【蛇の女王】6

 不審に気付いたのは、前方警戒を担当していたウィクトーリアという神格であった。

 彼女は水中に何らかの影が走っているのに気付くと、アクティブソナーで確認すべく足を水面に下ろした。

 突如、巨大な顎がそれに喰らいついた。

 抵抗の余地はなかった。

 凄まじい力で水中に引きずり込まれたウィクトーリアは、たちまちのうちに凶悪な爪で引き裂かれた。

 崩壊しつつある上半身が食いちぎられ、何が起こったか認識する暇もなく絶命する。

 その後方では残る神格たちが戦闘態勢を整え。


―――SYAGOOOAAAAAAAAAAAAAAAAA!


 魂消るような咆哮と共に、異様な姿の怪獣が、何頭も水の中から飛び出した。

 まるでスローモーションを見ているかのような、しかし実際は九〇ノットを超える快速で、彼らは神々の軍勢へと襲い掛かった。

 完全な奇襲であった。

 運の悪い何体かの眷属が水の中へと引きずり込まれ、難を逃れた者は愕然とした。

「上空へ引け!散開し体勢を立て直すのだ!」

 アスタロトの指示に、生き残った眷属が動き出す。

 遅かった。

 海面から顔を出した怪獣は、体をまっすぐに伸ばし、敵へとその口を向けていた。

 喉の奥には光。

 否。

 怪獣を構成する透き通った流体。

 その原子一つ一つが励起され、原子光を発していた。

 やがて臨界に達すると、そのエネルギーは一直線に吐き出された。

 大出力のレーザービームであった。

 その一撃は、アスタロトの乗騎を直撃すると、胴体をバターのように溶融させる。

 恐るべき威力であった。

 レーザーは一条だけではなかった。

 何頭もの怪獣がレーザー砲撃を行い、アスタロト程の強靭さに恵まれていなかった個体が破壊され、バタバタと墜落していく。

「嵐を呼べ!レーザーを防ぐのだ!」

 生き残った天候神がすぐに嵐を呼んだ。

 激しい雨で視界が消失。これでレーザーは使えまい。

 甘かった。

 水中から何本、いや何十本もの円筒形の物体が飛び出した。

 原子の熱運動―――本来不規則なその分子運動が束ねられ、熱エネルギー自体が運動エネルギーへと変換されて飛翔する。

 それは逃れようとする神格たちへと降りかかった。

 アスタロトは自ら槍でそれを切り払い凌ぐ。

 しかしそこまでの技量を持っていなかった者の末路は悲惨であった。

 円筒―――四一式神対神誘導ミサイルは命中すると、その全原子を励起。プラズマと化し、そして哀れな犠牲者を電磁波と熱と衝撃波で破壊した。

 原理的には相による火球と同じだが、運用の発想が根本的に違う。

 ミサイルを撃ち尽くしたか、水中から飛び出してきたのは先ほどとは異なる異形たち。

 まるで全身機械であるかのようなメカニカルな外見の白き巨獣は、ゴリラに似ていた。

 その長い腕のリーチは、神格の剣にも匹敵する。性能が互角であるとするならば―――この期に及んでそれを否定する者もおるまいが―――既にかなりの数を失っていた神々の軍勢が勝てる道理はない。

 

 

―――これか。あの男がやろうとしていたのはこれか!?

 アスタロトの中を激情が満たす。

 あれがどこからやってきたかなど考えるまでもない。地球だ。地球の軍勢が、神々を滅ぼしに来たのだ!!

 今更!今更になって助けが来ただと!?

 少女神にとってあまりにも遅すぎた救い。

 しかもそれは、決して彼女を救わないのだ。アスタロト自身がいかに救済を望もうとも、命じられれば戦うしかない。全身が破壊兵器であるアスタロトを無力化するには殺すしかない。誰も彼女を救う事などできないのだ。この恐るべき軍勢ですら。

 あの男の置き土産ですら!

 まただ。奴らはこの星の人類を救うだろう。アスタロトのような、かつて人間だった眷属を除いて。

 湧き出て来たのは激しい妬み。

 何故だ。何故、他の者が救われているのに、私を助けてくれる者は誰もいないんだろう?

―――殺す!こうなればみんな殺してやる!!

 まずは指揮官を潰す。

 アスタロトは通信量が多い個体を探し―――それはすぐに見つかった。

 機械仕掛けのゴリラども。その後方。

 形状は人型に近い。頭部は犬にも似た獣。和装を思わせる装束に身を包み、その上から軽装の防具を付けている。

 背面から左右にかけ、巨大な砲塔が二基。

 鮮やかなオレンジ色の毛並みをした獣神だった。

 外観からは性能を推し量れないが、あれが指揮官に違いない。

 奇襲の手並みは見事の一言だった。その一点、指揮官としての力量はアスタロトを越えているだろう。それは認めねばなるまい。

 だが、武芸の方はどうだ?

―――試してやろう!

