【もう一人の少年の物語】

 都築刀祢という人間の運命が、良くも悪くも定まったのはあの忌まわしき戦争―――遺伝子戦争の時だったように思う。

 あの戦争の時、刀祢は、一つ違いの弟―――燈火と共に、異形の兵士たちが占拠する街中を隠れ回っていた。

 追い詰められ、もう駄目だ!と思った時、燈火は、こういったのだ。

「僕がオトリになる。刀祢は隠れてるんだ」

 昔から駄目な兄とよくできた弟だった。

 けどあんなときまで格好つけなくてもいいじゃないか。

 結局弟は神々に捕まり、それを代償に、刀祢は助かった。

 山の中をさまよっている間に、偵察に来た陸自の部隊に助けられたのだ。

 結局、二年近く続いた、人類史上初の世界間戦争―――遺伝子戦争は、多大な犠牲を払って神々を追い返す、という結果に終わった。

 多くの人々が連れ去られた。

 刀祢の母と、弟は、ついぞ帰ってこなかった。誰もが誰かを失っていた。

 生物学者だった父は、戦争中、政府に招かれてある研究に従事する事となった。

 神格。そう呼ばれる神々の超兵器についての。

 母と燈火を失ってから、父は研究に没頭していた。もう大切なものを奪わせない。その一心で、彼は己の存在すべてを研究に捧げていた。

 戦争終結から一年が過ぎ、二年が経とうとしていたある日、父と刀祢の住む官舎に、小さな小さな生き物がやってきた。

 柴犬に似ている。けれど、遥かに利発そうで、そして二本の脚で歩き、手には太い親指と四本のそうでない指とがあった。尻尾はふさふさだ。

 雌―――いや、女の子だった。

 名をはるなと言った。

 父をはじめとする、国内でもえり抜きの科学者たちが生み出した知性強化動物であった。

 おおよそ二年で大人になり、脳に神格を埋め込んで、神々の再来に備える。

 そう刀祢は聞いた。

 毎週、土日にははるなは都築家にやってきては泊まった。

 研究者たちの方針であった。はるなの姉妹たちも、他の研究者の家に泊まって人間の家庭というものを体験しているはずであった。

 刀祢はこの異種族の女の子を実の妹のようにかわいがり、はるなも刀祢になついた。

 けれど、彼女は会うたびに大きくなり、刀祢が十六歳になる頃にははるなは立派に大人になっていた。

 異生物なのに、その笑顔はとても可愛らしくて、ドキっとさせられることもしばしばだった。

 手術の前、彼女は刀祢に言った。

「はるなのはじめて、もらってください」

 刀祢はそれに応えた。

 我ながら初めてが獣姦なのはどうなんだと思ったが。

 無事に彼女やその姉妹たちの手術は終わり、彼女ら知性強化動物は、人類が生み出した最初の神格となった。

 十二体が建造されたその名を"九尾"

