第15話 別離 ――その③

“力”の特徴を説明するとき、太田先生は何と言っていたか?

『気絶している相手には“力”は通じない』

そう、確かにそう言っていた。

裏を返せば、この2人が意識を失っている今なら、2人に害を及ぼさずに事を為せるという訳だ。

治樹と新沼さんをこんな目に会わせた連中に、僕は容赦する必要性を感じていなかった。軟弱な僕が容赦などとはおこがましいが、今の自分には、彼らに対抗し得る“力”と、それを存分に行使するために誂えたような状況が与えられていた。


一片の迷いも無かった。

これから僕がやる事は、誰に称えられるものでもなく、むしろ蔑まれ、罵倒される類のものかもしれない。

でも、そんな事は最早どうでもいい。

僕は、“力”を暴走させたときの感覚を、己の内に再現させようとしていた。

それを意図的に行うのは初めての事だった。


よせては かえし またよせて・・・

それでいて 海はただ青く おだやかで

潮の香り 海鳥の声

流れに身を任せてゆらり揺蕩う

浜辺を洗うさざなみの音が耳に心地よい


鮮明な水のイメージが、辺りを支配していく。

あっという間に足元を浸したそれは、見る見る内に嵩を増し、やがて遥か頭上までをもすっぽりと覆い尽くす清澄な奔流となった。


僕たちを取り囲んでいた連中は、まるで藻のようにフラフラと揺らめきだした。

その中の1人が、持っていたナイフを不意に振り上げ・・・


自らの手首へと突き立てた。


自身から湧き出る真紅の迸りを見つめる無機質な眼差しからはやがて光が失われ、糸の切れた操り人形のように、どおっ、と音を立てて崩れ落ちた。


惨劇の始まりだった。


各々、ナイフを手にした者は、その刃を自分の手首や首筋に押し当て、一気に引き擦る。また、鉄パイプを手にした者は、それを何度も振りかざして遮二無二頭に打ちつけ続ける。

そこら中で真っ赤な花が咲き乱れ、独特の鉄の臭気が一面を覆った。敷き詰められた紅葉は、血糊によってさらに鮮やかに彩られていった。

頭部をボコボコに腫らし、それでも鉄パイプをうまく使いきれなかった者は、地に転がったナイフを拾い上げて己の身を切りつけた。


目の前に累々と積み重なっていく肢体を眺めながら、僕は思いの外静かな心持ちで佇んでいた。彼らが動脈を幾度も刻む行為は、特異な光景ではなく、ごく自然な振る舞いとして僕の目に馴染んだ。


