神々の樹海―――叛逆の女神たち―――

【青年と穴倉】４

　片隅に据え付けられたロケットストーブへ点火し、電灯にも灯りを灯すと、皆はテーブルの上に料理を並べ始めた。

　電力が供給され、換気装置も機能していた。

　壁に掘られた窪みや木箱など、思い思いの場所に座布団を敷くと一同は腰かける。

　鍋料理だった。

　自家製のたれを入れた器それぞれに、鍋の中身が取り分けられて配られる。

　後は各々が好きに取って食べる、というのがここ―――穴倉での流儀だった。

　ちなみに具の魚や貝などは、穴倉に到着する直前、ウルリクムミの神像が内部に取り込んで捕獲したものだった。キノコは穴倉で生育したもの。

「この点だけは神々に感謝しないとねぇ。おかげで魚食べ放題だし」

　エススの言に皆が笑う。

　ヘルも慣れない箸を駆使して鍋を堪能した。

　三十時間近い強行軍だったというのに、へばるどころか体には力が溢れてまだまだ活動できそうだ。

　不思議な肉体だった。

　ふと目をやると、エススはおいしそうにそれを頬張っているし、タラニスは魚の骨を丁寧に箸で取り除いて食べていた。

　顔は同じでも性格が出るものなんだな。とヘルは双子を見ながら思った。

「そういえば、ご兄弟はいらっしゃるんですか？」

「兄がひとりいる。小さいころ生き別れたけど。懐かしいなぁ。会いたいけどね」

「私は妹が三人と弟が一人。けたたましかったよ」

　燈火とクムミ、それぞれの返答である。

　ヘルの脳裏で、やはりクムミの妹弟も鳥の顔をしているのだろうか？と疑問符が浮かぶ。

　そんなこんなで美味しく夕食を食べながら、雑談が続いた。

　やがてふと食事の手を止め、ヘルが訊ねる。

「ところで、あの―――そもそも、皆さんや私―――眷属って、どういう存在なんですか？」

「ああ」

「まぁ最初から順を追ってはなそう。混乱するしね」

　青年―――そう見える壮年の男は語り出した。

　神々は、人を幾つもの用途で用いている。

　１つは自分たちで使うため。彼らの延命のために、ヒトの肉体へ彼らの魂とでもいうべき記憶情報をダウンロードする。遺伝子操作も施し、ダウンロードされた肉体は、彼ら自身よりも優れた能力とほぼ無限の寿命すらも得る。神々が自分たちを改造した時より技術も進歩してるからね。

　２つ目。使役する。神格と呼ばれる人工生命体―――まあロボットの方が近いんだけど、これをヒトの脳みその中に突っ込むんだ。

すると、神格はヒトの脳と繋がり、空き領域へ自分の情報を書き込む。乗っ取るわけだな。これが眷属。組み込まれた人間を指して単に神格と呼ぶこともある。

神格は特殊な微生物群―――レトロウィルスからマイクロロボットまでいろんな微小生物の混合体―――を使って乗っ取った体を丸ごと改造する。生理的にも、遺伝子的にも。不老不滅の無敵の殺戮マシーンになるんだ。

そして何より恐ろしいのが彼らが呼び出す巨大な流体兵器。巨神という。金属とセラミックと液体の性質を併せ持った不可思議な機械で、自己増殖までする上に均一だから壊れる事はまずない。ヒトの脳で制御しやすいように人型だ。カスタマイズしやすいから芸術性を高める方向にデザインされてることがほとんどだね。

量子論的不確定性を備えていて、必要な時に呼び出して使う。個体ごとに色んな機能があるけどまあ、その辺は本当に千差万別だ。その傾向を指して相（アスペクト）と呼ぶ。

　で、３つ目。この星にいる人類はほとんどこれになるかな。

惑星改造に従事―――要するに死にかけたこの星を頑張って復活させろってことだよ。

生物資源と最小限の道具だけ与えて農耕や林業、漁業に従事させてるわけだな。放置しておくだけで、人間は生き延びるためにそれらの行為をやるから管理しなくて楽ちん、という寸法さ。その方が勝手に繁殖するし。農作業にしろ漁業にしろ人手がいるから。

まあ実際は他の方法も使って環境回復を試みていて、人間にやらせてることはついでなんだけどね。

時々そうやって第一次産業主体で生きてる人類を奴らはさらう。人狩りという。

目的は用途その１かその２。つまりこの星自体が人間の放牧場なんだ。

　用途その１じゃあ、人間の脳内情報はほぼ神に上書きされてしまうから、消えてしまう。助からない。

　だけどその２なら、ごくまれに―――本当にごくまれに、被害者の心が残ってることがある。神格は被害者の脳内情報を利用してるからね。僕はそれの見分けがつく。どういうわけか。

