【少女と樹海】3

「お子さんですか?」

 そこは航空機の中。

 兵に声を掛けられ、鳥相の男は顔をあげた。

 手元の端末には写真。かつての人類同様、神々は二次元の画像を多用する。3Dより必要なリソースは格段に少ないし、見るのにも支障がないからだ。

 そこに写っていたのは、男同様鳥に似た顔の幼子。そして、それを嬉しそうに抱く、ヒトの顔と漆黒の瞳を持った女だった。

「ああ。子供は宝だ。私個人にとっても、そして我ら全体にとっても」

 神々の出生率は下降の一途をたどっている。個々の寿命が長いために今はまだ問題ない。だが、やがては他の生命と同様の運命を彼らがたどるのは明らかだった。

 延命手段が必要とされていた。

 種族のために、彼は三十五年前、命を賭して戦った。右目は機械仕掛けの義眼であり、その周辺には傷跡がいまだに残っている。神々の再生能力や身体能力は極めて高いが、眷属には劣る。高度な埋め込み機器でもある神格の管理がないからだった。それでも、改造人体の肉体ならば、旧型の―――神々のクローンから作られていた―――眷属に匹敵する性能を発揮し、たとえ四肢や内臓を失ったとしても自己再生できるのだが。

 人類の肉体をベースとした眷属が多数生産されているのも、その改造の幅が広く、高性能化が容易であるからだ。

 数十億年の自然進化の果て。まったくテクノロジーが加えられていない地球産の遺伝子は、既に極限まで遺伝子改造が施されている神々よりもはるかに有望だった。将来的には、それをベースとしながらも、神々自身の遺伝子も受け継いでより進化した子孫たちが誕生するだろう。だがまだまだ先の話だ。

 もう、急ぐ必要はないのだから。

 眼前の兵も、男の目同様に先の戦争で失った足を機械で補っている。いい加減人体を使えと言っているのだが、「まだまだ自前でやれます!」と頑張っているのが微笑ましい。

 確かに、彼よりも新たな肉体を必要としている病者や老人は数多い。

 この世界にいるヒトは億近いが、それですら需要に対して十分ではない。増やす必要があった。だがヒトという生物は成熟に十数年かかる。直接管理して飼育するのは現実的ではない。それ故に、惑星上で自活させているのだ。

 男の普段の仕事は、その管理であった。もはや戦争で部下を失う事に心痛める心配はない。惑星を飛び回る仕事は忙しいが、輝かしい未来が待っていると思えば苦にならない。

 神々も同胞をいたわり、家庭を持ち、子を慈しみ、家族を愛する。

 その姿は人間的に過ぎた。

 そんな彼らが人間を冷酷極まりなく扱うのも、また、人間に似た生物だからだろう。

 似すぎているがため、この二つの種族が交わることは決してない。

「かわいいですねえ」

「まったくだ」

 男は兵に答え、端末を懐へしまった。

 彼は己の職務に忠実だった。それはひいては家族に対して、そして種族に対して忠実だということだった。

 その時、目的地に着いたことをパイロットが告げた。

 鳥相の神は立ち上がり、そしてその場にいる部下たち―――神々。そして、何体もの眷属に対して告げた。

「さて、諸君。目標は巨神を破壊できる程に獰猛で、いまだに尻尾を掴ませないほど狡猾だ。注意してかかれ。皆の健闘を期待する」

 

 

  ◆

 

 

 街に着いた次の日。

 顔役の一家に見送られて、早朝には一行は街を出た。

 一行の先を歩くのは髭面で、熊のような大男。彼こそが髭熊であった。

 本名は燈火も知らない。

 皆が黙々と歩く。

「あの、どこへ向かっているんですか?」

「俺の船だよ。そこに頼まれていた荷物がある」

 半日歩き、ついた先は海岸沿い、海に繋がった洞窟だった。

 

―――まさかそこに船があるとは。

 

 上面は平面で構成され、ステルス性を備えた形状。

 船体の大半が水中に没し、動力は常温核融合炉。熱光学迷彩も備え、電磁流体推進で動く双胴型の半潜水艇だった。


「うわぁ……」

 ヘルは、生まれて初めて見るハイテクの塊―――実際は本人の方がさらにハイテクだが―――に言葉もない。

「凄い! これは?」

「神々が災害で放棄した港に転がってたのをレストアしたのよ。どうだい、気に入ったかい、姉ちゃん?」

「は、はい!」

 自慢の船を褒められて悪い気がする海賊はいない。

「よぉしよし。じゃあ荷物を降ろすついでだ。ちょっとだけ中、見せてやろう」

 気を良くした髭熊は、ヘルを船内へと招き入れた。

「ありがとうございます!」

 

