第三章【少女と樹海】

【少女と樹海】1

 少女は、祈るべき神のいない世界に生まれた。


「はぁ……お腹がすきましたわ」

 もはや腹の虫も死に絶えたか、昨日までは散々鳴いていたフランのお腹は静かだ。うるささに煩わされないのはありがたいが、代わりに今彼女を苛んでいたのは空腹だった。

 可愛らしい少女だった。

 もうすぐ十歳になるその肉体は、妙に臀部の発達が早い事をのぞけば概ねバランスよく成長している。金色の髪はリボンで左右に分け、妙に大人びようとしているのが見て取れる顔つきは微笑ましい。

 足元はブーツ。履いているのはジーンズ地にも似た生地のハーフパンツ、上はシャツの上から上着を羽織っている。腰にはナイフと水筒、そしてポケットに風呂敷。

 これが彼女の全装備だった。

 忌々しい樹海であった。

 滅びかけたこの星の土地は、その大半が人類の生存を許さぬ不毛の大地である。

 何せ食べられる獣はおろか、野草や昆虫の類ですらいないのだ。

 樹海の樹木は残念なことに食用にはまったく適さない。見た目だけならば硝子のようにキラキラと美しいのだが!

 これが、かつて人が暮らしていた地球という世界では、野のそこかしこに様々な植物が生い茂り、いろんな動物や昆虫たちが住んでいたというのだから不思議だった。彼女にはそれがどんなものなのか想像すらつかない。

「どうしましょう……」

 完全無欠なまでにフランは迷っていた。仲間とはぐれ、リュックは崖の下に落として失ってしまった。割と絶体絶命である。

「―――ええいくよくよしてても仕方ありませんわ!」

 この切り替えの早さは彼女の美点の一つだった。いい方向に働くことはあんまりなかったが。

 そもそもがお使いみたいなものだったのがどうしてこうなったのか。

 両親も心配しているだろう。ただでさえ神々が最近は、街によく訪れるというのに。

 このまま座して死を待つしかないのだろうか?

 頭をぶるんぶるん振り回して不吉な考えを払い落とす。なんて物騒な。

 昔の人はこういう時、神に祈ったというが。

「それにしても―――祈るって、どうすればいいんですの?」

 神々は―――そう名乗るあの超生命体たちは、人類にとって支配者ではあっても庇護者ではない。

 地球には、たくさんの神々がいたそうだ。だがその名と文化はこの世界の神々によって略奪された。神格の名称とデザインに採用されているのは、いずれも地球の神々だ。

 だから、少女は祈るべき神を知らない。

 もしも祈るべき神がいるというのであれば―――

「あら?」

 何かがきらめいた。

 目を凝らし、緩やかな斜面の先を見つめると―――

 見事なプラチナブロンド。腰まであるそれが、風でたなびいている。

 人か?いや、神格かもしれない。こんな場所を歩いているとは怪しすぎる。お互いさまだが。

 フランは即座に隠れた。隠形は得意なのだ。父の仕込みだった。

 あれが眷属であるならロクな事にならないだろうが、もし人間なら。

 助かるかもしれない。

 少女は、こっそりと追跡を開始した。

 まさか、自分が追跡しているのが人間ではないが眷属でもない存在だなんて、思いもしなかった。

 神格ではあっても眷属ではない存在など、彼女の理解の外だったから。

 

「……くちゅん」

 鼻がむずむずする。不老不死の殺戮兵器になってもくしゃみからは逃れられない定めらしい。

 などと馬鹿な事を考えながら、ヘルは水筒を小川に突っ込んだ。

 水中を航行し、近くで上陸してから今日で二日。

 樹海のヴェールに守られながら、一行は南下を続けていた。

 この惑星の自然環境は本当に厳しい。だが、樹海があるからこそ隠れ潜む事ができた。

 ふと視線を感じて斜面の上を見るが、何もいない。まだ人里まで数日あり、こんな場所をうろついている人間もいないはずなので勘違いだろう。

 化け物みたいな体でも、こういうところはまだまだ人間なんだ。と、銀の女神は苦笑した。

 水筒の蓋を締めると、彼女は木陰で休憩している仲間たちの方まで歩いて戻る。

 ちょうどタラニスの横がよさそうなので、ヘルはそこへ腰かけた。

「綺麗な水でした」

 ヘルの言に頷くタラニス。その穏やかな顔は、同じ女だというのに見惚れてしまいそう。

「ここは何万年も前の層から湧き出した水が、流れ込んできます。おかげで水は清浄そのものですから」

「何万……」

「神々でさえ千年を越えて生きた者はいません。その何十倍もの歳月を越えて、その水はやって来たんです」

「不思議ですね……」

「ひょっとしたら私たちは、その水と同じだけの歳月を越えるかもしれません。本当にカタログスペック通り、半永久的に生きられるなら、ですけど」

「……」

 壮大な話だった。

 それと比べれば、ヘルが超えて来た三十五年の死など、ほんのひと眠り程度かもしれない。

「さて。じゃあ、そろそろ行こうか。今日中に尾根は越えたいからね」

 燈火の言葉に一同は小休止を打ち切り、荷物を手に立ち上がった。

 

