【少女と樹海】2
フランと一行が出会い、二日後。
「街だー!」
「まちですわー!」
「元気だねえ」
それぞれエススとフランと燈火である。
海岸に沿って、なだらかな斜面に築かれた街だった。
石やレンガで作られた家々が立ち並ぶ。その外側には農園が広がり、沖に目をやれば小さな木造の漁船が漁をしていた。
ヘルにとっては初めての、人の営みがそこにあった。
「凄い……こんなに人がたくさん」
見惚れている間に遠くから声が響いた。
「みなさーん! 置いていきますわよ!」
見ればフランはどんどんと坂を駆け下りて行く。
「子供だけあって元気だねえ」
一同苦笑しつつ、彼女についていった。
木陰で休憩している農夫。驢馬に建材を運ばせている職人。走り回る子供。
そういった街の様子に目を丸くする銀の女神。
「あの……これは?」
「ああ、リンゴだね。おばちゃん、1つくださいな」
「あいよー」
果物売りから手に入れた果実を燈火から渡され、その甘味に、ヘルはびっくりした。
「おいしい……」
「よかった。さ、食べながらでいいから行こう。おいていかれちゃう」
「わ、分かりました」
石畳で覆われた街路を進む。その先は、レンガや石で作られた家が増えてくる。二階建てが多い。
そして、中心あたりまでたどり着くと―――
「ここが目的地」
三階建ての大きい家。その前で、仲間たちとフランが待っていた。
「お久しぶりです」
燈火の挨拶に顔をほころばせたのは、結構な大男であった。
「おう、お前さんか。ま、ゆっくりして行きな」
勧められたソファに座る燈火。窓の外には、地中海かと見まごうような、美麗な市街地が広がっている。
三十五年前、ここは荒野だった。今は違う。
神々によって強制連行されてきた人々が、苦心を重ねて作り上げた街だ。そこは、小さいながらも活気あふれていた。
この館は、街の中心にある。
町長、というわけでもないが、眼前に座る大男は街の顔役。そしてフランの父親でもあった。あまり似てはいないが。
遺伝子戦争期には海軍士官だったという。
「済まないねえ。うちの娘が世話かけたみたいで」
恰幅のいいおばちゃん―――これでも昔は双子と並ぶほどの美貌だった―――が、ぽんぽんとフランの頭を叩くとそのまま下の階へ連れて行く。彼女はフランの母だった。
どうも、フランはお叱りを受けるようだ。まあやむをえまい。心配をかけたのだから。
それは放置して、顔役。
「で、今回はどうしたんだ?」
「ええ。髭熊さんに連絡を取りたいのですが」
「あいつか。ちょうど買い出しに来てるはずだ。いつもの宿に行けば会える」
「助かります。それと―――」
「ああ、泊まってくんだろ?」
「ええ。買い出しもしなきゃいけないんで、三~四日ほどお願いします。一人多いですが構いませんか?」
「よせやい、お前さんたちがいなけりゃ、うちの女房はとっくにあの気色の悪い神様の仲間入りしてたとこだ」
燈火はほほえんだ。
「困ったときはおたがいさま、ですよ」
「まったくだ」
それ以上余計な事は言わない。聞かない。
それが、互いを守るためのルールだった。
「おっと、たぶん数日中に神々が来ると思うから、鉢合わせしないようにだけ気を付けといてくれ」
「わかりました」
一階の応接間で、女性陣は飲み物を出されていた。
よく冷えた牛乳。旅をしていると中々口にできない貴重品だ。
銀の女神は、本日二度目の感想を口にした。
「……おいしい」
我ながら語彙が貧弱だとは思うのだが、そうとしか言えないのだから仕方がない。
―――街は凄い。こんなにおいしいものがたくさんあるんだから。
哺乳類から分泌される栄養満点の完全食品。
まさしく生命の神秘であった。しかもこれは、地球という惑星が抱えていた無数の遺伝子資源のうちのひとつの、さらに一側面でしかない。
「ここの特産さね。たくさんあるから、好きなだけ飲んでくといいよ」
フランの母は人好きのする笑みを浮かべて言った。これぞ肝っ玉母さん、という感じだ。フランも将来はこうなるのだろうか。
もはや歳をとる事がないヘルは、そんな思いにとらわれる。
「じゃあお言葉に甘えて」
ごくごく、とお代わりをごちそうになっていると、燈火が階段を降りて来た。
「お待たせ。ちょっと出かけてきます」
前半は女性陣。後半はフランの母に対しての言葉だ。
と、そこへフランもやって来た。
「お出かけするんですの?私も連れて行ってくださいませ」
「ああ、ごめん。大事な用事なんだ。ちょっと連れていけない」
すげなく断られたフランは、その標的をヘルへと変更。
「えぇ……そうだ。ヘルさん、街を見たことがないんですわよね?」
「え、ええ。そうですけど」
「じゃあ案内して差し上げますわ」