「わぁ……」

 船内はモニターや不可思議な計器で満たされていた。

 ところどころに謎のお札や木彫りの人形が飾られている。魔除けかもしれない。

「意外と、広いんですね……」

「あぁ。神々は人間より微妙に、背が高いからな。それに合わせてるんだ。使う俺にとっちゃあありがたい話よ」

「神……見たこと、まだないです。いえ、あるかもしれませんけど、記憶、ないです……」

「そっか。姉ちゃんは、やっぱり神格か?」

「え。……はい」

「そうか。可哀想になぁ……おっと、こいつだ」

「これ……ですか?」

「頼むわ。俺が持ち上げようとしたら腰ぬかしちまうけど、姉ちゃんならだいじょうぶだろ。気を付けてな」

「はい……よいしょ」


 ヘルが船内から運び出してきたのは、机一個分くらいの箱型の機械。あの世界間戦争―――遺伝子戦争以前を知る人間なら、冷蔵庫みたい、という感想が飛び出しそうだ。

「ごくろうさま。あとはこっちが持つわ」

 冷蔵庫を外で待っていたタラニスが受け取ると、彼女の巨神―――その掌が出現する。

 その上に冷蔵庫を載せると、たちまちのうちに荷物は沈み込んだ。まるで水没のようだ。

「消えちゃった……」

「主体となる神格がこちらの世界に残ってさえいれば、別に荷物を積んだまま巨神が消えても平気ですから」

 説明すると掌を消去するタラニス。

 受け渡し完了だ。

 深々と燈火が髭熊へ頭を下げる。

「ありがとうございます。助かりました。どうしてもこれだけは、僕らじゃなんともならなくて」

「苦労したぜまったく。お前さんたちの頼みでなきゃ断ってる。

ま、何するつもりかは大体想像つくが、無茶して死ぬんじゃねーぞ?」

「はい。髭熊さんもお元気で」

「おぅ、じゃあな!」

 熊のような髭面の海賊は、そのまま船に乗り込むと去って行った。



  ◆



 街の顔役は、難しい顔をして黙り込んでいた。

 眼前でソファに腰かけているのは―――神。

 複数の眷属を従えた、この地上では並ぶものなき存在だ。

 彼が街を訪れ、この館に来ること自体はいつも通りだった。昨日燈火に警告したように。

 問題は要求されている内容だった。

「―――では、存じない、と?」

 人間の言葉で問うたのは、片目の周りに傷跡のある鳥相の神だった。

 神々が何かを探し回っている、という事は顔役も知っていたが、具体的な聞き込みを始めたという事は、よほど手がかりがないのかもしれない。

 顔役が問われていたのは、不審な人間についての情報だった。

 それもただの人間ではない。神々の管理を外れた神格―――つい数時間前、街を離れて荷物を受け取りに行った友人たちについての。

―――燈火、間が悪いぞ、いくらなんでも。

「ええ。知らないものは答えようがありません。そもそも素性を隠していた場合、見分ける方法があるのですか?」

「なるほど。では仕方ありませんね」

 あっさりと神は引き下がった。元から期待していなかったのかもしれない。

 顔役は内心、胸をなでおろした。

 だが、それで済むと思ったのが間違いだった。

「……そうそう。もう一つの用事を忘れるところでした」

「もうひとつ……?」

「ええ。新鮮で健康な肉体を一つ、ご用意していただけますか?」

 顔役は顔をこわばらせた。

 目の前の神が言っているのは、生贄を一人選べ、と要求していることに等しい。

「なるべく若い娘、いえ、子供の方が都合がいいですね。紹介していただけたなら、こちらから出向きますので」

「……一晩待って頂きたい」

 苦虫を噛み潰したような顔で、顔役はそれだけを絞り出す。

「もちろんいいですとも。―――ふむ?」

 立ち上がり、そして去ろうとした神はふと怪訝な顔をした。

 そのまま部屋の奥へと歩み寄り、顔役が制止する暇もなく扉を開ける。

「―――あ」

 そこにいたのは、十歳前後だろうか?金髪が印象的な可愛らしい少女。

 彼女は顔を強張らせていた。

「おお。ちょうどいい。手間が省けました。これは健康そうだ。しかも中々美しいじゃないですか」

「娘を……!?ま、待ってください!うちは既に、一人供出しました!」

―――顔役は、既に子を一人奪われていた。フランの姉を。神の肉体とされたのか、神格に改造されたのか。どちらかは分からないが。

「ああ。一戸からひとり、はあくまでもそういう方針がある、というだけで、別に絶対のものではありません。

気に入りました。この娘をいただきましょう」

「ああっ……!」

 顔役はすすり泣いた。人間の力ではどうにもならない。いや、燈火たち―――あの強大な力を持った青年たちでも、娘の運命を変える事は不可能だ。この場で神を殺して解決する問題ではない。そんな事をして街が無事に済むわけがないからだ。

 人間はどこまでも無力だった。

 そんな彼に、娘は微笑んだ。悲壮な笑顔であった。

「お父様……覚悟はできております。ですから―――娘は死んだものとお思いくださいな」

 フランは、己の番が来たことを悟った。

 この世界に生きる人類は皆、知っていた。

 神とは人の皮を被る―――文字通りの意味で―――悪魔の別名だ、と。

 

