第二話 赤いリボンと袋
ポーカーフェイスを取り戻した眞白が教室に戻ると、サキは膝に鞄を乗せた状態で自分の椅子にちょこんと座っていた。
「お待たせ」
「ううん、全然待ってないよ!」
眞白が声を描けると、サキはそう言って立ち上がる。
教室には誰もおらずクラス内は空だ。
からかわれるのが面倒な眞白にとって好都合だった。
「それじゃあ行こうか」
眞白が静かに告げて歩き出すと、サキは慌てて眞白の後をついてきた。
歩く二人の間に沈黙が降りる。
教室から廊下に出ても、玄関に出ても、状況は変わらなかった。
「和田君ってさ、ユリアちゃんと仲いいの?」
意を決したように、重苦しい沈黙を破ったのは校門を出たあたりのサキの一言だった。
「へ?」
思わぬ質問に眞白の口から妙な声が漏れる。
「どうしてそんなこと聞くの?」
眞白は急な質問に少し焦った。もしや、自分の恋が、ばれたのではないだろうか……。
危うく取り戻したばかりのポーカーフェイスを失いかけるが、ぐっとこらえた。
「なんとなく気になったから聞いたんだけど、余計なお世話だったかな?」
言いながら笑うサキのあまりに美しい表情に、眞白は小さくため息をついた。そして、気を引き締めて、ポーカーフェイスを創りあげる。
「ユリアとは幼稚園が一緒で親が仲良かっただけ。特に僕らが仲がいいってわけじゃないよ」
「そっか……よかった」
何がよかったのか知らないが、サキの笑顔が一層輝いていたので眞白はそれ以上詮索しないことにした。美人に気を使うのには慣れていないのだ。
それから二人はしばらく、他愛もない会話をして時間を過ごした。
家の話、テストの話、学校の話……。
今日初めてまともに話す二人にしては上出来なのではないかという会話が続く。もちろん、上出来であるというのは眞白の自己判断だ。
そんなこんなで時間をつぶしているうちに二人は駅へとたどり着いた。
二人の通う高校は町中にあり、学校に通う生徒のほとんどがこの駅を利用して登下校しているなじみの駅だ。
二人は慣れた動作で駅の中に入っていこうとすると、ある異変に気付いた。
駅前の広場のようなところに小さな人だかりが出来ているのだ。
なにかイベントでもやっているのだろうか、眞白はそう思いつつ通り過ぎようとする。
「どうしたんだろうね?」
しかし、同行するサキが止まったので眞白も歩みを止める。
サキは、少しきょろきょろと首を伸ばしてそこの様子を見ようとしていた。
「気になるなら見てみる?」
眞白が気を使って言うと、サキは一瞬悩んでいる様子だったが首を振った。
「電車に遅れたくないし、いいや」
「どうぞ、よろしくお願いします」
サキの言葉を受けてそれじゃあ、と立ち去ろうとする眞白の前に一人の男性が立ちふさがった。
見ると、二人の方に二つの袋を差し出している。
「性感染症知識の普及のための活動を行っています。これ、資料です。どうぞよろしくお願いします」
レッドリボン運動という言葉の印字されたタスキをかけたその人は、怪しい人には見えず、二人は袋を素直に受け取った。
そんな二人の行動に男性は一瞬驚いた顔をしてから、にっこりと笑う。
「ありがとうございます。若い人はあんまり受け取ってくれないからおじさん嬉しいよ。中、読んでみてくださいね」
「あ、はい」
眞白が少し戸惑いながら答えると、男性は満足したのか人込みの中に戻って行った。また、袋を取ってきて誰かに渡すのだろう。
「びっくりしたねー」
サキが眞白の隣でくすりと笑う。
「そうだね」
眞白は出来るだけ素っ気なくならないように相槌を打った。
二人で電車へと乗り込む。
幸い、テストのおかげでいつもより早い電車に乗れたので混んではいなかった。
眞白とサキの乗る最後尾の車両には二人しか乗っていないという過疎ぶり。
眞白が、鉄道会社の経営を心配してしまうほどだった。
「なんだか人、少ないね」
サキも眞白と同じことを思っていたのか、そうつぶやく。
「そうだね」
眞白は、隣に座る少女が自分と同じことを考えていたことに少し感動しながら、窓の外を眺めていた。
突然、隣からごそごそという音が聞こえる。
どうしたのかと思って、眞白がサキの方を向いてみれば彼女は先ほどもらった袋を開けようとしているところだった。
「それ、開けるの?」
眞白は、想像のつく中から出てくるであろうパンフレットを思いながら尋ねる。
「うん、なんか気になっちゃって。こういうの開けるのってたのしくない?」
