【ヒトを守る化け物たち】6

 小惑星投下部隊は大戦力であった。

 直径五キロという巨大な岩石小惑星。その近傍。

 旗艦は大型の―――六百mを超えるレーザー巡航艦。その重装甲は小天体破壊能力を持った戦略級神格の攻撃にすら数発までなら耐え、通常型神格の攻撃をまったく受け付けないほど。武装も充実し、主砲のレーザー砲は自身にもダメージを与えうる威力。単艦で神格四十八柱と互角に戦える怪物だ。母艦機能も持つ。

 ミサイル駆逐艦四。先のレーザー巡航艦を撃破可能な対艦ミサイルを四発、対宙、対神格ミサイル七二発及び対宙レーザー砲多数を搭載する。装甲こそ巡航艦には劣るもののそれでも前面に限っては大変に分厚く、戦略気象攻撃に耐えうる。

 分子運動制御による機動と光学兵装や重粒子投射による高初速砲撃に秀でた宇宙戦闘型神格六。

 巡航艦の艦載機である気圏戦闘機二四。

 戦闘力こそ皆無なものの、小惑星投下作業に欠かせない工作艦一。

 それらに加えて神格アスタロト。―――彼女のアスペクトによる防御力は巡航艦の装甲すら上回り、宇宙空間においてもその実力は折り紙付きだ。

 指揮官は大神の一柱―――ソ・トト。

 

 

―――さあ。来るがいい。さもなくば、お姉さまが命を捨てて開いた門が閉じてしまうぞ!

 少女神は待っていた。宿敵を。神王自らが最大の敵と名指しした、憎きあの男を。

 敵の残る手札は四枚。

 前回の戦いでその実力は見た。あの男ならばそれを最大限に活用し、小惑星の投下を阻止してしまうかもしれない。

 面白い。

 結局のところ、アスタロトは少女である前に戦士なのだった。どれほど絶望に打ちひしがれていようが、完膚なきまでに自信を打ち砕かれていようが、戦場に立てば知らずと血が湧きたってしまう。

 業の深い事に。

 

 

「軌道上のステーションから連絡が入りました」

「読み上げろ」

「所属不明の巨神一体が衛星軌道上を加速中。こちらと交差する軌道です」

「―――軌道交差戦用意」

 神王が命令を下す。

―――こうして、最後の戦いが始まった。


 宇宙戦闘には一般的に天体近傍で戦う近宇宙戦と、近くに天体が存在しない場合の遠宇宙戦、更にそれらは同航戦と軌道交差戦に分けられる。

 彼我が同一の軌道に乗って戦うのが同航戦。

 一方で異なる軌道に乗った者同士が、高速ですれ違いながら行うのが軌道交差戦であった。

 

 質量の破壊力はその速度に依存する。時間内で許される限界まで速度を上げた巨神は、翼を展開すると大きく羽ばたいた。

 骨色の女神像が内部に搭載していた大量の子弾―――事前に時間をかけて生成された無数の生体爆弾は、小惑星とピッタリ交差する軌道を飛翔する。

「―――後は頼みましたわよ」

 子弾にその持てる運動エネルギーを与えて減速したフランはもう追いつくことができない。

 後は仲間を信じるだけだ。

 

「敵、質量弾投射。数―――計測不能。無数の小弾丸と思われます」

「全艦、艦首方向を向け衝撃に備えよ。

戦闘機隊及び神格は破壊圏内よりの一時退避を許す。工作艦は作業が終了し次第速やかに退避せよ」

 命令に従い戦闘機群及び神格たちが、想定される被害半径より退避。間に合わない戦闘機のいくつかは防御力に優れた味方艦の陰に入る。

 

 無数の小爆弾が破裂。励起炭素と水素が化合した電子励起爆薬―――TNT火薬の五百倍の威力―――で砕けた生体組織は、ダイアモンド級の強靭さを備えた炭素構造体だ。

 その破片が艦隊へと襲い掛かる。

 