 

 目に傷持つ鳥相の神は、大変に機嫌がよかった。

 聞き込み自体の成果は芳しくなかったが、それは予想の範疇。この二か月ろくな成果が出ていないのだ。そうそう都合よく情報が出るはずもない。

 それよりも、素晴らしい肉体を手に入れた事が大きい。

 彼は仕事の熱心さと正確さを評価され、最新鋭の神格を下賜されたばかりだった。それにちょうどよい、大変に美しい肉体。

 神々の美的感覚は人間とは異なるが、そんな彼らも、人間の美しさは認めていた。ある種の獣に対して人間が美を見出すように、彼ら神々は人間という生物に美しさを感じるのだ。

 でなければ、自分の肉体にそのままの外観で使う者がいるはずもない。もちろん、そこに違和感を感じ、神々に合わせた姿へ改造する者もいるのだが。その辺は個々で判断すればよい事だ。

―――任務が終わり、休暇を取れたら早速愛でてやろう。せっかくだ、妻にも楽しませてやらなければ。もちろん仕事の方が優先だが。

 そんなことを考えながら、彼は、手に入れて来た肉体へと向き直る。

 そこは窓が締め切られ、一筋の光すら差し込まぬスペース。

 フランは拘束具を付けられ、椅子に座らせられていた。

 周りには数人のヒト―――そのなれの果てたる眷属。

 これからどうなるのか―――少女は勿論知っている。

 神は、脇に置かれた男物の旅行カバン―――ふざけたことに地球のブランド品、先の戦争の略奪品だ―――から、細長いガラス瓶のようなものを取り出した。

 両脇の蓋は機械で、中には緑色の液体が満ちている。

 その中に浮かんでいるのは、蝶。

「これがなんだか知っていますか? お嬢さん」

 神は饒舌に、人間の言葉で語る。

 手のひらサイズの電子機器を瓶に近づけて照合させると、瓶の蓋が開いた。

 中から緑色の液体がこぼれ、床を濡らす。

 少女の瞳の輪郭が、恐怖で歪んだ。

 用意していたピンセットを手に取ると、神は慎重に蝶の翼をつまんだ。

 それは骨色―――そうとしか表現できない不思議な色合い。見る角度により、微妙にその色が変化して見えた。古びた骨。真新しい骨。それらの間を行き来する。

 古来より、人類は蝶を死霊や魂の化身、復活の象徴などとして扱って来たという。

 神格。その本体にふさわしい姿であった。

「むー !? むむー !?」

 恐怖に耐えられなくなったフランは、必死で暴れる―――無駄な努力であったが。

 拘束具はそんな事では外れない。

 とはいえ。

「こう暴れられては入れられませんね。お前たち、頭を固定なさい」

 待機していた眷属たちが、少女の頭を押さえつけた。

 いかに抵抗しようが、万力で固定されたかのように動かない。

 拘束された少女の左耳に、不気味な蝶が近づけられた。

「安心なさい。これはあなたを生まれ変わらせてくれるものです。そう、素晴らしい力を与えてくれるのですよ。その力で私たち神々に奉仕できることを、感謝しなさい」

 そんな言葉で安心できる人間はいない。肉体を奪われ、化け物に成り果てる悪魔のマシーンこそが、その蝶だった。

 恐怖で脂汗を流すフラン。その両目は、左から近づいてくる蝶へと注がれる。

 それが視界から消える。耳の真横へと到達したからだ。

 蝶の脚が、耳をしっかりとつかむ瞬間を、少女は確かに知覚した。

 神が蝶の翼を離した。

「さぁ、生まれ変わりなさい―――」

 自らの脳を食い破って、蝶が頭蓋に侵入してくる音を、フランは間違いなく聞いた。

 意識が急速に遠のいていく―――

 

 そして数十分後。

「―――さて。そろそろですかね?目を覚ましなさい。"チェルノボーグ"」

 その一言が魔法のように、かつてフランだった女神を眠りから呼び覚ました。

「―――おはようございます。ご主人様」

 その瞳は、何も映し出していなかった。何も。

 命というものを削ぎ落したかのごとき面相。

「気分はどうですか?どこかおかしいところは?」

「ありません。お気遣いありがとうございます」

「よろしい。では早速、お前の力を使って調べたいことがあります」

「反乱者の情報でしょうか?」

「その通りです。まずは試運転を兼ねて、顔役の頭の中を調べましょうか。娘に頭の中をいじくりまわされて、どんな顔をするのでしょうねえ、彼は」

 目に傷持つ神は、下卑た欲望を露土した。だがヒト相手のことだ。仕事をも楽しむその姿勢を讃える神こそいても、とがめだてする神などいようはずもない。

「承知致しました」

 そして、悪夢の一日が始まった。

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