【蛇の女王】5
大神たちの会議。そのおおよそ三時間後。
朝日が照らす海面はきらめき、どこまでも美しい。
海原を進軍中の大部隊の前に立ちはだかったのは、一柱の女神像だった。
槍の先端に白旗を上げている。
はるか後方より、通信回線越しに指揮している神々は困惑していた。
「奴ら―――降伏する気か?」
「いや、数が合わない。四体はいるはずだが、残りはどこだ?」
困惑する神々とは異なり、神格部隊を率いる現場指揮官―――蛇に跨る漆黒の少女神は、白旗を掲げた銀の女神像になつかしさを覚えていた。
細部は異なるが、生で見て確信した。あの姿を見間違えようはずもない。
―――お姉さま!!
やはり生きていた。あの程度で死ぬはずがなかった!!
恐らく新たな肉体を得たのだろう。巨神は本来不定形であり、神格の脳で制御しやすいように人型をしている。宿主が変われば形態もそれに合わせて微妙に変化する。別人の脳ならば兜の下の顔は異なるはずだ。
今は一体どんな顔をしているのだろう?きっと美人なのだろう。
私のような醜い化け物と違って!!
ああ、妬ましい。叶う事ならその巨神から引きずり出して、顔をバラバラに引き裂いてしまいたい!
前の時は一対一だった。けれど、今回こちらは手勢がいる。
あちらも仲間がいるはずだ。強いのだろう。何しろその全てが、神々を裏切った眷属ども。好都合だ。部下と互角に潰し合ってくれれば、お姉さまとの戦いに専念できる。
そして、あの男。
お父様の言いつけでは連れ帰る事になってはいるが、巨神同士の戦闘ではそれは難しい。うっかり殺してしまう事もあるだろう。むしろそうであればありがたい。お姉さま以上に憎いあの男!!
あの男さえいなければ、お姉さまが裏切る事はなかった。自由を取り戻したお姉さまをうらやむことはなかった!
それならば諦めもついたものを!!
よくも!よくも私に、手の届かぬ希望を見せたな!
彼女の―――アスタロトの強さの根源。それは妬み。怒り。憎しみ。悲しみ。そういった負の感情。作り変えられた希薄な魂ではない。貪欲なまでに強さを求めるその性向こそが、彼女をここまで強くした原動力だった。相を応用する術を見出し、姉の絶技を身に着け、超絶の技量を発揮するその強さ。
己の命すら自由にならぬ彼女が唯一手に入れられるもの。それが強さだったから。
最大の皮肉は、強くなればなるほどに死が、彼女から遠ざかって行ったということだろう。誰よりも己の死を望んでいるのは彼女だというのに。
ひたむきな努力と、そして創意工夫。
もし人の世界で生きていれば、彼女はどれほどのものを生み出したのだろうか。
だがそんな仮定は無意味だ。
なぜなら彼女は眷属。
漆黒の少女神、アスタロトだったから。
やがて、銀の女神像より通信回線が開いた。
「そちらに、僕を探している神がいるはずだ。
僕の名は都築燈火。
三十五年前、女神ヘルをかどわかした者だ、と言えば分かるだろう。
君らが降伏を申し出ない限りは、僕らは戦う事になる。けど、その前に一応、話し合いの席を設けようと思ってね」
両者はにらみ合う。
神々から、仮想空間へのアクセスを要求されたのはそこからさらに十数分後のこと。
そこは天空のテラスであった。
大理石でできた円形のテーブルがしつらえられ、椅子とティーカップが用意されている。向かい側に座っているのはトーガをまとった鳥相の神―――それも明らかに貴神である。
彼は自ら名乗った。
「―――我はソ・トト。四十八ある天空都市が筆頭、ソを支配する王である。貴様の話を聞いてやろう」
「改めて初めまして。僕の名は都築燈火。一度は顔を合わせておきたかったんだよ」
この時、女神たちの主人と神王。両者は初めて、互いの名を知った。
燈火は向かい側に座り、遠慮なく茶を口にした。どうせ仮想空間である。
美味かった。地球の銘柄であった。
