第4話 萌芽
「先週の火曜日に出した課題、回収するぞ。」
その日、国語の授業開始早々に、座間先生がそう告げた。
『羅生門』において、老婆の着衣を剥ぎ取った下人がその後どうなったのかを推測して纏めるのが、課題の内容らしい。しかし僕には、そんな課題が出されたという記憶は全く無かった。
回収された課題の内幾つかは生徒自身によって発表された。
西原も指名され、彼女らしい想像力を目一杯披露していた。
「私は、この下人は改心して、新しい主人の許で真面目に働いたと思います。
この下人は元々正義感の強い人なんです。老婆への怒りや反感が一時的に判断を狂わせただけです。
因果応報の担い手として老婆を咎めようとする気持ちが、自分が悪事を働いているという認識を薄れさせたのだと思います。
本文中には、彼が盗人となる決心をした様に書かれていますが、私はそうは思いません。
確かに、彼には『生きる為には盗みを働くしかない』と弱気になる面もありますが、羅生門という異常な環境を脱した時、真っ当な人間から何かを盗み取る事なんて、彼には出来ないのではないでしょうか。」
うむ、と頷く座間先生。西原の回答は一定の評価を得た様だ。
おそらくこのような答えも先生の予想の範疇なのだろう。
一通りの意見を聞き終えた先生は、さて、と僕の方に目を向けた。
「白峰君は先週の火曜日休んでいたな。纏まって無くてもいいから今の自分の考えを言ってみなさい。」
休んだっけな・・・記憶を掘り起こしてみるものの、どうしても思い出せない。
「聞こえているかね。」
先生の催促に、僕は渋々腰を上げる。
「さあ・・・取り敢えず自殺はしてないと思いますけど。」
「もういい、座りなさい。」
僕の答えは、先生には“反抗”と映ったらしい。
まあいいや、と思いつつ、僕は再び火曜日の事に思考を戻す。
(っ!そうだ!火曜といえば、登校路であの不思議な少女に出会った日だ!
・・・あれ、それは水曜だっけ?)
放課後、僕は4時限目の国語の授業を思い返していた。
(羅生門・・・か・・・)
飢饉の折、主人から暇を出され、途方に暮れながら雨宿りをする下人。
門上には、捨て置かれた骸の数々。
4、5日間仕事も無くうろついていた訳だから、下人は随分と飢えていた事だろう。
それは、死すらも覚悟せざるを得ない極限の状況だったのではないか。
そんな極限の下で、人はどのような行動を取るものなのか・・・それは、本人であっても、自分がそういう状況に置かれるまで分からない事だ。
無論、それは僕にだって当て嵌まる訳で、極限状態で自分がどんな行動に出るかなんて分かる筈も無く・・・
(いや、そうでも無いのかも。)
そこまで考えて、僕はふと思い直した。
方向性は全く違うが、中学の頃の僕は、ある意味極限にあったと言えるのではないだろうか。
ほんの些細な切欠で普通の生徒がいじめのターゲットになる・・・よくそんな言い回しを耳にするが、それは事実ではない。
全てが、とは言わないが、いじめられる人間というものは、性格的にそういう要素を持っていると考えた方がいい。大抵の場合、いじめを受ける生徒はどこか卑屈だったり、弱気だったりするものだ。しっかりした精神の持ち主はいじめられたりなどしない。
自分が何故いじめにあうのか分からないという訴えを不憫に思う人もいるかも知れないが、それよりも最悪なのは、いじめられる原因が自分にあると分かってしまう事だ。
日常の端々で自分が最低の人間だと知らされる苦痛は、どうにも耐え難いものである。
かつてその苦痛に晒された時、僕は出来る限り外界から感覚を遮断する事を選んだ。
何も感じず、何も望まず、自分に何も期待せずに、ひたすら無感覚の檻の中に閉じこもる・・・例えば自分がこの下人のような立場にあったら、小さくうずくまって、不快だとか空腹だとかいう感覚から逃げて、ただ餓死するのを待つのではないか・・・そんな気がした。