「対宙レーザー用意。迎撃せよ」

「はっ。……弾丸第一波が破裂!煙幕です」

 モニター上では巨大な雲がこちらへ接近しているように見える。

「教科書通りの攻撃だな。優秀だ」

 ひとりごちると、大神は矢継ぎ早に指示を繰り出す。

「これに紛れて神格が来るはずだ。見逃すな。対宙防御、コイルガンとミサイルを使え」

「了解」

 

 宇宙で最も恐ろしいのは質量である。容易に秒速数十キロを超える相対速度が出る中では、ネジ一本と言えども大口径火器を上回る破壊力を発揮する。

 重装甲が施された航宙艦や宇宙戦闘用の神格であっても、それは変わらない。

 特に装甲で覆えないセンサー系は脆い。破片のシャワーを浴びた艦隊は、前方に対して一時的に盲目となった。

 

 その時、地表近くでは低気圧が発達。台風と化しつつあった。

 さて。ここで気象兵器としての神格の一面を見てみよう。

 気象制御型の神格は一般に他の神格より遥かに大型である。

 が、実際に武装した状態で顕現する神像は他と変わらぬ五十m級だ。

 では残りの質量は一体どこへ行くのか?

 その実体の大半は、神格を中心として極めて広い範囲―――数千キロメートルにも及ぶ―――に存在しているのと同時に存在していない状態となる。

 それは極めて希薄な広まりではあるが、大気を観測し逆に大気へ刺激を与えるには十分だ。

 彼ら気象制御神格は、直観的に望みの気象条件を得るための刺激手段を導きだし、微細な操作を広域かつ同時に行う事で自在に天候を支配する。

 熱核兵器数百発分のエネルギーを苦も無く操る彼らこそは最強の戦略兵器であるともいえるだろう。

 今まさしく、台風の膨大なエネルギーは束ねられ、「上向きの雷」とも呼ばれる気象現象―――ブルージェットとして解き放たれた。


 閃光が走った。

―――戦略気象攻撃。

 装甲の薄い横っ腹を真下―――地上側へ向けていた駆逐艦の二隻が爆発。轟沈する。

 その陰に入っていた幾つかの気圏戦闘機も電子機器をやられて戦線を離脱。復帰は絶望的だ。


 エネルギーを使い果たし、急速に晴れて行く星空。

 風の神の相を持つ少女は―――エススは、天を見上げていた。

「タラニス、クムミ。燈火を守って……」


 艦隊が雷撃による攻撃のショックから復活するのとほぼ同時。

「第三波。弾数一。いえこれは」

「神格か。こちらの神格をぶつけろ」


 生身で飛翔してきたのは一人の神格。

 それは彼我の射程に入る直前、巨神へと姿を変え始める。

 彼女が小惑星にぶつかる軌道へ割り込んだのは、翼持つ蛇に跨った女神像。

「させるか!」

 実体化したタラニスの巨神は、宇宙戦闘形態―――自身を数十倍する巨大な翼を持ち、脚も羽のように広がっている。その姿はまるで花のよう。

 その総質量は通常時の二十倍以上―――気象制御に使用される分も含めた大質量を展開していた。四百メートル、八万トンの蛇と比較してすら三倍近い。地上では自重で敏捷性を喪失するが、ここは宇宙。重力は無視でき、制御すべき気象もない。

 二柱、否、事実上三柱の巨神は絡み合いながら軌道を外れて行く。

 気圏戦闘機の一群が、アスタロトを支援しようと追随。


「これで三柱。あとの一柱を探―――」

 船体が振動。

「被害報告を」

「船体上面で爆発。ダメージコントロール作動中」

「敵か?」

「不明です」

「隔壁閉鎖。センサーを優先しろ」

「はっ」

 現状では外の様子もロクに分からない。

 データリンクは生きているが、予備のセンサーを展開するまではこの艦自体は盲目だ。


 この時、前衛を務めていた二隻の駆逐艦は、後方に陣取った旗艦の主砲二基が、別々に旋回しつつあるのには気付いていた。

 しかし彼らは敵への対応で忙殺されており、戦闘中という事もあって味方の武装の動きは特に気にしていなかった。

 異常を明確に認識したのは主砲の照準出力レーザーでロックされ、警報が出たからである。

 その僅か0・3秒後には、大口径の対艦レーザー砲が、駆逐艦二隻、それぞれの後方、装甲の脆弱な部分を攻撃出力で照射開始。さらに二秒後には装甲が溶融、内部の対消滅機関が損壊。大爆発が起こった。


