第22話「ガイシャの謎」



「……ですからあ、細貝社長は飲むたびに言ってたんですよ、俺は奴らに狙われているって」

「そこはわかった。だから、何から狙われてたのか、とこっちは聞いてんだ。細貝を殺したがってたのは誰かってことをよ」

「さあ、社長は犬みてえにしつけえ連中だとは言ってたけど名前や素性までは教えてもらえなかったから……」

「じゃあ、どうして狙われてたかのかってのはどうだ? 殺すほどの理由なんて、そんなにないだろう」

「強引な人だっだけど、恨まれるほどじゃあねえとは思う。仕事の指示もイミフなのは多いけど、後で考えたらさすが社長だなって感じのものおおかったし。俺らへの給料の払いも太っ腹だったし」

「ところで、おまえ、前にどこぞのプロレスの興業に関わっていたらしいじゃねえか。ヤクザと繋がりあんじゃねえのか」

「―――な、なんのことだよ!?」


 藤山さんがLLCフューチャー・ワークスの従業員の田中司を絞りあげていた。

 今朝の細貝匡史殺人事件のあとで関係者の素性を簡単に洗い出したら、この田中についてもと八百長プロレスで反社会的組織の関与を疑われた興業会社に勤めていた事実が判明したのだ。

 警察は前科のあるものと反社会的組織の関係者には厳しい。

 田中と梅崎の二人は社長宅の合鍵も持たされていたことから、追及もことのほか厳しいものになった。

 一時間ほど追及されたのち、次は例の問題について質問された。


「おまえらのいう〈例の部屋〉だけど、なんで細貝が殺されたとき密室になっていたかわかるか? わかるんなら、教えろよ。密室殺人事件なんだぞ、密室殺人事件」

「知りませんよ。第一、社長は〈例の部屋〉にこもることがきまったら二三日は絶対に出てこないって俺らもわかっているし」

「じゃあ、どうして今日に限って無理矢理に扉を開けようとしたんだよ。ガイシャは殺されるかもしれねえって怯えてんだろ。それを引き摺り出す気だったのか」

「違いますって。普段なら、社長は閉じこもっても外から声をかければ返事はくれたんですよ。スマホとかは持ち込まないから電話もメールもLINEも通じねえけど、壁越しに口で仕事の指示はくれたんだ。だのに、今日に限ってまったく返事はしないし―――」