「ふん。ヒト風情がよく言う」
「そのヒトに三十五年前、地球から追い返されたのによく言う」
「はっ。減らず口を叩きに来たのか?」
「もちろん、違う。僕はお前たちに復讐するため、そして人類を救うために、今まで生きて来た。だからちゃんと宣戦布告をしてやろう、と思ってね。本当はもっと早くやるつもりだったんだけれど」
「愚かな。そちらこそ、今降伏すれば、我が魂を移し替えるまでは生かしておいてやってもよいぞ。神格どもも再調整した上でなら生かしてやろう」
「それが死とどう違うのか説明を願いたいね」
「少なくとも貴様の遺伝子情報と、神格どもの器は残る。それで満足するがいい」
「断る。
死んだあとまで弄ばれ続けるだなんて御免だよ。
―――一応警告しておく。
僕に勝てると思わない事だ」
「フン。吠えおったな。
―――神格どもよ。かか―――」
その直前。
銀の女神から、三本のレーザー通信回線が伸びていた。
対象は、燈火が事前に指示した三柱の眷属である。
その通信は、眷属たちの内部に存在する者たちへと呼びかけるものだった。
大意はこうだ。
『僕らはあなたがそこにいる事を知っている。あなたは一人ではない。人間は神に打ち勝てるのだから。そう。今ここに立ちふさがっている女神のように!!』
彼らは刺激され、目を覚まし、勇気づけられ、そして戦いを挑んだ。彼らは、勝利した。
そして、今、この瞬間。
三柱の巨神が、水面へ落下。機能を停止し、沈んでいく。
「何?貴様、何を―――」
「言っただろう。僕に勝てると思わない事だ、って。
ご自慢の眷属は僕には無力だよ。今のは見せしめだ。彼らだって犠牲者だからね。全部を殺すのは忍びない」
「馬鹿な……」
「実を言うとね。先日僕らは十五柱程倒したけど、そのうちの半分は僕がやったんだ」
「……」
本当か?
本当だとしてどうやってだ?
可能だとして、何故全滅させない?何故見せしめが三体なのだ?
いや、あの戦闘、奇襲時にこの男は神格を庇ったではないか。
あの場を切り抜けるのに神格の方が戦力的価値が上だ、という証左ではないのか?
「―――ハッタリか。あの三柱が限度、という事だな」
それはそれで十分に脅威ではあるが。
「やれるものならやってみるがいい。確かに眷属四十五柱、手痛い被害ではある。
だが―――それだけだ。我々には神格以外の兵器もある」
「凄い自信だね」
「フン。もしこの戦いで生きていれば、直接顔を合わせる機会を作ってくれよう。者ども、かかれ」
仮想空間が崩れ、通信が途絶する。
戦いの火ぶたは切って落とされた。
「やれやれ。―――彼女が出てくる前に半分はやれるな」
銀の女神像は巨体に見合わぬ軽やかさで踏み込む。眷属の一柱が剣を構える。すり抜けるように槍が突き刺さる。爆発。真上から近づく者。いつの間にか構えられていた二本目の槍が投じられる。串刺しに。三方向から同時に迫る敵。左右に突き出された短槍が二柱を砕く。正面の剣に向かって踏み込む。振り下ろされる。剣は先端の方が打撃力が大きい。根元では効かぬ。頭突き。固有振動数を読む。体が一拍だけ脈打つ。粉砕。
人間の認知能力には限界がある。
それは神格と言えども変わらない。いや、知性体ならば不変の宿命だ。
ひとつふたつ。たくさん。そういうものだ。
だが一度に全体を認識しようとしてしまうものはいるのだ。ここに一人。
敵群全体の死角が見える。弱点が見える。どう動けばいいかが見える。
あとは敵を打倒しうる肉体があれば事足りる。
それはここにあった。
銀の女神像が。どんな眷属でも一撃で粉砕し、超音速で動き、敵の攻撃に耐えうる強靭さを備えた肉体が。
燈火は女神と共にリズムを刻み、舞う。
銀の女神像は、燈火がリードするダンスにただ、身を任せる。
あえて最も近い概念を示す言葉を探すとすれば、それは人馬一体であろう。