 復活したセンサーが伝えて来た様子は凄まじい損害であった。

 四隻いた味方の駆逐艦は全滅。うち二隻は大出力レーザーで後方から溶融させられたかのような損害であった。


 そのほんの少し前。

「そこの者。コンピュータルームはどこだ」

 信じられないほど―――怖気が奔るほど美しい神であった。

 上位の指揮官であることを示す軍帽と衣装をまとい、家門を示す紋章が刻まれたケープを身に着けた怜悧な美女に尋ねられ、下級の乗組員は反射的に答えていた。

「あそこの角を右です!聞いてなかったんですか、戦闘中ですよ!?」

 神格らしき男を連れているからにはどこかのお偉いさんなのだろうが、こんな時に持ち場を離れてうろついてるだなんてどういう了見―――

「ご苦労」

 乗組員は、己の胸板に突きたてられた女の手刀を、信じられないという想いで見ていた。

 まさかこいつ、侵入―――!?

 彼の思考はそこで途切れた。

「……あ、また聞くのを忘れていた。まあいいか」

 美しき鳥相の女神―――クムミは、自分の容貌が神にはどう見えるのか次こそは聞いてみよう、そう思った。


「ブリッジ!聞こえますか、ブリッジ!?」

 必死でブリッジと連絡を取ろうとする乗員が、巨大な拳で潰れた。

 ウルリクムミ。分子運動制御に特化した神格である彼女は、フランが投射した生体爆弾に紛れて敵艦に取りつく事に成功。燈火とともに侵入したのだった。

 こんな無茶が出来たのも、ヘルの遺産―――彼女がかつて編み出した、武器を使って本体を投射するという荒業があったおかげだ。

 制御システムを丸ごと取り込んで実体化した暗灰色の巨神は、船体を突き破って上半身を外に伸ばしていた。

 武装もその全てが彼女の支配下にある。

 こうなれば、艦長クラスの権限で強制停止させるより他ない。

 だが―――

「中々にいい船だな、これは」

「動かせそう?」

「もちろん。―――行くのか」

「うん。片付いたらすぐに合流するよ。外の掃除は頼む」

「任されよう。だが気を付けてほしい。旦那様にいなくなられたら、悲しみで後を追うかもしれない」

「うわあ、そりゃ責任重大だ。自分を人質に取るのは反則じゃないかな」

「嫌なら生きて帰ることだよ」

 コートに身を包み、両手に大型拳銃をぶら下げた燈火は、いつも通りの笑顔をたたえて背を向けた。

 それを見送ると、暗灰色の巨神は己の役目に専念。

 愛した男が無事戻ると信じて。

 

 旗艦の武装はさらに稼働し、タラニスを追撃する気圏戦闘機を次々と薙ぎ払った。次いで、ミサイル発射。六機の神格のうちの四機までを破壊する。

 それらが、当の首脳部には何一つ伝達されないまま進行した。


「クソ、なんでブリッジと連絡が取れない!?」

「奴をなんとしても食い止めるんだ!」

 遮蔽物から銃を乱射する戦闘員たち。

 しかし当たらない。

 まるで魔法のように。

 そんなバカな!!

