第四章【太陽の女王】

【太陽の女王】1

 太陽の女王は、人類に光をもたらした。


【西暦二〇一六年 遺伝子戦争期 神戸】


 そこは、人類の土地ではなかった。

 千年を超える歴史を誇る港湾に接岸しているのは、人類と異なる起源を持った異形の戦船群。

 陸に立ち並んだ建造物は明らかに異質な美的感覚によってデザインされた仮設の戦闘陣地であり、多数の戦闘機械が並んでいた。

 そこは神々によって奪われた土地だった。

 新旧の建造物が入り乱れた美しい市街は破壊し尽くされ、住民は連れ去られるかあるいは殺された。今やこの都市の主人は神々である。

 今、地上と海上の兵器群から無数の対空砲火が上がっていた。

 彼らが攻撃しているのは人ではなかった。

 

―――神だった。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 対空砲火を回避するように、その存在は螺旋軌道を描きながら上昇。

 巨神。甲冑ではなく多重の衣を十二単のように纏い、その顔を仮面で覆い隠したガラスの女神だった。

 彼女は剣を投げ捨て、両腕を広げた。


―――太陽を背に。


 彼女のまだ、量子的に"ぼやけ"ていた余剰質量。それが、背後、数千キロ四方の空間に実体化した。

 それはごく希薄で、物理的には何の力もない。それでいい。そんな使い方をするためのものではないのだ。

 それは、鏡だった。

 何千年も前に、古代ギリシャの科学者が発明した超兵器。

 人類はそれを、アルキメデス・ミラーと呼んだ。

 実体化した流体を構成する一つ一つの分子。それは、太陽光を反射させ、一点に集中させる。

 地上に、もう一つの太陽が出現した。

 六千度の灼熱が、地上に構築された陣地。そして海上の戦船群を次々と焼き払い、蒸発させていく。

 超絶的な破壊力だった。

 まさしく神のみに許された力。

 敵軍をあらかた焼き払うと、陽光は沖合へと向けられた。

 異様な物体だった。いや、それを物体と呼ぶのは差支えがあろう。いかなる意味でもその存在は物質ではなかったから。

 半径一・六キロメートル。海面上から覗いているのはその上半分。円盤状の存在だった。

 その向う側は、この宇宙ではなかった。そこは海洋だったが、巨大なメガフロートが築かれ、浮遊していた。

 

―――門。そう呼ばれる、二つの惑星を繋ぐ超空間構造体であり、向う側に見えるメガフロートはその展開設備だった。

 

 束ねられた太陽光。それは、門の向こう、メガフロートへと降り注いだ。

 たちまちのうちに、巨大な建造物が溶融し、崩壊していく。

 門が揺らぎ始めた。―――まもなく崩壊する。そう見えたまさにその時、音速の三倍を超える速度で何かが飛び出した。

 それは空中で軌道を変えると、ガラスの巨神へと突進。

 ミラーの展開に集中していた彼女は、回避することがかなわなかった。

 直後。崩壊していく門を背に、ぶつかり合ったふたつはきりもみしながら飛翔していく。それは、太平洋上へと向かっていった。

 

「―――何故。何故裏切った!!」

 女の声で叫んだのは、鳥の頭と細長い四肢を持ち、着物を思わせる装束の上から軽装の防具を身に着けた巨神だった。

 背負っているのは和弓にも似た弓と、矢筒。灰色の女神像―――神のクローンを素材として建造された旧型の神格である。その名を人類の言語に訳せば、"太陽を隠す者"

「―――彼女なら殺した!あなたたちに植え付けられたあの偽物の心は!!」

 絶叫したのはガラスの女神像。

 異形の女神像は、一瞬遅れてその意味を理解した。

「な―――馬鹿な。自力で精神制御を破壊したのか!?」

 神格は、神々に対して自発的に反抗する事ができる。知性を持つが故である。だから彼女は、眼前のガラスの女神が自ら裏切ったのだとばかり思っていた。

 そうではなかった。素体となった少女の魂が、二度と復活するはずのないそれが自力で蘇り、そしてガラスの女神の肉体を奪った―――奪い返したのだ。

 神権の簒奪。人類、神々双方の史上で初めての事件。神のテクノロジーが人類の手に渡った、これは最初の事例となった。

「お前たちは、敵!最初から味方だったことなんてない。裏切り者呼ばわりなどするな、この悪魔!!」

 それは、人類史上初の巨神戦だった。

 そう。人類側巨神が、神々の巨神と戦ったのである。

 ガラスの女神像は敵を振り払うと、太陽を背にしようと上昇する。

「させるか!!」

 鳥相の女神は、そう叫ぶと弓を振りあげた。

 直後。

 天を積乱雲が覆いつくし、凄まじい勢いで上昇気流が強まった。

 たちまちのうちに海面の水分が吸い上げられ、そして彼女を覆う巨大な水の竜巻が完成する。

 陽光を雲で防ぎ、水竜巻でエネルギー系のアスペクトを吸収する鉄壁の防御。

 こうなればガラスの女神像は圧倒的に不利だった。彼女は気象制御型神格の亜種だったが、気象そのものを直接制御する能力はない。あくまでも、太陽光による大規模破壊を目的とした女神だったから。そして、補助武装であるレーザーも、竜巻を貫通した上で敵にダメージを与えるほどの威力はなかった。

