「球形密室事件」
第20話「丸い部屋」
事件が発生したのは、隅田川に近い一軒家だった。
朝、署に出勤してから、昨日までの書類を片づけているだけの手持ち無沙汰な時間が一段落ついたときに通報がなった。
強行班係の全員に聞こえるアナウンスが、「○×町二丁目5番地29の一軒家において男性の遺体が発見されました。刑事課強行班は直ちに現場に急行せよ。繰り返す……」と伝える。
僕は殺人・強盗・誘拐などの凶悪犯罪である強行犯を相手にする強行班係に所属する刑事だ。
僕と藤山さんは佐原先輩の運転で現場へと向かった。
現場の住所については先輩が管内を熟知していたこともあり、迷うことなく到着した。
まったく渋滞していなかったからサイレンはなしだ。
サイレンを鳴らしながら進むと刑事になったという実感があるからとても気持ちいいが、一般市民を無意味に脅かしてしまうこともあり、あまり使わないように指導されている。
現場はそれなりに高い塀に囲まれた一軒家。
すでに門の前に機捜のパトカーと応援のためにかけつけた巡回の自転車が複数停車している。
KEEPOUTを乗り越えて、知り合いの巡査たちに挨拶をしつつ内部に入る。
西洋風の門の内部は殺風景な庭と、白い壁の平屋の一軒家があった。
もともとは通常の感覚でいう庭らしいものがあったようだが、随分と放置されていたのか荒れ果てている。
ただ、普通の荒れ果て方と違うのは、数少ない木々が枯れ果てて、雑草の類いはほとんど見られない、まさに荒野のような様相だということだ。
六月の季節らしい新緑の瑞々しさなどは本当に隅っこにしか見られない。
少なくともこの家に住んでいる人間はこんな寂寥たる光景を毎日目にしてもたいして気にはならない程度の感性の持ち主だということである。
「荒れ果ててんな……」
「庭でバーベキューなんかしたらつまらなくて死にたくなりそうだ」
「道路でやった方がまだ楽しいかもしれません」
先輩達もほぼ同じ感想を抱いたらしい。
玄関まで行き、敬礼をした巡査に中に入れてもらう。
外観は西洋風のわりに、家の中はかなりオリエンタル色が強かった。中国風のタペストリーや敷物、小物などがいたるところにある。
とはいえ、あまりゴテゴテと飾り立てている訳ではなく、それなりに選び抜いているらしく雑然とした様子ではない。
中国人の家かと聞かれたら、うんといいたくなる程ではあるが。
室内を見渡すと、まだ鑑識は来ていないようだ。
そして、この巡査が第一発見者だということである。
「おまえがホトケさんをみつけたのか」
「いいえ。自分は通報を受けて、ここにやってきたところ、この家の住人の部下である人物とともに鍵のかかった部屋の扉を破り、中で遺体を発見したものであります」
「部下?」
「あの方です」
巡査が掌を向けた。
玄関を入ってすぐの客間らしい部屋のソファーに二人の男が腰掛けていた。
痩せと小太りの二人で、どちらも背広を着ていたが、どちらかというとラフな着こなしでまっとうなサラリーマンには見えない。
ともに三十代ほど。
痩せは前屈みになって床を凝視し、小太りは放心して天井を眺めていた。
殺人事件の第一発見者としてはよくある態度であった。
「あいつらの名前は?」
「田中司と梅崎達也。ともに被害者の磯貝慎吾の会社の従業員です」
「被害者は磯貝慎吾でいいのか?」
「はい。自分と梅崎が、磯貝の部屋の中に踏み込んだ時に梅崎が顔を確認しています。すぐに田中もおそるおそるですが、確認してくれました。居間に本人のものと思われる写真が飾ってあり、自分もとりあえず本人であると信じました」
「あとで家族にも確認させよう。指紋でもな」
「―――君が梅崎とガイシャの部屋に踏み込んだ、といったな。どういう状況だったんだ?」
「機捜にも話しましたが、署に通報があり、ちょうど近くを警邏していた自分が駆けつけて、玄関にいた二人に詳しく事情を尋ねました」
「それで?」
―――この巡査の話だと、あとはこうなる。
巡査の応対をしたのは痩せた梅崎で、奥にいたらしい田中を呼び寄せて事情の説明を始めた。
なんでもこの家の住人である上司と昨日から連絡が取れなくなって、朝に押しかけてきたらしい。
田中たちはいざというときのために細貝から鍵を預かっていたので、中に入り、玄関から上司に声をかけた。
だが、一向に返事がない。今日中に決済を貰わなくてはならない案件があるうえ、上司にとても奇妙な癖があることを知っていた二人は何か異変があったのではないかと無礼を承知で家に上がったという。
それから、各部屋を廻ってみたが上司の姿はどこにもない。
残っているのは、〈例の部屋〉だけになった。
〈例の部屋〉は内側から鍵がかかっているらしく、ノブの代わりの把手をひねってもまったく開く様子がない。
となると、この中に細貝がいるにちがいない。
ただ、上司の奇妙な癖を知っている二人としては〈例の部屋〉の中に閉じこもっているだけですでに何かがあったとしか思えなかった。
