【青年と穴倉】2

 強行軍であった。

 ペール・ブルーの武神像を撃破した一行は、そのまま樹海を足早に進んでいた。

 ヘルも、エススから与えられたマントを羽織り、燈火から渡された靴を履いて一行に続いている。

 三十メートル余りの巨木によっておおわれた樹海は、隠れ潜む者どもの味方であった。

 上空からの監視は届かず、木陰に隠れれば神々の捜索機械からであってもまず見つからない。

 木々の葉は、幾何学的な葉脈が浮き出る半透明。まるで硝子のようにも見えるが、それは多段的に下の方の葉まで光を届かせる、この星の樹木独自の工夫に相違ない。そのおかげか、繁る葉は地球のそれと違って上の方まで密集している。そして樹皮。その表面は柔らかく、一枚はがせば硬質の内部は真っ白だ。根はある種の原始的な粘菌が共生し、どれほどに痩せた大地からでも栄養分を交換して得ている。

 下生えもなく、大木以外の植物が存在しない森林は幻想的な光景であった。

 だが―――そこは死の世界。ほとんどの生命が死に絶え、古細菌や一部の菌類、そして長命な樹木のみが生き延びている世界が、樹海だった。

「絶滅―――なんで」

 ヘルの疑問。

「この世界に残っている高等生物は、樹木と神々くらいのものだよ」

 燈火は答えた。

「高等生物……じゃあ、人は?人間は高等生物じゃないんですか?」

「……ヒトは、この世界由来の生物じゃない」

 そして、燈火の長い話が始まった。




今から三十五年ほど前のことになる。

人類がこの世界に連れてこられたのは。


始まりは遠い遠い昔のことだ。

この惑星から十数光年の場所で、超新星爆発があった。

その衝撃波と放射線は近隣の星系のあらゆる生命を焼き払うだろう。

当然この星に元々住んでいた彼ら"神々"は予兆を捉えた段階で考えた。

"生き延びなければ"

彼らは魔法のごとき優れた科学力で自らやあらゆる生命体の遺伝子を操作し、衝撃に備えた。

結論から言えば、惑星は生き延びた。

放射線に耐えられるだけの生命体が埋め尽くす惑星へと変貌したおかげだ。

それだけではなく、この星に元々住んでいた神々は強靭極まりない肉体と千年に迫る寿命すらも手に入れていた。

これですべては解決した。

彼らはそう思っていたが、そうは問屋が卸さなかった。

そこまでの寿命を与えられていなかった生命体がまず絶滅した。

寿命が短い種族程早く。長い種族はゆっくりと絶滅していった。

過剰な遺伝子操作を施された生命体たちは、子孫を残す能力を退化させていたのだ。

惑星がこのままではゆっくりと死んでいくだろう。

既に限界まで遺伝子をいじくりまわされていた生命を復元することは不可能だった。これ以上の操作はより破滅的な事態を招くだけだ、と判明した段階で、彼らは方向転換を迫られた。

若くて荒々しく、活力のある生命体から、遺伝資源を略奪してこよう、とね。

彼らはその高度な科学技術を用いて門を開いた。

この惑星と近似した環境を持つ惑星。すなわち異世界への門を。

そこは極めて高度な文明を持つ、しかしこの惑星程には進歩していない世界だった。

名を、"地球"という。

激しい戦いが巻き起こった。

神々の目的は略奪だったから、平和的解決なんて最初から不可能だった。

多くの生命体が持ち帰られた。その中には、たくさんの人間も含まれていた。

全部で数千万人はいただろう。ひょっとすると億に届くかもしれない。

最終的に、門はあちらの人類が用いた熱核兵器によって、その全てが破壊し尽くされた。

だが、神々にとっては些細な問題だった。何しろ目的は果たしたのだから。

今、この世界には、神々にその肉体と魂を略奪されるためだけに生かされた人々が多く残っている。

この滅びかけた星をよみがえらせるべく働かされ、時に肉体を神々に奪われて、そして死ぬ。

明日への希望なんてない。

僕の目的は、そんな人類を救う事だ。




「―――なんて、こと」

 恐ろしい。ヘルにとって、あまりにも恐ろしい話だった。

「……ごめん。もっと落ち着いた状況で、君が回復してから話すつもりだった。こんな時に話すべきことじゃなかった」

「いえ……私が知りたがったことですから」

 仲間たちは無言。重苦しい雰囲気が、一行を包み込んだ。

 不眠不休で彼らは十二時間以上歩き通し、そしてたどり着いたのは―――

 

「水―――これが、全部?」

 岩肌の上。

 木陰より身を乗り出した女神は、呆然とそれを見つめていた。

 時刻は既に深夜。

 天に輝く無数の星を反射しているその空間は、全てが水だった。

 海。大海である。

「こっちだ。来て」

 見れば、先頭に立ったのはクムミ。

 彼女は岩場を降りていき、水面まであと少し、というところで飛び降りた。

 水に沈むかと思われた彼女は、しかし水面に平然と立っている。

 目を凝らせば、水面下にあるのは―――掌だった。それも、とてつもなく巨大な。

 一度だけ見たクムミの巨神。ヘルはそう理解した。

 彼女は、掌の中に沈んでいく。

 双子がその後に続き、掌の中へ飛び込んだ。同様にその体を沈めていく。

「―――さ、僕らも行くよ」

 女神は、青年にその手を預けると、共に女神像へと身を投じた。

 

