第六話 大人の階段

 「ユリア!?」


 叫び声とともに眞白は目を覚ました。

 体を起こした彼が見た光景は、たくさんのモニターに映る様々な人だった。

 ただ、目覚めたばかりで視力が戻っていないのか、モニターの中の人を判別することが出来ない。

 倒れる直前の記憶もおぼろげだった。


「あら、眞白目が覚めたの?」


 モニターに映る人間の中の一人が、眞白に話しかけてくる。


「え、あ、はい」


 姿は見えない。が、その声はアキの声だった。

 眞白はしどろもどろになりながら答える。その答えとともに、モニターからはアキのシルエットが消えた。


「眞白ー。大丈夫か?」


 ワトソンを連れたアキが眞白の目の前に現れる。眞白を心配するワトソンはというと、アキの胸に張り付いていた。

 そんなワトソンの様子に眞白は思わず呆れてしまう。


「ワトソン、僕のことほんとに心配してる?」


 眞白のその問いかけに、ワトソンは悲しそうに小さくキーと泣いて飛びたった。


「俺は、ほんっとに心配してたんだぞ眞白」


 そう言ってワトソンは、眞白の手の平の上へと着地する。


「でもさ、アキやマスターが大丈夫だって言うんだから心配ないだろ? だって、二人とも眞白や俺の何十倍も生きてるんだぜ? それに、相棒のことを俺が信頼しないでどうする!」


「まあ、そう……だね」


 眞白は、ワトソンの小さな目に見つめられてそうこぼす。


 眞白が納得したのを見ると、ワトソンはまたアキの胸へと戻って行った。


 ワトソンの軌跡を追っていた眞白の目に、アキの胸が入る。

 眞白は、その大きな二つの山をはからずも凝視してしまったことに驚き、恥ずかしさで顔を赤くした。


 するとどうだろう、その胸はずいっとこちらの方に寄ってくる。いつの間にかワトソンは飛び立っていて胸の前にはいない。どんどんと眞白の視界は、アキの胸で覆われていく。

 そして……


「え?」


 眞白はアキの胸に押し倒されて、ベッドへとダイブした。


「ちょ、ちょっとアキさん、なにするんですか」


「眞白、そのまま目を閉じて落ち着いて聞きなさい」


「こんな状況で落ち着けるわけないじゃないですか!」


 静かに告げるアキの声に眞白は反論する。


「童貞はこれだから!」


「童貞関係ないと思いますよ……。お願いしますから!」


 眞白が必死に懇願すると、アキはようやく自分の胸を眞白の上からよけた。代わりに、彼女の手が眞白の上へと優しく添えられる。

 アキは、眞白に優しく語りかけた。


「いい。目を閉じて、落ち着いて聞きなさい」


「……はい」


 眞白の頭がぼーっとしてくる。催眠状態へとされているのだ。

 呂律がいつもよりまわらない。


「まず、あなたには倒れる前の記憶がある?」


 いつになく真剣なアキに、催眠状態の眞白は素直に答える。


「あります……。サキさんとユリアは大丈夫なんですか?」


「彼女達なら大丈夫よ。無事、家に帰ってる。ユリアちゃんの方は、頭に少し怪我をしてたけど、トウマの能力で完治したわ」


 眞白の問いに、アキは笑顔を浮かべて答える。

 ワトソンは、眞白の枕元に止まってその様子を心配そうに見ていた。


「よかった。じゃあ、担任は? あいつはどうなったんですか?」


「彼も家の中よ。いい、眞白? 自分の倒れる前の行動をよーく思い出してみて? あなたはどうなってた?」


 眞白は、自分の心の中をゆっくりと探索する。


「僕は……」


 そして、一つの記憶にたどり着く。

 苦しい、記憶。

 体が熱い、苦しい、つらい。


「うっうう」


 眞白の口からうめき声が漏れていく。


 そして、たどり着いたのは一つの感情、


「血が、飲みたい!」


 その言葉とともに、アキの手が取り払われ、眞白は正気へと返る。


「あれ……僕?」


 笑顔のアキがこちらをのぞいていた。


「童貞クンも大人になったってことだね」


「どういう意味ですか」


 いつものようなからかい口調とは違い、しみじみ言うアキへと尋ねる。

 大人、とはどういうことだろう。

 アキは、眞白の傍から立ち上がり部屋の中を歩き出した。


「つまりね、眞白坊ちゃんの中のヴァンパイアの血がついに覚醒したのよ」


「覚醒……ですか」


 眞白は、自分の手の平を見つめる。

 体の不調のほかには、特にヴァンパイアとして変わった様子はない。


「覚醒、するとどうなるんですか? まさか、日光を浴びれなくなるとか……!?」


 眞白はつぶやきながら、日の光を浴びられない自分の様子を想像して身震いする。

 しかしその眞白の言葉をアキは、笑って否定した。


「眞白坊ちゃん、私やマスター、トウマ君も大人だよ」


「あ、そっか」


 眞白は普段、彼らが日光を浴びていることを知っている。

 ほっと安堵する彼に、アキは言葉を続けた。


「ヴァンパイアになった瞬間に、私たちは力を得た。私の場合は、この催眠術の能力、眞白君の場合はその天才的な発明の能力。そして、トウマの場合は、治癒能力ね。ヴァンパイアの特殊能力については個人差が激しい」


「はい」


 すでに知っている知識だったので、眞白は小さくうなずいた。

 アキの言葉は続く。


「ただ、ヴァンパイアにもみんなに課せられた使命? というか制約があってね。その制約が訪れるときのことをヴァンパイアの覚醒というのよ」


「そうなんですか? それはどんな……?」


 眞白はアキのその言葉に思わず息を飲み、考えてしまう。

 覚醒とはなんなのか、恐ろしいことなのか、自分でどうにかできるのか。


「大人の階段を上るときだね」


「え?」


 真剣に考え込む眞白の横で突然、アキの声色が変わる。

 眞白の額には、不安から汗がだらだらと流れた。


 いやだ、彼女の言葉は聞きたくない、眞白は必死に願うがアキの言葉は止まらない。


「いやー、眞白坊ちゃんもこれで童貞卒業ねー」


「どうしてそうなるんですか?」


 眞白は必死に心の平穏を保って聞き返す。

 ただ、それもむなしかった。

 だって、目の前にいるこのアキという吸血鬼がこの態度で話すとき、それは避けようもないことばかりなのだから。

 眞白は小さく腹をくくる。


 そして、アキからとどめの一撃が放たれた。


「吸血鬼はね、大人になると恋した相手の血しか飲めないの」


 腹をくくってさえ、眞白がその言葉に絶句してしまうのもしょうがないことだと思う。

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