第五章【蛇の女王】

【蛇の女王】1

 門はかつて、関わった人々すべての運命を狂わせた。

 

 そのうちの一人であるアスタロトは、いや、その素体となった少女は東欧で生まれた。

 上流階級と言っていい家の出。それゆえに彼女は、連れ去られた異世界で神王に見初められた。

 美しさ。物腰。教養。なにより気品といったものを身に着けていたから。

 だから、彼女はその素材をなるべき生かすという方針で、眷属へと作り変えられた。

 他の眷属と違い、心を消されはしなかった。おぞましい事に。

 彼女が受けた精神改造は、当時事故が何度も起きていた従来の思考制御措置―――前頭葉、価値観を司る部位を改変する―――とは異なっていた。

 パブロフの犬―――地球ではそう呼ばれる実験がある。

 イヌにベルを聞かせ、同時にイヌにえさを与える。イヌはえさを食べながらつばを出す。これを繰り返す。

 すると、イヌはベルの音を聞いただけで、唾液を出すようになる。

 というものだ。

 条件反射訓練や経験によって後天的に獲得される反射行動。

 原理的にはそれと同じだ。

 彼女の脳内にはマイクロマシンが埋め込まれ、快楽と不快による刷り込みが長期にわたって行われた。

 組み込まれたマイクロマシン群が寿命により死滅した時、彼女は既に神王に逆らえない体となっていた。

 それだけではなかった。

 彼女はその外観も改造されていた。神々の伝承における怪物。それをモチーフとした姿に。

 アスタロトを目にした神々は、その姿をこぞって絶賛した。これぞ芸術品だと。

 目を閉じ、耳を塞いて閉じこもりたかったが、逆らえぬよう調教された彼女は神王に従い、式典に出されてはその姿をさらした。

 次第に諦めが大きくなっていった。

 自害すら幾度も考えたが、自己保存を命じた精神改造はそれも許さなかった。最後の望みに戦場で討たれる事を願ったが、戦場で人類側神格と相まみえる機会は訪れなかった。通常兵器では蛇の守護と不死のアスペクトを破る事ができなかったのだ。

 そんな折だ。過去数度顔を合わせた姉妹機。姉であるヘルが、人の心を取り戻して逃げ出したと。

 何故。どうして!

 追撃を命じられて地球より神々の世界へと戻ったアスタロトの内を占めるのは、疑問。いや、それ以上に大きかったのは嫉妬。

 アスタロトとヘルは壮絶な死闘を繰り広げ、そして勝負は痛み分けに終わった。

 殺せなかった。だが、姉が門を潜る事もなかったはずだ。ならば再戦の機会はあろう。

 それを信じて、三十五年間を生きて来た。

 彼女は強くなった。その根源は、妬み。

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