「しないし、なんだよ」

「いつもなら、こもるってことになったら、それなりに合図みたいなのはくれたんだけど今回は何もなかったから……」

「そりゃあ、忘れてたか、急いでたんだろ」

「そうかなあ」


 田中の方は半グレっぽさと察しの悪さが同居しているようなタイプで嘘をついているのならば相当な演技派に思えた。

 逆に、梅崎達也の方は痩せっぽちの愛想の悪い男で、


「なんで密室になっていたと思う?」

「知りません」

「細貝を狙っていたという連中について聞いたことは?」

「社長の被害妄想だとばかり思っていました」


 などと取り付く島もない。

 無名とはいえ大学の経済学部出で、しばらく資格試験を勉強していたがものにならないので諦めてフューチャー・ワークスに入社したらしい。

 半グレ出身の田中とはまさに凸凹コンビといえよう。

 梅崎の方は細貝が〈例の部屋〉を作って時折引きこもっていたのを精神的な病気のようなものと断じていたらしく、あまり気にしていないようだった。

 社長命令を破って、警察を呼んで扉をこじ開けようとしたのも、一種の荒療治で社長に妄想から目を覚まさせようとしたためと供述している。

 なんとなくインテリ臭さが強く、田中と違いあまり胡散臭い細貝のことを尊敬してはいなかったようだ。

 供述の内容そのものは田中のものとほとんど変わりがない。

 違うのは視点ぐらいのものだ。


「やったとするのなら、この二人のうちのどっちかか?」

「だったら、密室なんて作らないんじゃないですか。自殺に見せかけるならばまだしも、凶器もないし、細貝が自分の喉を刺したって跡もないんですから」

「まあ、推理小説ならどっちがやったかを理論的に特定してそれで終わりですがね」

「これは現実の事件だぜ、佐原。どっちかがゲロってくれた方が早いってもんだ」


 とりあえず、最も疑わしい二人の任意の取り調べは続けるとして、


「藤山さん、捜査本部の卓が立ったみたいです。五階の会議室へお願いします」


 警視庁からきた一課の刑事のために、会議室を片づけて、お茶の準備をしていた事務の婦警が僕らを呼びに来た。

 よし、刑事らしいシーンの始まりだ。

 顔を軽く叩いて気合いを入れ直した。



            ◇◆◇



「ガイシャの細貝はよく「俺は付け狙われている。だから、何か予兆があったら〈例の部屋〉に隠れるようにしているんだ。そうすれば奴らに見つかることはない。経験上、三日も大人しくしていればしばらくは見つけられなくなるしな」と周囲に言っていたようです。細貝の財産を調べたところ、似たような内装にしている部屋を、あと二つ所有していました」

「その場所は?」

「新宿と品川。細貝が仕事でよく訪れる地域です。彼からすると、付け狙っている奴らの気配を少しでも感じたらすぐに〈例の部屋〉に駆け込めるように準備していたということです。ちなみにどちらも自宅同様一軒家です」

「そっちも調べたのか?」

「細貝の死んでいた部屋とほとんど一緒で、違いは普段の生活用の家具なんかが置いてないという程度でした」

「―――で、誰に狙われてるってんだ? ヤクザか? それともヤバい外人とでもつきあっていたのか?」

「無料低額宿泊所の経営とか、いわゆる貧困ビジネスにも手を出していたので、そっち関係から暴力団とのつながりを追っています」

「それ、無料なのか低額なのかどっちなんだ」

「さあ。国の方針でそういう名前になっているだけで、実際に無料にはならないようです。生活保護受給者なんかが住んでいますけど、わりと悪質な業者が多いみたいですね」

「太陽光発電業者じゃなかったのか、ガイシャは」

「手広くやっているみたいです。総資産は五億を越えているようですね。もともと、東北の震災直後の再生エネルギーブームにのって荒稼ぎしたのが最初みたいです」

「その前は何をしていたんだ」

「まだ、不明です」


 報告を終えて佐原先輩が席に着いた。

 次に藤山さんが、容疑者となった田中と梅崎の取り調べ内容を報告する。

 まだ半日程度しか経っていないので情報は確度の低いものばかりだが、それでも初動の捜査としてはそんなにずれてはいないはずだった。

 強行班係はやる気に満ちていた。

 なんといっても久しぶりに立ち上がった捜査本部だ。

 僕ら所轄の強行犯専門チームはそれぞれ警視庁捜査一課の刑事たちとペアになって事件を追うことになっている。

 一課からやってきた熊さんこと大熊管理官の指揮のもと、びしっとしまった空気が心地いい。

 不謹慎なようだが、これぞ刑事という感じがして誰にも言わないけれど僕は好きだった。

 この顔見世的な報告が終われば、僕はペアを紹介されて細貝を怨恨の線で捜査することになる。

 まずは、LLCフューチャー・ワークスの従業員から調べていって……


「おい、久遠」

「はい」


 熊さんに呼ばれて立ち上がった。

 うちの署あたりの管轄での事件はたいてい熊さんが管理官になるので、下っ端の僕なんかのことも覚えていてくれているようだ。

 身が引き締まるような思いがする。


「―――おまえ、警視庁ほんしゃまでいって、地下のD区画にひとこと伝えて来い。それが終わってから捜査に合流しろ」

「なっ!?」


 絶句してしまった。

 警視庁のD区画って……

 

「信仰問題管理室……ですか」

「おう。現場のおかしな様子から見て、何やらイカれた臭いがする。ただの気狂いの仕業だろうが、とりあえずこの手の妙な話はあいつの耳に入れておかないと、変に首を突っ込んでくるかもしれねえからな。―――それだきゃあ、嫌だ」


 熊さんはとてつもなくいやそうに顔をしかめた。

 そりゃあ僕だって嫌だ。

 たった二人しかいない部署の信仰問題管理室に行くってことは、すなわちあの降三世明警視に会いに行くってことだからだ。

 ふと周囲を見渡すと、藤山さんや佐原先輩だけでなくほとんどの刑事たちが僕を気の毒そうな目付きで見ている。

 物凄くいたたまれない。


「しかし、今回の事件では別に……」

「これが普通の密室殺人程度なら構わないが、おまえ、てめえの家の部屋を石膏でまん丸にして閉じこもるなんて奴を他に見たことがあるか? ……つまりはそういうことだ。もしかしたら出てくるかもしれないねじ曲がった釘の頭は最初っから用心のために叩いておくのにこしたことはねえだろ」


