【少女と樹海】4

 ああ、気分がよい。

 通り慣れた街路を、スキップするように歩く。

 あら。

 見慣れた猫を見つけると、そちらに近づく。

「しゃーっ!」

 引っかかれた。

 おやおや、いつもなら無精で、人間に抱き上げられても抵抗しないというのに。まるで昨日のヘルさんの時のよう。

 再生していく傷口をぺろり。

 そして、街の中心。三階建ての建物の前にたどり着いた。

 いつも通りに扉を開け、家の中に入る。

 石づくりの壁。床の絨毯。入って左にある、日当たりの良いスペースには来客用のソファとテーブルが置かれている。前方に続く台所への扉から顔を出したのは母。

「―――フラン。あんた……あんた無事なのかい?」

 母の声は震えていた。無理もない。つい先ほど、私は神に連れ去られていたのだから。 

 だから、わたしは答えた。

「ええ、無事です。お母さま。今までにないほど、すがすがしい気分です。あんなに恐れていたのが馬鹿みたい!」

 肉体には力がみなぎり、頭の中は晴れ渡っている。それだけではない。周囲数十キロに"存在していながら存在していない"状態となった私の分身は、途方もないパワーを与えてくれる。

「フラン……?」

 母の表情が怪訝なものに変わる。わずかに後ずさる。

 少し傷ついた。だから、わたしは見えざる分身の手を伸ばした。

「フラ―――」

 その目が虚ろに変わる。うん、私を傷つけた罰だ。

 それにしても、力を使うのは面白い。脳の回線をほんのすこしいじくるだけで、人間は、いや、同族や神々のような防御を施されたものを除くあらゆる生物は、私の忠実な奴隷になる!

 お父様にも見せて差し上げなくちゃ。

 階段を駆け上る。二階の部屋。かつては姉がいた部屋。姉はどうなったのだろうか。神々のお役に立てているのだからどうなっていようと素晴らしいのだけれど。

 三階。扉を開ける。

「お父様」

 父は、私の顔を見ると驚き―――そしてひどく疲れたような顔をした。

「フラン―――ではないな」

「まぁ。酷い。私はフランです。少なくとも、この肉体は」

「……神格になって戻って来た若者を、昔見た事がある。まるで別人だった。実際別人なのだろう?」

 その言葉に、私はくすくすと笑いだした。

「ええ。けれど、私はフラン自身でもあります。彼女の脳内へと情報を移し、彼女の頭脳で思考し、彼女の記憶を持つ私はフランと言っても差し支えはないでしょう?お父様」

「そんなことを自慢しに来たわけではあるまい」

 お父様。こそこそしているつもりでしょうが丸見えですよ?その引き出しの拳銃で私を撃つおつもりですか?

「はい。私はこの力を試して来い、とご主人様より命を受けました」

「試す……だと?」

「脳の記憶を読ませていただきたく」

「!」

 彼は―――父は拳銃を自らの側頭部に当てるとためらいなく発砲。力なく崩れ落ちる。

 これは予想外。

「おやおや。困りましたわ。それじゃあ、ご主人様の命令が果たせないじゃありませんか」

 仕方のない父親だ。治してさしあげなければ。

 破壊された脳へ意識を集中する。ぐちゃぐちゃになった脳内。それも、複雑な量子的絡み合いと、破壊の過程を記述する古典的な運動方程式。これらから逆算すれば記憶ごと、復元は可能だ。エントロピーを踏みにじり、第二種永久機関すら生み出した神々の科学技術にとっては。

 まあ多少の欠損は大目に見てくださいな。何しろ初めてなもので。

「……あ、あ……」

 まあおいたわしい。

 私のアスペクトは、同族と比較すればささやかなものだ。その物理的なパワーにおいては。

 だが、微細さにおいては他の追随を許さない。

 周辺空間に、"量子論的に"遍在する流体は、対象の内部で実体化。その周りにある原子を利用して微小機械を作るのもいいし、あるいは流体で直接的に組み替えてもいい。

 今回は流体で丁寧に復元する事を選択。

 損傷した細胞を修復し、組織を動かし、繋ぎ直し、細部は演算結果に従って情報を書き込む。

 ほら。ほんの数分で元通り。

 虚ろな目でこちらを見ているお父様。その頭部を優しくつかむ。

「さあ。死んでまで隠そうとした秘密、教えてくださいね?」

 我が相は死。死は、私の従者でしかないのですから。

 ……あら?

 目から涙が。驚いた。まだこんな風に感じる心が残っていただなんて。

 ご主人様にお願いして、再調整していただかなくては。

 

 

  ◆

 

 

 街の端。そこに着陸した降下艇の通信室で、義眼の神は通信回線を開いた。最優先で。

 機器から投影された映像はしばらく取次ぎ中であることを示していたが、数コールたつと相手が通話に応じた。

 天上都市の壮麗な光景を背に座る鳥相の神。トーガを纏う、壮年の神王であった。

 報告を聞いた彼は告げた。

『……よろしい。作戦を許可する。もし問題の男を捕獲するのが難しければ、神格ごと殺して構わん。

こちらからも増援を回す。万一の場合はそれまで持ちこたえるように』

「はっ。お気遣い感謝いたします」

 鳥相の神は端末を閉じると、傍らに張り付けられた幾つかの写真に目をやる。家族や部下が写ったそれらを。

 ほんの数秒、それを見つめていた彼は、気持ちを切り替えた。

 狩りの時間だ。


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