21 ソルトの狩り
切り傷から滴る血が、ヒュドラの足下を濡らしていく。
四つの瞳に狂気的な光を帯びたヒュドラは、反らすこと無く視線は確実に目の前に立ち不適な笑みを浮かべる一人の少女に注がれている。
故に、自分には気づいていないのだろう。
青い青年は、静かに笑みを漏らす。
「魔物化しても、アイツは変わらねぇんだなぁ」
ヒュドラが黒い瘴気を放つ原因はよくわからないままだ。
しかし、それは確実に神話生物を凶悪化させるもので、どうやら元凶の魔女キルケを復活させようとする者たちが関わることが多い。
明らかに。
それを知る者はこの状態にある神話生物を「魔物化」と呼ぶ。
それは昔の文献にてキルケが出現させた神話生物が「魔物」と表現されているからであろう。
否、キルケが出現させた魔物が神話生物であったからという方が正しいのだろう。
どちらにせよ、凶暴化し、凶悪化し、狩人たちを苦しめていることは事実なのだ。
「…じゃ、これ以上長居は無用だな」
少女は今、自分で歩き始めた。
それを邪魔する者はどこにも居ないし、邪魔できる者も居ない。
少女はどこまでも、歩いていくのだから。
***
ソルトは確かな手応えを感じつつあった。
属性が増えただけでなく、俊敏さも上がり、動きも通常の神話生物とは違う。
故に相手をしにくかったものの、慣れればどうということはない。
相手に合わせて、こちらも動く。
相手が攻撃を仕掛けてくれば躱し、できた隙に斬撃を入れていく。
たったそれだけで相手は弱っていくものだ。
簡単に言えば簡単に聞こえるが、存外難しいものだ。
洞窟の地形もあるし、足場の善し悪しもある。
しかしソルトは、そのやり取りに楽しささえ覚えつつあった。
ヒュドラの咆哮。
何度目だろうか、そろそろ聞き飽きた頃だ。
しかし確実にその声にも力が無くなってきている。
だけどこちらも、そろそろ限界に近い。
ソルトは動きを変え、上へと飛び上がった。
刀が届く、ぎりぎりの高さの跳躍。
ソレに合わせてヒュドラは首を廻らせた。
「…好機っ!」
斬撃が真ん中の首を襲う。
今まで蓄積されていたダメージのお陰か、簡単に、頭と首が別れを告げた。
痛みからか大きく身を反らすヒュドラ。
立ち上がるまでの隙に、もう一本の首に斬撃を加える。
まだ、まだ、もっと。もっと。
まだ足りない、もっとだ、もっと。
ソルトは切れる息をのみ、疲労によって震える足を動かす。
無理矢理足に力を込め、前に踏み出す。
ヒュドラも同じく、立ち上がるまでに時間がかかる。
ヒュドラもソルトも疲労しきっていたのだ。
『…なぜ』
「…え」
『…なぜ、我らは生まれたのだ』
その声に聞き覚えは無かったが、ソルトはそれがヒュドラのものだと確信した。
戦友、と言っても良いかもしれないほど、やり取りを行った相手にヒュドラもまた、疑問をぶつけているのだと。
『なぜ』
「決まっているわよ」
ソルトは声を絞り出し、高く高く跳躍した。
おそらく、最後の跳躍。
刀が、その斬撃が線を描いてヒュドラへと突き刺さる。
「あなたが、私に狩られるために」
『…なるほど。ならば納得がいく。見事だ、人間』
落ちた首は、最期に笑ったと、ソルトは錯覚した。
ソルトもまた、笑みを零した。
「私の名前はソルト。神話を狩る者。楽しかったわ」
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