 あとで聞いた話だが、最近、警視庁の捜査官の非公式のガイドラインとして、「これこれこういう事由があったら信仰問題管理室に一言だけでも連絡しておく」というものができあがりつつあって、細貝の件はどうもそれに引っかかっていたらしい。

 そうでもしないと、どこからか嗅ぎつけてきて茶々を入れられることがあるので、その予防のために捜査官たちが独自に決めたルールだということだ。

 文書で正式に通達されたものではない。

 しかし、そこには数々の人たちがいたるところで苦労させられてきた血のにじむような苦労が察せられた。

 ただでさえ忙しい事件の捜査に余計な手間をかけさせるな、あの変人め。

 

「わかりました。さっさと報告して切りあげてから、捜査に戻ります」

「悪いな。実のところ、あいつんとこにはメールさえ送りたくねえんだ」

「―――ですよね」


 思わずタメ口になってしまったが、誰からも咎められなかった。

 内心、みんなでそんな風に思っているのだろう。

 あと、面倒なことは下っ端に押し付けてしまえばいい。

 そんな思惑も雰囲気となって滲み出ていた。



           ◇◆◇



「―――お構いもできずにすみません、久遠巡査長。お疲れ様です」


 機械的に差しだされたコーヒーと、内容的には慰労されているはずなのに棒読み口調なせいでいっさい労わられている感じのしない挨拶に出迎えられた。

 表情筋がついていないんじゃないだろうかと思うぐらいのポーカーフェイス、健やかなまでの褐色の肌、生え際までカミソリが入っている丁寧に整えられたヘアスタイルの警察官らしからぬ人物―――降三世警視のたった一人の部下である吉柳鳶彦きりゅうとびひこである。

 出入りしているのがばれると僕まで警視庁の面々におかしな目つきで睨まれるので、こっそりと忍び込んだ地下二階D地区の信仰問題管理室に目当ての人物はいなかった。

 警視でしたらもう少ししたら戻ってこられます、という吉柳の言葉を信じて僕は応接セットの椅子で待つことにした。

 正直な話、ツラい。

 何故かというと、この部屋独特の独特の古書やら怪しげな物品やらのかび臭さが空気に浸透していて、剥き出しの皮膚にまとわりついてくるのだ。

 臭いそのものには無頓着な僕でもこの不快感までは無視できない。

 見る限りガンガンにエアコンが効いているはずなのだが、なんというか底冷えのする妖気が漂っているような気持ち悪さもあって、とてもではないが長居したい空間ではなかった。

 しかも、もてなしのコーヒーを出してくれたのが、吉柳では―――


「しかし、巡査長も変わったお方だ」

「何がですか?」

「警視のもとにわざわざ訪ねてこられるというだけで奇々怪々なのに、わたしとも面と向かって対話をすることができる。エイボンの魔導士でもそうはおられない珍しい人材です」

「……さりげなく真面目にディスられていることはわかる」

「いいえ、褒めているのです。人間ヒトとはまことに不可思議な物体であります」


 吉柳は自分の素性を知っているのに平然としている僕に一目置いているようだった。

 ところがどっこい、そんなはずがない。

 僕はすぐにでも信仰問題管理室の室内から逃げ出したくて仕方ないのだ。

 ここに座って、吉柳と口をきいているのは単に腰が抜けそうなぐらいにぶるっていて立ち上がれないというだけの話だった。


『こんな、殺人鬼だけでなくて化け物と悪魔と怪人で変態な上司がいるような場所に居られるか! 僕は一人にさせてもらう!!』


 と、叫び出したいのを必死にこらえているのだ。

 だいたい、絶対に吉柳の淹れたコーヒーなんて口にしてたまるものか、と思っているのに僕はなぜかカップをつまんで少しだけ飲んでしまった。

 ……もしかしてマインドコントロールでもされてしまっているのだろうか。

 正直、恐ろしくてどうしようもない。


「ところで、巡査長はどうしてこんな地下の涯までお越しになられたのですか」


 僕の胸中を慮れないのか、吉柳が普通に世間話をしてくる。

 本人的にはおもてなしをしているつもりなのだろう。

 でも、お願いだからさっさと向こうに行ってくれないもんかな。


「うちの管内で起きた球形密室殺人事件についての捜査です。一課の管理官があなたの上司にも一言伝えておかないと邪魔をされてはたまらないということで、その使者としてです」