 神像の内部は不可思議な空間だった。

 己自身が神像の大きさになったようにも感じるし、かと思えば皆と隣り合っているようにも、重なり合っているかのようにすら感じられた。

「ああ、これはねえ」

 エススの説明ではこうだ。

 神像―――巨神は均一構造の流体であり、コクピットはない。代わりに、乗り込んだものは内部へ遍在する。故に、神像が破壊されない限りは乗っているものは決してダメージを受ける事はない。

 また、均一構造故に耐圧性も高く、水漏れもない。どころかあらゆる環境で活動できた。

 欠点は、巨神自体が手ひどく損傷すると、乗り込んでいる者もその、遍在している部分にダメージを受ける事がある、ということだ。

 どの程度の被害が出るかは、確率論的に決定されて一概には言えない。だが、大きく破壊されればほぼ絶望的だ。

 とのことだった。

「……分かったような、分からないような」

「ま、とにかく手ひどく壊れたら死ぬから気を付けてねってことよ。ちょっとなら全然平気だけどね。巨神の首が千切れたりとか腕一本くらいだと怪我するかもしれないけど」

「は、はい」

「あ、ちなみにこれ、乗ってる間は背中の痒いところとか手が届くから。本来届かないとこも」

「へ?な、なんでですか?」

「さあ。遍在してるせいじゃないかな―とは思うんだけど。謎だよね」

 他にも排泄物の処理や給水、酸素の供給などもやってくれるとのことだった。なんて便利な。

 女神は呆れ半分感心半分である。

 などと会話を繰り広げている間に、暗灰色の女神像は、潜航を開始した。

 光学だけではない。振動。磁気。ニュートリノ。長波。その他あらゆるセンサーで得られた情報が流れ込み、五感に映し出される。

「―――凄い」

 海中は、生命の宝庫だった。

 見たこともないような奇怪な生物。魚類。甲殻類。軟骨魚類。時折、海獣すらも目に入った。

「神々が戦後、最初に着手したのは海洋の復活です。

地球から持ち込まれた海洋生物の数々。それに、それらの遺伝子をベースにして開発された種々の動植物が、移植されました。

結果として、今、この星の海はとても豊かな世界になっています」

 タラニスの説明も話半分にしか頭に入ってこない。それほど、ヘルは外部の光景に魅入られていた。

 信じがたいほど不思議で、ワクワクする景色。それは、先ほどまでの陰鬱な気分を吹き飛ばしてなお余りあるほどだ。

 ウルリクムミはその後も電磁流体制御と分子運動制御―――分子の熱運動を束ねて運動エネルギーに変換するシステム―――を併用して航行。

 さらに十数時間の移動の果てにたどり着いたのは、吹雪に覆われた北の大地であった。

 

 分厚い氷の下。

 北の果て、海岸沿いにその洞穴はあった。

 海底より入れる大きな洞窟である。

 女神像の巨体ですら悠遊と寝転がれるであろう巨大なスペース。

 水面から顔を出したのは、暗灰色の女神像。

 その掌から浮かび上がるように出てきたのは、一行を率いる男であった。

 燈火は、ヘルを助けて洞窟に降り立つ。こうしてみると彼女はかなりの長身であった。燈火もかなりの身長なのだが、それに並ぶほどだ。

 次いでエスス。タラニスの順で続く。

 灯りはないが、皆は自らという熱源―――赤外線で照らされた周囲を見回しており、不具合はない。

 同乗してきた仲間を降ろし、鳥面の元眷属は自らも、暗灰色の女神像から洞窟へと降り立った。

 役目を終えた巨像は速やかに消えて行く。

 

「ぷはぁ……やぁーっと、ついたねぇ」

 長い移動にはさすがにうんざりしたか、エスス。

「ごくろうさま、クムミ」

「なに。旦那様のためならこのくらい大したことないさ」

「早くお風呂に入りたいですね」

 長い緊張から解放されたおかげか、饒舌な一行。

 彼らは壁に掘られた横穴へと入り込んだ。

 中は意外と広い。防寒のためか分厚い毛織物がそこかしこにつり下げられており、調度はそれなりに整っていた。快適な住まいと言えそうである。

 ヘルは、感嘆したように周囲を見回した。

「よくも、こんな場所に……」

「こんな場所だからこそ、かな」

 そして青年は、芝居がかった動作で告げた。

「ようこそ穴倉へ。ここが僕らの家だ」

 

 風呂の沸かし方は豪快であった。

 洞窟は地上にも繋がっていた。

 吹雪が吹き荒れる地上には、氷山も多数ある。

 そこから持ってきた氷を石組みの湯船に押し込むと、ウルリクムミが電磁波で溶融させたのだ。

「さてさて。じゃあ女性陣は、ヘルをお風呂に入れてあげてくれ。僕はその間にご飯を作るよ」

 都築燈火、家庭的な男であった。女性たちに好かれている理由の一端かもしれない。

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