第11話 嫉妬 ――その②

「私ね、歌が好きなの。詞に込められた情緒に思いっきり浸って、感情を込めて歌うと、不思議とそれが聴く人に伝わるの。

私、歌って心を伝える魔法だと思う。聴き手と感動を共有できる歌が、私は大好き。」

心を伝える魔法・・・それって僕たちの持ってる“力”に似てるな・・・もっとも、“力”は相手の心を読み取る能力だけど・・・何となくそんな事を思った。

西原はさらに続ける。

「中学の頃の合唱の先生は、歌は技術が全てと考える人だった。

譜面どおりにきっちりと歌う事が大切で、詞は声楽的な発音が出来ていれば内容は関係無いって教えられた。少しでも曲に浸って感情がこもると、声質が安定しないからやめなさいと言われたの。

私は耐え切れずに、『これは私のやりたい音楽じゃない』って言っちゃったんだよね。そしたら、『気分に任せて歌うなんていうのは、どこかの同好会にやらせておけばいい事よ。あなたたちは一流の歌い手として、完璧な演奏を目指す義務があるの。それが出来ないならステージには立たせない』だって。」

一旦言葉を切って、西原はふうっと溜息をついた。

「私は、コンクールの審査員のために歌ってるんじゃない。審査員がうなっても、聴衆が寝ている演奏なんて、やりたくないの。」

西原の歌には、そんなこだわりが込められてるのか・・・コンクール前などに時々ある合唱部の披露演奏での西原の表情が、派手に表情筋を引きつらせるものではなく、自然と内から溢れてくるものに見えた理由が分かった気がした。


「改めて歌い手の心の重要性に気付かせてくれたのは、白峰くんなんだからね。」


思わぬところで自分の名前が出て、僕は耳を疑った。

「え?ぼ、僕が?」

「そう、覚えてるかな、私が初めて白峰くんに出会ったときの事。」

覚えてるも何も、ついさっきその思い出に浸っていたところだ。

「えと、どうだった、かな・・・」

僕の口からは意図と反対の言葉が飛び出し、西原は「もうっ」と少し頬を膨らませた。

「あの時、橋げたの下で私が口ずさんだ歌を聴いて、白峰くんは言ったんだよ、私の歌が悲しい歌に聴こえたって・・・

愛を賛美する長調の曲なのに、白峰くんは、私の心が分かっちゃったの。合唱部の事で悩んでいた、当時の私の気持ちがね。

曲想に合わせた情緒を歌に乗せられなかったのは失敗だったけど、あの出来事は改めて教えてくれたんだ。歌の持つ力と、歌い手の心の大切さを・・・」

そこまで感銘を受けてもらえていたとは知らなかったが、僕としては何とはなしに感じた事を言っただけなので、少し申し訳ない気持ちになってくる。


西原の話を聞いていた僕は、ふと疑問に思った。西原の中学の話は非常に興味深いが、森田さんたちに関して問題となっているのは、高校に入ってからどうだったかという話ではないか?

僕が続きを待っているのに気付いたのか、西原は少しの沈黙の後に、高校入学後の事を語り始めた。

「ここの合唱部の顧問の先生は、音楽でいかに詞の内容を表現するかという事に重点を置く人で、高校に入ってから私は部活がホントに楽しかった。

先生にはよく目をかけてもらったし、1年の時もステージでソロを任せてもらえて、色々貴重な体験が出来た。」

西原の顔がとびきりの笑顔になったのは、ほんの少しの間だった。

「でも、いつの間にか、みんなとの間に距離ができてる事に気付いたの。私が言ってもない事が、言った事になってたり、私にだけ練習内容が伝えられてなかったり、ね。」

その言葉に、先刻の森田さんたちとのやり取りが浮かぶ。

「私は模範的な部員じゃなかったかもしれない。ウチの部では、演奏会やコンクール前には、生徒が自主練でひたすら歌いこむ慣習があってね。それで、みんな疲れのたまった声で本番を迎えてたの。

私は、自主練には出来るだけ参加しなかった。本番前は軽い発声練習と腹式呼吸の練習をしながら頭の中だけで歌ってた。万全のコンディションで演奏するにはそれが一番だからね。

