【青年と穴倉】3

 タラニスが人としての意識を取り戻したのは、戦場でのことだった。

 いや、それは戦いと呼べるものではなかった。

 強大無比な力で、人狩りに抵抗しようとする人類を抹殺していく作業の真っ最中のことだ。

 ふと、意識を取り戻した時、彼女の―――正確には雷神タラニスの白い神像の右腕が、握りしめた雷を大地へと叩きつけようとしていた。

 何が起こっているのか知るすべもないまま、彼女の肉体は雷を投下。

 呆然としているうちに、雷は眼下の民家を砕き、中にいた一家を消滅させる。

 まさに神の力。

 混乱。

 その時彼女は気づいた。体が自由にならない。

 自分の意志では指一本、視線一つ動かせない。意志によらず勝手に動いている。

 ようやく、彼女は己が神々の世界へと連れ去られた事、神によって殺戮機械へと作り変えられたこと、肉体を奪われた事を思い出した。

 

―――やめて! 殺さないで!!

 

 肉体を奪われたのにも関わらず、自我だけは残っていたのが悪夢の始まりだった。

 彼女の肉体は、命じられるままに人を殺し、あるいは狩り集めた。喜々として。

 そこにいるのに何もできない様はまさしく地獄であった。

 幾度目かの出撃の後、調整のために訪れた施設で、彼女は変わり果てた姉と再会した。

 

―――そっか。あなたも神に肉体を奪われたんだ、やっぱり……

―――姉さん? 姉さんなの!?

―――え……声が、聞こえる……?

―――姉さんも意識があるのね……

―――あはは……指一本動かせないけどね……そっちは?

―――同じ……ずっと私たち、このままなのかな……

 

 調整作業中、二人の意識は通信回線で混線し、繋がっていた。それは奇跡と言ってもよかっただろう。

 その後、同型機として改造されていた彼女らは、共に運用される運びとなった。

 それは二人が正気を保つための最期のよりどころ、と言ってよかった。互いが唯一の話し相手だったから。

 だが。

 肉体にこびりついたノイズとして処理された彼女らの自我は、調整を受けるたびに確実にすり減っていった。

 

―――感情が一個ずつ、消えて行くの……怖いよ、私……

―――もし動けたら、あなたを抱きしめてあげるのに……

 

 こんな地獄のような日々が、何年も続いた。

 

―――ごめん。私はもう、無理かな……

―――姉さん……姉さんが消えちゃったら私、私……

―――たぶん次の調整で、私、消える―――

 

 だが、次の調整の機会は来なかった。

 

 神に率いられて地上に二人が降りた時のことだった。

 樹海のほとり。

 澄み切った水が広がる中、樹木が生い茂る幻想的な土地であった。

 二人が命じられるまま逃げる人間を追いかけようとしたそのとき、一人の少年が立ちふさがっていた。

 

―――駄目、逃げて! 殺しちゃう……!

 

 タラニスの声なき声に、少年は笑みで応えた。

 「大丈夫。君は僕を殺さないよ。助ける。もう一人も助ける。……けど、神は倒すよ」

 

―――声が、聞こえるの?

 

「聞こえる、っていうのは違うかな。ただ分かるんだ」

 それは衝撃であった。

 姉と再会した時以上の。

 自分たちの声が聞こえる人間がいるなんて!

 だが、双子を支配する神は怪訝な顔をするばかりだった。

「何の話をしている?」

 人の肉体を奪った神。その姿はヒトそのものであった。当然だが。

 しかし、眼球は黒く濁り、まるで魔物のよう。

 なまじ人の姿をしているからこそ、その異様さが際立つ。

 少年はそんな神を無視し、双子の姉妹に語り掛ける。

 

「そう。いい子だ。

うん。動けないんじゃない。動かし方が変わってしまっただけなんだ。

まず右手。その物騒なものを下ろそう。

そう。無理しなくていい。ゆっくり、ゆっくりと。

いいかい? まず体は無意識に動くものという先入観を捨てるんだ。意識して。神経の一本一本、筋肉の一つ一つを」


 水音がまず、一つ響いた。

 ついでもう一つ。

 神が見たのは、己の部下たる眷属たち―――道具たちが、手にした武器を投げ捨てた光景だった。

「なんだ、何を―――」

「コツはつかめたね? もう大丈夫。後は一つ一つやっていけばいい」

 神は混乱していた。

 己の道具が何故命令に従わないのかと。

 目の前の小僧は一体何をしているのかと。

 

 それは途方もない作業だった。

 本来意識せずに動かせる五体。その一つ一つ、筋肉の一筋一筋から知覚して、それぞれ別々に操作するような作業なのだから。

 

 不随意生理機能を自らの思考だけで動かす暴挙!

 だが、今まで無力だった少女たちにとってはそれは衝撃だった。

 動く。動くのだ!

 肉体を動かす感覚を彼女らは忘れていた。何年も操り人形だったからである。

 だが、そのおかげで、この異様な動き方が理解できた。

 壊れた人形のようにガクガクと倒れ、ゾンビのように立ち上がろうとする。

 涙腺が崩壊し涙が出る。口が上手く開かずによだれが垂れ、失禁し、括約筋がその仕事を放棄する。

 それすらも己の肉体が制御下に戻ってきた証である、と感じ取れて、歓喜で胸が熱くなる。

 息苦しいのに気付いて肺を動かす。心臓の動きを制御する。血流を維持。

 徐々に人間らしい動作に近づいていく。

 彼女らの頭の中に組み込まれた神格も混乱していた。

 不随意生理機能は脳を介して支配していたはず―――そのコントロールが奪われるなんて!

