32 挽回の一手
「あ、イッちゃん」
しばらくして戻った部室の空気は相変わらず重苦しい。
「この後の作戦、考えてきたぞ」
「作戦?」
半べその朱夏が首を傾げる。
「まあ任せとけって。みんな、ちょっと集まってくれ」
パソコンの周りに集まっていた部員が、ゆっくりと寄ってきた。
「まず一旦家に帰って、原稿をなるべく綺麗に印刷してほしい。家にプリンタがなければ、持っている人にメールで送って印刷してもらってくれ。で、とっても申し訳ないんだけど、その後の作業があるんでまた部室に戻ってきてほしい」
「……原稿は用意するとして、製本はどうするんですか?」
少し訝るように後輩の古橋が質問する。
「俺達でやるしかないよ」
「僕達で……?」
「原稿全部揃ってから印刷開始だから、かなり遅くまで作業することになる。これから職員室に夜間作業申請を出しに行くけど、一緒に印刷室の複合機を1台抑えようと思うんだ」
まだ18時過ぎ。何人かの先生は職員室に残っているだろう。印刷室には複合機が2台あるけど、占有はできないだろうから借りられるのは多分1台だけ。
「原稿が揃ったら、印刷室でひらすら印刷する人と、部室の飾り付けの続きをやる人に分かれよう。印刷する人は3~4人かな。200ページを200部だから結構大変だよ。3時間以上は印刷して部室に運んでの繰り返し!」
「うっわ、ハードだなあ!」
朱夏のツッコミにみんな少しだけ和んで笑う。
「で、ページ順に並べてデッカいステープラーで留めて冊子の完成。印刷室使うとステープラー借りられるらしいよ」
うん、うん、とみんなが無言で頷く。
「そうするしかないだろうな。そうやって聞くと、なんとなく出来そうな気がしてくるよ」
陽が腕時計を見ながら細く息を吐いた。
「吾妻君、表紙とかはどうするの?」
「手書きしかないだろうね。目次や編集後記も手書きかな。まあそれはそれで味があっていいかも」
「そっか、やっぱりちょっと質が落ちちゃうね」
しょげる朱夏を見て、ニイッと笑う。
「ふっふっふ、朱夏さん、我に策有りですよ。見た目がイマイチなら、コンテンツで勝負!」
「コンテンツ?」
聞き返す朱夏の隣、久瀬さんに目線を変えて笑いかける。久瀬さんはどう返せばいいか分からない様子で、不思議そうにジッとこちらを見た。
「俺の友人で『囚人探偵』ってシリーズ物を書いてる人がいてさ。多分俺らがこの2ヶ月くらいで書いたのよりは巧いと思うんだ。それを1作か2作載せるってのどうだろう」
「おおおおおっ!」
久瀬さんの表情が変わる前に、朱夏が大声をあげた。
「そっか、その手があったか! うん、ユメちゃんの作品なら目玉コンテンツになるよ。イッちゃんナイスアイディア! ね、陽ちゃん!」
「うん、そうだな。久瀬の作品、1作50~60ページだったよな? 読み応えもあるし、良いと思う」
ちょっと前までは凍ったように静かだった部室が少し賑やかになった。
「ちょ、ちょっと待ってみんな」
顔をほんのり染めて騒ぎを収める久瀬さん。
「私もう短編載せてるし……そんな、いきなり知らない人の長編なんか載っててもつまらないかも――」
「ユメちゃん、だいじょぶ!」
「きゃっ!」
全部言い終わるのを待たずに抱きつく朱夏。
「『囚人探偵』シリーズはヘタな市販の小説よりよっぽど面白いよ。それに他の作品だってワタシ達みたいな知らない人の作品なんだし。みんな楽しんで読んでくれると思う!」
「……そっかな」
久瀬さんが上目がちに俺達を見た。少し焦点が定まってない感じが、彼女の動揺を教えてくれる。
「久瀬さん、いつか色んな人に読んでもらいたいって言ってたでしょ? 今回のはいいチャンスだと思うんだ」
「久瀬、せっかくだから載せてみようよ」
俺と陽でフォロー。後輩3人、井上・古橋・月野さんも「久瀬先輩のならみんな読みます!」と声援を送る。久瀬さんは唇をキュッと結んだ。
「じゃあみんな、よろしくお願いします」
ペコッと頭を下げる「囚人探偵」シリーズの作者。部室は拍手に包まれた。
「イチゴ、プラン考えてくれてサンキュ。久瀬、これでいいよな?」
「うん、いいと思う。吾妻君、ありがとね。私ちょっとパニックになってたから、とっても助かった」
「イッちゃん素敵! ほらみんな、吾妻先生にも拍手!」
さっきと久瀬さんと同じくらいの拍手を受ける。照れくさいけど、素直に嬉しい。
「よっし、それじゃ部長代理のユメちゃん、号令お願い!」
朱夏が背中をグイグイ押して、久瀬さんを前に立たせる。
「えっと、じゃあみんな、吾妻君の作戦に沿って、今から頑張りましょう」
「よし、やるぞーっ!」
「やるぞーっ!」
陽のデカい声に、みんなでこだまを返す。
さあ、夜に向けてギア上げていきますか!
***
「反野先輩、印刷してきました!」
井上が息を切らしながら原稿の入ったクリアファイルを朱夏に渡す。
「サンクス! よし、これであと1人だね! 校正はバッチリ? 誤字脱字あったらデコピンよ、へっへっへ」
「大丈夫、だと思います……」
苦笑いを見て朱夏と古橋、2人揃ってわははと笑う。
「よし、それじゃ飾り付けやるよ。イノッちとハッシーのどっちか絵ウマい方、切れば本の形になるように色紙に線引いてほしいな」
よしよし、うまく進んでるな。
夜21時。そろそろ最後の原稿が月野さんから届く予定。それから印刷と製本。今日は本当に遅くなりそうだ。
「イチゴ、久瀬。表紙の絵、こんな感じにしてみた」
「おおっ、すごい上手ね」
「うまいっ! さすが陽先生!」
パソコンで描いてもらった絵よりも顔がアップになった、走る犬のカラー絵。何本もの直線で造られたその表情は、目標物に向かって突進しているような凄みとリアリティーがあった。それはさながら、今の俺達のよう。
「オッケー。じゃあ顔の部分に影付けちゃうな」
「お願いな。久瀬さん、目次の順番考えた?」
ちょっと目線を横に逸らす久瀬さん。
「うん、でも朱ちゃんに見せたら『囚人探偵が真ん中なんてダメだよ!』って」
「そりゃダメだよ。目玉コンテンツなんだから一番最初か一番最後にしたいな」
「そうですよ! 悠雨さんの文章、素敵なんですから! 出来たら一番最初にしましょう。みんなパラパラ捲ったときに『囚人探偵』が載ってたら惹かれます!」
美都がチッチッチと指を振りながらナイスアイディアをくれる。さすがマーティング部。
「ん、わ、わかった」
久瀬さんは照れつつも、今度は目線を下げながら返事した。
うっはー、こんなバタバタしてるときでも可愛いもんかね! 可愛い人は時も場所も選ばず可愛いんだなあ! エブリデー可憐! エブリタイム美人!
「よし、俺ちょっとトイレ」
「おう、行ってこい」
陽に送り出されて廊下へ。真っ直ぐ歩き、みんなの目につかない階段へ。
もう人影はなく、夜と名付けられた地球の影が踊り場を塞いでいる。
電話をして呼び出すと、すぐに美都が走ってやってきた。
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