第16話 花魁と武士
「おい、どけえ!」
怒声とともに何かが視界に映り込んだかと思うと、すぐそばで白刃が光った。
慌ててそちらを見ると、二人組の武士が麟太郎たちと妖かしの乱闘に飛び行ってくるところだった。武士の一人が麟太郎の近くにいた妖かしを斬り伏せる。
「おう、どうだ。これは俺たちの仕事じゃあ!」
「な、どういうことだよ」
まさに横から獲物をかっさらわれた形の麟太郎が抗議の声を上げると、武士は勝ち誇ったように嗤った。
「ここの妖かし退治は俺たちが依頼されたんだ。不浄な花魁風情の出番なぞねえ!」
不浄な花魁護衛――。
武士の言葉が突き刺さり、麟太郎が言葉を失っていると、緋里がずいと前に歩み出た。
「人の獲物を奪っておきながらよくもまあ。ぬしらのような者のことを、
「言ってくれるじゃねえか、不浄女が」
武士が
「ここは吉原のもんが立ち入っていい場所じゃねえ。俺たちが奉行所に告げれば、おまえらまとめて処罰だ。わかってんのか」
どきり、と心臓が跳ねた。
奉行所から吉原に出された通達。その中には確かに指定場所以外での浄化を禁じる内容があった。そして違反した場合は、花魁ともども花魁護衛も罰則の対象となる、と。
サーッと血の気が引き、反射的に緋里の腕を掴んだ。
「そいつの言う通りだ。ここは退くぞ」
緋里が眉を寄せる。その目が、冗談じゃありんせんと言っている。
緋里は麟太郎の腕を容赦なく払いのけると、武士の方に向き直り、挑発するように顎をつんと持ち上げてみせた。
「やれるもんなら、やってみなんし」
「なんだと! 不浄女の分際で!」
武士が色めき立つ。だが緋里は怯まなかった。
「あははっ。不浄はどっちでありんすか。花魁の仕事を横取りして、武士気取りとはずいぶん安い武士でありんすなあ。告げ口したければ、さっさと立ち去ればいいでありんしょう」
高らかに笑う。
「何ぃ!」
いきり立った武士の声は、しかし何かが壊れる音と悲鳴にかき消された。
見れば、武士の一人が妖かしに吹っ飛ばされて、逃げ遅れていた物売りにぶつかったらしい。物売りと武士が折り重なって倒れ、辺りには物売りの商品が無残にも散らばっていた。
物売りと武士を取り囲むように、妖かしが四方から迫る。
誰より早く動いたのは緋里であった。懐から数枚の札を取り出すと、妖かしに向かって次々に投げていく。
妖かしの包囲網が解けた隙に、物売りが
だが、武士は依然取り囲まれたままだ。
緋里の起請文は物売りに集まってきた妖かしだけを倒していた。
「あっちも助けろよ!」
麟太郎は叫んだ。武士は腰が抜けたのか、尻でずりずりと後退っている。
緋里は冷然と武士を見ている。
「武士でありんしょう。自分の腕で切り抜ければいいでありんす。それに告げ口されなければ、ぬしにとっても都合がいいじゃありんせんか」
言外に助ける気はない、と言っていた。
告げ口されて処罰されるのは真っ平だが、だからといって源平派の同志である武士を見殺しにすることはできない。
麟太郎は舌打ちをした。
「くそったれが!」
花魁への嫌気が一気によみがえる。江戸の民を守る。そう公言し、実際に物売りを助ける姿を見て、一瞬でも花魁を見直しそうになった自分に猛烈に腹が立った。
武士の元に走り込み、苛立ちをぶつけるように囲んでいる妖かしを片っ端から斬り捨てた。
「す、すまねえ」
「さっさと仲間の方に行け」
武士は何とか立ち上がり、仲間の方によろよろと歩き出した。
「これで終いか」
呟きつつ、緋里の方に戻る。
「ご苦労でありんしたなあ」
その平然と澄ました顔を見た瞬間、どうにも我慢できない怒りがこみ上げた。
「何が民を守るのが花魁だ! 武士は江戸の民じゃないなんてぬかしやがったら、張り倒すぞ!」
「なら、ぬしは相手が花魁でも迷わず助けにいきんすか」
意表を
白けた顔の緋里と目が合い、思わず視線を逸らした。
緋里がため息をつく。
「……わっちら花魁と武士の溝は深い。そう簡単には割り切れんせんのえ」
どこか諦めが混じった声だった。
緋里の言葉は事実ではあるが、どうにも納得できず、言い返す言葉を探していた麟太郎の思考は再び響き渡った悲鳴であえなく寸断された。
「あ、あ……ひいいぃ!」
散らばった商品を拾っていた物売りが震える指で差す方を見ると、おびただしい数の妖かしがこちらを見つめていた。
「くそ、いつの間に……。おい、一時休戦だ!」
武士たちに声を掛けるが、武士たちは首を振ってじりじりと後退していく。
「む、無理だ……。あんな数……」
「うわああっ」
硬直していた物売りが弾かれたように走り出し、つられたように武士の一人も逃げ出した。
「ちっ、根性なしが」
思わず舌打ちが漏れた。さすがにあの数を緋里と二人で倒すのは、かなり骨が折れる。
残った武士は、がたがたと震える手で刀を構えている。
「ぬしは逃げんせんのかえ」
緋里が形の良い片眉をきゅっと上げて、残った武士を見やった。
武士は何かを堪えるように奥歯を噛みしめていたが、張りつめた糸が限界を迎えたらしく、背中を向けて走り去って行った。
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