 だがそれは現実であった。

 侵入者の男はたった一人。

 二丁の大型拳銃を両手に構え、無人の野を行くがごとく、装飾が施された通路を堂々と歩いている。

 その銃撃は一発で確実に一柱の命を奪い、危なげなく首を傾けて銃弾をかわし、手の届くところまで来た相手を銃底で殴り殺し、最後の一柱まで殺戮した上で通り抜ける。

 まさしく化け物。

 彼が、彼こそが、人を守る化け物だ。

 宿敵はもう目の前にいる。


 旗艦のブリッジは、船のちょうど重心の位置に存在していた。

 高度に自動化されているため、ブリッジ要員はわずか十二名であった。

「予備カメラ切り替わります」

 外部の光景は悲惨なものだった。

 味方は大打撃を受け、敵神格とアスタロトは未だもみ合っている。―――巨体ゆえのタフさとパワーでアスタロトを相手に互角の戦い、と言っていいだろう。

 味方を巻き込む事を恐れて、気圏戦闘機部隊も手が出せない。

 だがそれはいい。

 それより問題なのは―――

「か、閣下!船体に敵が!!」

 映像には、女神像の上半身を生やした自艦の上面が映っていた。

「何故警報が鳴らなかった?」

「不明です。ですが、本艦の武装も乗っ取られている模様!」

「―――やむを得ぬ、緊急停止させる」

「と困るんだよね」

 あとを継いで謎の声。

 見ればブリッジのドアが開いていた。

 ぽいっ、と投げ込まれたのはパイナップル―――ちなみに神々の間でもパイナップルは食品として好評である―――を思わせる形状の機械。

 手榴弾だ。

 ほぼ同時にドアが閉まる。

 さほど広くないブリッジのほぼ中央で、パイナップルは破裂。

 宇宙船ならではの密閉空間に、破壊の嵐が吹き荒れた。

 数秒後、ドアが再度開く。

 中は死屍累々であった。


「う……」

 大神―――ソ・トトは生きていた。仮にも神である。全身に破片が突き刺さり、その命は風前の灯火であったが。

「何が……」

 見えない。彼は視力を喪失していた。

「初めまして、僕」

 聞き覚えのある声。だが初めて聞く肉声。

 大神は、それで何が起きたかを悟った。

「そうか。お前が、私か」

「色々助かったよ。自分の遺伝子鍵を僕に移植しておいてくれてね」

「なるほど。だからあの神格は艦を乗っ取る事ができたか」

「正解。今まで使わずに大事に取っておいてよかったよ。対策されてたらこうはいかなかったから。

お前は僕から二度も、大切なものを奪った。それはもう帰ってくることはないけれど、同じ位大切なものを、お前から奪う事はできる。―――さて。名残惜しいけど。お前は、死ね」

「ククク、はははははははっ!

 まさか私がこんなところで死ぬことになろうとは!