コンディションの問題だけじゃない。過度に歌い込むと喉に炎症を起こして、歌い手としての寿命を縮める事だってあるの。」

西原はやや興奮ぎみに力説した。

「だから私は先生にも提案した。自主練のあり方を見直したほうがいいんじゃないかって。そしたら先生は、ちょっと苦笑いしながら、『部員たちが自主的にやってる事に水を差したくない。自分たちで存分に工夫して実行に移す事で生み出される連帯感・・・それが合唱には一番大切なの。』だって。先生のおっしゃる事は理解できた。いえ、理解したつもりだった。それが身に染みて分かったのはしばらく後になってからだったから。」

才能だけで片手間に歌を歌っている練習嫌いの部員・・・気付いたときには、それが西原のイメージとして定着してしまっていたという。

「私は今年もソロを任せてもらったんだけど、コーラスとの掛け合いの練習で、すごく孤独になる事があるの。コーラスは音程もリズムもピッタリのはずなのに、全然、届いてこないんだよね。

たくさんの声の中で、自分だけ、どんどん孤立していくの。

私・・・怖くて・・・歌うのが怖いって思ったの、初めてで・・・」

西原のこんな不安そうな顔を、僕は初めて見た。

そして、それを僕に見せてくれた事が、すこし嬉しかった。

(西原にも、孤独を感じる事があるんだな・・・)


ちょっとしたシンパシーを感じる。ただ、共感を覚えたのは西原に対してだけではなかった。

「なんか、分かる気もするな・・・」

「えっ?」

「同じ学年に西原みたいのがいて、いくら努力しても追いつけない・・・」

「・・・」

「不安だから練習するんだろうね。1秒でも長く歌わないとどんどん引き離されそうだから、自主練に自主練を重ねて・・・」

西原の隣で目を見開き、思い切り表情を作って歌う森田さんの姿を思い出す。

その姿には、西原と違った形で歌に注がれている森田さんの情熱が伺えた。

「・・・私、知ってるの。森田さんはいつも最初に部室に来て、最後の1人になるまで練習して帰っていく。」

なるほど、西原はそれを知っているからこそ、一方的に森田さんを責める事が出来ないようだ。

「私のやり方が、間違ってたのかな。私の配慮が足りなかったから、森田さんや、他のみんなを不快にさせちゃったのかな。」


「それは違うよ。」


即座の否定に、西原はちょっと驚いた顔をした。

「配慮とか、そんなんじゃない。自分の限界を感じたとき、頑張り続けるか、どこかで折り合いをつけるか、それは森田さん自身の問題だよ。」

さっき、森田さんの声を聞いたとき、嫌な声だと思った。西原への敵意と共にその声に込められたものを、僕は知っている気がした。自分の汚い部分を見せられている様に感じたからこそ、森田さんの声が余計耳障りだったのかもしれない。

「嫉妬、だろうね。同じ練習をしているのに、自分よりどんどん先に行っちゃう人がいる。元々、持っているものは人それぞれ違うんだから、そんなのは当たり前の事なのにね。

どうしてこんなに不公平なのかって、思わずにはいられないんだ。」

「白峰・・・くん」

「でもね、だからといって、誰かを傷つけていいって事にはならない。そんな事をしても、かえって自分を追い込んじゃうだけだ。その事に、森田さん自身が気付かないと・・・」

