30 動かない箱

「吾妻君、ちょっといい?」

「あ、う、うん。何?」


 校正の前にパンフレットに載ってる紹介文をチェックしていると、久瀬さんに声をかけられた。


「廊下にイス出してあるんだけど、私が乗ってる間押さえてもらってもいいかな? これどこに貼るか考えたいの」

「ん、いいよ!」

 少し大きめの紙を持った久瀬さんと一緒に廊下に出る。

 雑用頼まれただけで嬉しいなんて、相手が好きな人のときくらいだな。


「その紙、何書くの?」

「ポスターの横に、みんなからの一言原稿紹介を書いて貼ろうと思ってるの。頑張って書いたんだし、せっかくだから中身もアピールしたいなって」


「なるほど。俺がイス乗ろうか?」

「ううん、大丈夫。私でも届くから、押さえてて」

 久瀬さんが履物を脱いでイスに乗る。白くてレースのついた靴下にドキドキしながら、イスをグッと握った。


「ここら辺に貼ろうと思うんだけど、どうかな?」

「あ、うん、いいんじゃないかな」

 2人でデートしてる気分。ああ、やっぱり文化祭準備って素晴らしいものですね! 高校生になった甲斐があるというものです!


「もう少しこっちでも……」

 と、久瀬さんが左に少し寄ろうとしたとき。


「わわっ!」

「うわっ!」


 靴下が滑ったのか、イスからガクッと落ちる久瀬さん。


 ドンッ!


 イスは倒れなかった。倒れたのは、彼女の下敷きになった俺。

 そして久瀬さんは、俺の上に跨っていた。


「わ、ご、ごめんね吾妻君」

「あ、い、いや、あの、全然、その、何もその、むしろ、ホントね」

 散々見聞きしたシチュエーションにもしっかり狼狽えてしどろもどろになる。情けない。


「今退くからね」

 久瀬さんが床に手をついて起きようとする。


 プチンッ


 ん、何だ今の音? 何か破けた、というか弾けたような……。


「きゃあっ!」

 久瀬さんに目を遣ると、胸のあたりを押さえて足の近くにある何かを拾っている。


「あの、吾妻君、ごめんね、色々」

 拾っていたものは、ブラウスのボタンだった。

 ボタンだとおおおおお!


 アレですか! 起きようとしてブラウス引っ張っちゃって、ボタンが取れてしまったのですか! そんなセクシーなミスあるんですか!


「だ、だだだ大丈夫? 大丈夫かな? だいじょぶなの? だいじょぶそうだね」

 さらに興奮して緊張して取り乱して、「大丈夫」を変な形で活用する俺。


「ちょっとボタン留めてきちゃうね……わわっ!」

 起きた瞬間、スカートを踏んで転んだ。足が露わになる。

 殺す気だ! 久瀬さんは俺を萌え殺す気だ!


「あの、早く、ボタン留めに、いく、良いと、思う」

 人間、興奮が限界になるとカタコトになるらしい。


「うん、そうするね。朱ちゃーん」


 朱夏を呼びに部室に入り、やがて2人で女子トイレに歩いていった。朱夏にボタンを留めてもらうんだろう。女子はソーイングセットを常備してるんだなあ。


「一悟さん、一悟さん」

 美都がニコニコしながら寄ってくる。なんだよ、久瀬さんとのセクシーハプニングの思い出に浸ってたいのに。


「一悟さん、今の魔法どうでした?」

 耳打ちしてくる美都。


「……魔法って?」

「悠雨さんの太ももが見られる魔法です。今、こっそり申請しておいたんですよ」

「……………………」

 お前のせいか! なんかうまく行き過ぎてると思ったんだ!


「しかもブラウスのボタンが取れる魔法もセットですよ! どうですか? 男の夢の詰め合わせ! これからの神社の経営を牽引していく魔法だと思います」

「お前の神社はお色気路線をウリにしていくのか」


「男側に魔法かければ女子にも使えそうですね。うん、貴重なサンプルが取れました。太もも見たさに神社に人が詰めかける日もそう遠くないでしょう」

「……うん、まあウケは良いと思うよ」

 それが神様のおかげだって知ったら、みんな神様に幻滅するかもしれないけどね!


「よし、じゃあ私、校正の準備しておきますね!」

「おう。あそこのファイルにみんなが自宅で印刷してきた原稿とページ割があるから、掲載順にならべておいて」

「了解であります!」


 日はあっという間に落ち、まだまだ準備し足りないのに空が墨汁をぶちまけたように黒くなっていく。あともう少し。どうか、素敵な珠希祭になりますように。




 翌日。授業なんて上の空で6限まで終わり、チャイムが放課後を告げる。いよいよ珠希祭を明日に控え、廊下には色紙や蛍光テープを持って歩く色とりどりの生徒が溢れる。窓の外は雲一つなくオレンジの陽光が揺蕩たゆたい、明日の晴天を予告してくれていた。


 部室の装飾は予定の半分くらい。人によっては「これで十分」というかもしれないけど、どうせならもっと派手に煌びやかに賑やかにしたい。黒板にはラン・ドッグのコンテンツが赤と白のチョークでキレイに箇条書きされている。


「イチゴ、さっき目次できたって言ってたよな?」

 陽が要らない机を端に寄せながら言う。


「ああ、これでデータも全部揃った。あとはDVDにファイルデータを焼けば……」

「準備完了だぜ!」

 俺のフリにグッと親指を立てて答える朱夏。さすが最終日、みんなテンション高いな。まあ俺もだけどさ。


「一悟さん、印刷所にはいつデータ持っていくんですか?」

「一番遅い18時にしてもらったんだ。17時半には自転車で出なきゃ」

 もう17時過ぎ出し、早めに焼いておこう。


 と、動き出そうとした時だった。


「あの、久瀬先輩。デスクトップ、急に電源落ちちゃって……その、なんかおかしいんですけど」

 後輩の1人が久瀬さんを呼んだ。


 直感的に胸を支配する、どうにも形容しがたいイヤな予感。


「ん、ちょっと貸してみて」

 久瀬さんも同じことを感じたのかもしれない。いつもより焦った口調でパソコンの置かれたデスクに座る。


 陽も朱夏も、そして俺と美都も駆け寄った。

 電源は入る。しかし、その後いつもの画面に進まない。


「起動しないわね……」

「久瀬、ちょっとどいて」

「朱夏さん、2つ隣のパソコン部からドライバー借りてきてもらえますか」

「わかった!」

 危険を察知した陽と美都が、表情を強張らせて弱っているパソコンを囲んだ。


「ミッとん、はい!」

 ダッシュで借りてきたドライバーでデスクトップ横のネジを緩めてフタを開ける。

 中のパーツを少し動かしながら電源を入れ直すものの、画面が進む様子はない。


「桜、これって……」

「多分、そうですね」

「だよな。まずいぞこれ……」

 みんなの不安げな顔を映し続けるモニターを見ながら、陽が小さく呟いた。


「おそらくだけど、ハードディスクが壊れてる」

「陽ちゃん、それってどういうことなの?」

 朱夏の早口な質問。それに、伝えるのを抵抗するようにゆっくりと答える。


「データが取り出せない」


 原稿を詰め込んだ箱が、動かなくなった。

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