三章 異変の始まり
16 夢
『お待ちください———様!わたくしは貴女と———で——!』
『リーブス』
暗い場所で、青年と美しい女性が言い合いをしていた。
青年は虚ろであるが殺意に満ちた瞳をしており、目の前の女性を見上げていた。
女性は、尖った耳につけた金色のイヤリングを揺らし、愉しそうに笑うのであった。
『わたくしは貴女を置いてはいけません!』
『おおリーブス。そこまで私に尽くしてくれるとはの。…しかし、致し方ないことだ』
クク、と口元を手で隠し、縋る男性、リーブスを見下ろす。
『貴様は私の理に叶った者であった。だから、こんなことはしたくなかったのじゃ』
見下ろしたその瞳に宿るは狂気。
黒い淀んだ気配を放ち、汚れたものでも見るような目でリーブスを見下ろしていた。
『————様———!?』
『永劫の未来の中、我に尽くせ、リーブス。さもなくば我は貴様を赦しはせぬ』
赤い、紅い鮮血が、その場所を朱の色へと染めていく。
返り血を浴び、美しい女性は高らかに、気が狂ったように、嗤い続けていた。
* * *
「………ゆ、夢…?」
ソルトが目覚めたのは、鳥が歌う朝早い時間であった。
布団を持ち上げ、起き上がる。
ふと横を見れば、水色の髪を窓から吹き込む風に揺らす美青年がいた。
「………よお」
「……!?」
驚きを隠すことは叶わず、思わず立ち上がるソルト。
青年は、口の端にほのかに笑みを浮かべているだけであった。
鋭い目つきは、鷹を思わせる。
「誰なの…」
「俺はアン。ソルト、テメェは今、何を見た?」
突然の問いかけに、身を固くする。
神秘的な雰囲気を放つ青年をどうにかすることなどできない。
本能で、そう感じていた。
「女と…男が……言い合いしてたわ」
「……リーブスか…」
夢で聞いた名前を聞いて、ソルトは目を丸くする。
どうして、彼が知っているのか。
それはソルトにはわからない、一生かけてもわからないのではないのかと不安にさせることかもしれなかった。
「それが、どうしたの…」
「いや。悪かったな、寝起きでだなんて。じゃねェと、お前の保護者に見られるしなァ」
保護者とはガルドとカイルのことだろうか。
ソルトは適当な言いように少し眉が寄る。
「おっと。じゃ、俺はそれだけだ。……しょうがねえから、見ておいてやるよ」
すっくと立ち上がり、扉へと向かうアンは、後手に言葉を残した。
扉の陰に隠れ、ソルトが我に返り追いかけようとしたところ、しかし扉の向こうには誰も居なかった。
否、誰かがいたという形跡さえ、なかったのだ。
「何者…なの……?」
「何かあったのかしら、朝から騒がしいのよ」
お気楽な声が聞こえ、その方向を見ると、ラフな格好をし、ふわりと欠伸をする少女がそこにいた。
いつもと比べて質素なネグリジェに身を包み、髪は下ろしているのだ。
「…ルピス…」
「幽霊でも見たって顔かしら。」
ソルトは変わらぬその表情をみて、ついクスリと笑った。
「……ルーになにか着いてるかしら?」
「なんでもないわ。…散歩にでも行く?」
「…じゃあ、ちょっとだけ」
1日はまだ、始まったばかりである。
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