 

 国連軍神格部隊は多種混合編成が基本である。神格間の戦闘は相性に左右される事がままあり、単一機種だと敵部隊に対して手も足も出なくなることがあるからだ。遺伝子戦争期に果てた五名の人類側神格。彼らが残した教訓である。

 実際この部隊も米軍から一機種、自衛隊から二機種の合計三機種編成だった。

 そのうちの一機種。最も旧式だが経験豊富である"九尾"、個体名はるなが指揮官を拝命したのは論理的帰結だ。

 蛇に騎乗した少女型の敵巨神―――明らかに他と格が異なるそれと目が合い、はるなは総毛だった。

 その初撃を回避できたのは、積み重ねて来た訓練のたまものだったろう。

 反射的に半身となり、飛来する槍を紙一重で回避。

 マッハ二十を優に超える投擲。まともに受ければ二万t近い巨体と言えども死は免れない。

 安心している暇はなかった。敵が、乗騎の上から掻き消えたからだ。

 第二撃は、真後ろから来た。

 

 獣神の真後ろに再構築された漆黒の巨神。それは飛来した槍を掴み直すと、勢いに任せて再度振るう。

―――他愛ない。

 投擲した槍を回避したのは褒めてやろう。だが、結局はその程度か。

 失望と共に槍を振り切った。

 本日最大の驚愕が、アスタロトを襲った。

 

 "九尾"は上体を逸らし、アスタロトの振るう槍を完璧に回避しきった。

 

「な―――!?」

 それで終わりではない。

 女神像の伸びきった右腕に、獣神の腕が絡みつく。

 分子運動制御で跳ね上がった九尾は、アスタロトの上腕部を自分の両脚で挟んで固定。同時に手首を掴み、自分の体に密着させる。

 人間で言えば骨盤に当たる部位を支点に腕を反らせ―――

 それは、地球で腕挫ぎ十字固めと呼ばれる技であった。

 アスタロトの腕は、完全に極められていた。

 

―――まさか巨神の関節を極めるものがいるとは!!

 

 さらにその巨大な砲塔。その形が崩れ、溶け、寄り合って出来たのは巨大な尾。巨神本体に匹敵するほどの大きさのそれが、アスタロトの左腕にまで絡みついてくる。

 こうなれば完全な力比べだった。

 パワーはアスタロトの方が圧倒的に上。不滅の相を併用して発揮する力は、敵の十倍以上に及ぶ。

 だが漆黒の女神像が腕の力しか使えないのに対し、獣神は全身のバネをフルに発揮していた。それは、少女神が空中に磔とされているに等しい光景。

 さらに、上官を救おうと白い巨獣たちが接近してくる。蛇を至近へ再召喚しようとするが間に合わない。

 背後から接近してきた敵の腕は、何倍にも伸びた。

 凄まじい拳の衝撃がアスタロトの背中を襲う。更に前からも。その威力は最大級の軍艦でもたやすく木っ端みじんとするだろう。奴らの数は十を超える!

 アスペクトがなければこの段階で彼女は死んでいたはずだ。それほどの衝撃だった。だが相とて無限に維持できるものではない。この体勢が続けばいずれ力尽きる。

 姉との戦いですら感じたことのないほどの、これは死の予感。

―――死ぬのは別によかった。ようやく死ねる。だが。だがあの男!こうなったからには、あの男を殺す前に死ぬのだけはどうしても嫌だった。勝ち逃げなどさせるものか!!

 窮地に陥ったアスタロトの魂の叫び。それに呼応するように、蛇が至近へと実体化。

 どこまでも忠実なこの乗騎は、その全身を盾として周囲の敵を威嚇する。

 その胴体へ、少女神は自らぶつかっていった。腕挫ぎ十字固めのな外し方。それは壁などに敵を叩きつける事なのだ。彼女は蛇でそうした。

 ただの一撃で相手の力は緩み、アスタロトはそれを無理やり振り払う。

 大きく傷ついた九尾は空中で体勢を立て直すと、その尾をいくつにも枝分かれさせた。

 そこへ、アスタロトの槍が襲い掛かった。

 ガードする尾は脆い。ただの一撃で砕けるそれは、しかし数が多かった。アスタロトは敵の名を知らなかったが、まさしくそれは九尾の名にふさわしい戦い方。

 必死で後退する獣神は、砕ける尾を再生しながら攻撃を捌いていく。このままでは埒が明かない。これでは殺せない!!

 

 その時だった。

 

「ここまでか。引け」

 不利を悟った異相の神王が命じた。

 アスタロトは周囲を一瞥すると、遥か後方に槍を投じ、そして自らと蛇の巨神をほどいて消えていく。

 まだ生き残っている神格が、速やかにその場を退去していった。

 

 

 門。その地球側。

 そこは、見渡す限りの海だった。

 その門を取り囲むように艦隊が遊弋し、多数の戦闘機械が、そして四百を超える数の巨神が滞空している。

 国連軍であった。

 その中枢であるCIC。

 戦闘の推移を固唾を呑んで見守っていた艦隊首脳部は、味方神格群―――遺伝子操作と外科手術で造られた知性強化動物を肉体とする―――より送られて来た情報を統合し、ひとつの結論を出した。

「敵神格群、撤退中です。

 味方の損害は負傷者三、死者〇。

 指揮官のはるな一佐は重傷なれど生命に別条はない、とのことです」

「よくやったと伝えろ。救援を送れ。負傷者は回収。指揮は次席の者に引き継がせろ。

 速やかに門を確保する」

 指揮官である英雄神は、労いの言葉をかけるとマイクを手にした。

 彼女の言葉は艦隊全体へと響きわたった。

「諸君。

―――我々は、遺伝子戦争以降初めて―――

門を制圧下に置くことに成功した部隊である、という栄誉を得た」

 艦隊全域にその放送が響き渡る。

 一拍置いて―――歓声が広がった。

 それはすぐさま、人類の領域全てへと拡大していった。

 

 

―――燈火たちは賭けに勝ったのだ。

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