4 卵の黄身を倍にしてみせましょう

 時計を見ると、まだ家を出るまでは少し余裕がある。もっと長い時間経ったように思えたけど、新しい情報だらけで脳が疲れたからかな。


「それにしても美都、その格好って天界では普通なのか?」

 改めて見ると、ジャケットと袴って全然合わない。


「はい、そうですね。神社に勤めるってことで、巫女服は外せません!」

 くるっと回ってみせる。赤い布が宙を舞った。


緋袴ひばかまなんてちゃんと見たの初めてだよ。ちゃんと上指糸うわざしいとも見えるんだな」

「おお、詳しいですね! まさか上指糸を知ってるとは!」

 袴の腰当の部分にある、飾りの白い糸。赤い色によく映える。


「前に小説で読んだときにちょっと調べたことがあってさ」

「そっか、一悟さん小説好きなんですよね。中高と文芸部ですもんね」

 うむうむと頷きながら、座り直す美都。


「あ、そうそう一悟さん、一緒に住むってことでですね……」

 カバンを漁る。手土産でも探してるのかな。


「あ、いいよいいよ、気遣わないで」

「あった!」


 美都が取り出したのは、饅頭でもカステラでもなく、ノートパソコンだった。


「住んでる間は、使いたい魔法あったらいつでも言って下さい。申請出しますから」

「…………マジでっ!」


 今年に入って一番大きな声が出た。


「はい。一悟さんは魔法のリサーチ対象ですが、実際に魔法を体験してもらうモニター対象でもあるので。それに、いつも見られてると思うとストレス溜まるでしょうから、お礼も兼ねてです」



 ま、魔法使い放題ってこと?

 ホ、ホントか! そんな人生ベリーイージーモードでいいのか!



「ど、どんな魔法でもいいのか?」

「ええ、人を消したいみたいな犯罪でなければ大丈夫です」

「そ、そうなのか」


 でも大丈夫か。なんか話があまりにもウマすぎる。始めは用心深くいった方がいいかな。


「じゃあね、とりあえず簡単な魔法で試したいなあ。ううん、どうしようかなあ」


 遠慮なく言ってくださいね、と笑う美都は、キッチンに目を移した。


「あっ、朝ご飯ですか!」

「ああ、今作ろうと思って――」

「はい、食べます! ありがとうございます!」

「まだ何も言ってない!」

 食い意地張ってるなおい。


「一悟さん、何作ろうと思ってたんですか?」

「いや、普通にハムエッグにしようと思ってたけど」

「私は目玉3つくらいでいいです」

「そんなに食うなよ」

 卵3つしかないんだって。



「……あ、じゃあさ美都。この3つの卵、魔法で全部黄身が2個入ってるように出来ない? そしたら6つの目玉半分ずつしようぜ」

「合点です! なんなら5つ黄身が入ってるように交渉してもいいんですよ」

 満面の笑みで親指を立てる。そんな気持ち悪い卵はイヤです。


「さて、では申請しますね」


 ダイニングテーブルの上でノーパソを開く美都。

 女子向きの小さくてかわいいタイプじゃない、母さんが使ってるような銀色のモデル。クローバーっぽい会社のロゴが貼られている。



「そのパソコン、会社のものなんだ」

「そうです、これで社内の申請システムに繋いで、申請するんです」


 IDとパスワードを入れて、キーボード下のクリックボタンをカチッと動かす美都。


「そういえば、美都は今年18なんだろ? 学校とかないのか?」

「中学まではありますけど、高校はないです。就職先はどこかの神社とほぼ決まってるので、高校に行く必要とかもないのかもしれませんね」

「ふうん、そういうものなのか」


 最近担任も進路の話をするようになったけど、ほとんど道が決まっている天界の社会なら、中学まで出て社会常識と協調性をある程度身につければ十分なのかもしれない。



「『魔法申請書』フォームを開いて、と」

 クリックすると、入力スペースの多い画面が出てきた。


「えっと、申請対象者は吾妻一悟、申請内容は『これから割る卵の黄身を全て2つにしてほしい』と」


 声に出しながらキーボードを叩く。なんか、アレだな、ホントにこんなんで魔法がかかるのかな。


「よし、申請完了しました」

「じゃあ割ってみるか」

「ちょ、ちょっと一悟さん!」


 キッチンに行こうとする俺の腕を掴む。


「そんなにすぐ魔法が効くわけないじゃないですか。これから私の申請を部長達が承認して、その申請書が生産部に回るんです。で、生産部が申請を基に魔法をかける相手と魔法の内容を神様に伝えて、神様が魔法をかける、と。どんなに急いでも数分はかかりますよ」

「そうなのか……なんかもっと簡単なもんだと思ってた」


「ファンタジーの世界じゃないんですから、一瞬で魔法がかかるなんて有り得ません」

「魔法がもう十分ファンタジーだよ!」

 それはネタか! 天界自虐ネタなのか!