 楽しい、実に素晴らしい人生だったよ、都築燈火くん!」

 轟音。


「まずいな。もう持たないぞ」

 ウルリクムミは着実に追い詰められつつあった。

 センサーを破壊してしまったために彼女自身が索敵せねばならないことが仇となった。敵に分かりやすい攻撃目標を与えていたからだ。

 敵は旗艦を盾にされて攻めあぐねていたが、気圏戦闘機が対レーザー用の煙幕弾を発射。

 レーザー砲を封じた上で残った二柱の神格が接近している。

 こんな下半身が動かせない状況で神格と殴り合えば末路は明らかだ。

 いっそ差し違えるか―――そこまで思考が及んだ時。

「待たせた」

「旦那様!首尾は?」

 即座に燈火を収容すると、クムミは艦の隅々へと伸ばした体を復元しにかかった。

「うまくいった。ありがとう」

「よし。なら脱出するぞ。もうこちらは持たない」

「分かった。仕上げは?」

「プログラムはしてある。あとはこの艦次第だ」

「OK。行こう」


 暗灰色の女神像が旗艦から離脱したのを確認した神々の軍は、旗艦を放置して追撃に入った。

 その二十秒後、旗艦の姿勢制御用スラスターが作動。艦首を小惑星へ向けると、後部のメインスラスターを最大出力で噴射し始めた。

 その加速度は二十Gにも及んだ。

 女神像を追撃する部隊が気づいたが、もう遅い。

 おおよそ五十km―――いつの間にかそこまで離れていた―――の距離を踏破するのに二十五秒とかからない。

 その相対速度は、小惑星にぶつかった時点で秒速四キロを超える。

 凄まじい運動エネルギーが解放された。

 破滅的な光景であった。

 五km近い小惑星が大きくえぐれ、崩壊しつつある。


 閃光が、女神像から迸った。

 地上での数十倍のエネルギー量を秘めた雷撃。

 標準的な神格ならば一撃で何体も蒸発するだろうそれを、アスタロトの強靭無比な構造体は耐え抜いた。

 この姿でのタラニスの攻撃力は、ヘルを除けば仲間たちの中では最強だ。

 それに耐えるとは。

 まさしく不滅のアスペクトと呼ぶにふさわしい。

 一方のアスタロトは大きく身をそらすと、力いっぱい頭部衝角を女神像に突き込む。

 白き女神の絶叫が響いた。

 しかし破壊はされない。巨体ゆえに耐久力には余裕がある。

 そこへ多数の実体弾が降り注いだ。磁気加速された高速弾だ。

 タラニスの体から生えた無数の翼が広がり、盾になり、その表面、電磁バリアーが張られた表面を弾丸が滑っていく。

 雷神に低質量の実弾は通用しない。

 反撃の雷は強烈だった。

 何機もの気圏戦闘機が、ただの一撃で薙ぎ払われていく。

「―――化け物の体も、いいものですね」

 女神像はうそぶいた。

 そのまま相手を抱きしめる。その上から翼が覆いかぶさり、まるで繭のよう。

 己に突き刺さった角がさらに深くめり込むのも気にしない。

「愛する人のために戦えるんですから」

 最大出力の雷撃。

 翼が開く。

 女神像という花が再び咲いた時、そこにあったアスタロト、そしてその乗騎の構造は半ば崩壊しかけていた。

 それを力いっぱい振り払うと、タラニスは槍を召喚。

 先端から放たれた雷撃は、辛うじて動いた乗騎に阻まれ、それを爆散させて終わる。

 第二射を構えようとしたその時。


 神々の旗艦が、小惑星と激突した。


「お父様!?」

―――ありえない。あの怪物が死ぬだなんてありえない!!この私を支配する父王が。神の中の神、神王たるものが!!

 アスタロトの内を駆け巡る無数の否定。

 しかし、眼前で起こった事は紛れもない現実だった。

 父は全てだった。

―――そう、全て。

 アスタロトを改造したのも、全てを奪ったのも、この呪われた宿命を与えたのも。

 いや、そもそもの始まり、あの男との因縁。そして姉と戦ったことも。

 それすら、父王がいなければありえはしなかった。

 彼女の世界は父があってのもの。

 崩壊していく。すべてが。目に映るすべてのものが意味を失い、無味乾燥なものへと変わっていく。

 今まさしく己を討ち滅ぼそうとした純白の巨神も、どうでもいい。

 もうどうでもいいのだ。

 

 神々の軍勢に動揺が走った、その直後。

 敵からの強制入電。

―――燈火からだ。

「アスタロト、君のお父上は死んだよ。これ以上の戦闘は無益だ。撤収してくれ」

 その言葉―――宿敵の言葉に、アスタロトはわずかに正気を取り戻した。

 だが口をついたのは、否定。

「な―――馬鹿な。お父様が死ぬはずなど」

 分かっていた。死んだ。間違いなく。あれは死んだはずだ。でなければおかしい。

 そうだ。待ち望んでいたんじゃないのか。私は。あの怪物から解放される事を望んでいたんじゃないのか。

 待ち望んでいた自由が来たんじゃないのか!

―――でも、自由ってなに?

 分からない。あれほど焦がれていたのに、いざ手にしてみるとどうすればいいのか分からない。

 彼女は自分で何も決められなかった。

 すべては父王に決められていた。自分で決めたことがない。決め方が分からない。そもそも何を自分で決めればいいのか分からない。分からない!!

 そこへ、駄目押しの言葉。

「殺した。この僕が。―――それとも、あの様子で助かるなんて思うかい?」

―――そうだ。この男が。この男が殺したのだ。この男なら殺せるのだ。そうだ。そうなのだ。

 こんなに苦しいのもこの男のせいだ。そうに違いない。ずっと、ずっとアスタロトを苦しめて来たこの男のせいだ。

 だから唐突にやって来た自由がこんなにも苦しいんだ!!

「あ―――嘘。嘘嘘嘘嘘っ!?

ねえ?お父様?ねえ、ねえ!?

あなたは逝っておしまわれるのですか?

私を、あなたなしでは生きられない体にしておいて?