刹那に五柱が斃れ、なおも屍は増加していく。
一〇柱を越えたところで敵が間を取った。
長槍を構えたものが密集。津波のように押し寄せてくる。
雷撃。衝撃波。強電磁場。女神像の胸からいくつもの腕が見える。津波は砕け散る。
「おお―――これは」
神王が驚嘆の声を上げる。
敵の半分を破壊したところで、彼我の距離は一端空いた。
「覚えておけ。僕は―――化け物だ。だが。人を守る化け物だ」
彼の直感は、最も原始的な次元の戦闘であっても人智を超越していた。
もはやそれは認知能力―――というよりは超能力の類であったろう。
千年に一人の天才が、生涯を賭けた研鑽の果てにたどり着く境地へ、都築燈火という人間は生まれながらにたどり着いていた。
女神たちが化け物だ、というならば、それを束ねる主がそれ以上の化け物ではない、などということはあり得ぬ。
古来より、神を殺すのは人という化け物だ。
あらゆる物語は人が生む。神を殺す物語を紡ぐのは人だけだ。竜でも神でも魔物でもない。
「みんな、降りて」
銀の女神像の傍らに、純白の女神像が、炎の色をした女神像が、暗灰色をした女神像が出現する。
それは三柱の女神たちの巨神であった。
今の今まで、彼女らはヘルの中にいたのだ。
これで二十二対四。
「ソ・トト。
―――理解したか?僕が言ったことの意味を」
ヒトの青年の言葉。もはやハッタリだ、とそれを切って捨てる事はできなかった。
故に神王は命じた。己の最高傑作に。
「アスタロトよ。
―――殺せ。その男、必ずや我が種族最大の障害となるであろう」
「はい、お父様」
燈火がその巨神を見るのは二度目だった。
蛇を乗騎とする少女神。
その顔は仮面で覆われ、側頭部から前方には、捻じれ曲がった二本の角が生えている。
手に握るのは槍。
対眷属用に建造された神殺しの少女神は、燈火の目を持ってしても強大な物語を背負って見えた。
あれこそ神の中の神。化け物を殺す化け物だ。
漆黒の少女神は、無造作と思えるほどにあっさりと間合いへ入り込んできた。
槍が振るわれる。
重い。一撃一撃がヘルのそれを数段上回る威力。相によらず、ただの膂力のみで神格を粉砕しうる。極超音速で交わされる互いの攻撃は、その凄まじい衝撃波で周囲の介入を許さない。
三十五年前と比べても格段の進歩を遂げた技量。
あの時は槍に音を流し込んで破壊する余地があった。相もここぞという時しか発動してこなかった。
だが今は違う。全身には常にあの、恐るべき不滅の相が張り巡らされ、槍は不滅の相が限界を超えるより早く接触を断っている。
異常なまでの膂力も、構造限界を超えて力を絞り出した反動を相で軽減しているからこそだろう。
燈火はこの三十五年間、ずっとアスタロトを倒す方法を考えていた。だが、彼女もまた、ヘルと燈火を討ち滅ぼすために研鑽を重ねて来たのだ。
この恐るべき敵手に、ヘルは恐怖よりもむしろ懐かしさを感じていた。
もう少し。あと少しで何か思い出せそうで―――
唐突に限界が来た。
女神を駆る化け物に。
燈火の、強化されたはずの肉体から血が噴き出す。目から。耳から。鼻から。口から。
それはまさしく七孔噴血であった。
今まで互角だった戦いの天秤が、急激に傾き始めた―――
三女神が、追い詰められつつある燈火とヘルに手を差し伸べる事はできなかった。
残りの二十一騎と刃を交えていたからである。
もしこの時燈火が四人、いや二人いれば、勝っていたのは女神たちのはずだった。だが現実には彼はひとりしかいないのだ。
少女神は不満だった。
裏切り者の姉神と、父王の肉体たる少年。
彼女らは確かに恐るべき敵ではあったが、それだけだ。
負ける気がしない。せいぜい己と互角に打ち合えるだけ。
私と同じだけの歳月を越えて来たというのに、その程度しか強くなっていないのか?