前にある学者に言われたのは、僕の脳は常人とちょっとだけ情報処理の仕方が違うらしい、ってことだね。物事を記号に置き換えて認識するのが苦手で、代わりに丸ごと物事を認識しようとしているから判別できるんじゃないか、ってことらしい。

心が残ってるなら、後は簡単。ちょっとしたコツを教えてあげればいい。―――それさえわかれば簡単に、本当に簡単に神格の支配を打ち破る事はできる。奴らに打ち勝つのに最も大切なのは強い意志を持つこと。そして確信を持つことだから

「―――僕は神の肉体に供されるところだった。本来なら死んでいたはずの人間だ。けど、ヘル。君に、僕は救われた。君はその命と引き換えに、僕を救ってくれたんだ。だから―――」

「燈火さん……」

　燈火はそこで一旦湯呑の中身を飲み込む。まるで、何か告げようとした言葉を飲み込むかのように。

　代わりに彼は、説明の続きをした。

「君が生き返ったのは、埋め込んだ神格―――特に生命維持のためのマイクロマシン群が壊れた体組織を復元したからだ。前の肉体の記憶も神格は保存しているから、それも脳に書き込まれているはずだったんだけどね。神格本体はおそらく覚えているはずなんだけど、君の思考を司っているのはあくまでも脳だから。きっと何かトラブルがあったんだろう」

「じゃあ……今の、この体の記憶がないのは？」

「今の肉体の記憶がないのは、酸素不足で脳細胞が壊れていたからだ。脳細胞は生き返っても、そこにあった記憶情報は修復できないからね。こうして普通に受け答えできている以上、今の君の人格は、神格によって書き込まれたものがベースなのはほぼ間違いない。

まあ、そんなに気にしなくていい。覚えていないのは仕方ないさ。君のことは責任を持って、僕が養うから」

「や、養う……」

　まるで結婚を申し込まれたような発言にヘルは困惑する。

「嫌かな？」

「そ、そんな事ないです。右も左もわからないですし」

「そう言ってもらえるとこっちも助かる」

　青年はにっこりと笑った。

　その笑顔に、銀の女神は不思議な懐かしさを覚えた。

　食事の後。クムミと燈火は風呂へ。食器をタラニスが洗っている間に、ヘルはエススに連れられて、穴倉の中をざっと見て回った。

　キッチン。食堂。居間。物置。発電機。トイレ。寝室が四つ。

　最後に案内されたのはエススの部屋。

「ヘルはここ使って。私、今晩は燈火に夜這いをかけるから」

「よ、夜這い……ですか」

「あはは。私たちみんな、燈火の事が大好きだから。

ヘルもその内夜這いしてみたらいいよ。

あ、避妊は心配しなくていいから」

　やたらと生々しい助言である。

　頭がギリギリぶつからない高さの横穴に入ると、そこそこの奥行があった。

　横に目をやると、壁にはちょうどベッドのような高さに穴があけられ、寝具が敷かれている。

「あ…ありがとうございます」

「いーってことよ。お姉さんに任せなさいって」

　そういえば自分の年齢は幾つなんだろうか？

　また一つ、ヘルの脳裏に疑問が刻まれた。

　穴倉での生活は平穏だった。まるであの村の出来事が、夢だったかのような。

　何も知らないヘルのため、皆が世話を焼いてくれた。

　それだけではない。生き延びるために必要な、あらゆる事を教えてくれたのだ。

　神格としての能力の制御法。炊事。洗濯。縫物。掃除。サバイバル。小さなこと。大切な事。

　蔵にある魚醤のにおいに鼻が曲がりそうになったり。魚や海藻を獲ってきたり。

　巨神の一部を召喚して製粉した蕎麦を燈火が麺に調理したり。タラニスに教わって分子運動を制御し、洗濯物を飛翔させたり。エススとともに海に潜って深層水を汲んできたり、かと思えばクムミがヘルのために服を作ってくれたり。