導いてください、あなたがいなければ私、私もう、何をしていいか分かりません……お父様、ねえ……?」

「アスタロト―――」


 しばらくの間、アスタロトは黙り込んだ。奇妙な沈黙が、場を支配していた。

―――そうだ。

 ずっとやりたかったことがあったじゃないか。

 せっかく自由になったんだ。そうしよう。やってみよう。

「あはは、あははははっ! 自由だ! もう私は自由になってしまった……!!

ねえ、もういいよね? 死んでいいよね? ごめんね、でもね、もう生きていられないの。辛いの。生きていたくないの」

 アスタロトは撫でた。下腹部を。そこに住まう大切な大切な、友を。

―――くるしい、の?

―――うん。くるしいよ。

―――じゃあ、いいよ。

―――ありがとう。

 友は、どこまでも友だった。少女神の味方だった。この瞬間、まさしく狂気の淵にいたアスタロトの心を最後まで包み込み、そして守った。

「……死ねる、やっと死ねるんだ、私……!! この苦痛に満ちた生、この化け物の体、ようやくお別れできるんだ……っ!!」

 崩壊しかけた巨神が自ら構造維持を放棄して消えていく。

 投げ出されたのは、異形の少女。

 いかに神格と言えど、生身で落下して助かる道理はない。

「アスタロト!!」

 咄嗟に差し出されたタラニスの手を蹴り飛ばし、少女神は大気圏へ落下していった。


―――またか?また僕は、目の前で泣いているあの子を見捨てるのか?


 燈火の自責。

 だが彼女を救う事など誰にもできない。クムミはまだ二騎の敵と交戦中だし、タラニスは気圏戦闘機群に足止めされている。彼らとて必死なのだ。

 いや、それだけではない。

 破壊された小惑星だったが、その前半分、二kmほどの部分がまだ残っている。

 しかも元の軌道のまま!

 あれでは燃え尽きずに門の近くへ落ちるだろう。そうなれば展開中の国連軍は無事ではすむまい。

「くっ……駄目だ、間に合わない―――」


 絶望が場を支配した時だった。

―――そんなことは、ありませんよ。

 空間が歪む。

 巨神が召喚される時と似ている。似ているが、ここは無が支配する宇宙空間だ。一体?

 次の瞬間出現したのは、ニヤニヤ笑いを顔に貼り付け、妙にデフォルメされたオレンジ色の猫。

 その数十二。

 イギリス軍の輸送型神格、"チェシャ猫"だった。

 物質が存在する範囲を拡張し、任意の点以外の存在確率を消去することで強引に跳躍する超兵器だ。

 輸送型の名にふさわしく、それぞれが背に巨神を搭載していた。

 そのうちの一頭に跨る銀色の女神像は―――

「……嘘だろう?……」

「うふふ、幽霊じゃありませんよ、ちゃんと足はあります」

 彼女は、ちょうど落下してきた妹神―――アスタロトの肉体を手に取ると、体内へと収める。

「あ……」

「ちょっとごめんなさいね。用事を済ませてしまわないと」

 銀の女神像は、優しく小惑星に取りつくと、その体表面を波立たせた。

 それは次第に大きくなり、原子間でこすれ合う音が響き―――

 二キロメートルに及ぶ小惑星が、粉々に砕け散った。


「あ―――」

 アスタロトは、周囲を見回し、己が他者の巨神の中に取り込まれていることを知った。

 それも、相手は―――

「お姉さま……!」

 殺したはずだ。倒したはずだ。なのになぜあなたがここにいるのですか。

「ヘル、お姉さま……っ!」

「だって私は、冥府の女王ですもの。殺したくらいじゃ死にませんよ」

「やだ、やだぁ……殺して、死なせてぇ……もうやなのぉ……」

「なにが、いやなの?」

「もう、殺すのも、苦しいのも、こんな体なのも、ぜんぶ、ぜんぶ……」

「だいじょうぶ。もう、あなたは戦わなくていい。

その姿を元に戻すことはできないけれど、あなたを受け入れてくれる人はいるから……」

「うっ……うわああああああああん……」


 泣いた。

 少女神は、姉神に抱かれて生まれて初めて泣いた。



 その夜、門からは流星雨が観測された。

 大変に美しい、光景だった。

 まるで女神の涙のようだった、と、目にした者たちは口々に語った。

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