PM17:36
「暗くなって来たね。電気点けようか」カズコは瀬戸にそう声を掛けると、被服室の蛍光灯のスイッチをオンにした。天井の細長い蛍光灯は、細やかに点滅した後、白く光り始めた。
「ありがとうございます」
「陽が落ちるの、早くなってきたわね。少し前まではこの時間なら、電気点けなくてもいいくらいだったのに」
「そうですね。最近、すっかり寒くなってきましたから」
カズコは手芸部に所属していて、部長を務めている。と言っても、手芸部は部長のカズコと副部長で二年生の瀬戸とのふたりしか部員はいない。そもそもこの西松山学園に手芸部なる部活が存在していることを知っている人がほとんどいないだろう。放課後の部活と言えば、男子も女子もやはり運動部が花形で、文化部では合唱部や吹奏楽部、あるいは放送部などが人気だった。
瀬戸はカズコと並ぶと、大人と子供と見間違うくらいに身長差がある。その差は、頭ひとつぶんを超えているから、ひょっとしたら三十センチ近くになるかもしれない。瀬戸は肩までの長さの髪の毛は、裁縫をするときはカチューシャでアップにしている。視力が悪いためにコンタクトレンズを入れていて、少し大きめの瞳は、点いたばかりの蛍光灯の光を反射してきらきらと輝いていた。
「部長、ここの縫いしろは5ミリくらいでいいですか?」赤と白のチェック柄の布に型紙を当てて瀬戸がたずねた。
「あっ、そこはね」カズコがチャコペンを持って型紙を少し回転させた。そして小さく目印の線を引く。「チェック柄は、どんなに気をつけても縫い目で少しずれちゃうから、わざと斜めに向けて型を取ったほうがいいかもしれない。そっちのほうが自然な出来上がりになるから。縫いしろは、布に余裕があるなら丸くなってる部分を多く取ってね」
「はい。こんな感じかな」
手芸部では今、文化祭に出展するテディベアを作っているところだ。来週から中間テストが始まるが、それが終わると間もなく文化祭だ。運動部の三年生はすでに全国大会が終わって引退しているが、文化部にとってはこの時期が三年間の総仕上げの時期になる。
単色のテディベアを作ったのではおもしろくないだろうということで、カズコは瀬戸と話し合って、あえて派手な柄の布をパッチワークのように組み合わせて作ってみようということになった。右の耳と左の耳とで色が違う、奇抜なクマが完成する予定なのだが、それが果たしてかわいくなるのかグロテスクになるのかは、実際に作ってみるまではわからない。
「こんにちは~。おじゃましま~す」
被服室の出入り口のほうから声が聞こえた。カズコがその方向を見ると、扉を開けて笑顔をこちらに向けているマリが立っていた。
「こんにちは」と瀬戸が立ち上がって軽く会釈をした。
「あ、マリちゃん。どうしたの? まだ帰ってなかったんだ」
「うん。ちょっとね、バレー部の後輩の練習を見学しに行ってたんだ。そしたら、こんな時間になっちゃってさ」
「もしかして、また?」少し呆れ気味にカズコが行った。
マリは拝むように両手を合わせて目を閉じた。
「お願い。私が前に乗るからさ」マリは合掌した両手を拝むようにこすり合わせる。
「仕方ないなあ……。今日で最後だからね」カズコは腕時計をちらりと見た。「それじゃ、六時に裏門ね」
「ありがとう! それじゃ、部活がんばってね。待ってるから。瀬戸さんもしっかりがんばってね。あんまりカズコちゃんいじめちゃダメよ」
「しませんよ、そんなこと」と瀬戸が笑いながら言った。
「部長、逢沢さんと仲良いんですねえ」マリの後ろ姿を見送ってから、瀬戸が言った。
二学期に入ってから、放課後にこんな感じでマリが部活動中の被服室にやってくることが度々あった。カズコとマリが親しげに話しているうちに、瀬戸とマリもすっかり顔見知りになっていた。
「家が近いからね。小学二年生のころ、私が今の家に引っ越して来てから、中学も高校も一緒だから、もう十年くらいの付き合いになるかなあ」
「幼なじみ、ですか」
瀬戸は一年の二学期から手芸部に入っているから、カズコとはそれなりに長い付き合いになる。瀬戸はカズコの手芸の腕前は尊敬しているし話しかけるときは敬語は使うけれども、ふたりは先輩後輩というよりも仲の良い友達みたいな関係に近い。それでも、カズコはマリとしゃべるときにだけ見せる打ち解けた表情は、決して瀬戸には向けられないものだった。