この再戦に運命を感じていなかったと言えば嘘となる。
なのにこれでは、あまりにも期待外れに過ぎた。
その動きも急に精細さが欠け始め、防戦一方へとなっていく。
つまらない。
このまま殺そう。
殺して、その首を持ち帰ろう。
そうして、父に愛でて貰おう。
今までで最も重い一撃を撃ちこむ。銀の女神像の体勢が崩れる。そこへ乗騎を跳び込ませる。
ヘルの槍が重厚な一撃で払われた。その体勢が崩れる。
―――待っていた瞬間がやってきた。
突っ込んでくるアスタロトの乗騎に抱き着く。固有振動数はもう把握してあった。
全身全霊を賭けて、超音波を流し込む。
乗騎は爆裂。
そんな事でアスタロトは死なない。彼女の本体はあくまでも女神像である。故に彼女は乗騎を幾らでも使い捨てにできた。
アスタロトの槍が迫る。避ける手段はない。
避ける必要などなかった。
銀の女神像の胸から出現した骨色の鎌の刃。それが受け流したから。
更に鎌が下方から出現。右上から。左上から。都合四本の大鎌が少女神を包囲。
アスタロトの神像の表情は変わらぬ。仮面に覆われていたからである。だが彼女は驚愕していた―――五柱目!!
静かに踏み込んできた銀の女神像は、優しく少女神の胸に掌を当てた。
破壊の音が流れ込む。
あの時のヘルは大きく傷ついていた。だが今回は違う。
不滅の
破滅的な結果が訪れる。
少女神の胸が大きくえぐれ、ほとんど上下に両断寸前の損壊を受けた。
後方へと咄嗟に飛んで逃れたのは流石であったが、後一撃。あと一撃で彼女は死ぬ。
この時点で残っていた十八柱がそれを許さなかった。
アスタロトは、技術者としても名高い神王が手ずから設計した、神々の力の象徴とでもいうべき神格であった。その死を許す者はいなかった。
―――あはははははははっ!そうだ!!それでいい!私を殺せ!殺してみろ!!まさかこんな隠し玉を用意していたとは。そうだ、三十五年前の戦いの時だってそうだったではないか。私の裏をかいて見事逃げおおせたじゃないか!
アスタロトは笑っていた。致命傷寸前の大ダメージを受けながら、実に楽しそうに。
―――死の予感。いつ以来だろう。ようやく死ねる。殺してもらえる。私は死ねなかった。自害すらできなかった。いいよね。もう死んでいいよね?