 とりあえずハムに火を通していると、美都のパソコンからポンッと音がした。


「お、無事魔法がかかったみたいです。一悟さん、割ってみて下さい」

「オッケー。じゃあ先にハムを出しちゃって、と」

 卵を割ってみると、黄身が2つ仲良くフライパンに落ちて揺れる。


「うわっ、2つだ!」


 残りの2つをパカパカ割ると、どちらも双子の黄身。フライパンに6つの目玉が踊り、黄身を包む薄い膜が白く色付き始める。


 こんな現象、偶然で片付けられるものじゃない。


「スゴイな、美都! ホントに魔法だ!」

「へへっ、信じて頂けましたか? あ、私は半熟が好きなんでそろそろ火止めていいです」

「色々台無しにするなよ」


 感動を火加減に抑え込まれ、溜息をつきながら皿に移す。


「うわっほーい! 一悟さん、いっただっきまーす!」

 箸でハムを持ち上げ、「まー」で口に運び、「す」で口を閉じた。どんだけ意地汚いんだ。


「いやあ、おいしいですね! 誰かと一緒に食べる食事はおいしいです!」

「そっか……天界ではずっと1人だったのか」

「いえ、いつも同僚と食べてましたけど」

「俺のしんみりを返せ!」


「あ、一悟さん。あと1分くらいでおかわりするんで、もう少ししたら炊飯器にスタンバイお願いします」

「そんなに急ぐ必要ないだろ!」


 宣言通りおかわりして、ハムエッグを平らげていく。見てるだけでお腹いっぱいだ。


「それで、他に希望する魔法はありますか?」

 皿の黄身を舐めながら美都が聞く。髪につくからやめなさい。そもそも意地汚い。


「んん、どんな魔法でもいいんだよな?」

「もちろんです!」


 こんなことお願いしてもいいのかな……でもこんなチャンス一生に一度しか……。


「よ、よし、そしたら……えっと、じゃあ、じゃあね……く、久瀬くぜさんのはだ……いや、下着姿を見たい!」


 裸と言いかけて止めたあたり、俺も小心者だな。


「し、下着姿ですかっ、はわ、わ、わ」


 急に顔を赤らめる美都。手で顔を仰いで、火照りを抑えている。なんか堂々とセクハラしてしまったな……。


「久瀬さん……あ、久瀬悠雨くぜゆうめさん! えっと、一悟さんのクラスメイトでしたね」



 1年のときから同じクラスで、部活も同じ文芸部の久瀬悠雨さん。


 とても清楚でキレイで美人で横顔がたまらなくステキで、笑った顔なんか殺人的に麗しくて。あまり目立つことは好きじゃなさそうだけど、逆におとなしい男子の隠れファンも多くて。


 倍率高いから付き合うなんて夢のまた夢の物語だったけど! 人生ここでこんなチャンスが!



「そうそう。久瀬さんのことをね、その、好きでさ、ちょっと見てみたいなあ、なんてね、ははは……」


 一応冗談っぽく言って恥ずかしさをごまかす。内容があまりにも即物的過ぎるかな。いいや、男子高校生ならこのくらい普通の願望だ、恥じることはないっ!


「てっきり一悟さんは、幼馴染の反野朱夏たんのあやかさんに興味があるんだと思ってました」

「幼馴染まで調べ済みか、さすがだなあ」

「リサーチは得意ですからねっ!」


 両手を腰に当てて威張る美都。そのポーズ久しぶりに見たなおい。



「まあ朱夏とは付き合い長すぎて、なんかもう親戚みたいな感覚だからな」

「そうなんですね。ふうむ、それにしても下着かあ……」


 冷静さを取り戻し、胸ポケットから手帳を出して何か書き込み始めた。


「一悟さん、一つ質問いいですか?」

「ん、どした?」

「その……なんで裸が見たいって申請しなかったんですか?」

「なっ……!」


 今度はこっちが照れる番。向こうも照れてる。朝から2人で頬を染め合う新手のプレイ。


「ま、まあアレだな。裸を見るなんて良心が咎めるけど、下着見るくらいなら漫画でもよくあるハプニングだし、問題ないかなって、へへ」

「そういうことですか、なるほど。誰かの裸を見られる魔法は男子高生にウケるんじゃないかと思ってましたけど、そういう考え方もあるんですね、勉強になります!」


 さらに手を加速させて手帳にペンを走らせる。

 何だろう、この湧き上がる羞恥心は。



「じゃあ申請します!」

 パソコンを開いて、さっきと同じ画面に移る。

「えっと、内容は『久瀬悠雨さんの下着姿を見たい』ですね」


 声に出しながらキーボードを叩く。もう俺がセクハラしてるのかされてるのか分からん。



「よし、申請完了です。とりあえず、学校に行く準備して下さいね」

「お、おう! ありがとうな!」


 全力で準備しますとも。なんたって、登校したら久瀬さんの下着姿が拝めるんだもの!

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