奇妙だが、瀬戸は少しだけマリに嫉妬している。カズコもマリも、一年後輩の瀬戸を呼ぶときは「瀬戸さん」と呼ぶ。下の名前で呼び合うふたりの関係とは違う。それが少しだけ寂しかった。
「なんか、今でもちょっと意外です。部長と逢沢先輩が仲良しなんて」
「それ、よく言われるのよ。うちのお母さんにも言われたことある。『あなたたち、性格は全然違うのに、よく仲良くしてられるわねえ』なんて」
しかし、カズコは自分とマリのあいだにそれほど大きな違いがあるとは思っていない。たしかに表面にあらわれる性格は、マリは活動的でカズコは引っ込み思案かもしれないが、もっと奥深いところでふたりは通じ合っていると確信している。
「二年生のあいだでも有名なんですよ。逢沢先輩は」
「そうなの? マリちゃんが?」
「はい。スタイル抜群の美人で、後輩の面倒見もよくてしかもバレー部の元キャプテン。その上、成績は常に学年トップ。才色兼備文武両道の、非の打ち所のない完璧美少女なんて言われて、男子のあいだで人気です。でも、それが逆にアダになってるみたいで、誰も告白しに行く勇気はないみたいですよ」
「それは、そうよね。マリちゃんに告白したところで、返り討ちに遭っちゃうの、目に見えてるもんね」カズコはうれしそうに笑った。
「部長も、人気あるみたいですよ」
「え、私?」カズコはチャコペンを自分の顔のほうに向けた。
「スタイル抜群で成績優秀で後輩の面倒見もよくて部長で完璧美少女って、そのまんま部長を指す言葉として通用しちゃうじゃないですか。二年の年上好きの男子のあいだじゃ、逢沢先輩派と島田先輩派の二派に分かれてるようですよ」
「えっと……、ウソでしょ。そんなことないよ。そんな、私なんてただ単に背が大きいだけで、ずんぐりむっくりした体型だし、顔も地味だし、眼鏡ブスだし……。マリちゃんと比べたら、月とすっぽんだよ。マリちゃん、腕も脚も長くてすごいんだから。だいいち、私たちみたいな巨人より、瀬戸さんみたいなかわいい系の女の子のほうが、男の人はきっと好きでしょ。そうよ、きっとそうよ」
「そんな、私なんて。先輩たちの美貌を、少し分けてもらいたいくらいです」
瀬戸はいつになく戸惑うカズコの姿が少しおもしろかったが、あまりに突拍子もないことを聞かされて顔を真っ赤にするカズコを見ると、余計なことを言ってしまったかなと反省した。
カズコは大げさに咳払いをして、
「ほら、続きやりましょ。被服室は六時までしか使わせてもらえないんだから。来週からはテスト期間で部活動は禁止になるんだし」と言った。
今年の文化祭は、カズコにとってはもちろんだが、おそらく瀬戸にとっても最後の文化祭になる。校則では、部活動は顧問の教師のほかに、部長と副部長を置くことが義務付けられている。すなわち、部員が二名を下回ったらその時点で自動的に廃部という扱いになってしまう。
「瀬戸さん、ごめんね。私が頼りない部長だから、部員獲得できなくて」急にしんみりした口調でカズコが言った。
手芸部を存続させようと思えば、来年の春カズコが卒業するまでに、最低でも一名新入部員を見つけなければいけないのだが、その見通しはまったく立っていない。今年の文化祭で展示したテディベアを見て、一年生か二年生が入部してくれればと期待しないでもないが、ふたりともほぼ諦めている。カズコが一年のときに入部したときも、すでに部員はカズコを含めて三人だけで、しかもそのうちの一人は、当時の部長が親友に頼み込んで名義だけを借りているという有り様だった。
「気にしないでください。お裁縫は別に学校じゃなくても、家でひとりでできますから」
学校の予算も出ない手芸部は、布や脱脂綿などの消耗品は、全額部員の持ち出しだった。唯一、ミシン糸だけは授業用のものを使っていいことになっている。
「本当に、気にしないでくださいね。新入部員が入って来ないのはの副部長である私の責任でもありますし、それに私だって来年は受験だから、勉強のほうに力入れなきゃ」
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