男たちが繰り広げているのは、醜く野蛮な殺し合いではない。自らの手による死の選択だ。

死とは、絶望だろうか、救いだろうか・・・そんな形而上的な意味付けは人間が付与したものであり、決して普遍的な解釈ではない。

死とは、1つの事実に過ぎない。心拍あるいは脳機能が停止し、生命活動の継続が絶たれる事象だ。

人間に手足があり、意思があり、物を刻む道具が与えられたのならば、それを行使して自らを死に至らしめる事は、何ら不可思議な行為ではない筈だ。

血の気を失い、青白く変色していく彼らを眼下に収めつつ、僕はその苛烈な自傷の結末を肯定も否定もせずに、単なる事実として受け止めていた。


やがて、並木道には力尽きた者たちが枯れ枝のように散らばるのみとなった。哀愁のような奇妙な感覚に身を委ねながら、終焉を迎えた宴の只中に立ち尽くす僕・・・


「・・・それにしても、ここまで華やかにやってのけるなんてねぇ。」


いきなり横合いから掛けられた声に、微睡みに似た霞の中にあった僕の意識は、急激に現実へと引き戻された。

声の方向に突如として湧き出た気配。

慌てて目を向けると、聞こえた声に違わぬ立ち姿がそこにあった。

「・・・鴉・・・?」

「久しぶりだね、龍さん。龍さんには迷惑をかけちゃったみたいだね。出来の悪い連れのせいで・・・」

つ、と背後に視線を流す鴉。

そこには男が1人、四つん這いになってぜぇぜぇと息を切らしていた。

鉄真だ。

一気に全身の血が沸きあがるのが分かった。

「鴉、ちょっとどいて。僕はそこの男に用があるんだ。」

僕と目が合うと、鉄真は「ひっ」と小さな悲鳴をあげて頭を抱え込んだ。

「おっと、彼の粗相についてはぼくから謝るよ。」

僕の進路に割り込んだ鴉は、両の手のひらを僕に向けて、なだめるような口調でそう言った。

「ふ・・・ふ、鴉が来たからには、もうお前の好きな様には・・・っ!」

俄かに強気を取り戻しかけた鉄真に、鴉が氷のような一瞥をくれる。

「う・・・く・・・」

その視線に気圧されて小さく唸った鉄真は、再び沈黙の海に沈みこんだ。

「マーには龍さんをぼくらのアジトに招待するよう指示を出してたんだ。」

そう説明する鴉。どうやらマーとは鉄真の事らしい。

「危害を加えるなと念を押してたんだけど、マーの事だからそろそろ勝手に先走ってる頃じゃないかと思って見に来てみたら、案の定このザ、マ・・・」

鴉の言葉が不自然に途切れ、その体が大きくぐらついた。

「か、鴉っ!?」

僕は咄嗟に肩を掴んで鴉の身を支えた。

「ふーっ、・・・流石だね、龍さんの力は・・・ぼくのシールドでも、完全に中和し切れなかったか・・・もう少し続いてたら・・・マーのほうは、ダメになってたかもね。」

微妙に意味のとれない事を感心した様に語る鴉。

僕の思考は、混乱を来たし始めていた。


そもそも、鴉はいつからここにいるのか?


先刻、僕は、立つ者全てを殲滅すべく、力を解放した。

成功するという確信があったわけではないが、実際に僕のサイトは発動し、最後の1人に至るまで激しい自傷の末に倒れ行く様を、僕は確かにこの目で確認したつもりだった。

しかし、思い返してみると、信じられない事に途中から鉄真の事が僕の意識から消えていた事に気付く。

こんな事があり得るだろうか?

不気味な連中を従えて僕らを襲撃した張本人を蔑ろにする事など、出来る筈が無いのに・・・

そして、いつの間にか、鉄真の前には彼を護るように鴉が立ちはだかっていた。

というより、実際護っていたのだろう。先程鴉が口にした“シールド”という単語が幾つかの推測を伴って想起された。


「!」

こうやってぼんやりしている場合では無い。

「新沼さん!!治樹っ!!」

僕は咄嗟に、すぐ近くに倒れていた新沼さんの側にかがみ込んだ。

すーっ、すーっ、と、寝息のような安定した呼吸が聞こえる。こめかみに滲んだ血は殆ど乾きかけていた。

「2人とも気を失ってるだけだよ。大した怪我もしてないし。」

僕の不安を和らげるように、鴉は落ち着いた口調でそう言った。

「まあ、息があるのはその2人だけみたいだけどね。」

愉快そうなその言葉に、僕は改めて周りを見渡した。

眼前に広がるのは、地獄のような光景だった。

体中に落ち葉を纏わりつかせて、捨て置かれた様に無造作に転がる躯の数々。

倒れている者たちの腕や首には、生々しい裂け目がぽっかりと口を開いていた。

衣服に染み付いた夥しい血液が、赤みを失った彼らの肌の蒼白さを一層際立たせている。

鼻をつく異様な臭気が濃さを増した気がする。

いや、それともただ単に僕の中にまともな感覚が戻りつつあるというだけなのだろうか。

喉の奥から吐き気がこみ上げてきて、僕は思わず口を覆った。


「・・・っ、ぐうっ・・・!」

不意に上がった呻き声の方に目をやると、身悶えする治樹の姿が見えた。

(意識が戻りかけてるのか!?)

すぐさま駆け寄ろうとする僕。

「龍さん!!」

鋭い声に足を止めて振り向くと、鴉が変わらぬ笑みを湛えて僕を見つめていた。

「もう分かってるんでしょ?龍さんはこっち側の人間だって。

そのお友達が目を覚ましたら、龍さんはこの状況をどう説明するつもり?

『君たちを護るために、皆殺しにした』とでも言うのかな。」

全てを見通しているかの様な口振りだ。

逡巡する僕の心に、治樹の言葉が蘇る。

『たとえどんなに死にたがってる奴がいたとしてもだ・・・その背中を後押しする権利は誰にも無い!無い筈だ!そうだろっ!?』

『お前が誰を許そうとな、俺は絶対許せねぇ・・・』

その1つ1つが、鋭利な錐となって僕を苛んだ。

そんな僕を慰める様に、鴉が言葉を続ける。

「必死になって根気強く謝れば、許してもらえるかもね。

でも、酷いと思わない?2人を助けるために仕方無くやった事なのに。感謝されてもいいくらいな筈でしょ?

何で謝らなきゃいけないんだろうねぇ。」

・・・違う、そんなんじゃないんだ・・・

鴉の言うとおり、僕にはもう分かっていた。

“2人を助けるために、仕方なく”?