 だが、神格の思考力は脳に依存している。脳が反乱を起こせば支配は崩れる。それどころか、脳の思考が神格の思考を上書きしていく。

―――やめろ、やめ、あ―――

 二柱の神格の、それは人格的な死であった。

 不意に、二人の少女たちは、己の肉体が自由になったことを悟った。

 自分たちを支配していた神格が、逆に自分の一部であるように思い通りに動かせる。

 それは人が神の力を得たに等しい現象であった。

 

「ひっ……ひぃ!?」

 何故だ。どうやって私の道具を倒したのだ、この子供は!?

 神と呼ばれた超種族は、混乱の極みにあった。

 もう彼を守るものは何もない。武器は携帯していなかった。倒れている二体の眷属こそが彼の武器だったからである。

「お前は死ね」

 少年はどこに持っていたのか、大型の拳銃を発砲。

 神を名乗っていた生物の胴体に穴が開く。対神用の特別製―――炸裂弾だった。

「下手で悪いね。もうしゃべらなくていい」

 急所めがけて―――急所を狙っているつもりで一発。二発。三発。四発目が頭部を吹っ飛ばし、念のためにもう一発同じ場所へ射撃。

 脳幹が砕け散る。残弾〇。

「……お前が肉体を奪ったその人へ詫びろ。地獄でな」

 倒れ込みながらもなんとか立ち上がろうとする少女たちへ顔を向けると、少年は安心させるようなおだやかな顔を、苦労して作った。

「大丈夫。だいじょうぶだから……」

 泣いていた。二人の少女は、自らの体液と汚物でぐちゃぐちゃに汚れながら、感極まって泣いていた。

 少年は、自らが汚れるのも構わず、二人をそっと抱きしめた。


  ◆


「これが、私たち姉妹とあの方のなれそめです」

 タラニスは、そう言って長い話を締めくくった。その手はヘルの髪の毛を一本一本手入れしている。

 浴場の中。長いプラチナブロンドの髪を丁寧に手入れされながら、ヘルは、想像以上に壮絶な話に圧倒されていた。

「あの後私たちは、自分たちの体の一部と、そして身代わりに、その直前に殺されていた人たちの死体を用意してから焼きました。人間の抵抗によって私たちが破壊され、死体には火をかけられた。そう神々に見せかけるためです」

「彼は、私たちを檻から救ってくれたの。肉体という檻からね。だから、今度は私たちが彼を助ける番」

 湯船から身を乗り出し語るエスス。普段は饒舌な彼女にとってもその思い出は大切なものらしく、深く考え込むような難しい表情。

「助ける……あの人は、一体何をしようとしているの?」

「凄いこと。うふふ、まだ、秘密です。あなたがすっかり回復して、自分の身を守れるだけの実力を身に着けた時に教えてあげます」

 

 一方のキッチン。

 水を張った土鍋が焼き石で温められていく横で、燈火とクムミは食材を切り分けていた。

 燈火は動きやすそうなシャツとズボン。クムミも同様だがヒヨコ柄の刺繍が入ったエプロンを身に付けている。

「クムミは一緒に入らないのかい?」

「私は後でいい。湯船が羽で汚れるから」

「そうか……」

 食材を鍋に投入。蓋をする。

 一区切りついて、クムミは燈火へ顔を向けた。

「前々から疑問だったのだが、君は覗きにいかないのか?」

「やらないねえ」

 答えると、燈火は陶器の椀を用意。食器を入れた籠からまず四つ。そして、壁に掘られた穴から、紙に包まれた椀をさらに一つ。

 同様に箸も取り出す。

「女性のお風呂を覗きにいかないのは、性的魅力に欠けると宣言しているに等しい、と聞いたのだが」

 クムミの疑問に、燈火は作業を続けながら返答。

「僕の文化圏ではそういう事はないよ」

「そうか。安心した」

「君は魅力的な女性だよ。もちろん皆も」

「こんな体でも?」

 クムミの―――その異形の肉体。頭部だけではない。手も。服に隠れているが、胴体も。

 細身のそれは、神と呼ばれる生物に酷似していた。

 全体としては長身の人型である。骨格構造も。脳の容量も、神々と人間はかなり近い。されど、この二つの種族の姿を取り違えることはありえまい。

 それほどに違う。

「僕は神を醜いと思ったことはないよ。むしろ、とても美しい生物だと思っている」

「そうなのか」

「そうなんです。誰もが―――神を見たすべての人がそう思ってるんじゃないかな。

ただ、神を恐れてもいる。よく知っているわけでもない。だからみんな、その姿が恐ろしい。それだけだと思う」

「……」

「目の前に人食いライオンがいたらどんなに美しくても見惚れている余裕はないだろう?けど君は、ライオンの姿をしただけの人間だよ。恐れる理由はない。だから幾らでも見惚れていられる」

「……君は女を口説く才能は天才的だな。伝説に聞くフランス人に匹敵するんじゃないか」

「ありがとう。フランスかぁ。見てみたいね……」

「見れるさ。君の試みが成功すれば」

「みんなで見に行かないとね」

 鍋が湯気を噴き出し、コトコト鳴り始めた。

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