15 2人っきり大作戦

「じゃ、そろそろ帰ろっか」

 時計を見ながら口を開く。もう17時半、西日が綺麗なオレンジで駅舎を染めていた。


「そうね、帰りましょう」

 久瀬さんが口に髪ゴムを咥えて、漆黒の髪に手をかける。


「わ、ユメちゃんポニテ似合うね!」

「ありがと、朱ちゃんも似合うと思うよ」


 うっわ……ポニーテールだ、本物のポニーテールだ!

 髪ゴム咥えアクション&「普段と全く違う印象の久瀬悠雨」のコンボ、反則です。


「楽しかったね、ミッとん!」

「はい、朱夏さん! ペットショップのアメリカン・ショートヘアも可愛かったですし!」

 よし、作戦開始だ!


 心のチャペルに鐘が響く。俺の知ってる天使は教会じゃなくて神社にいるけどな。


 呼吸を整えて、台詞スタート!


「あ、そ、そうだ。さっき行かなかったけど、俺、今日は本屋に寄って帰らなきゃだなー。『催眠学園』の新刊買わなきゃいけないんだったー!」


 結構マイナーな漫画。読んでるのはホントだしな。


「こ、ここから近い本屋だと石脇書店だなー。よ、よし、そこ寄ってから帰ろうっと。美都、先に帰っててな」

「あ、はい、わかりました」


 よし、自然だ! 自然に言えたぞ!


 石脇書店は自分の家とは反対方向、久瀬さんの家の近く。

 新刊も買えて久瀬さんと2人っきりになれるなら言うことない。

 完璧だ、完璧な計画だ!


「あ、イッちゃん思い出させてくれてサンキュ。アタシも買うんだ、一緒にいこ!」


 お前も読んでるのかよおおおおおおお!

 2秒で俺の作戦を打ち消すなよ!


「あ、ああ、そうか、一緒に行くか」

 仕方ない、3人デートでもいいか――


「ユメちゃんも一緒に帰ろうよ。石脇書店の方でしょ、家?」

「今日は美容院寄ってから帰ろうと思ってるの。『Pastelパステル』ってところ」


「あ、久瀬あそこの美容院行ってるんだ。オレやイチゴの家はあの店の方だぞ」

「時原君、あのあたりなんだ。吾妻君も」

「おう。んじゃ久瀬、途中まで帰ろうぜ」


 いやあああああああああああああああああああ!



 違う違う、話が違うよ!


 もともとは俺と久瀬さん、陽と朱夏と美都のフルハウスだったんだよ!