そこまで言った後で、らしくないなと思い、僕は頭を掻いた。

「これは僕の勝手な想像。でもほら、西原と違って僕は、嫉妬ばかりしてる人間だからさ。取り柄とか無いし。だから、何となく、ああなっちゃう気持ちは分かる気がするんだ。

でもね、そういう感情は自分で克服しなきゃいけないと思う。どっちにしても、西原が思い悩む必要なんて無いよ。

西原は今までどおりのびのびと歌を歌ってればいい。

僕は好きだよ、西原の歌。すごく、いいと思う。」


不意に、西原が僕の胸に頭を預けてきた。

いきなりの事に、僕は金縛りにあったかのように体が硬直し、動けなかった。

「・・・ありがと、励ましてくれて。」

それだけ言うと、西原は僕からぱっと離れた。

「でもね、白峰くん、少し勘違いしてる。私は白峰くんのいいとこ、たくさん知ってるよ。それに・・・」

意味ありげな笑みを浮かべる西原。

その口から、彼女には不似合いな言葉が零れた。


「私だって、いっぱい嫉妬するんだよ。」



--------



放課後、僕は、治樹を屋上に引っ張って行った。

昼休みに倉岡さんから課せられた任務を遂行するためだ。


「お、おい、どうしたんだ?いきなりこんなとこに引っ張り出して。」

「ん~、その、ちょっとね。渡さないといけないものがあるんだ。」

はい、と僕は倉岡さんの手紙を差し出した。

可愛い柄の封筒にはハート型のシールで封がしてある。見ているだけで恥かしくなってくるデザインだ。

封筒を受け取った治樹は、僕が想像していた以上に狼狽している。

「え、えっと、その、あの・・・これは?」

「ん?ラブレター、かな。」

「ラブレター!?ああ、ラブレターね、ラブレター・・・」

もごもごと何かを呟く治樹。

ややあって、治樹は僕の肩をがしっと掴み、ゆっくりと確かめるように言った。

「俺は、その、男だ。それは知ってるな?」

「何を、今さら・・・」

「そして、お前も男だ。その自覚は、あるんだよな?」

そこまで聞いて、僕は治樹が何やら恐ろしい勘違いをしている事に気付いた。

「あ、あのね、治樹。僕はこれを治樹に渡すように頼まれたの!依頼人は倉岡めぐみさん。OK?」

「驚かせるなよっ!!」

「驚いたのはこっちだっ!!」

まったく、治樹の中では僕の嗜好はどのように理解されてるんだ?というか、倉岡さんからラブレターをもらった事実には驚かないのか?