 距離が遠すぎてあの一団が何者かよくわからない。だが仮に神々だとすれば、わざわざ徒歩で移動するだろうか?

 だがその一方で、彼らはどこから来たのだろう?北側は人間の居留地すら存在しない不毛の地だ。そこからやって来た集団がまともな人間なのだろうか?

 とはいえ、フランの体力は限界を迎えつつあった。いつかは決断せねばならないだろう。

 小川で水分を補給すると、少女は追跡を再開した。

 

「今日はここで野営しよう」

 燈火の一言で、皆は荷物を降ろした。タラニスが薪を拾いに行き、エススは鍋を持って水源へ。燈火は適当な場所を寝床とすべく小石を取り除き、クムミとヘルは即席のかまどを組み立てる。

 この惑星を覆い尽くしている樹海は、いずれ滅びる運命にある。

 ヘルは、周囲の不思議な光景―――数十メートルもの高さはあろう、化石化した不可思議な樹木―――を見あげた。

 恐らく老いて死んだ樹木が、分解されぬままにああなったのだろうけれど。

 分かっていても、いざそれを現実のものとして見ると、奇妙な気分になった。

「じゃあヘル。これに火をつけてくれないか」

「あ、はい」

 燈火の要請に、ヘルは薪を睨むと、巨神のごく一部―――空気よりも希薄なそれを召喚。励起を命じた。

ぱちぱちっ

 焼き切れた分子機械の死骸を飲み込んで、炎が膨れ上がる。

 こうして消耗した流体も、放っておけば勝手に物質を取り込んで自己増殖するのだから便利なものだ。

 即席のかまどにあっさりと火が灯った。

「おみごと」

 クムミが賞賛。ヘルの成長は彼女から見ても著しい。

「おーやってるねえ」

 そんなこんなでやっているところにエススが水を汲んで帰ってきた。鉄鍋には水がなみなみと入っている。

 このあたりは多くの小川が存在する。それらが合流し、下流で大河になるのだ。

「今日はシチューとしよう」

 材料は干した肉と山菜、キノコ。乾燥した魚介類と海藻で出汁をとり、酒で風味をつける。

「よし、チーズも配っちゃおう」

 奮発した燈火にエススが歓声を上げた。タラニスも微笑んでいる。チーズは彼女の好物だった。長い間人里で買い出しをしていないので、穴倉の貯蓄分はこれですべてだ。

「この後どうなるんですか?」

 鍋をおたまでかき混ぜる燈火に、ヘルが訊ねた。

「ああ。知り合いに頼んでいた機材を受け取る」

「機材……ですか」

「僕たちの目的に必要なものさ。ちょっとした修理に使う」

「はい」

「あと二日ほど歩いたら、問題の街だ。小さいけれど活気があっていい街だよ。飯が美味いしね」

「だよねー。ああっ、でっかいナマズを焼いて、バターつけて食べるの大好き……じゅるり」

「姉さん、よだれ垂れてますよ」

「いーじゃんいーじゃん。生きるってーのは美味しいごはん食べるってことよ」

「街……ワクワクします。でも、神々に見つかる心配はないんですか?」

「人間の出入り自体は普通にあるからね。奴らも監視はしているけど、個々人をいちいち追跡はしていないし、よっぽど怪しくなければ追及はされない。基本放し飼いなんだ、人間は」

 微生物類による土壌再生を経た土地でなければ耕作はできない。そして、そう言った土地かあるいは海からしか、人間は食物を得られない。

 だから、人間には逃げ場がない。巨神を保有している燈火たちは限りなくその例外だったが、それとて人里と無縁ではいられなかった。

 神々による惑星の環境回復事業は、海洋から段階的に行われている。

 古細菌や菌類、あるいは長命な樹木以外のほとんどが滅んだこの世界では、生態系のピラミッドの下から徐々に復活させていくことが必要だ。

 人類に課された環境回復上の役割は、地球の概念で言えば里山管理に近い。

 地球発祥の、あるいはそれを元として開発された微生物によって耕作が可能な程度まで復活した場所を管理し、それをより拡大していくことが期待されているのだ。

 どこまでもヒトは、神々の手のひらの上だった。

 

 駄目だ。あれは駄目だ。

 えも言えぬいい匂いが、フランの隠れている茂みにまで漂ってくる。

 こんな殺生な!?

