第一話 同級生と吸血鬼

  キーンコーンカーンコーン


 チャイムの音とともに教室内に広がったのは、ため息と平穏だ。

 それもそのはず。

 この高校では、今日まで定期試験が行われていて、たった今最終科目が終わったところなのだ。

 生徒たちの気が緩まないはずがない。


「あー、終わったー」


 一人の女生徒の言葉をきっかけに、教室内でのおしゃべりが始まった。


「こらー、みんな静かにしろー」


 担任教師の注意もむなしい。

 SHRなど無視して、みな好き好きに立ち歩いてグループごとに集まっている。


 テスト明けの生徒に何を言っても無駄だということを長年の感から悟っているらしく、教師も諦めて小さなため息とともに教室を後にした。

 


 そんな教師を、一人の少年が静かに見つめていた。

 周りから少し浮いた様子のその少年。

 充血というには赤い目に、少しとがった犬歯。

 そして、彼からは小さな殺気が放たれている……。


 少年は、クラスを出て行った担任教師を追いかけようと自分の荷物を肩へとかけた。


 その時だった。


「ちょっと待った!」


 一人の女生徒がそこへ立ちふさがる。

 先ほどおしゃべりの引き金を引いた彼女だ。少女の名前は、笹江ユリア。クラスの中心的ポジションに位置する彼女は、明るく能天気な性格だ。

 地毛の茶髪をポニーテールにした彼女は一見チャラく見える。何人もの男を捨ててきた当たり見た目通りと言っていいが、根は優しい少女だった。


「なに?」


 幼馴染のユリアの言葉に、少年は教師を追うのを諦めて立ち止まり、迷惑そうに顔をしかめた。


「もう、そんな迷惑そうな顔しないの!」


 少年の表情に臆することなく、ユリアは屈託なく笑った。

 そして、自分の後ろにいた少女を彼の前へと引っ張り出す。


「ユ、ユリアちゃん!!」


 いきなり引っ張り出された少女は涙目になりながらおろおろとする。ユリアの後ろに戻ろうとする試みも彼女によって阻止されてしまい、少女は少年と向き合うことになった。


「で、サキさんがどうしたの?」


 少女、つまりサキを無視して少年はユリアへと問いかける。落ち着いた様子の少年は、ユリアと話した方がスムーズに会話が進むと判断してしまったのだろう。

 おろおろした挙句存在を完璧に無視されたサキは少しだけ悲しそうに目を伏せた。


「もー、サキを無視しないの!」


「本題を聞きたいな」


 とがめてくるユリアの言葉をかわし、少年は問いかけた。

 相変わらずの様子の少年にユリアはわざとらしい溜息を一つつく。

 彼に何を言ってもしょうがないのはいつものこと、ユリアは結局すぐに本題を切り出した。


「サキね、なんか最近帰り道で後ろから視線を感じるんだって。眞白ましろって、サキと帰る方向同じでしょ? だから、送ってもらえばいいんじゃないかと思って!」


 少年こと眞白は、ユリアの説明でやっと状況を理解した。

 そして、まあ、ありそうな話だと思いつつ、サキを見つめる。

 長髪の黒髪、そしてそれなりに大きい胸のふくらみ。誰にでも向ける美しい笑顔。

 彼女は容姿端麗、俗に言う才色兼備で大和撫子のような女だ。

 つまるとこと、ストーカー被害にあってもおかしくないほどの美人というわけだ。


 彼は納得し、一人うなずく。

 眞白自体に、サキの送迎を断る理由はなかった。強いて理由をあげるとすれば、この後行く場所があるのだが、後回しにして支障はない用事だ。


「いいよ」


 眞白は二人に了承の意を示した。


「よかったね、サキ?」


「う、うん」


 顔をほころばせ喜ぶユリア。しかし、隣のサキはどこか戸惑った表情をしている。

 そんな彼女の様子に眞白はある可能性に気付き、人差し指をユリアの前へと差し出した。


「ただ、一つ問題がある」


「なによ?」


 ユリアが瞬時に怒ったような表情になる。先ほどとの笑顔との落差が激しい。並みの男子ならこれで震えあがってしまうだろう。

