第二章【青年と穴倉】

【青年と穴倉】1

 女神を突き動かすのはいつも、この世全てへの憎悪だった。

 

 そこは闇に包まれた空間だった。

 星々はささやかながら闇へと反抗を企てていたが、その光はか細く、世界を満たすにはあまりに足りない。

 真空の宇宙空間であった。

 まだ惑星の重力が無視できるほどの高度ではない。その速度によって生じる遠心力と自由落下とがつり合い、惑星の周囲を周回する物体があった。

 衛星軌道上での戦闘―――近宇宙戦には、上下の概念が存在する。

 速度を落とせば惑星に近づき、速度を上げれば惑星から離れる。それが極端になれば、惑星に落下するハメになり、あるいは惑星の重力圏から放り出された。

 故に、そこでの戦闘は必然的に、高度な軌道の読みあいとなる。

 灼熱に彩られた男神像は翼を展開した。

 希薄な大気を受け止め、ブレーキをかけて軌道を落とす。

 彼は、己より下の軌道に位置する敵―――蛇に跨る漆黒の女神像へ向け、その戦斧を振り下ろした。

 一万トンの体重を載せた戦斧が槍と激突。槍を支える漆黒の繊手は片手。一方の戦斧は、相手の頭上より、両腕で振り下ろしているという圧倒的優位な姿勢である。

 にもかかわらず、現実に優勢であったのは槍だった。

 少女神の流体を構築する分子機械が悲鳴を上げた。

 構造材であり、駆動系であり、センサーであり、そして第二種永久機関でもある流体が、空間から無理やりエネルギーを吸い上げる。

 構造限界をはるかに超えた反動が、しかし超常の力によって抑え込まれた。

 力比べに飽きたかのような動き。無造作に振るわれた槍は、斧を弾いた。のみならず、返す刀で敵の胴体を薙ぐ。

 浅い。にもかかわらず、重い。生じた裂傷は醜く、そして致命的なまでの威力を発揮していた。

 振りかぶった槍を、再度返した手で投じる。

 男神像の胴体を貫通、一撃で霧散させる槍。

 恐るべき威力だった。

 瞬間的に発生した出力は、標準型神格のおよそ二十倍にも及んでいる。


―――食い足りぬ。


 彼女は次なる獲物を探す。

 衝撃は真下から訪れた。

 少女神が跨る乗騎。その下方より接近してきたのが二柱目の敵手だった。

 両手に曲刀を構えた橙色の女神像は、確かに黒の女神の死角から接近する事に成功していた。

 だがそれは安全を意味しない。

 音速の八倍もの早さで襲来したのは、蛇の尾。

 四百メートルの巨体が生み出す破壊力は凄まじい。

 受け止めた曲刀ごと、女神像は砕け散った。


―――脆い。脆すぎる!お姉さまはもっと強靭だった。お姉さまなら即座に反撃へと転じた!お姉さまならば!!

 この程度の相手では駄目だ。もっと強く。もっと老獪な敵と戦わなければならない。その強さを喰らって、私はさらに強くならなければ!!