しかし、強引に扉を開けて中に入るだけの度胸はない。
困った二人は警察の助けを求めることにした……
―――というわけである。
おおよそはわかった。
ただでさえ、緊急事態だと判断したとしても上司の家に無断で入り込んでいるのだから不法侵入(刑法130条)を問われるおそれがあるので、警察を介入させるということに間違いはない。
だから、二人の行動はごく当たり前のものである。
もっとも、不可思議な点はあった。
「〈例の部屋〉ってなんです?」
思わず口をついてしまった。
対応している巡査が何度か繰り返すこの単語に引っかかってしまったのだ。
話からすると、ガイシャの細貝の私室のことだと思われる。
だが、「例の」とつけるとそれだけで怪しい雰囲気になる。
少なくとも無視していい感じではない。
「えっと、田中によると細貝がこの家を購入した五年前に改築した、寝室とは違うプライベートルームらしいです」
「趣味の部屋ってことか」
「……うーん、あれを趣味といってしまっていいのか。とにかく、実際に御覧になってくださればわかります。そうとしか言えません」
巡査は歯にものがはさまったような物言いをした。
よっぽど説明しづらいものなのだろうか。
僕は少しだけ気になった。
と、同時にいやーな予感がした。
こういうあまり一般的ではない反応を相手が示した場合はたいていろくなことがいないのだ。
僕はよく知っている。
例えば、全身丸焦げの死体が見つかったときとか、ゴミ屋敷の中にどうやってかわからない死体が放置されたときとか、わけのわからない精神疾患をもった人殺しが起きたときとか、そんな過去の経験が教えてくれる。
「こちらへどうぞ。……梅崎に案内されて、自分は〈例の部屋〉の前に行きました。ここです」
かなり広い家の中の一番奥の部屋の戸の前へと案内された。
途中で被害者のものらしい書斎の前を通ったが、ドアが開け放たれていて中が見渡せる。
本棚があり、背表紙が漢字だらけの本が詰め込まれている。装丁の具合からして漢籍の書物ではないかと思った。
僕はこの時点ではまだ細貝のことを中国関係の学者か何かと考えていた。
案内された先にあったのは、予想とはまるっきり違う戸だった。
そこにあったのは、丸い、マンホールが壁についたかのような扉だったのだ。
似たようなものでいうと銀行の大金庫かもしれない。
高さ二メートルほどの楕円形の扉が設置されている。
他の部屋が豪奢ではあったが、一般的な形状をしているのに比べて、ここだけが異彩を放っていた。
「この奥です。最初にノックをしましたが返事はなく、この把手をガチャガチャやっても開く気配はありませんでした。そこで仕方なく自分たちは身体をぶつけて押し開けることにしました。梅崎がいうのには、鍵そのものはたいしたものではないはずなので強引にやれば開けられるということだったので」
「それは、あんたたち三人でか?」
「最初は田中も手伝ってくれていたのですが、扉のサイズの関係で最終的には自分と梅崎でやりました」
「で、扉が開いたと」
「はい。開けたと同時に凄い音がしました。内側に向けておもいっきりよく開いた扉が室内にあったものを弾き飛ばしてしまったので」
「なるほど。鍵が開いただけじゃなくて何かで支えられていたのか」
「……中を見ると、部屋の中央に男が倒れているのが見えました。流れた血で真っ赤で、明らかに死んでいるだろうとわかりました。自分は梅崎たちを残して、室内に入り、倒れている男が死んでいるのを確認しました。まだそのままなので、現認していただけると助かります」
そういって、巡査は室内に入り、僕らも続いた。
そして息を呑んだ。
「なんだ、こりゃあ……」
「うわ、おいおい」
「マジですか……」
一歩、内部に踏み込む前から僕らは異変に気が付いていた。
細貝という男が中で血まみれで倒れているということよりもなにより、室内の異常さに。
この部屋は丸かった。
正確に言うと、もともとは学校の教室の半分の広さ(だいたい十六畳程か)がある一般住宅には不釣り合いなサイズの部屋の四隅、天井と床と壁を含めた角の部分が、すべて石膏のようなもので丸く成形されて、まるで蛾の白い繭の中に閉じ込められてしまったかのような錯覚を覚えたのだ。
よくよくみると、ただの石膏というよりもDIYで使うような粘土などが混じり合ったもので埋めたのだとわかり、床と天井の一部を除いて、ほぼすべてがまん丸になっているが出来上がりはあまり綺麗なものではない。
作業そのものが手慣れていない素人によるものだとすぐにわかる。
しかし、そこには僕らにもはっきりと見て取れる狂気があった。
異常なまでの執着があった。
それは圧倒的なまでの恐怖にも似ていた。
「―――なんだよ、このおぞましい部屋は……?」
倒れている遺体よりも何よりも、僕にはこの部屋を作った人間の心の有り様が恐ろしかった。
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