彼女を縛る不死の呪いは幾つもあった。その最大のものが神王の手による精神拘束であることに疑いの余地はなかったが、第二のそれは不滅を司る
蛇だった。
この不死なる乗騎はアスタロトを必死で守ろうとしていた。アスタロトが死ねば蛇も死ぬのだ。
唐突に、黒き少女神の自暴自棄になった精神が正気を取り戻す。
蛇は、アスタロトが憎くて守ろうとするのではない。むしろ逆だ。彼女を慈しみ、愛しているがゆえに守ろうとするのだ。
蛇こそが、この狂った世界にあって唯一、アスタロトの味方であり友だった。真の意味での。
神王が、そこまで考えて蛇を少女神に与えたのかどうかは分からない。
だが、それは間違いなく呪いだった。蛇がアスタロトを見捨てないように、アスタロトは蛇を見捨てられないからだ。
アスタロトは自己修復を開始した。
神王は、この時点で予備兵力の投入を決定した。
それも、目標は乱戦の最中ではない。
「気圏戦闘機隊よ。速やかに、門を破壊せよ」
門を守る者はいなかった。
既に母艦から離脱し、いつでも大気圏へ降下できる準備を整えた戦闘機部隊が、その主機関である常温核融合炉を活性化させた。
エススの巨神に備わる大出力レーダーは、遥か遠方、衛星軌道上を巡っている宇宙戦闘機部隊を捉えた。
後面を向けて大気圏へと突入してくるその戦闘機械は、リフティングボディを備え、大出力のレールガンと荷電粒子砲、そしてミサイルで武装し、神格の攻撃にすらある程度耐える重装甲を備えた恐るべき超兵器であった。
その数三十六。
データリンクで仲間にそれが伝わる。
絶望が場を支配した。
現状ですら精一杯だというのに、あの数が門に殺到すれば守る事は不可能だ。
ヘルは微笑んだ。
「行ってください。ここは私が引き受けます」
「な―――無理だ!」
「無理でもやらなくちゃいけません。どうせ私は一度―――いえ、二度死んだ身です。三回死ぬのも我慢しましょう」
「ヘル? ―――まさか」
「酷いですよね。この状況で、前世の記憶が三人分も蘇ってくるだなんて。死んだ記憶が二つですよ?」
「まさか君の名は―――」
「駄目ですよ、燈火さん。魔法が解けちゃいますから」
ヘルは、燈火の姿をしっかりと目に焼き付けた。
次いで仲間たち。その神像の顔を順々に。いつも雰囲気を和ませていたエスス。強さを与えてくれたタラニス。己の姿に苦悩しながらもヘルを導いてくれたクムミ。
樹海のほとりの村で目覚めてからもうすぐ1年。素晴らしい猶予期間だった。本当なら自分は、もう死んだはず人間なのだから。
三十五年前に死んだ女神と人間の女性。その記憶が、ヘルの中で蘇った。
ヘルは―――今の"ヘル"が、この肉体の記憶の残滓と、かつて果てた女神たちが混ざり合って生まれた存在だったことを悟っていた。
女神は、まだ己の中に搭乗しているフランへと顔を向けた。
彼女にとって、自身の命よりも大切なひとを預けるために。
「フランさん。あなたは燈火さんを連れてみんなと行ってください」
「駄目ですわ!私も一緒に戦います!足手まといになんてなりませんわ!」
「フランさん。この中で一番弱いのは、あなたじゃないんです。燈火さんなんです。だから、守ってあげて」
「ヘルさん―――」
「さ、いって……」
仲間たちは知っていた。これが今生の別れであることを。四柱の女神像がその場を飛び去り、銀の女神像は残る十九柱の前へ立ちふさがった。
都築燈火に選択権はなかった。彼に、仲間の手を振り払って残る能力はなかった。
部下たちが稼いだ時間で、アスタロト。そして乗騎たる蛇は自らの流体を集め、巨神を自己修復する事に成功していた。神格の肉体は激しく傷ついていたが、死ぬほどではない。やがては再生するだろう。
だが。
―――ああ。あの男が行ってしまう。手の届かない場所へと!
