12 幸せに埋もれるプチデート

「おおっ、広い広い!」


 朱夏が楽しそうに古本市の入口に走る。


 会場には、幾つもの白いテントが群れていた。

 天幕には「新書」「ショートショート」「エッセイ」とジャンルが貼られている。なるほど、テント毎に分かれてるのか。



「ねえ、みんな見たい本違うだろうから、時間決めて自由行動にしない?」

「あ、ユメちゃん、それいいね!」

「久瀬、ナイス提案! じゃあ、とりあえず30分後にこの入口に集合でどう? で、みんなでテントの情報交換して、また自由行動!」


 こうして、入口でオレンジ色の案内マップをもらい、5人で散り散りになった。

 久瀬さんと一緒に行動できないのはちょっと残念だけど、俺もゆっくり見よう。




 まずは2梁続く「冒険小説」のテントへ。「こんにちは」と声をかけてくれたおじいさん、多分いつもは古本屋の店主なんだろう。


 カゴに整然と並べられた文庫本の背表紙を眺め、時折抜き出して手に取る。


「古本屋が集まると結構な数になるだろ?」

「はい、すごい種類ですね!」


 おじいさんに相槌を打ちながら、しばしポケットサイズの世界を彷徨う。


 うわ、この訳者、この作品もやってたんだ、知らなかった。

 そういえばこの作家の短編集、読んだことないんだよなあ。

 気になる本を手に取り、日焼けや傷の跡から歴史を感じ取る。


 夢もロマンも、悲劇も喜劇も、愛情も憎悪も、生も死も、ありとあらゆるトピックが詰まっているこの紙の集合体が、たった200円で買える。古本のコストパフォーマンスは計り知れない。




 気が付くと10分も経っていた。やれやれ、これだから本屋は時間泥棒で時を曲げる空間なんだ。周りの親子や家族を見ながら、少し離れて古本市全体を眺める。


 幾つも並ぶテントは「評論」「ノンフィクション」「育児・教育」と細かくジャンル分けされていた。なるほど、ここなら誰でも興味のある本を探せそうだな。


 エッセイのテントで立ち止まり、お気に入りの作家の古い作品を読み耽っていると、「いいのあったか?」と陽に肩を叩かれた。



「オレもその人、結構好きだなあ。今の妄想全開のエッセイもいいけど、昔の毒づいてるヤツの方が好きだ」

「ああ、初期の初めて読んだよ。今と大分文体が違うな」


 なんとなく本を戻して、2人でテントを移った。


 隣は日本文学エリア。志賀直哉、有島武郎、武者小路実篤と、白樺派が並ぶ。

 少し表紙の曲がった本を手に取った。「小僧の神様」か、読んでみようかな。


「イチゴさ、久瀬のどこが好きなんだ?」

「何だよ、突然」


 若干の静寂を破るように、突然質問を切り出す陽。

 4月、美都が来る前に、陽には流れで何となく打ち明けてしまっていた。



「いや、何となくさ、その辺り知らないなあと思ってよ」

「ん……まあ、とりあえず顔が好きだ。めちゃくちゃタイプ」

 平静を装って巻末をパラパラ捲る。


「まあ確かに顔はかわいいよな。うん、かわいい」

「それだけじゃないけどさ、もちろん」

 手を止めて、視線を宙に移した。


「自分の好きなことに一生懸命なところ、好きなんだ。やっぱりさ、部活の仲間に小説見せるのって恥ずかしいだろ? でも、久瀬さんは俺達に楽しんでほしいって言って『囚人探偵』を書いてる」

「確かに。製本して図書室に置いたりもしてないし、完全に俺達向けだもんな」


 陽が、作者名順に並んでない文庫を数冊取って、きちんと並べ直した。


「読ませられる作品になるように色んな海外ミステリー研究して、俺達からの感想もちゃんと次回作に活かしてさ。なんかホントに書くの好きなんだなって。そういうの、素直にすごいと思うんだ」


