魔法をキャンセルするには、上役が会議にて審議しなきゃいけない

17 姉に想う、友に想う

「一悟、文化祭まであと1ヶ月だっけ?」

「そう、7月の第2週だから、ちょうど1ヶ月だね。イチ姉、時間あったら見に来てよ」

「うん、部活もその頃はそこまで練習キツくないだろうから行きたいな」


 土曜の夜8時。キッチンで鍋のフタを取りながら菜箸をカチカチ鳴らすイチ姉。


 吾妻一菜、俺の双子の姉は、今夜もスマホから流れる音楽に茶色のショートヘアを揺らして料理に励んでいる。


「文芸誌作るんだよね? 一悟は何書くの?」

「『夏休みオススメの文庫10選』ってテーマで、ただの書評というよりエッセイっぽいもの書いてみようかと思って」


 読書感想文を控えた夏休み前にはもってこいのテーマ。春先から構想は練っていて、ちょっとずつ推敲しながら書き進めている。


「いいなあ、うちの学校あんまり文化祭やる気ないんだよね。高校生は勉強以外に青春を捧げてナンボなのにさー!」


 菜箸でじゃがいもをブスッと刺し、口に運ぶ。



 小学校の時から陸上の成績を認められ、中学からは陸上に加えて文化祭の劇演出や生徒会でバツグンの知名度と人気を誇っていたイチ姉。


 高校は陸上の強豪、澄吉すみよし高校に通い、高校近くの寮暮らし。週末帰ってきては、出張で不在の多い両親に代わって家事をこなす、完璧な姉。



 でも、日常もパーフェクトかといえばそうでもなく、今だって俺の来週分のおかずを作りながら、カッコは中学時代のジャージ。さっきも、肉じゃがなのに買った肉を入れ忘れたまま煮立てようとしてた。


 170近いモデルのようなスタイルと、着るものを変えたら20代でも十分通用する顔立ちに、憎めない可愛らしさ。



「おかず、綺麗になくなるね! 一悟も食べ盛りかな。もう少し多く作っておくよ」

「ああ、ありがとな」


 たくさん食べてる張本人の天使は、週末は都内でホテルを取って散歩やカフェ巡りを満喫してるらしい。そりゃ帰っていきなり弟が同棲してたらマズいもんな……。



「そういえばイチ姉、この前の女子1万メートル、おめでとう」

「まあね、3位だからメダルはもらえたけどさ。でも、関東大会は補欠扱いなんだよね。2位だったら普通に出場できたのに、『ひょっとしたら出場できるかも』なんて生殺しだよ、悔しい!」


 指をパチンと鳴らして悔しそうに苦笑いする。でもあんな大きな大会で3位、やっぱりスゴいなあ。


「イチ姉、学校楽しい?」

「うん、楽しいよ! 勉強も陸上もうまくいかないときもあるけど、『傷なんて舐めときゃ治るよ』って感じでさ。お姉ちゃんは毎日120%で戦ってますよ」

 わっはっは、と腕を腰に当てて笑う。


「そっか、でもきっとうまくいくよ。イチ姉は昔から運良いしね。『持ってる』ってヤツだよ」

「いやいや、そんな運なんか良くないって。結構大変なんだぞ?」

「……そうかな」



 笑った顔のまま肩を叩かれ、思わず本音を漏らしてしまった自分自身をいさめる。

 少し真顔になってしまって、口元だけニッと曲げて誤魔化してみせた。


 同じように生まれたはずなのに、何だか随分差が開いているような気がして。劣等感が日々炙りだされることがないから、今のように離れて暮らしてるのは正解だな、と環境に感謝したりもする。


 とても尊敬していて、でもどこか悔しくて。自分でも飼い慣らせていない散らばった想いを抱えるこんな日は、幸運なんてものを意図的に作っている天使とやらが随分と勝手で残酷に思えた。




***




「さて、いよいよ珠希たまき祭まで1ヵ月です」


 週も開けた部活の終わり。部長代理の久瀬さんが告げると、皆がざわついた。


 窓から見える景色は、夕方になる前なのにすっかり明色を失っている。スマホで見る天気予報には山ほど傘のマークが並んでいて、憂鬱になる準備を手伝ってくれた。


「1週間前くらいからは部室の飾りつけなど始まるので、計画的に進めていって下さいね。書きたいものはみんな決まってますか?」

「はーい、アタシはセロテープとガムテープの、くっついたら離れない禁断の官能小説を――」

「1年生、順調に進めてるか?」

 朱夏の前にずいっと立ち、発言を遮る。その小説は誰がターゲットなんだよ。


「なんか、うまく書けなくて筆が止まってます」

「読まれると思うと恥ずかしくてなかなか……」

 1年生のしょんぼりした声に、陽が「ばかばかばか」と反応する。


「いいか、高校生なんて何かを表現したくて仕方ない年頃なんだぞ。歌にしたり、ダンスにしたり、ブログに書き殴ってみたり。オレだって蜜と交換日記の一つもしたいし、蜜の腕にポエムの一つでも書いてみた――」

「お前は後輩を鼓舞する気があるのか!」

 目が本気だから怖いんだよ!


「まあ陽の言うことはホントだからさ。自分が思ってるほど、周りは自分の文章をバカにしないし、悪い言い方すれば気に留めないよ。書きたいことを思いっきり書いてみてくれ」

「そうそう、一悟さんの言う通りです。これが終われば次の発行は来年です。後悔のない出来にしましょう!」


 頷く1年生と、フフッと笑う悠雨さん。朱夏と陽は妄想の世界から帰ってこないけど。


 よし、あと1ヵ月。今までで最高の「ラン・ドッグ」作ってやるぞ!




「イチゴ」

 雨の降りそうで降らない帰り道。隣を歩いていた陽に呼び止められる。


「……なんかさ、反野が気になるんだよな」

「は? まあ、あの感性のズレは気になるよな。興味を惹かれるというか」

 頭の中をちらっと覗いてみたい。覗いたら帰って来れなそうな気もするけど。


「いや、そうじゃなくてよ……」

 目を細める陽。何やら口籠っている。


「もともと妄想の話とかしてると楽しかったんだけどよ、最近はつい顔見ちまうっていうか、なんか放っておけないというか……」


 ……予感! 恋の予感!


「何なんだろうな。蜜に対する気持ちに似てるようで違うんだけど……アレかな、兄貴っぽい面倒見の感じが出ちまってるのかな」


 ……気付いてねえ! 恋の予感なのに自覚してねえ!


「多分違うと思うけどな」

「そうかあ。あークソッ、なんか放っておけねえんだよなあ」


 ガーッと頭を掻く陽。俺が教えるのはなんだか野暮な気がして、ニマニマしてしまいそうなのを堪えて「ま、そのうち分かるんじゃない?」と後頭部で手を組んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る