そこへ割り込むフラン母。このあたり、流石に娘の扱いには手慣れていた。
「こら、あんた、手伝いやるって約束したろう?」
「う……へ、ヘルさんを案内するのも大切だと思いますわ!」
魂胆が丸見えだった。いかに背伸びしても、そういうところはまだまだ子供だ。
「まったくこの子は……口だけ達者になってもう」
「ヘルさんも街、案内してほしいですわよね?ね!?」
「え……で、でも私、燈火さんと……」
燈火とフランの母親。困惑して両者に視線を向ける銀の女神。
視線を向けられた二人は、顔を向け合い苦笑。
おばちゃんが首肯し、燈火が告げた。
「ああ、ヘル。行っておいで。せっかくだし。僕らは用事を片づけてくるよ」
「さすがおじさまですわ。さぁ、ヘルさん行きますわよ!お母さま、行ってきますわ!」
「あ、フランさ、ちょっと待って!?」
ヘル。この、プラチナブロンドの麗人は、不思議な女性だった。
歳の頃は二十歳過ぎと言ったところだろうか?鋭い目つきなのに、中身は全然そんな事がない。穏やかなひとだ。そしてどこか子供っぽい。
服装は動きやすい旅装束。聞けば、以前クムミが作ってくれた何着かの服のひとつらしい。
そして、信じられないほど何も知らなかった。旅慣れているはずの燈火たちの一行に加わって日が浅いというのもあるかもしれないが。
「ヘルさんは、燈火おじさまたちとはどういうご関係ですの?」
「うーん。家族……みたいなものだと思います」
「まぁ。お嫁さんですのね! おじさまただでさえお嫁さんたくさんおられますのに。また増えちゃったんですのね……」
「え!そっか、私お嫁さんだったんですね……」
話しかけると常にこんな塩梅である。
裏路地などでは。
「おーでっかいねーちゃんだー」「びじんだー」「かみのけすごーい」
幼い子らに取り囲まれて困惑しているヘル。確かにかなり大きい。百八十センチ近くあるのでは。
「こらこら、この方はあなたたちの玩具じゃありませんわよ」
フランに言われて子供たちは散っていく。
「あ、ありがとうございます。あんなちっちゃい子を見るの、初めてで……」
「ヘルさんが育ったところには、子供がいなかったんですの?」
「私……昔のこと、何も覚えてないんです。燈火さんたちに助けてもらったのが最初の記憶で」
だから何も分からないのだ、とヘルは告げた。
「病気でしたの……?」
「病気……そうですね。ほとんど死んだも同然だったのに、生き返ったから」
「ご苦労なさったんですのね」
「苦労なんて、そんな」
あるいは。
「にゃぁ」
「……っ!」
緊張しきった顔で、その生き物に近寄るヘル。
樽の上に寝転がっているその生物は、もふもふの毛におおわれ、脚が四本あり、そして尻尾がゆらゆらと揺れていた。
伸ばされたヘルの手は。
「しゃーっ!」
猫の威嚇にびくっ、と追い返され、彼女は涙目になりながらフランへと振り返る。
「ふ、フランさん……嫌われちゃいました」
「おかしいですわね……その猫、いつも大人しいのに」
前に神格をひっかいたところは見たことがあったが。やはり猫にもその辺は分かるのだろう。
ちなみにひっかかれた神格は、血が出た指をしばらく眺め、そのまま立ち去って行ったが。見る間にその傷が塞がっていったのが印象的だった。あと、その時分かったのが、眷属も猫は触りたいということ。
一事が万事がこんな調子で、フランは年上の妹が出来た気分だった。
日が沈むまでの間、フランはヘルを連れて街を巡った。
日当たりのいい街路。家々の間に干された洗濯物。ヤギを引いていく子供たち。魚が水揚げされた港。漁師に餌をねだる猫。威勢のいい商店の店主。
それらを眺めるヘルの横顔は、とても満ち足りているようだった。
農園を眺めながら、二人は休憩していた。
「ほんと、いい街ですね……」
「ええ。自慢の街ですわ」
「思ったんですけど子供が多いですね」
「農作業とか、人手が沢山いりますもの。それに―――」
「それに、なんですか?」
「―――いえ。ちょっと嫌な事を思い出していただけです」
子供が多い最大の理由。それは、神々だった。
一戸からひとり。それが、神々によって連れていかれる若者の数だった。
人間を増やすためか、それ以上は連れていかれる事はあまりない。だから、人は子供をたくさん作った。
フランの知っている年長者も、これまで何人か連れ去られた。そして、姉も。もちろん抵抗などできようはずもない。
彼女は陰鬱な気分を振り払うと、笑顔を浮かべた。
「さ、そろそろ参りましょ」
その日は顔役の家でささやかな宴席が催され、近況を報告し合い、そして眠りについた。
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