 本を閉じ、すぐ近くにいる彼女の顔を思い浮かべる。


「んでもって、『面白かった』って感想もらったときの顔が本当にかわいい!」

 そこまで聞いて、こっちを見ていた陽がニマッと笑った。


「なるほどな! よし、オレは応援するぞ、イチゴ!」

「おう、ありがとな、まあ、倍率高いから、期待しすぎずに構えるさ」

「だな、玉砕したときは一緒にドリンクバーで飲み明かそう」

「安くあげるな、パフェもつけろぃ」

 2人で笑って、テントの前で別れた。




***




「さて、じゃあミステリー行ってみるか」


 タオルで汗を拭きながら、ペットボトルに半分残ったスポーツドリンクを流し込む。



 さっき、一旦集合して掘り出し物の情報を交換した。朱夏は「売り切れたら困るから」ともう既に結構買い込んでて重そうだったな。



「んっと、海外ミステリーは詳しくないんだよな、正直……」


 棚に並んだカタカナの名前を見ながら、こめかみを掻く。

 と、心拍数を上げる優しい声が横から聞こえた。


「吾妻君、いいの見つかった?」

「わっ、久瀬さん」


 突然の出来事にどこを向いていいか分からず、随分と小さい彼女の肩に目線を合わせる。


「どうしたの? さっきミステリーのところ見たって言ってたけど」

「ああ、時原君が、『イチゴがミステリー何読もうか困ってるみたいだから、オススメ教えてやってよ』って」

「それでわざわざ? ありがとう!」


 イエス! ナイス親友! 持つべきものはさりげなくアシストしてくれる友だ!



「そう、ちょっと迷っててさ。海外ミステリーで、古典的な名著みたいなヤツを読んでみようかと思うんだけど……」

「ううん、古めのでよければ、ヴァン・ダインの本は結構いいかも」

「ヴァン・ダイン?」

「うん。ファイロ・ヴァンスっていう探偵のシリーズがあるの。エラリー・クイーンもヴァンの影響うけてるって話聞いたことある。私も何冊か持ってるけど、とっても面白いよ!」


 バッグをギュッと抱えて、笑顔を咲かせる。


 かわいい。もう、ホントにかわいい。今日来て良かった! 今日まで生きてて良かった!



「そっか、じゃあ探してみる!」

「吾妻君は、何か買うの?」

「ああ、うん。日本文学で幾つか。武者小路実篤で読んでないの結構あったから、『お目出たき人』とか買おうかなと思ってる」

「へえ、その辺り読んだことないなあ」

「白樺派、結構クセがあって好きなんだ。例えば志賀直哉だと……」



 好きな小説の話をしながら、好きな人と歩く。気分はちょっとだけプチデート。


 太陽にどれだけ焦がされても気にならないくらい、心が幸せで潤っていた。




***




「楽しかったな。オレ、結構買っちゃったよ」


 2回目の自由時間も終え、すっかりお昼時。俺達5人は、まるでモンゴルのゲルのように群れているテントを離れた。


「アタシも! 夏休みにまとめて読もっかな」

 バッグから紙袋を取り出して振る朱夏。ザッザッと、中の本が揺れる音がした。



「久瀬さんもいっぱい買ったの?」

「うん、ミステリーばっかりだけどね」

 フフッと笑う久瀬さんのバックは、子犬でも入ってるかのようにぷっくり膨らんでいる。



「でも、降らずに済んだね、イッちゃん!」

 朱夏が遠くに陣取っている雨雲を指しながら笑う。


「ああ、この調子なら午後もなんとかなりそうだな」

 横目に見る公園では、銀色のすべり台に日光の破片が踊っていた。


「お腹減ったわね」

「はい、私もペコペコです!」

「お、久瀬も桜もか。オレも減ったよ。よし、いい時間だし、お昼にしよう」


 スマホで時計をチェックする陽。美都、お前はいつまで手をあげて空腹を訴えてるんだ。


「陽、食べたいものあるのか?」

「オレは蜜の作った料理が食べたいなあ。あ、でもダメだぞ、お前らには食べさせてやらないからな。特にイチゴ、男に食べさせるくらいなら蜜に代わってオレがお前を刺す」

「落ち着け、なんで蜜ちゃんが俺を刺す前提なんだ」

 そもそも刺される動機がねえ。



「ホントに陽さんは妹さんが好きなんですね!」

「おう! 桜、ただのシスコンじゃないぞ、なんたって義理の妹だからな。Sister-in-low Complexでシルコンだ! 愛情を注ぎながらも、いつかその愛情が兄妹の関係を超えてしまうことに怯えている、少し臆病で、少し蜜のTシャツに生まれ変わりたい兄貴だ」

 お前もう色々捕まれよ。



「何にしよっか。俺は何でもいいんだけど、く、く、久瀬さんとかは、た、食べたいものある?」


 よしっ、さりげなく久瀬さんに聞けたぞ! 「久瀬さんとかは」って「とか」って付けて「他の人にも聞きたいけど、代表して久瀬さんに聞いた感」を出したのが我ながらナイス!


「うーん、せっかく繁華街に来たからカフェランチとか出来たらいいな」

「なるほどね、カフェランチか」

「でも、検索してみたけど、なんか無さそうだよ? この辺り」


 眉をハの字に曲げながら朱夏がしょげる。



「そっか、ないのか……」



 一緒に落ち込んだフリをしながらも、俺の頭の中には、久瀬さんを喜ばせるとっておきの方法が閃いていた。

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