 まさに生殺しであった。

 冗談ではない。空腹の極致で思考能力が低下した少女にとって、もはや我慢の限界だった。

―――ああっ!あのままでは鍋の中身がなくなってしまいますわ!

 集団の一人、何やら短髪の女性らしき人物がモリモリと椀にお代わりを注いでいる。

 凄まじい食欲だった。フランを殺すつもりに違いない。飢えで。

 思考がまとまらない。

 少女は腹をくくった。

 

「さて。食べたら明日も早いからね」

 歯磨きすべく、枝を取り出す燈火。これを歯で柔らかくほぐして、歯を磨くのに使うのだ。

「はーい。……何かいる」

 エススの言葉に緊張が走った。彼女の感覚器は、神格としてもずば抜けている。

 エススが向いた方に3人、後方に2人が警戒を向けた。

 燈火を守るように陣形を組み、一同は備える。

「ここより北は何者も住まわぬ不毛の地。そこより来たお前たちは人か?魔か?神々か!?」

 女の声。

 木々で反響するそれは、人間ならば位置を幻惑されただろう。

 だが、巨神のレーザーセンサーすら利用できる神格にとっては位置はバレバレだった。

 そこに皆のセンサーと感覚器が集中し―――

……子供?

 脳内無線で相互通信し合う女性陣。

 とはいえ考えていても埒があかない。

 燈火は答えた。

「……僕らは、その分類で言うなら"魔"だ。君は何者だい?」

 一拍の間。

「―――あれ?」

 なんとも間の抜けた声が聞こえた。

「あれあれあれ?ひょっとしておじさま?」

 一行の前に現れたのは、肌寒い空気に似合わぬ軽装の少女であった。

「あー……。君は。一年半ぶりくらいか。大きくなったなぁ」

 構えを解く一同。その様子を見て、ヘルも緊張を解いた。

「……そ、そうと分かっていればもっと早く声をかけましたのに……っ」

 がくっ、と脱力する少女。えらく消耗しているように見えた。

「あ……お知り合いですか?」

 置いてけぼりを喰らったヘルが質問。

「知り合いというか、よく僕らが泊まる家の娘さん。名前は―――」

「フランソワーズ。フランとお呼びくださいませ」

「はい。私は、ヘル。よろしくお願いしますね」

 手を差し出すフラン。

 仲間たちではなく、そして敵でもない初めての他者。

―――そして、この世界に生まれ出て初めて見る、無改造の生きた人間。

 ヘルは、壊してしまわないよう慎重に、本当に慎重に、少女の手のひらを握った。

 小さな手は、とても暖かかった。

 

「―――どんだけ食べてなかったの」

 あきれ顔のエスス。

 フランの食欲はすさまじかった。鍋の底に残っていた分だけでは足りず、エススの椀に入っていた分まで凄まじい勢いで平らげている。

「あらあら」

 タラニスは上品に笑っている。

「エススさんより食欲のある人、初めて見ました……」

 ヘルにまで言われる始末であった。

 クムミもやさしい視線を向けている。

「狩りに出かけていたんですの。けれど、仲間とはぐれてしまいまして……おまけに道に迷うわリュックはなくすは散々でしたわ!」

「……狩り?」

 ヘルは怪訝な顔。この惑星では野生動物はいないのでは?

 答えたのはクムミだった。

「ああ、隠語だ。遺跡発掘のね」

「遺跡……ですか?」

「神々の遺跡。災厄―――超新星爆発時に放棄された小さな街がこの近くにいくつもあるのさ」

「へぇ……」

「そこで使える機械なんかを集めるのが"狩り"。この辺の遺跡でなら、子供でもできる仕事だからね。小遣い稼ぎでやってる子たちもいる。そうか、フランももう参加する歳か。時間の流れは早いな」

