電車で二駅(BL)

 ちょうどいい男だった。

 アプリで見つけた同い年で近所のタチ。背が高くてガッチリしてるけど体を作りすぎてるわけじゃない。堅くはないけど遊びすぎてるわけでもない。恋人はいらないけど男とセックスはしたくて、でもたくさんの相手と取っ替え引っ替えはしたくない。会社員で土日が休み。そういう相手。利害と都合が一致する。

 何回かホテルでセックスして、それもよかった。結構甘ったれたセックスが好きで、おもちゃとかは使わない。二人でぎゅうぎゅう抱き合ったりキスしながらくっつくのが好きで、でも終わったあとはあんまりべたべたしたくない。セックスのあとに飲むのは俺はお茶であいつは炭酸水。その程度違うところはあっても受け入れられない差じゃない。セックスのあとの炭酸水も悪くない。一つのペットボトルを分け合うのは平気。そういうところも合う。

 そのうちホテルじゃなく向こうの家でセックスするようになった。電車で二駅のマンション。合鍵ももらった。使ったことはないけど。

 ほとんど毎週末のどこかには行くようになった。よかった。自分持ちじゃなくてもホテル代がかかると思うと気にはなるし、こいつの部屋は広くてきれいで、でもだらしない俺が多少汚しても気にならないみたいだ。セックスをして、セックス以外のこともした。飯食ったり酒を飲んだり映画を観たりゲームをしたり。セックスするつもりだったのにゲームしててセックスしそびれたこともあった。何をしていても二人ともあまり話さない。それも居心地がいい。

 そういうのがよかった。全部ちょうどよかった。最初の頃は。いつからだったかわからないけど、そうでもなくなってきた。

 今日はセックスをした。今日のセックスはよかった。セックスはいつもいい。前戯で乳首をめちゃくちゃいじられたあと対面座位でキスをいっぱいして、耳や首や顎や鼻や喉仏まで舐められた。そういうの好きだ。だからいっぱい好きだと言った。疲れた。金曜の夜なので、もともと疲れていた。眠い。なんとかシャワーを浴びて、持ってきた下着だけ身につける。入り浸ってはいるけど、この部屋に俺のものは置かない。やめろと言われたことはない。許してくれそうな気がする。でも、なんとなく出来ない。

 欠伸をしながら寝室に行くと、向こうはまだ寝転がっていた。うつ伏せの広い背中。振り返って俺を見て、いつも鋭い目元がほんの少し緩む。俺は掛けておいたスーツを見る。これをまた着るのが、億劫だ。ベッドに座る。また欠伸。

「だるそうだな」

「まあ」

「雨降ってきたぞ」

 更にだるくなる。傘なんか持ってきてない。

「傘、借りていい?」

 借りたら返さなきゃいけないけど。それもだるい。

「それはいいけど」

「何」

 微かに言い淀んだような間のあとで言った。

「泊まってけば?」

 首を振って立ち上がる。スーツを着るのが本当にめんどくさい。でもやらなくちゃ帰れない。

「泊まってもまた帰るだろ。余計だるい」

 前はよかった。駅からこのマンションは近いし、二駅で帰れる。気軽だった。でも最近、帰るのが本当に、なんか、よくない。空いてる夜の電車で、あっちの方にあいつがいるんだと思いながらただ遠ざかっていくのが、なんか本当に、よくない。俺の気持ちより普通電車のほうが速くて、置いてけぼりにされる。ただセックスするだけの仲なのに。二駅しか離れてないのに。また会えるのに。でもいつ、本当に会えなくなってもおかしくない。そういうことは、よく知っていた。よく知っているけど、やっぱり苦手だ。

 だから帰らなくちゃいけない。ここには何も置いていけない。

「じゃあ、ずっといろよ」

 振り返る。俺をじっと見ている目を見返す。軽く言ってくれる、と思いたいのに、軽く言っているわけじゃないのがひと目でわかってしまう。

「いてなにするんだよ」

 でも頷く代わりにそんなことを言ってしまう。気まずくて口にしただけの言葉に、真面目に考え込んでいる。こいつ、真面目なんだ。セフレを作っても、心根が真面目。そんなことは知らないほうがよかったのに、知ってしまった。

「愛し合うとか」

 真面目に言ったあと、困ったように首を捻る。なんだよそれ。笑える。

 なのにうまく笑えず、ただ立っていた。

 カーテンの隙間から、夜が少しだけ見える。湿った空気。傘をさしていても雨はつめたく俺に触れるだろう。駅まで歩いて、電車に乗る。濡れた窓の向こうの街の灯りを眺める。

 それさえすれば、平穏な休日がやってくる。狭い散らかった部屋のくしゃくしゃの万年床で一人で眠って、一人でぼんやりする。そうやって生きてきたし、ずっとそう生きていくのだと思っていた。心のどこかを別の場所に置いたままで。それを繰り返してきて、この先も繰り返す予定だった。

 でも、もう無理だった。たった今、無理になった。

 俺はベッドに座り、そこに寝そべる男に恐る恐る手を伸ばしてみた。その手が握り返される。

「愛し合うか」

 俺の言葉に、安心したように笑う。俺たちは静かな雨の中で、何をするでもなく、しばらく手を握り合っていた。なんの目的もなく、ただそれだけ。

 ああ、今、愛し合っている。

 そう思った。

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