第21話「丸い密室」



 被害者は、細貝匡史ほそがいただし

 年齢は四十代だということしかわからない。

 何故かという、経歴に不明な点が多々発見されたからである。

 まず、戸籍自体が被害者のものではなく、数年前にホームレスであった細貝匡史から売られたものであり、免許証も偽造、その他のものも偽造か虚偽という謎の人物であったのだ。

 勤め先は、細貝自身が代表取締役を務めるLLCフューチャー・ワークス。LLCとは合同会社の略で、お手軽に設立できるので最近増えてきている会社形態だ。

 フューチャー・ワークスは多角的に事業を経営し、つい最近までは太陽光発電施設を設置し、売買するという事業をメインにしていたが、経済産業省の指針で太陽光の売電価格が引き下げられたことでほとんど撤退している。

 もともとフューチャー・ワークスは再生可能エネルギーの買取が始められたころに、真っ先に手を挙げて、売電価格が現在の二倍以上であったことから莫大な利益を得ることで発展した会社である。

 従業員の数は少ないが、代表取締役である細貝(本名がわかるまで、仮にこのまま呼ぶことになった)の営業手腕とアイデアで様々な事業に手を付け、それらすべてが成功するという有望企業でもあった。

 ここしばらくはバイオマス発電に手を出し、個人の経営する中小企業でありながら億以上の売り上げをだしているらしい。

 田中と梅崎は、フューチャー・ワークスの従業員であり、今日ここにやってきたのは昨日から上司と連絡が取れなかったためだということだ。

 細貝自身の胡散臭さもあってか、この二人もいわゆる堅気には思えない。


「細貝の死因は?」

「ざっと見たところ、首を鋭い刃物のようなもので刺されて即死したものと思われます。凶器らしいものは見当たりません。自分でつけることはおそらく不可能でしょう」

「自殺の線はなしか。死後はどのぐらいだって?」

「正確にはわかりませんが、昨日の深夜から明け方にかけてだと思います(あとで午前三時から四時だろうとわかった)」

「で、裸のまま、シーツらしいものにくるまってここに引きこもっていた理由は?」


 僕はそろそろ運び出されようとしている死体を見下ろした。

 死体は全裸だった。

 部屋の中央辺りにかなり肌触りの良さそうな毛布が何枚もくしゃくしゃになっていて、その真ん中に死体はあった。

 服らしいものはないので、どうやらこの〈例の部屋〉では裸でいるのがデフォらしいことがわかる。

 毛布の他には水の入ったガラスの瓶らしいものがかなりの数転がっていて、他にも乾パンのような非常食めいたものが大量に並べてある。

 一言でいうのならば、核シェルターのようだ。

 ちなみに空調はよく効いていて、丸い空気穴のようなものもいたるところにある。

 石膏のおかげで全体的に白すぎて落ち着かないが、何日間もこもっていられるだけの設備はあるように思えた。

 さらに隅のところにはどうやら水洗トイレらしい陶器が備え付けられていて、どことなく刑務所の独居房チックではある。

 ただ便器らしいものも通常とは違って、何やら丸まっこい変な形状をしていた。

 細貝の死体からでた血で毛布などは汚れていたので、白い室内のそこだけが無残に黒ずんでいるように思える。


「ただ、自殺でないとするとおかしくなります。このけったいな部屋に出入りするためにはそこの楕円形の扉しかなくて、しかもこの扉には鍵がかかってました。あと、この石膏も」


 佐原先輩が跪いて、扉の周辺に散らばっていた石膏の塊のようなものを拾い上げる。

 部屋自体が広いのであまり感じないが、相当な量の塊が同様に散らばっていた。大小遍在して足の踏み場もないぐらいだ。

扉と枠の隙間にもダマのようにこびりついている。

先輩はさらにケチャップを入れるケースのようなものをとりだして、中を見せる。ぬめっとした粘土質のものがこめられていた。


「石膏と接着剤を合わせたものみたいです。内部からこれを扉の隙間に流し込んで固めていたようですね。もともとぴったりとした隙間なのにさらにそれを埋めてしまおうとするみたいにです。わかりやすくいうと、目張りですか。なんていうかガス自殺の現場にいる感じですよ」


