。きっとまた赤くなってるだろう、そんなことを考えていると、カズコはその指をぱくりと口に銜えた。

「こら、指なんか舐めたら、汚いでしょ」とマリが言っても、

「汚くないよ」とこもった声で言った。

 カズコはマリの指を甘く噛んで、人差し指の爪を舌でなぞった。

 ようやく解放された手を、カズコの肩に持っていく。

「ねえ、カズコちゃん」

「なーに?」

「相当、肩凝ってるんじゃない? なんかこのへん、固くなってるよ」

「いきなり、現実的な話ねえ」

「ずっと勉強してるんでしょ?」

「いやいや、テスト勉強は明日からするんだけどね、ちょっと、細かい作業してて。あんまりやり慣れないから、ちょっと肩のあたりが疲れてるかもしれない」

「なにしてるの?」

「内緒」

「もう、教えてくれてもいいじゃない」

「まあ、そのうちね」

 カズコは180度身体を回転させて、マリと向き合う形になった。マリの頬が、赤く色づいている。それがいとおしくて、カズコは自分の頬をマリの頬にぴったりとくっつけた。抑えきれない気持ちが熱になって、頬を介して行き来していく。

「カズコちゃん」頬をくっつけたままマリが言う。「私のほかに、好きになった人、いないの?」

「いきなり、何言うの? マリちゃんがいるのに、浮気なんかしません」

「いや、そういう意味じゃなくてさ。ほら、子供のころに、近所の男の子に、『あたし大きくなったら誰それ君のお嫁さんになったげる』とか、そういうの」

「うーん。こっちに引っ越して来る前に、そりゃ近所に歳の近い男の子もいたことはいたけど……、そういうのはなかったかなあ」

「そう」

「なんでそんなことが気になるの?」

「いや、特に理由はないんだけど。でもまあ、もしいたら私、猛烈に嫉妬しちゃうかもね」

「嫉妬かあ。私たち、恋のライバルみたいなのがいないから、嫉妬ってかなり縁のない言葉だね」

「そうかもね」

 そう言ってふたりで笑った。

「マリちゃんは? 誰かのお嫁さんになってあげるとか、約束したことあるんじゃないの?」

「カズコちゃんのお嫁さんになったげる」

「それじゃ、私はマリちゃんの何になるのよ」

「さあ。私のお嫁さんってことでいいんじゃない?」

 カズコが目線を下に下げて、腕時計を見た。午後6時56分。もうそろそろ、帰らなければならない。

 最後の一回と思って、マリにキスをした。しかし唇が離れた瞬間、もっと一緒にいたい気持ちが強くなる。カズコはもう一度、最後の一回のキスをした。そして、また繰り返した。

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