 名は九尾の狐から採られていた。狐というよりは犬のような頭部を持つ、獣人型の巨神だった。和風の装束と、様々な武装に変化する巨大な尾が特徴であった。

 神々のものと比較すればまだまだ性能は劣っていたが、とにもかくにも戦争終結からわずか四年たらずで、人類は最初の神格を建造するに至った。

 彼女らは防衛大学校に史上初めて人類以外で入った知的生命体となった。

 刀祢とはるなは会う機会こそ少なくなったものの、手紙を頻繁にやり取りした。

 そんな折だった。

 父が他界した。胃がんだった。

 彼がため込んでいた心労はいかほどのものだっただろうか。

 天涯孤独の身となった刀祢に、はるなが少ない給料から学費を捻出した。固辞しようとした刀祢だったが、「私は使い道がありませんから」といって、はるなは聞かなかった。

 結局大学を出るまではるなは刀祢を世話してくれた。刀祢は大人となり、公立学校の教師となった。

 学費は毎月すこしずつ、はるなに返した。

 はるなは、「返さなくていいのに……」と言っていたが、刀祢の気が済まなかった。

 刀祢は普通の女性と結婚し、子を三人もうけた。一人息子には弟の燈火から一字貰って相火と名付けた。世界がベビーブームだった。

 歳月は過ぎていき、世界中でどんどん新型の知性強化動物と神格が建造されていった。

 はるなたち"九尾"は旧式化していったが、その先駆者としての経験を重宝され、国連軍で佐官待遇で受け入れられていた。

 おそらくもう、実戦を経験する事などないのだろう。

 その頃には、みんなそう思っていた。

 はるなと刀祢は年に数回は顔を合わせた。

 大晦日にははるなと一家は共に過ごした。

「みんな末永く幸せにいられますように」

 振袖を着たはるなは初詣でそう願っていた。彼女は生物学的に不老不死だった。人間の刀祢とは寿命が違っていた。

 一方の刀祢は、こう願っていた。

「母さんや燈火たちが、無事に生き延びていますように」

 その願いを天が聞き入れていたことを、その年の三月に知った。

 門が南半球で開きつつある。

 そのニュースは、地球にいる全知的存在―――知性強化動物だけではなく機械知性体も含む―――を震撼させた。

 即座に艦隊が派遣され、門の完全開通に備えた。

 はるなもその艦隊にいた。

 数時間後、門が開通する様子を、言葉を持つすべての種族が固唾を呑んで見守っていた。

 門が開いた時、向こう側から、神々の軍勢は現れなかった。

 国連軍が送り込んだ神格部隊は、門に接近しつつあった二十近い神々の眷属―――随分と消耗していた―――を完膚なきまでに叩き潰した。犠牲者なし。完勝だった。

 この時ばかりは全人類が歓声を上げた。快挙であった。

 二週間後、全人類に対して発表があった。

 門を開通させたのは人類であること。彼らの代表者の名前が都築燈火であること。彼らは地球に助けを求めていたこと。国連は、あちらの世界にいる人類の救助に当たること。

 仰天した。

 即座に国連軍へ連絡を取り、現地にいるはずのはるなと言葉を交わした。

 都築燈火―――弟は、少なくとも、門が開通する直前までは生きていた。

 その日の晩、刀祢は泣いた。父が亡くなった時以来であった。

 数週間後、はるなから連絡があった。

 燈火を知る女性を保護した、と。

 国連軍が用意した航空機を乗り継ぎ、門近くの軍事基地へたどり着いた刀祢が見たのは、プラチナブロンドが美しい、二十ほどの女性だった。

 神格であった。

 彼女に付き添っていたのははるなだった。戦闘で負傷した時、救助された彼女の隣のベッドで治療された縁だという。初耳だった。

「心配をかけたくなくて」

 彼女こそ、人類史上初めて実戦を経験した知性強化動物部隊の指揮官だった。

 プラチナブロンドの女神は、刀祢に燈火のことを語った。子供の頃の話も、今現在の話も。

 昔からあいつは変わらないな。

 刀祢は心底そう思った。

 更にその数週間後、門が開通してからおおよそ二か月後―――国連軍は、都築燈火とその仲間たちを保護した。

 今度はスムーズに刀祢にも連絡が届き、慌ただしく駆け付けた彼の前には、二十代の肉体を持った弟が、待っていた。

 随分と美しい女性たち―――ひとり鳥頭がいたが彼女も人類だという―――を引き連れて、彼は、ただいま、とばかりに笑いかけた。

 刀祢はすぐさま頭を小突いた。自分の頭を。痛かった。夢ではなかった。

「……馬鹿野郎!!」

 二人は抱擁しあった。三十五年越しだった。

 その日、その様子は世界中で朝刊の第一面を飾った。

 あまりと言えばあまりの事態に現実感がなかった。

 はるなは、そんな刀祢にほほえんだ。

「おめでとう」

 それでようやく、彼にも実感がわいてきた。

 こうして、都築刀祢を苦しめ続けた戦争は、三十五年の時を経てようやく終わった。

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