 故に、彼女は剣を呼んだ。

 先ほど投げ捨てた剣が、手元で再構築されると同時。彼女は、自らの構成原子を励起させた。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 咆哮と共に突撃。

 竜巻で身を守る灰色の女神は、その弓に矢をつがえた。

「―――ごめんなさい」

 彼女は詫びた。敵であり、そしてほんの半刻前まで己の教え子だったガラスの女神に対して。

 自分たちがその魂を弄んだ少女に対して。

 それは、己の勝利を確信したが故の謝罪の言葉だった。

 そして―――

 放たれた矢は、ガラスの女神像を貫く。―――そう見えた瞬間、傷口から噴き出したレーザーに焼かれ、矢じりが蒸発。矢の本体は、その爆圧で弾き飛ばされていく。

 二の矢を放つ暇はなかった。

 竜巻を貫通した剣は、鳥相の女神像の胴体に突き刺さる。

 それは、人類が初めて巨神を撃破した瞬間だった。それが巨神を使ってのことだったとしても、その偉業はいささかも曇る事はない。

「―――何故、謝るの」

「……なんででしょうね……」

 灰色の女神像は、そのまま砕け散った。

 

 のちに、人類と神々、双方の陣営から太陽の女王と呼ばれる事になる偉大な戦神の一柱。その最初の戦いは、こんなふうだった。

 

  ◆

 

【西暦二〇五一年 淡路島】

 

「―――っ!!」

 少女の姿を持つ女神は飛び起きた。

 周りに酒瓶や食品トレイの散らかった和室であることを確認し、今があれから三十五年もたった、西暦二〇五一年であることを思い出すと。

「……はぁ」

 またあの時の夢だ。

 二年近く続いた遺伝子戦争。その期間に百を超える眷属を討ち滅ぼした彼女であったが、いつも夢に見るのは最初の戦い。

 人類の間ではもやは伝説―――いや、文字通り神話となった戦いであり、この三十五年間で四回も映画化された人気エピソードのクライマックスだった。人類が初めて巨神を撃破し、そして反撃へと転じた記念すべき物語の。個人的には勘弁してほしいのだが。

 あれは、そんな大仰なものではない。自分を破壊兵器に改造した上で洗脳し、そして親友の肉体を奪って殺した憎き神々。それを焼き払い、殺し尽くしただけなのだから。

 あの時倒した神格が、改造された己に教育を施した、師匠とでもいうべき存在だったとしても。

 隣の布団で眠っている、初老の女性に目をやる。

 彼女は老いたが、自分は歳経る事がない。彼女を連れて門から地球に脱出してきた時には同い年だったというのに。

 女神は、窓を覆うカーテンを開けた。

 ここ、淡路島に設けられた民宿からは、対岸がよく見える。女神の強化された視力ならば。

 破壊された市街地は復興され、かつての繁栄を取り戻していた。

 だが決して戻らないものもある。

 "天照"の名を与えられた女神は、失われたものに思いを馳せた。

 鎮魂の旅。これは生き残った友と共に、亡くなった友人を偲ぶ、墓参りの小旅行だった。

 ふと、空に幾つかの飛行機雲を見つけて目を凝らす。

 平べったい、円盤にも似た形状。それは、飛翔する亀だった。

 人類製第二世代神格"玄武"

 ヒトという種が作り上げた新たな守護者。女神の後輩たちであり、リバースエンジニアリングによって生まれた技術的子孫であり、かつての教え子たちでもあった。

 皮肉なものだ。敵対した師より与えられた事を、今度は自分が、人類の神格に対して教育したのだから。

 もっとも、彼らがその実力を発揮する機会は訪れないだろう。門はそのことごとくが閉じ、そして神々は、戦略目的である遺伝子資源の奪取を十二分に果たした。

 奴らとて、用もなく世界間の門を開くほど物好きではないはずだ。あれだけ手ひどい目にあっていればなおさら。

 その予想が近いうちに覆る事を、予言のアスペクトなど持たない女神はまだ知らない。

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