 俺が普通に帰ってれば、美都さえ何とかすれば2人っきりになれてたじゃん。策に溺れてるじゃん……。


 こういう時に魔法使うべきだったのかな……あんまり魔法使いこなせてない気がする。



「じゃあイチゴ、またな」

「またね、久世君」


 どどどどうしよう、今なら「雨降りそうだから帰る」とか言えば間に合うかな。


「あのさ、朱夏――」

「イッちゃん、行くよ! 雨降る前に急いで行かないと!」

「…………だな」


 楽しそうな朱夏に引きずられて、陽や久瀬さんとは反対のベクトルで歩き出す。

 はあ……。まあ、コイツと一緒にいるのも楽しいっちゃ楽しいし、今回は諦めよう……。




「イッちゃんも『催眠学園』読んでたんだ。知らなかったよ」

「ああ、あの作者の前作良かったからな」


「『形なき世界』でしょ。うん、結構深いテーマで面白かったよね」

「お前も読んでたのか。アレは去年読んだ漫画でもトップ3に入るね!」


「そうだよね、アタシもすっごい興奮した! 女児の体に増えるワカメを乗せて温めのお湯かけて、ワカメがペタペタって張り付くのを観察するくらいドキドキだよ!」

「やったのか! 経験者なのか!」

 本気かどうか分からない発言にツッコミ入れつつ本屋に入った。




 石脇書店で「催眠学園」を買いつつ、ついつい2人で小説の新刊コーナーを見る。


「これ、イッちゃんが前オススメしてくれた作者だよね?」

「ああ。この前の文学賞でも最終選考残ってたしな。無冠の原石って感じ」


 屈んでハードカバーを取る朱夏。

 茶色の髪がフワッと俺の腕と頬を撫でて、柑橘の香りを置いていく。


「アタシ、この人の文体好きなんだよね。会話に妙にリアリティーあってさ、恋愛モノ書かせたらトップクラスだと思う」

「どれどれ、見せろ見せろ」


 朱夏に顔を寄せて、同じ視点から見開きを見る。

 中学校、いや、小学校のころからやってる、書店での2人のこのポーズ。


「ちょ、ちょっとイッちゃん、顔が近いのでは」

「そか? わりい、離すよ」

「いや、離さなくてもいいんだけどさ」

 なんなんだよ。


 朱夏と話すのは楽だなあ。久瀬さんと同じことしろって言われたら絶対できない。




「うし、帰ろうかイッちゃん」

「だな」


 店を出た、その直後。

 頬を、水滴が掠めた。


「へ? 雨?」

「うん、ポツッて当たったね。イッちゃん傘持ってきてる?」

「あ、ああ……」



 何で雨降ってるんだ? 美都には帰りにこの店寄ることも伝えてたのに。


 疑問に揺れる頭に同調するように太もものあたりでケータイが震える。美都からの着信。



「一悟さん、私ももうそろそろ家に着くんですけど……その、雨が降ります」

「おう、今降ってきてるぞ。どうなってるんだ?」


 ちょっと朱夏と距離を取って小声にする。美都は、歯切れの悪い感じで続けた。


「それが……我が社には魔法が正しく使われてるかどうかチェックする品質保証部があるんですけど、さっき天候部をチェックしたらしいですね。で、どうやら雨量調整がうまく出来てなかったみたいなんです」

「雨量の調整?」


「ええ。一応『魔法を使わなければ降るはずだった雨量は、調整後も維持する』ってルールがあるらしくて、時間をズラしたり降る場所を変えたりして総量はそのままにするらしいんです。私も初めて知りました」

 なるほど。確かに、魔法で意図的に晴ればっかりにすると水不足になったりするかもしれないしな。


「で、今回雨量が全然足りてなかったらしくて、やむなく一悟さんの魔法を解除したみたいです」

「会社都合かよ……俺の申請は握りつぶされたんだな」

「お客様は神様ですが、弊社にも神様がいるもんで、なんてね!」

「ウマいこと言ってる場合か!」

 そんなテンションで言っても誤魔化されないぞ!


「そんなワケで早めに帰ってきた方がいいですよ」

「あいよ、了解」


 電話を切り、ワインレッドの朱夏の折り畳み傘が咲くのを見ながら、ちょっと大きめのブルーの折り畳みを出す。


「朱夏、雨強くなる前に、早めに帰ろうぜ」

「おうおう! 目的も果たしたし、早めに帰ろう!」


 濡れて色が変わり始めたアスファルトの歩道を並んで歩く。

 結構雨当たってきたなあ。梅雨も近いってことか……。



 ザアアアアアアアアアア

 …………大分強くなってきた。短時間でこれは結構スゴい。夕立みたいだ。



 ドザザザザザザアアアアアアアアアアアアアアアアアア!

 …………………………………………ちょっと強すぎないかこれ。



「うひいい! ひどい雨だね、イッちゃん」


 雨全体が水の塊になって傘を襲ってくる。

 生まれて初めて経験するどしゃ降りだった。


「なんだこりゃあああああああああ!」


 地上にある穴では排水が追いつかず、道路に水が溜まり始めている。

 車もバイクも自転車も全てがウォーターアトラクション。



 ドドドドドザザザザザザアアアアアアアアアアアアアアアアアア!

 ブウワアアアアアアアアアア!



 横殴りで攻めてくる雨と風。髪は逆立ち、目はどんどん細まる。



 グワッ! ガキッ!


「うおっ、傘折れた!」


 赤と青、2輪の花は、雨の猛攻にほぼ同時に夭折した。

 今まで辛うじて濡れていなかった顔面が一気に潤う。ツルツル、というかビチャビチャ。


 あの天使め、一体どうなってやがる……。


「おい、朱夏!」

「んあー? なんか言った、イッちゃん?」

 雨音にかき消されないよう、お互い声を張り上げる。


「あーやーか! ちょっとここで待っててくれ! すーぐーもーどーる!」

「わーかーった!」


 ちょっと角を曲がって、美都に電話。スマホを耳に押し付ける。



「あ、一悟さん、今電話しようと思ってたんです!」


 向こうの声はよく聞こえる。後ろで微かに聞こえるテレビを音からすると、もう家に着いてるんだろう。



「美都、何だよこの雨は!」

 努めて冷静に、大声で聞く。


「今天候部のユウ君に確認したんですけど、どうやら今日の明け方から降る予定だったはずの雨を1時間でまとめて降らせてるみたいです」

「いっぺんに降らせるなよ!」

 地上の影響考えろ! もう車動けなくなってるだろ!


「これで今日の降水量が予定通りになるので、品質保証部への報告はばっちりですよ!」

 こっちはとばっちりですよ!


「で、一悟さん。早めに帰ってきた方がいいですよ」

「そんな呑気な状況じゃないの!」

 5メートル歩くのも困難なの!



「ではお家でお待ちしてます。早くお夕飯食べましょうね!」

「お前は俺より夕飯の心配しかしてないだろ」


 食い意地の張った会社員はブツンッと電話を切った。

 なんて無情な。すみません、魔法で絶対折れない傘とか作って届けてくれませんか。

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