まあ、サッカー部のアイドル治樹サマのことだ。この程度は日常茶飯事なのかもしれない。

「で、どうなの?治樹って彼女とかいるの?倉岡さんに聞かれたから、僕は知らないって答えておいたけど。」

「何言ってるんだよ。お前が一番知ってるだろ?俺に彼女がいないって事は。」

「そうは言っても、治樹は顔広いし、僕の知らない知り合いたくさんいるからさ。もしかしてって事もあるでしょ?」

治樹はジト目で僕を見て、はあっと溜息を吐いた。

「もし彼女が出来たとしたら、お前には報告してるよ。少しは信用しろよ。友達だろうが。」

「分かったよ。分かったからそんな目で見るな。つまり治樹はフリーって事でいいんだね。」

「おうよ、確認するな!」

「それで、その、どうするつもり?僕は倉岡さんの事よく知らないけど、治樹は親しかったりするの?とりあえず、話くらい聞く?」

僕の質問に、治樹は首を横に振った。

「いーや、俺の何が気に入ったのか知らないけど、倉田さんの気持ちに応えてやる事は出来ない。ヘンな期待持たせるより、ちゃんと断ってやった方が本人の為だろ。

しかし、そもそもこれはホントにラブレターか?とりあえず読んでみるか。フェイントかもしれん。」

そう言うと、おもむろに封を切って中身を取り出そうとする。

「ちょ、ちょっと待ってよ。せめてどっか1人のところで読みなよ。他人の前で手紙を晒しちゃうのはさすがに失礼だって。」

「なるほど、確かに、お前の言う通りだ。」

治樹は感心したように頷くと、封筒をポケットに仕舞った。

「そういや、さっき彼女ができたら僕に報告するって言ってたけど、僕が一度も報告を聞いたことないのはどういう事?」

「どういう事も何も、そういう事だよ。悪いかっ。」

「悪くは無いけどさ。不思議だよ。付き合ってみようと思った人とかいなかったの?治樹って女子にやたら人気あるし、告白される事も多いでしょ。」

「多くは無いよ。」

仮に謙遜ではないとしても、やはりそれなりに告白された経験があるという事か。

「それより、お前はどうなんだよ。お前こそ最近俺に言ってない事が多くないか?」

いきなり切り返されて、僕は少したじろいだ。

「何言ってるんだよ!隠し事なんて・・・」

「神谷涼子って娘の事も、いつ説明があるか、待ってたんだけどな。」

「うっ・・・」

いきなり痛いところを突かれた僕に返す言葉は無い。

「西原の事は、どうするつもりなんだ。」

「どうするって、何をだよ。」

治樹の口ぶりは、まるで僕が浮気者だと言わんばかりだ。

それが事実であれば反省のしようもあるが、残念ながら僕には、西原とも、涼子ちゃんとも、やましい既成事実は一切無い。この場合、未遂は罪になるのだろうか・・・

「勘違いだって。治樹が思ってるような事は何も無いよ。」

「何も無い2人が、毎朝連れ立って登校するもんかね。幼馴染じゃあるまいし・・・」

「それは、その・・・」

誤解には違いないのだが、隠し事があるのが事実である以上、旗色は悪くなるばかりだ。

呆れた様に首を振る治樹。

「もし本当に何も無かったとして、お前は2人の事をどう思ってるんだ?」

「どうって・・・2人とも、大切な友達だよ。」

「そんなことを訊いてるんじゃない。俺は、お前と西原はお似合いの組み合わせだと思ってたんだ。

だけどな、最近、段々分からなくなってきた。お前は2人のどっちを選ぶつもりなんだ!?」

「え、選ぶってなんだよ!僕はそんな立場にいられる人間じゃない!」

審査員よろしく2人を比較して優劣を決めろというのだろうか。僕のようにつまらない人間が、そうやって彼女たちを上から目線で見るなんて、おこがましい事この上ない。

僕が勝手にどちらか決めたとしても、西原にも涼子ちゃんにもその気は無いに決まっている。友達としてしか見られていない筈だ。


「あのなぁ・・・俺はな、お前と西原なら、いいと思ってたんだ。お前と西原だったら・・・その・・・諦められるって・・・」


「・・・えっ?」

治樹が奇妙なことを口走ったので、僕は思わず訊き返した。

「だああっ!何でも無い!今のは無しだ。忘れろっ!!」

「忘れろって言ったって・・・もしかして、治樹、その・・・」

「言うなっ!もう何も言うなっ!!お前も、西原も、俺にとって大切な友達だ。それはこれからも変わらない。だから、さっきのは忘れてくれ。」

治樹の反応が僕に全てを悟らせた。

治樹は、西原の事が好きなのだ。その上で、僕の気持ちを優先させようとしてくれている。

それに対し、僕の方はどうだろう?

僕は、正直、治樹に嫉妬してばかりだった。

客観的に見て、治樹はカッコいいし、人当たりも良くて、人間的魅力に溢れている。

多少軽そうにも見えるが、人一倍情に厚い事は僕がよく知っている。

僕と西原とでは釣り合わないこと甚だしいが、治樹と西原ならどうだろう・・・

想像の中で2人を並べてみると、悔しいことに、嫌になるくらいぴったりくるのだ。

西原は魅力的だから、今は恋人がいなかったとしても、いつかは彼女に相応しい誰かと付き合い始めるだろう。その時がいつまでも来なければいいと願うばかりなのだが・・・

相手が治樹だったら、仕方ないかもしれない・・・

そう思っていたのは、むしろ僕のほうだった。

「治樹・・・僕はっ・・・」

「言うなって!言わなくても分かってるよ。」

そう言い張る治樹だが、僕は治樹がどのような誤解をしているのか全く見当が付かない。


「それより、だ。最近、西原の様子が何かおかしいと思わなかったか?」

「様子っていうと・・・」

「虚ろな表情というか、友達と無邪気に笑いながら会話してる合間に、フッと魂が抜けた様な顔をする事が多いように感じて、気になってたんだ。

それで、友人のツテで色々探ってたんだけど、どうやらアイツ、部活で問題を抱えてるらしいんだ。

何でも、西原の自主練参加率の低さが気に入らない合唱部員数人が主導で、西原を部から孤立させようとする動きがあるらしい。特に中心的役割を担っているのが・・・」

「・・・森田さん。」

思わず治樹の言葉を先回りすると、治樹はほぉっと感嘆めいた声を漏らした。

「もしかしたらもう知ってるんじゃないかと思ってたけど、やっぱりな。」

感心してもらって申し訳ないが、僕がそれを知ったのはつい先刻、しかも偶然の産物である。それに比べ、治樹は自分で西原の変化に気付き、独自に調査までして、事実にたどり着いたのだ。

(ホント、どっちが西原に相応しいかなんて、考えるまでも無いよな・・・)

頭を巡る自嘲的な思考は、治樹の声によって断ち切られた。

「お前はどう考えてる?今回の件はどこらへんに原因があると思う?」

僕のような付き合い下手が人間関係について適切な意見を言えるとは思えないが、回答を求められているのでとりあえず自分の考えを口にする。

「う~ん、森田さんが悪いっていうより、まあ、それはそうなんだけど、すれ違いというか、思い違いの部分が大きいと思うんだよね。西原の合唱に対する真剣さが、森田さんには伝わってないっていうか・・・」

僕の言葉を聞いた治樹は、少しの間考える素振りを見せた。


「・・・ふむ、ちょっと俺に考えがあるんだけど、協力してくれないか?」


治樹の提案は、僕の想像をはるかに超えた大胆なものだった。

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