仕方がない。
「お姉さま。あなたを殺して、溜飲を下げる事といたしましょう」
少女神は翼を広げ、乗騎から飛び降りた。槍をもう一本召喚。二本の槍を両手で構え、その横に蛇が並ぶ。
「ええ。三十五年前、お互いに言葉は伝えつくした。だから、今はこれで語りましょう」
槍―――あの時とは違う。当時は好んで短槍を使っていたが、今の肉体となってから愛用している長槍を、銀の女神は構えた。
向かい合うアスタロトは、そんな姉神に向けて宣言した。
「今度は逃げる暇など与えません。―――行きます」
左右から踏み込んできた少女神と蛇。
どちらか単独ですら勝てるかどうか危うい。なのにそれだけではない。刃を受け、蛇の牙から逃れた銀の女神像の翼がもがれる。回り込んだ眷属が投射した氷の刃の仕業。姿勢が崩れたところを妹神の追撃が掠める。左脚の具足がはじけ飛び、その隙に蛇が兜に噛みつく。咄嗟に留め金の接続を解除。間一髪、食いちぎられなかった頭部が露わとなる。
「―――今度の顔もやはり、美人なのですね。お姉さま」
妹神の声は、耳元で聞こえた。
衝撃。
首に食い込んだのは少女神の頭部衝角。抵抗などできようはずもなく、女神像の頭部が千切れ飛ぶ。
センサー系を再配置しつつ、ヘルは敵を探した。見えない。そこへ火炎がぶつかり、胴体が溶融。大穴が空く。肉体が吐血。神格本体に影響が出始めた。
それでも動こうとする銀の女神像へ向け、十八体の眷属群が相を構え、あるいは槍を投射し、矢を放った。
腕が千切れる。残った羽が吹き飛ぶ。雷撃に撃たれて全身の分子間結合が緩み、レーザーが胸を穿つ。
死んでいないのが不思議なほどのダメージだった。
巨神本体の耐久力は分子間結合の強度によって決定され、それは神格の集中力によって維持されていた。だから、これはヘルの類まれなる精神力が起こした奇跡。
しかし、それも尽きるときが来る。
「―――ふむ」
あの時と同じ。
ヘルは蛇によって脚をくわえられ、逆さづりとなっていた。
頭部と両腕を失い、胸は穿たれ、胴体には大穴が空き、翼は千切れている。
「念のためにもう一刺ししておきましょう」
少女神が槍を突き出した。
それが止めとなった。
構造を維持できなくなったか、真っ先に銀の女神の脚が霧散した。蛇の口をするりとのがれ、そして海面へと落下。そのまま深く沈んで行く。
「―――死んだ。お姉さまが」
アスタロトの呟きには何の感情も浮かんではいなかった。長い時、それこそ人間だった時間よりもはるかに長い歳月、姉の事ばかり考えていた彼女。
だが、これより未来。永劫に続くはずのその生涯で、彼女は一体何を支えにして生きて行けばいいのだろう?
そうだ。まだあの男が残っていた。あいつを殺そう。だが、そこから先は?
分からない。漆黒の少女神には、分からなかった。
その後体勢を立て直した神々の軍勢は、門へと進撃を開始した。
一方の戦闘機部隊は壊滅。その代償に、ほとんどの力を使い果たした女神たちはどこへともなく姿を消していった。
神々は安堵した。
これで秩序は守られたのだ、と。
◆
そんな神々に、勝利の女神は微笑まなかった。彼女は地球の女神であった。神々のための神ではなく、人のための神だった。
最後まで死力を尽くして戦い抜いた人間たちのために、勝利の女神は微笑んだ。
あるいはそれは、名を略奪された女神のささやかな復讐だったのかもしれない。
―――門が、開通したのだ。
まず出現したのは鼻先。
ゴツゴツとした暗灰色の、しかし透き通った物質でできたそれは爬虫類を思わせる。
次いで口。凶暴そうな、ギザギザの歯が印象的だ。
全てを睨み殺せそうな目。
首は長く、手は短い。次いで出て来た胴はまた長めで、二本の鳥に似た構造の脚を持ち、その後ろからは太くて長い尻尾。
体高は五十m近いが、尻尾を含めればさらに質量は膨れ上がる。
肩部に日の丸と国連を示すレリーフが刻まれたそれこそ、日本統合自衛隊が誇る最新鋭の水陸両用型神格、"The-G"であった。
一群の"G"が門を潜り抜けると、次に現れたのはメカニカルなゴリラを彷彿とさせる神格"スティールコング"。背後には誘導弾発射筒が装備されている、遠近両面で優れたバランスの良い神格。
そして最後の一柱。彼らの指揮官たる、獣相に巨大な尾を持つ和装の巨人。名を"九尾"
門を越えて出現したのは、これら一群の神格が総数三十あまり。
地球の軍勢であった。
彼らはやってきたのだ。
三十五年前の雪辱を晴らしに。
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