 あと、扉の周りに空になったガラス瓶が転がっている。いくつか罅も入っている。

 これが巡査と梅崎が扉を開けたときに聞こえたという音の原因だろう。

 おもいっきり扉を開けてこれにぶつかれば相当うるさい。


「それと、この鍵です」


まだ証拠品としては押収されていない、鑑識用の丸で囲まれた床に落ちている小さい物体を指でつついた。

 防犯用の補助錠のようだ。

 扉そのものには開閉用の把手がついているが、これには鍵穴らしいものがないので、鍵と言えるものはこれだけなのだろう。

 ドアとドア枠の間に平行になった板を差しこんで、捩子をひねることでドアとドア枠を固定するタイプの品物だ。

 ほんのわずかに立て付けを悪くすることでドアの開閉を妨げる仕組みにするというものである。

 本来なら窓に使うものだけど、どうも細貝は把手に鍵がないことからこれで代用していたようだ。

 鍵としてはどうにも実用的ではないが、自分の家につけるとしたら普通かもしれない。

 ただし、広い家屋のこんな部屋に引きこもっている人間にとって鍵なんて必要なのかどうかは不明である。


「これと、石膏が隙間に埋まっていたことから、扉が開きづらくなっていたようです」

「それを無理矢理破ってはいったらガイシャが殺されていた、と。―――なあ、改めて確認するが、本当にドラマにあるような密室ってことでいいのか」

「状況だけを見るとですけどね、藤山さん」


 藤山さんは腕を組んだ。

 そう、これがわりと厄介なのだ。

 完全に他殺と思わしき死体が、けったいな中身の部屋の中で鍵のかかっていた部屋で発見された。

 つまりはよくフィクションでいわれるところの密室殺人事件だ。

 聞いたところでは現実の警察でもたまに遭遇するらしい。

 どう考えてもおかしい状況で殺された死体。

 もっとも、密室自体はさほど厄介なものではない。なぜなら―――


「……密室となると、弁護側がそこをついてくるぞ。物理的に不可能な事件をどうして被告人が可能ならしめたのかってよ」

「そうですよね。以前、警視庁の強行犯係の刑事に聞いたんですが、アリバイとか密室工作って裁判の過程で一番突かれやすいんですって。不可能ならざる事件をどうして起こしえたのか、とか言われて。で、議論の余地なく説明できないとそこを中心的に騒ぎ立てて、見込み捜査だとかいって刑事訴訟法的に叩くらしいっすね」

「違法捜査ってことですか」

「ああ、それが嫌で裁判で証拠隠しなんかしても、もしもバレたら今度はそっちを突いてくる。下手すれば完全に無罪となってしまうんだ。そこらであぶねえんだよ、密室殺人ってよ」

「どうやって密室になったかなんてことは……」

「関係ねえ。名探偵でも呼べば推理してくれンだろ」


 ―――と、まあミステリー好きには夢も希望もない結論だが、現場でこの手の事件に遭遇した刑事にとって、密室殺人なんてこんなものなのである。

 ちょっとした不可能状況があっても、犯人が特定できて、自白が採取れれば問題はないのだ。

 ただし、刑事裁判の過程で問題が噴出する。

 特に裁判員裁判になってからは、この手の知識が豊富なミステリー好きが裁判員にいるとこの辺りが説明できないのは警察による冤罪だと主張することがあるので本当に面倒なことになる。

 だから、できたらやりたくない事件なのだ。

 レストレイド警部や轟警部の気持ちがわかろうというものである。

 あと、ちょっと前のことだが、ある事件を素人の名探偵が解決したということがあったのだが、これの裁判のときに弁護側が「警察関係者以外が事件捜査にかかわっていたことは捜査指揮権を逸脱した行為であり、また任意捜査の逸脱でもある」と主張したためにだいぶ複雑になったことがあった。

 なんというか、現実には推理小説の爽快さは欠片もないのである。


「―――仕方ねぇ。密室とやらの謎は後回しだ。俺たちの仕事は、ガイシャの関係を洗って犯人らしいのを見つけ出せばいい」

「捜査本部の卓は立つんですかねえ」

「係長は立てたがっていたけど、こればっかりは本庁の管理官の考えることだ。まあ、密室殺人だということになればたいていは本部ができるよ。検察からも裁判を見すえた捜査を要求されっからな」

「担当はヤバ姫さまですか」

「そうなるだろうさ」


 そうして、僕らは新しい事件を抱えることになる。

 しかも謎に塗れていそうな怪事件の臭いがぷんぷんしてきて厭な予感が止まらないという……


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