「まったくですわ。

 そうそう、クムミおばさま」

「うん、なんだい?」

「約束覚えていらっしゃいますか?」

「―――ああ。"分別のつく歳になったら、フードの下を見せてあげる"だったな」

「今こそ!約束を果たしていただきたく!!」

「駄目だよ。ご両親に心配をかけてるようじゃ、まだまだだ」

「……ううっ、残念ですわぁ!」

「だいじょうぶ。来年の今頃は、きっと見せてあげられるさ」

「楽しみにしてますわ」

「ただ……私は自分で言うのもなんだが、怖い顔だぞ?覚悟しておくように」

「はぁい」

 微笑ましい会話に、皆が和んだ。

「それにしても凄いですね。私、機械なんて全然分からないので……」

 ヘルは機械が得意ではなかった。穴倉でも、発電機を触る時はいつもおっかなびっくりだ。

「今度教えて差し上げますわ。そんなに難しくないですわよ。電子機器とかコンピューターとかでも」

「でもコンピューターって、発掘して使えるものなんですか?」

「まぁ大半は駄目ですわね。そもそも普通に使っていても寿命は数年ですもの」

 だが。と彼女は前置きしてから語った。

「稀に、そのままで動くものもありますわ。本当に稀に、ですけど。それにちょっと手直しするだけで動く時もありますし」

 人類は機械類を作る事が認められている。少なくとも街中で内燃機関を動かし、電灯を灯したところで神々が目くじらを立てる事はない。それどころか、神々はある程度以上の規模の人類の街に、小さな発電用の常温核融合炉すら提供していた。完全なブラックボックスで、人間がいじれるものではなかったが。

 だが、コンピューター。電子機器は一切禁止されていた。コンピューターさえなければ神々には対抗できない、と考えてのことだろう。実際はそれ以外にも超えるべきハードルは無数にあるのだが、その根幹に位置する事は間違いない。

 だから、この世界でヒトが電子機器を手に入れるには、発掘するしかない。あれはひそかに作るには構造が複雑すぎる。子供たちが発掘に勤しむのも、それが主目的だった。

 神々が遺跡発掘を放置しているのは、まともに稼働するものがほとんど存在しないからだろう。安定供給できないものなど脅威にはならない。

「機械は大好きですわ。昔の人は、眷属すらも機械で倒したんですもの。私のお父様も、昔一体倒した、と言っていました」

「へぇ。それは初耳だ」

 フランの父はかつて軍艦に乗っていたという。艦は眷属一体と刺し違え、そして海に投げ出された彼は神々に救助されてこの世界へやってきたのだ。

「地球の人たちは、本当にすごかったんですね……」

 ヘルの呟きは、しみじみと一同に染み渡った。

「さてさて。食べ終わったなら、そろそろ歯を磨いて。虫歯になるよ」

 話が一段落したところで、燈火が区切りを付けた。

 ちなみにこのメンバー、正確には虫歯になるのはフランだけであるが。

「分かりましたわ」

 

 そして毛布にくるまり、もう寝よう、という時。

「で、お姉さまがた。質問があるんですの」

 改まってのフランの質問である。

「ほえ?」「何?」「なんだ?」「な、なんですか…?」

「お子様はいつお生まれになるんですの?」

 奇妙に重苦しい空気が、あたりを包んだ。

「え? なんで皆さま黙りこくってしまうんですの? ……まさかセックスレス!? いや、これだけ美しい皆さまと一緒なんですもの……ひょっとしておじさま、インポですの!?」

 突如浮上したインポ疑惑であった。

「君はどこでそういう言葉を覚えてくるんだ……」

 頭痛をこらえる顔で燈火。いつもにこやかな彼にこんな顔をさせるあたり、フランという少女ただ者ではない。

 一方の女性陣は、重苦しい雰囲気。特にエススは。

「ち、違うよっ!? 燈火は悪くないよ、私たちが子供産めない体なのが悪いんだからっ!」

「え……皆さま」

 言ってはならない事を言ってしまったと理解したか、フランは黙り込んだ。

 

―――神格は、生殖能力を奪われる。自然のままの遺伝資源が欲しい神々にとっては、遺伝子操作済みの個体が勝手に繁殖するのは都合が悪い。それゆえである。

一方で、神の肉体として使われた人体は生殖能力を保持しているにも関わらず。

ヘルも数回、穴倉での生活で燈火と閨を共にしたことがあるが、最初の時に告げられたのがその事実だ。

「どこまで、私たちは弄ばれなければいけないんでしょうね……」

ヘルは、どこまでも悲しそうだった。

 

 夜更け。

 フランはエスス、タラニスと一緒の毛布にくるまって眠っている。

 たき火に枝を放り込みながら、燈火とヘルは寄り添っていた。

「あの娘は、皆さんの事情を知っているんですか?」

「直接言ったことはない。けど、まあ勘付いてるかもね。彼女の両親は、大体事情は知ってるんだけれど」

「そうですか……」

 ヘルは、燈火に身を寄せ、そしていつしか眠り込んでいた。

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