そんなのは、ただの切欠に過ぎないという事を。

僕の無意識は、力の解放を望んでいたのかもしれない。

我慢がならなかったんだ。

こっちは恨みを買う様な事などやってないのに、問答無用で襲い掛かってきた連中に。

そして何より、理不尽な暴力を受けても何一つやり返す事のできない自分に。

僕には力がある筈だ。

僕は、決してあんな連中に見下される様な存在じゃない。

思い知らせてやりたかった。彼らが一体誰に喧嘩を売ってしまったのか。

足元に転がっている気色悪い肉の塊に対して、僕は微塵も同情など感じていなかった。

いや、彼らだけでは無い。新沼さんのお兄さんに対してすら、自業自得だと思っている自分が確かに存在した。

それを認めてしまうと、僕の存在は新沼さんや治樹とは相容れなくなってしまう。だから、自分のやった事を責めなければいけなかった。

僕はただ、新沼さんに、治樹に、失望されたくなかっただけだ。

僕と関わりを持ってくれる人たちに見捨てられる事・・・それが恐くて、僕は力を使う事を躊躇っていた・・・ただ、それだけなんだ。


「龍さんは自分の力をもっと磨いて、伸ばしていった方がいい。

さっきぼくが何をしたのか、龍さんには分からなかったでしょ?

ぼくが教えてあげるよ。力の使い方を・・・

君はその力が正当に評価される所にいるべきだよ。」

諭す様にそう言葉を紡ぐ鴉。

その微笑には、抗いようの無い引力があった。

「別に強要はしない。ちょっと来てみて、気に入らなかったら帰ればいい。それは龍さんの決める事だからね。

もし、ぼくらのアジトより今の住まいに安らぎがあると感じた時は、出て行けばいいだけの話さ。」

安らぎなど、今のあの家にあるわけが無い。

太田先生と涼子ちゃんがいなくなってカラになった箱に望んで閉じこもる理由を、僕は持ち合わせていなかった。

既に、僕の心は決まっていた。

内なる声に従い、鴉のほうに向かってゆっくりと歩を進める。


「・・・くっ・・・ん?・・・ここは・・・」

背後から聞こえた治樹の声に、僕は思わず身を竦ませた。

ようやく目を覚ました治樹だったが、どうやらまだ意識が混濁しているらしく、自由にならない体を半身だけ起こし、キョトンとした顔つきで辺りを見渡していた。

「う、うわっ!・・・ひっ!!」

怯えたような悲鳴を上げる治樹。自分が無数の屍に囲まれている事に驚いたのだろう。

辺りを彷徨っていた治樹の視線は、やがて僕の存在を捉えた。

「龍輔・・・お、お前・・・ぐっ!」

治樹の声には困惑の色がありありと窺えた。

抑え切れない疑念が、他の誰でも無く、僕に向けられているのを感じる。

ごめん・・・

謝ってどうにかなるとも思えない。でも、この言葉しか浮かんでこない・・・

ごめん、今まで隠してて、ごめん・・・

僕がやったんだ。僕が治樹の大切な友達を壊したんだ。

それなのに、そ知らぬ顔で友達面して、治樹を騙し続けてたんだ。

許される訳が無いと知りつつも、僕は言わずにはいられなかった。

顔だけで振り返り、懺悔の思いを口にする。


「ごめん、隠してて・・・僕は、人殺しなんだ・・・」


鴉の方へと再び歩き出す僕。

治樹がいた辺りから、地面と衣服がズルズルと擦れ合う音が僕の耳に届いてくる。

必死に立ち上がろうとしつつもなかなか上手くいかないらしい。

起き抜けという事に加え、鉄真にやられたダメージがまだ残っているのだろう。


「・・・龍輔っ!!!!」


ただ名前を呼ばれただけだったが、その声は容赦無く僕の心を揺さぶった。

(そんな風に・・・呼ばないでよ・・・)

僕は、治樹と一緒にいていい人間じゃない。一緒にいれば、いつか、今以上に治樹を苦しめてしまうかもしれない。

僕は治樹の様に強くない。治樹の様に正しくなれない。

臆病で、卑屈で、歪んでいて・・・僕はそんな人間だ。

治樹はいつだって僕の羨望の的だった。治樹がやってるみたいに僕にもできたなら・・・そう思う事は日常茶飯事だった。

でも、僕には何も無い。この禍々しい“力”を除いては・・・

矮小な僕は、こうでもしないと無意味な自分から抜け出せない気がするんだ。


このまま去ってしまう前に、もう一言だけ、僕は治樹に言っておかなければならない事があった。治樹に背を向けたまま、僕はその言葉を口にした。


「西原を、よろしく・・・」


これでいい、これでいいんだ。

「待てっ!龍輔!!・・・龍輔ぇっ!!!!」

治樹の叫びが、濡れた布の様に僕の足に纏わり付く。

心を縛る未練がましい思いを振り切ろうと、僕は歩みを速めた。


「さあ、行こうか。」

朗らかに響く鴉の声。


その穏やかな微笑みは、今の僕にとって一握の救いだった。







―――― 第一波 完

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