「おお、球形密室殺人事件とは―――」

「……ご存知なのですか」


 球形密室殺人事件とは、細貝の事件について捜査本部が定めた仮名だ。

 警察では事件ごとに区別しやすいように、こういうわかりやすいネーミングをすることが多々ある。

 例えば、「両国モヒカン男強盗事件」とか、すぐに事件の内容が思い出せるようにして効率を図っている。中にはふざけてんのか、ってネーミングもあったりするが関係者が内容を一瞬で想起できればそれでいいのである。

 今回は、部屋の四隅と角を石膏で埋めて、角度をなくした部屋での密室殺人であるから、そう呼ぶことになったのた。

 細貝の〈例の部屋〉は、出入り口は一つしかなく、しかもその扉には中から頼りないものの鍵がかかっていたうえ、扉と枠には水溶性の石膏と接着剤を合わせたものが丁寧に流し込まれて固定されていた。

 扉の前に置かれていた空き瓶は、もし戸が開いて侵入者がやってきた際の鳴子の役割を果たしていたのだろうというのが本部の見解だ。

 強引に押し込めば、警官と梅崎らがやったように鍵を強引に外して開けるしかない。

 実際にむりやりに補助錠を外したらしい跡は残っていた。

 だから、犯人としては扉以外のから脱出するしかないが、空気穴もエアコンもトイレさえ、既存のものではなくオーダーメイドで作られたまん丸い奇妙なもので、どこからも出られそうな様子はなかった。

 隠し部屋とか通路も探したが、まったく見当たらない。

 そこで、捜査本部として密室性などは最初から完全に無視し、犯人の目星をつけてそいつの自白を採取することで打開を図る方向性になった。

 ふじやまさんが最初に言っていた通りに密室の謎解きなどマニアにでも解かせておけばいいという判断である。

 確かに、そんなところに固執して解決までの時間を長引かせるのは良くない。

 僕は大熊管理官の方針に賛成だった。


「いいえ、そんな事件が起こっていたことすらしりませんでした」

「じゃあ、なぜ、そんな口ぶりで」

「面白い事件が大好きなんですよ、わたしは」


 おめえ、感情あるんじゃねえか、とツッコミたくなるような響きがあった。

 ただ、それがどんな感情に基づくものなのかはわからない。

 歓喜か、怒りか、嘆きか、恐怖か、それともまた別の何かなのか。

 なにしろ、吉柳の正体と来たら……


「もし、よろしければわたしが巡査長にご助力いたしましょうか?」


 なんだか知らんが食いついてきたぞ。

 妖しい。

 どう考えても怪しい。


「別に吉柳くんに手伝ってもらう程のことでは……」

「いえ、球形にできた密室で事件が起きたというのならば、わたしの助力なしではもしかしたらあなたに恐ろしい危害が及ぶことになるかもしれません。ここは是非とも、わたしの助けが必要なのでは?」

「……いや、別に、助けなんて」

「そこを是非」


 グイグイくるな、おい!!

 普段の潔癖症みたいな態度はどうしたんだ?

 しかも、吉柳は僕の前に回りこみ、退路を塞いだ。応接椅子から立てない。

 やめろ、頼む、来るな。肩に手をかけるんじゃない。払いのけられないほど力をこめるな。それから、そんなに顔を近づけないでくれ!! ああ、ああ、なんてことだ。おまえの顔は―――眼の毒以外の何ものでも……なく、そして……


「やあ、お待たせ、久遠くん!! 私の職場へようこそ!!」


 僕はへその緒を切ってから初めて神というものを呪ってしまったかもしれない。

 神が存在していたとしたらの話だが。違う。いようといまいとそんなことはおかまいなしだ。なにしろ、僕は絶対に認めたくない思いを抱いてしまった。屈辱的で三千世界から逃走したくなる思いを。

 すなわち、僕は―――


「降三世警視、お疲れ様です!! お待ちしていました!!」


 この変人がやってきたことに、のである。


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