眞白は、性感染症云々言っていた男性からもらった袋を同級生の前であける美女の神経を疑いながら、その様子をぼんやりと眺める。
袋から出てくるのは、『HIVに気を付けろ』とか『セーフティセックスを心がけよう』とか高校生男子にはなんだかちょっと危ない文言が乗ったチラシばかりだ。
眞白はやっぱりなと思いながら、これ以上見てると何か言われそうだと視線を逸らした。
「あっ」
「どうしたの?」
目をそらした瞬間にあげられたサキの声。
彼女は必死になって、急いで、あるものを袋の中に隠していた。しかし、眞白には隠される前のソレが持ち前の動体視力で見えてしまっていた。
少し厚みのある小さな袋。
一定以上の年齢の男なら必ず見たことのあるアイテム。
厄介なものを見てしまったな、と眞白は内心ため息をつく。
「見ちゃった?」
真っ赤な顔のサキが尋ねてくる。
眞白はどうしたものかと思い悩みながら、知らないふりをするのも後味が悪いだろうと真実を話すことにする。
「うん、見ちゃった」
眞白が答えると、サキの顔はさらに赤くなった。
こんな場所で開けるのが悪い、と眞白は思いながら一応フォローに入る。
「おなじ袋もらったんだから、僕のにも入ってるだろうし、気にすることないよ」
そう言って、自分のカバンを指さす。
眞白の言葉に、サキは少しほっとした表情を見せるが、次の瞬間真顔になって、真っ直ぐに眞白の顔を見つめてきた。
眞白はその表情に少しどきりとする。
「……眞白君ってさ。こういうの、使ったことあるの?」
いきなりの質問にポーカーフェイスは吹っ飛び、眞白はぽかんとした表情を浮かべてしまった。
「あー? え?」
眞白の頭の中はパニックに陥る。この質問をするということは、つまりはどういうことだ? 僕が童貞だと知りたいのか? なぜ?
眞白は懸命にポーカーフェイスを繕いながらこたえる。
「えっとー、どうだろうね。使い方はもちろん知ってるけどさ」
「そっか……使ったことないんだね!」
なぜか嬉しそうに言うサキに、眞白は心の中で猛烈にツッコむ。
なぜそうなる。
というか、どうしてそんな質問をする。
勘違いさせたいのか?
僕以外の高校生男子なら絶対勘違いするぞ!
眞白の頭の中は非常に混乱していた。
「次はー、○○駅ー。○○駅ー」
ちょうど電車が目的の駅へと到着する。
眞白は、ほっと肩をなでおろした。
これで、謎の会話の流れを切り、ポーカーフェイスを取り戻す猶予が出来る。
しかし、電車を降りたはいいものの二人の間には沈黙がおとずれてしまった。
そして二人は、あっという間に駅からほど近いサキの家へとたどり着く。
眞白は周囲を注意深く観察していたが、当初の心配事であった不審人物も現れなかった。
「それじゃあね」
玄関前の小さな門を抜け、振り向いてサキが言う。
「うん」
眞白は返事をして、見送る。
これでサキを無事家に送り届けるという当初の目的は達した。
眞白も帰ろうとしたが、家の中に入ろうとしたサキがなぜか眞白の方へと戻ってくるので立ち止まる。
もしや家の中に不審者でもいたかと眞白が身構えると、心なしか顔を赤くしたサキが言った。
「ねえ、和田君。私も和田君のこと、名前で呼んでもいいかな? ユリアみたいに」
それは、今日放課後送ってきたことに対する報酬なのか。
眞白の頭の中は、冷静に、だがせわしなくぐるぐるとまわる。
「いいよ」
結局あまり考えずに眞白は答えた。
報酬にしろなんにしろ、眞白の答えはもちろんイエスだ。
特に支障があるわけでもないし、断る理由がない。
同級生と仲良くなるのはいいことだ!
「よかったー。じゃあ、また明日ね。眞白君」
ほっとした、なおかつ一仕事終えたような表情でサキは家の中に入っていった。
ガチャリ
玄関扉が閉められ、眞白は外に一人残される。
住宅街に一人で取り残されるのは少し寂しい気分になった。
眞白は小さくため息をつくと、もともとの用事を済ますために歩き出す。
コンドームの件が、僕たちの心を近づけたのかもしれないなぁ……なんてぼんやりと考える。
そしてふと、自分が高校生男子にしては大事な情報を彼女に知られてしまったことを思いだした。
「……童貞って言いふらされないといいけど」
彼にとって、小さな悩みが一つ増えることとなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます