第七話 二人の兄弟

「それってどういうことですか!?」


 しばらくの後、言語能力を取り戻した眞白がアキへと詰め寄る。

 そんな眞白をまあまあと、ワトソンがなだめた。


「眞白、落ち着けって」


「これが落ち着いていられるかって。僕には好きな人がいないんだぞ。この渇きをどうやって癒せばいいんだ」


 眞白は先ほどから自分の体が訴えてくる喉の渇きにイライラしながら言った。


「あら、言ってなかったかしら? 動物の血なら飲めるわよ」


「え? そうなんですか?」


 眞白の様子を見たアキがあっけらかんという。


「ええ。じゃないと、私たちすぐ死んじゃうでしょ」


「よ、よかったー」


 眞白はほっと胸をなでおろす。

 動物の血はあまりおいしいものではないが、飢えはしのげる。


「眞白さん、お食事をどうぞ」


 その言葉とともに、マスターがバーへとつながる扉から部屋へと入ってきた。

 手にもつトレーには、サンドイッチと真っ赤な液体の入ったワイングラスだ。


「それは?」


 うずうずしながら尋ねる眞白に、マスターは微笑みながら答える。


「ヴァンパイア協会規定HIV検査済みの豚の血ですよ」


 吸血鬼の飲食する物には、HIV検査が欠かせない。

 なぜなら、吸血鬼はそのウイルスに人よりもさらに弱いのだ。

 感染したら最後、抗う方法は一つもない。

 そのせいで、仲間を一人失ったのだから眞白たちの間ではなおさらの注意事項だった。


「いただきます」


 マスターの答えを聞いた眞白は、すぐに豚の血液の入ったワイングラスへと手を伸ばす。


「ナイスタイミングですね。マスター」


「ええ。それで、眞白さんは認めましたか?」


「それがねぇ。本人に自覚がないようで」


 眞白は、あまりおいしいとは言えない豚の血で喉を潤しながら、二人の会話を聞いていた。しかし、なんだかだんだん不穏な空気になってきたので口をはさむ。


「認めるとか自覚とかってなんの話ですか?」


 そう聞いて、また豚の血液を一口飲んだ。


「眞白さん、吸血鬼は恋をしないと覚醒しないのですよ」


 そしてその、マスターの言葉で噴き出す。

 幸い、眞白が噴き出した先にはワトソンしかおらず、大事には至らなかった。


「おい、何をするんだよ!」

 

「それって、僕が恋をしてるって証拠に……」


「なるよねー、童貞の眞白坊ちゃん」


 アキがにやにやとしながら言う。


「おい、無視するなって!」


「ああ、ごめん、ワトソン」


 眞白は適当にワトソンに謝ると、アキとマスターに向き直った。


「適当に言いやがって……」


「マスター、間違いで覚醒したヴァンパイアって今までいなかったですか?」


 眞白の問いにマスターは首をかしげて考える。


「私の知る限りでは、一人も」


 眞白はマスターの言葉に、弱々しい声で返す。


「どうしよう恋、して……るのかな」


「まずは、その相手を見つけないとですね」


 アキが息巻く。眞白は、その勢いだけでげんなりしそうだった。


「恋する相手を襲って血を飲まないといけないなんて」


 うなだれる眞白。


「あら、そうでもないわよ?」


 そんな眞白の言葉を、アキが否定した。


「パートナーに了承して血をもらえばいいのよ。一回ヤッちゃえばば、大抵血なんてもらえるわよ」


「そんなわけないじゃないですか!?」


 呆れなれながら言う眞白。


「いや、事実我々はそうして、パートナーと信頼関係を築き、血を分けてもらってきたんだよ」


 マスターの言葉に眞白は唇を噛む。

 そうかもしれない、そうかもしれないが僕は恋する相手も知らないんだ。

 胸の前で腕を組んで悩んでいた眞白だったが、急にその場にいないトウマのことを思いだし、二人へと尋ねる。あんまりモテなそうなトウマならいい方法を教えてくれるかもしれないという、期待も込めて。


「そう言えば、トウマさんってどうしたんですか?」


 眞白の問いにマスターが答える。


「トウマ君なら、君の担任教師を送りに行ったよ」


 眞白は、その一言に慌てて立ち上がる。


「それ、まずいじゃないですか!」


 そして、ラボを急いで出ようとしたが、アキに止められる。


「眞白坊ちゃん、何がまずいの?」


 眞白は止めるアキにイライラしながら言う。


「だってあいつ、ユウマさんのかたきの家族でしょ!!」


 眞白の言葉に後ろから笑い声が聞こえてくる。


「それは違うよ、眞白君」


 それは、トウマの声だった。

 眞白はこわごわ振り向く。

 そしてそれと同時に、トウマが担任教師の兄である敵のソイツを刺し殺していた場面を思い出す。それは、トウマの”弟”であるユウマの敵だったからのはずだ。何が違うというのだ……。


「眞白さん、先ほどの話と照らし合わせてみてください」


 眞白はマスターの言葉をきっかけに思考を巡らす。


「吸血鬼は恋する人間の血しか飲めない……まさか!?」


 眞白は気づく。吸血鬼が恋する人間の血しか飲めないならば、ユウマはなぜ担任の兄の血を飲んだのか。


「……それは彼が同性愛者だったから?」


 そして眞白は気づく。


「ユウマさんは、恋した彼が感染者だと疑いたくなかった。だから、検査をせずに血を飲んだ。そして、彼はヴァンパイアが最も苦手とするHIVウイルスに触れ、死んでしまった……でもそれならなんでトウマさんは、彼を殺して?」


「俺は彼を殺してはいないよ」


 トウマは苦笑しながら言う。


「えっ」


「自殺だったんだ」


 悲しげにつぶやくトウマ。


「彼は、弟の死に悲しんで死を選んだ。眞白君が、俺が殺した、と思ったのは、俺がナイフをひきぬく現場を見ちゃったからだね」


「はい」


 眞白は、どこへ行くのかわからないトウマの独白を聞き続ける。


「俺の能力は治癒能力でさ。でも直すのに条件があるんだ。外傷を与えた凶器が体に触れてると治せない。だから……」


「ナイフを引き抜いた……!」


 トウマの言葉を引き継いで眞白が言う。

 眞白の目には、いつの間にか涙が浮かんでいた。


「僕、仲間を疑うなんて」


 眞白は後悔し、大きく傷ついていた。

 自分の勘違いを深く責める。


 彼の目からは際限なく、涙が流れてきていた。

 人の死に近いヴァンパイアだからこその疑いだが、自分を許せるものではなかった。彼は、泣き崩れる。


 そんな眞白の背中をゆっくりとなでるマスター。


「眞白さん、過去のことに拘って立ち止まっていても何もいいことはありませんよ。先へ進みましょう。できることからみんなで協力していきましょう」


「ありがとうございます」


 眞白は泣きながら答える。そして……


「とりあえず、眞白坊ちゃんの初恋の相手を探すのが最初ね!」


 アキの楽しそうな物言いに、眞白の涙は一瞬にして引っ込み、顔からは血の気がなくなるのであった。

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