　そしてある日。

「できれば初めては陸がいいんだけどね。ちょっと目立ちすぎる。じゃあ模擬戦行ってみよう。準備はいい？」

　深さ一万ｍを超える海溝の底で、四体の巨神が佇んでいた。

　凄まじい水圧のために目で見て分かるほど縮んではいたが、その活動にはまったく支障はない。恐るべき能力だった。

　純白。暗灰色。炎の色。そして、銀。

　輝く銀の女神像が、ヘルの巨神だった。既に基本的な扱い方は身についている。

　その量子論的不確定性を備えた構造は、神格の観測によって決定づけられる。すなわち神格の観測そのものが巨神を動かすのだ。一切の通信波を介さない制御である。

　神格と巨神の五感はリンクし、まさに手足のように扱えた。

　巨大な神の人格部分を司るがゆえに、彼女らは神格と呼ばれるのだ。

　対するのは暗灰色の女神像。ウルリクムミの巨神であった。

　彼女らはお互い武器を構える。

　クムミは小剣。

　ヘルは先端に反しがついた長槍。

　ハンデ―――というわけではなかった。ウルリクムミの固有武装は小剣しかないのだ。

　それはつまり、他は必要がないということでもある。

　タラニスの巨神の中に共に乗り込んでいる燈火は審判役。

　エススは事故があった時の控え―――そして音が遠方に漏れないようにする要員だ。

　クムミとヘルが頷いたのを確認して、燈火は告げる。

「じゃあ―――はじめ」

　クムミが小剣を突き出した。

　と、同時に海底が隆起。ヘルの巨神へと襲い掛かる。

「え？」

　いかに小剣を捌くかを考えていたヘルは虚を突かれた。

　戸惑う間もなく、岩石が咢のように裂けると、女神像を挟み込む。

　その体は万力で固定されているかのように動けない。

　咄嗟に超音波を岩石に流し込み、固有振動数を探るヘル。

　直後、岩石の咢は砕け散った。

　槍を構え直そうとして、喉元に突き出されている小剣を見て、ヘルは降参。

「参りました」

「うん。即座に音で対抗できたのはなかなか筋がいい。私―――正確には私ではなく私を乗っ取ったクソッたれの神格だが―――も、最初はできなかった。肉体に引きずられるから」

　クムミの評価はなかなかに高かった。

　自ら以外の大質量物体の分子運動をも制御する。それこそが彼女の相（アスペクト）。海と大地を司る能力であった。

　対して、ヘルの相（アスペクト）は音。分子間結合を切断する音で強度にかかわらず物質を破壊できる。それだけではなく、固有振動数さえわかれば、振動を無限に増幅する事であらゆる物体を破断させることもできた。後者の能力は、広範囲の建造物―――都市を破壊し尽くすための力。

　どちらも強力無比だが、真空中で使えないこと。そして、音の伝搬は音速に限られること。高速で移動する物体にはドップラー効果で威力が半減することなどが欠点だ。

　それを克服するには近接戦闘を強いられる。

　彼女は戦闘用ではない。戦略級の神格であるからだ。

「では第二ラウンドだ。この状況からどう逆転する？」

「それは―――」

　ヘルは踏み込むと、相手の小剣に自分からぶつかっていった。

　女神像の喉に剣が突き刺さる。

　そのまま相手を抱きしめ、体が脈打ち―――

　即座にクムミはタップ。

「参った。確かに巨神は少々壊れたくらいなら平気と言ったからね……この体勢で君の音を喰らったら一発でアウトだ。これでは私が教える事はあまりないな」

　クムミは―――その暗灰色の巨神像は、兜の奥で笑ったように見えた。そこまで細かな造形が成されているのだ。

　巨神は均一かつ不定形の流体を、神格の脳が制御して人型としているものだ。故にある程度は自由に変形できるし、構造を破壊されても簡単に元通り復元できる。それを破壊し尽くすのは事実上不可能である。その質量の大部分を仮に失ったとしても、自己増殖でそのうち回復する。槍や剣などの武装も、流体の一部を変形させて作り出したものだ。

　しかしダメージを受けて構造が乱れれば機能低下するし、大きく破壊されれば遍在している生身までダメージが伝わる。無敵ではないのだ。

　そしてクムミからの念押し。

「ただし！　自分が出来る事が相手にできない、と思ってはいけないぞ？　例えば―――」

「えっ！？」

　抱きしめたクムミの体から放射されているもの―――それは電磁波だ。

　深海の水が泡立つ。

「本気でやれば、相手をローストにしてしまえる程度には強烈だよ？」

「こ、心しておきます」

　ほんの十分にも満たないやり合いで、ヘルはみるみる上達しているように見えた。

「これは才能だねぇ」

「ええ。彼女、凄いです」

　風雷の神の相を持つ双子―――同型機なのでスペックや使用できる武装は同じ―――からの評価も上々である。

　一方の燈火はなんというか浮かない顔であった。

「どーしたの？　不景気な顔して」

「うん。似てる―――僕が昔見てたものを、思い出しただけだから」

　こんなやりとりが、一日一項目。燈火はそれ以上決してやらせようとはしなかった。

　彼と仲間たちの教え方は実に上手で手慣れていた。

　聞けば、燈火自身もかつて、双子から様々な神々の知識や技術を学習していったのだという。

　彼女らの脳内には、膨大な神々のデータが残されていた。

　双子は燈火の師匠でもあったのだ。

　おかげでヘルは、自分の力の使い方を徐々にマスターしていった。