 しかし、さすが幼馴染。眞白は全く臆せず、次の言葉を続けた。


「ユリア、このことはサキさんも了承済みなの?」


「あ……」


 眞白に言われてユリアは、サキの様子に初めて気づく。


「私、勝手に……。ごめんね、サキ。迷惑だった?」


「そ、そんなことないよ」


 自分の失敗にしょげるユリア。

 そんなユリアの言葉をサキは胸の前でぶんぶんと手を振りながら否定した。

 そして、眞白の方に向き直って言う。


「和田君の迷惑じゃ無ければ、お願いしてもいいかな?」


 サキの顔にはとびきりの笑顔。

 しかし、眞白はそれに反応することなく静かに言った。


「じゃあ、決まりだ」


 話がまとまったことで、ユリアは一転、満足げな笑顔をその顔に浮かべた。


「ちゃんと送り届けんのよ」


 言葉とともに、ユリアから眞白の背中にビンタが飛び、


「じゃあ、私は帰るねー」


ユリアはそそくさと教室から退散していった。

 眞白の小言から逃げるための、賢明な判断である。


 眞白は、背中に手をまわして叩かれたところをなでた。

 女子の力にしては意外と痛かった。


「大丈夫?」


 そんな眞白に心配した表情を向けてくるサキ。


「大丈夫だよ、いつものこと」


 眞白は、彼女の心配を取り去ろうと少し笑った。

 そして、まだ筆記用具が片付けられていない彼女の机を一瞬見て、今後の算段を立てる。


「僕トイレに行ってくるから、ちょっと待っててくれるかな?」


 彼女が帰るには準備の時間が必要だろうという配慮が半分、

 もう半分は……まあ、体の問題だった。


 サキは眞白の机への視線には気づかず、送ってもらう自分が待つのは当然というように再び彼に向けて微笑んだ。


「わかった、私も準備まだだし、ちょうどよかった。待ってるね」


「じゃあ、行ってくる」


 眞白は教室を後にし、トイレへと向かった。

 心臓がとても痛い。なんだか、頭が熱くて苦しかった。

 トイレへと急ぐあまり、少しずつ歩調が速くなる。

 少しずつ、少しずつ……。

 いつもは短い距離のはずの男子トイレが遠い。


 急いで


 走って


 息が上がる。


 痛い心臓がバクバクと音を立てた。


 焦るあまりに、最後は全力疾走になってトイレへとたどり着く。男子トイレには誰もおらず、眞白はほっと小さく息を吐いた。


 頭が熱いのをどうにかしたくて、洗面台の蛇口をひねり、水を顔に思いっきり浴びる。


 そして、鏡に映る自分を見つめた。


 そこに映るのは、赤い目、少しとがった犬歯。

 いつもより赤い自分の顔……。


 明らかに不調の体は、眞白を不安にさせた。

 

 落ち着け、ポーカーフェイスだ。


 彼は心の中で念じる。

 年頃にはこういう状態に陥ることがあることを眞白自身知っていた。

 しかし自分が、クラスメートに対してこんな感情をもつとは思っていなかったのだ。


 彼は焦っていた。


 彼に訪れた感情。


 それは、抑えられない感情であり、


 世間では恋とも呼ばれる。


 しかし、それは彼らの種族にとってはまた少し違った意味を持つのだ。


 そのことを眞白はまだ知らない。



 眞白は、小さくため息をつくと、持っているハンカチで顔と服の水滴を拭いた。

 だんだんと心が落ち着いてきて、彼は持ち前のポーカーフェイスを取り戻す。


「行くか」


 落ち着いた彼はトイレを後にし、教室へと向かう。

 そして、様々なことに思考を巡らす。

 サキの安全な送迎ルート、今日の用事のこと、担任教師のこと、体のこと、マリアのこと……。

 思春期の悩めるには考えるべき事案がたくさんだった。



 この物語の主人公は、ポーカーフェイスが得意な、恋する眞白という少年、

 あるウイルスに戦いを挑もうとするまだ若き吸血鬼≪ヴァンパイア≫である。

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