 そこへ降り注いだのは雷撃だった。

 蛇の胴体に大穴が穿たれる。

 いや、それは厳密に言えば雷撃ではなかった。磁気加速された、重金属粒子の束だ。

 姿勢が崩れた乗騎。もちろん、跨る黒の女神の動きも制限されている。

 そこへ第二射。正確な一撃だった。

 少女神の胸を砕くはずだったそれは、しかし槍にはじき返された。

 漆黒の槍を構成する流体。それが発した強磁界に捻じ曲げられたのである。

 彼女は三柱目の敵に目をやった。

 遥か遠方。そこで長槍の尖端をこちらへ向けるのは、コバルトブルーが美しい武神像であった。

 少女神は槍を投じる。一本だけではない。次々と虚空から取り出した三百トンの槍を、立て続けに投じたのである。

 敵の動きは見事だった。音速の十倍以上の相対速度で飛翔する槍も、二十キロを超える距離を踏破するには少々時間がかかる。回避にはそれで十分だった。

 対して、投射される重金属粒子の速度は光速に迫る。

 コバルトブルーの武神像が放った第三射は、少女神の頭部を砕いた。

 彼は勝利を確信した。


―――それが甘かった事に気付く暇もなく、武神像は砕け散った。


 頭部から霧散し、量子的に"ぼやけ"ていくのと同時。彼女は異なる地点に再構築されていた。その場所は武神像の真後ろ。

 紙一重で回避された槍をつかみ取ると、彼女は敵へと振るったのである。

 投じた槍のひとつに己の本体を乗せ、敵へと接近させたのだ。

 三十五年前の死闘で盗んだ、姉の絶技であった。

 遅れて再構築された乗騎に飛び乗ると、彼女は不満げに叫んだ。

「この愚か者ども。なんという体たらくだ!」

 演習モードが解除され、撃破認定を受けて退避していた神像たちが再び認識できるようになる。

 その数十二。

 漆黒の少女神へと挑みかかった敵役の、それが総数だった。

 あまりにも弱すぎる。

 今は閉じた門の向こう―――神々を裏切り、人類へとついた眷属どもはいずれもが超絶の技量を誇っていたと聞く。

 姉のように。

 未だに正確な統計は出ていないが、二年間の戦争で人類軍に討ち果たされた眷属群、およそ三千柱余。その半数近くが、わずか二十柱あまりの裏切り者によって屠られたというのだからこれは尋常ではない。

 戦ってみたい。しかし、あの日。姉と戦った日、門のことごとくが人類によって破壊され、そして二つの世界の交通は途絶えた。

 老いた神々が、人類の世界へと攻め入ったあの戦争―――遺伝子戦争はそうして終わったのだ。

「―――帰投する!」

 部下へ告げた少女神は、大気圏へと降下していった。

 

 天空より伸びてくる幾筋もの飛行機雲。

 見事な編隊を組んで降下してくる神像群は、まさしく動く芸術品だ。

「姫君は荒れておられますな」

 声を掛けられた者は、その異形の姿を相手に向けた。

 人ならざる姿。頭部は鳥に近いが、全体が短い毛に覆われ、後頭部はやや毛が濃い。

 古代ローマ風の衣装に包まれた全身はほっそりとしており、手は鱗が覆い、指先からは鉤爪が伸びている。

 神々―――そう呼ばれる、この惑星の先住種族の姿であった。

「見ておられましたか。お恥ずかしい限りです」

 彼は口を開いた。深く、威厳のある声であった。

 一方で、彼に声をかけた来訪者の姿は若いヒトのそれであった―――ただし、その眼球は黒ずんでいる。

 元はヒト―――その肉体を乗っ取った、やはり神であった。

 二柱は窓際に並ぶと、共に天空を見上げた。

 彼らには見えていた。衛星軌道上における戦いの全てが。

 地球における鳥類にも似た肉食生物から進化した古き神々は、火を覚え、雑食となってなお、遠い昔、祖先たちが狩りのために発達させた視力を保持している。

「この時期はいつもああです」

「はて。今の時期―――ああ、終戦ですか」

 姫君。それがあの、少女を象った漆黒の女神像と、その本体たる神格の異名だった。

 技術者としても名高い神王によって建造された眷属の一体。

 現存最強の神格と目されるその真名を、アスタロトという。

「ええ。あの娘も昔、手ひどい目に遭いまして」

 生みの親である鳥相の大神は、その表情を歪めた。苦笑したのだ、と分かる人間はいないだろうが、もちろん神である来訪者は正確にそれを読み取った。

「ほう。今の様子からは想像もできませんな」

 姫君の異名は伊達ではない。その美しさ。強さ。気高さ。それはまさしく神格の中の神格とでもいうべきものだ。

 その戦力は、標準的な神格二十四柱にも匹敵する。

「まあ、しばらくすれば機嫌を直すでしょう。

さて。お忙しいところをお呼びだてして申し訳ありません」

「いえいえ、陛下の招聘とあらば参らぬわけにはいきませんから。それで、ご用件は?」

「はい。まずはこれを見ていただきたい」

 鳥相の神王がかざした手の先に、画像が表示された。

 報告書と、幾つかの動画だ。

「ふむ。拝見しましょう。

―――おやおや、これは」

 ヒトの顔を持つ神は苦笑。

「人狩りの際、抵抗にあったため村ごと焼き討ち、生き残りはそのまま連行ですか……若者は短気ですな。ヒトは大切な資源だというのに」

 まるで子供のやんちゃに頭を悩ませる親のような気楽さ。

 彼ら神々にとって、人間の生死などその程度のものだ。

 言葉を話す優秀な家畜。医療や兵器の優れた素材。

 それが、この星における人類だった。

「ふむ。この指揮官、いや軍全体の規律の話ですかな?」

「いえ。本題はこの先です」

「ほう。―――神格が、行方不明?」

 神は眉をひそめた。これが何かの間違いではないのなら、大変な問題になる。

 神格は兵器だ。それも、極めて強力な。

 神格が行方不明になる事そのものは稀にあることだが、大半は深海探査のような極限環境での作業中だったり、あるいは生身で行動中に事故で破壊された場合―――ベースが人体のため、生身でなら壊れる事は珍しくない―――であり、今回のような事例はまずありえない。

「この指揮官は、取りこぼしがないか確認を命じたそうです。実際、通常なら問題ないでしょう。ですが、この個体は戻っていません」

「データリンクはどうですか?」

「途切れています。もっとも、このような僻地でリンクが途切れること自体はさほど珍しくありません」

「ならば衛星は?」

「最後に確認されたのはこの日の日の出前ですが、この後曇天となり、それ以降彼の姿は発見されておりません」

「この個体、相は?」

「火炎です。ごく標準的な、プラズマ制御型の個体です」

「……ふうむ。それにしては雲の動きが妙ですな」

「はい。ただ、ギリギリで自然の動きでも起こりうる程度なので判断に悩んでおります」

「自発的な失踪ではなく、気象制御型が絡んでいると仮定しましょう。こんなことをやって得をする勢力がありえますか?」

「少なくとも、現時点では想定できません」

「現地調査は?」

「現在行っている最中です。念の為、神格六体を同行させています」

「分かりました。―――まさかとは思いますが、管理外の個体に破壊されたのでは」

「私もそれを考えていました」

「……なんということだ。先の戦争時のような事故は払拭されたとばかり思っていました」

 それは、神々にとっての悪夢だった。

 思考制御措置を自ら解除し、そして敵対した二十三体の超兵器。本来のスペックをはるかに超える性能を発揮した奴らによって、神々は想像を絶する被害を受けたのだ。

 《天照》《大日如来》《ジークフリート》《ワキンヤン》《九天玄女》《ニケ》……

 彼らはいずれも人類最高の英雄たちであり、神々の宿敵であった。

 そして、終戦直前に裏切った二十四柱目、《ヘル》

「ええ。だからこそお呼びしたのです。人手をお貸しいただきたい」

「承知しました。

そろそろ家督を倅に継がせて、悠々自適と行きたかったのですがね」

「お互い辛いですな」

「ええ。次にお会いするときには、気楽な茶飲み話をしたいものです」

 ヒトの顔を持つ神は、足早に立ち去った。

 来客が去ると、異形の神は窓の外―――下方に広がる雲海へと視線を向けた。

 この都市からは、惑星の様子がよく見える。雲海の高さに浮かぶ、この天上都市からは。

 天空から降ろされたテザーにつりさげられることで、この都市は空に浮かんでいた。

 テザーが伸びるその先、宇宙空間にはカウンターウェイトとして小惑星がぶら下げられ、惑星の遠心力と釣り合っている。

 恐るべき技術力であったが、彼らにとっては何ほどのことでもない。

 朝日に照らされた世界は、どこまでも美しかった。

 だが、ここは滅びかけた世界だった。

 神々。この惑星の支配種族は、種として老いた。それだけではない。星自体が死滅の危機に瀕している。

 もって、後一・五世代。

 神々の寿命は九百年を超えるが、数十億年の生命進化の歴史と比較すれば、それは無にも等しい。

 若く、荒々しい遺伝子資源が彼らには必要だった。

 それゆえの遺伝子戦争。

 幸いな事に、多大な犠牲を払った戦争―――核融合炉すら持たぬ人類によって、三千柱もの神格をはじめとする超兵器群が破壊し尽くされた―――は、十分な遺伝資源をこの星へともたらしていた。

 後は時間をかけて世界を再生させていくだけ。困難はあるかもしれないが、輝かしい未来が待っている。そのはずだった。

 それが―――

「―――反乱だと?許される事ではないぞ。ヒトめが」

 まさしく神のみに許される傲慢さで、異形の男は呟いた。

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