取り留めなくつらつらと考えを巡らせながら、僕は階段を上っていく。
屋上へと続くその階段には、いつも通り人影は無かった。
突き当たりにある扉に手を掛け、開け放つ。
途端に眩しく差し込んできた西日に目を突かれながらも、僕はぼんやりとした視界のまま日差しの下へと歩み出た。
風に当たりに屋上に来るのは、僕にとって珍しい事ではない。
ただ、今日は先客がいたようだ。よく見えないが5人くらいの集団である。
どうも落ち着けるような雰囲気ではなかったので、僕は諦めて帰ることにした。
だが、振り返ってみると、校舎に戻る扉は閉ざされ、見知らぬ生徒がタバコを踏み消していた。今まで気付けなかったのは、扉の死角になっていたせいだろう。
僕の退路を阻んでいるその生徒は、赤い髪を弄りながらこう切り出した。
「なあ、お前、金持ってる?」
嫌な予感がした。
「10カートンくらい吸いたいんだけど、お前の有り金で足りるか?」
背後から、くっくっ、という忍び笑いが聞こえる。
いつの間にか、僕は完全に取り囲まれていた。
はあっ、と溜息を吐きつつ僕が財布を取り出すと、それはたちまち彼らによってむしり取られた。
中には現金が2千円程入っているが、ここは下手に抵抗しても仕方が無い。なるべく怒らせない事が第一だ。
カード類に関してはカード会社に電話を入れて使用停止処理をお願いすれば事足りる。まあ、多少面倒ではあるが。
ついてないな・・・
彼らが中身を物色している間に僕はその場を立ち去ろうとした。
しかし、赤い髪の生徒がそれを許さなかった。
「おい、これじゃ10カートン買えねえじゃねえか。」
そういいつつ財布を僕に投げてよこす。
それを受け取ろうと手を伸ばした僕だったが・・・
がすっっ!!!!
刹那、右の頬に衝撃が走り、僕は地面に這いつくばった。
続け様に襲う、脇腹への激痛。
「・・・っ!ぐうぅ・・・!?」
大の字に倒れた僕を、しかし彼らは休ませてくれなかった。髪の毛を鷲掴みで強引に引き起こされる。
「あ~ん?誰が帰っていいって言ったよ。」
うっすらと開いた僕の目に映ったのは、嗜虐に酔い切った様に口元を歪めたニヤけ顔だった。
「おるぁっ!!!!」
腹部に拳打がめり込み、強烈な痺れと激痛に視界が暗転しかける。
「う・・・く・・・」
堪らずに倒れ込んだ僕は、咄嗟に頭を抱えて丸まった。
そんな僕の抵抗をあざ笑うかの様に、掬い上げるような蹴りが四方から僕の体に突き刺さってくる。
「顔は避けろよ、バレるとウザいしな。」
その指示に容赦の色は微塵も無かった。
「ふっ、ぐふぅ!・・・が、はぁ・・・」
打撃を受ける度におかしな呻きが自分の喉から際限なく湧き出るのを止める事ができない。
ごきぃっっ!!!!
「があぁぁぁっ!!」
嫌な音がした。激痛にのたうつ僕の耳に入ってきたのは、楽しそうな嘲笑だった。
「うっは!芋虫みてぇ!!」
彼らは新しい玩具を手に入れた子供の様に、飽きもせず執拗な殴打を繰り返した。
やばい・・・僕の中の生命体としての本能が警鐘を鳴らしていた。
意識が朦朧としてくる。
次第に、痛みという感覚が曖昧になる。全身が燃える様に熱い。
ヘッドホンで大音量を流しているみたいに、頭の中で何かがガンガン鳴り響いている。
僕は・・・ぼくは、どうして殴られてるんだろう。
何かわるいことしちゃったかな。
痛くされるのは、ぼくがわるい子だから?
ぼくが生きる価値の無いゴミ以下の存在で、どうしようもないクズだから?
『違う、そうじゃない。』
誰かの声が聞こえた気がした。
『そうじゃないの。あなたは悪くない。悪いのは全部・・・私の・・・』
それは、穏やかで、暖かくて、そして悲しい声だった。
その声を聞いている内に、僕の体は不思議な浮遊感に包まれていった。
よせては、かえし、またよせて・・・
どこからとも無く溢れてくるさざなみの音・・・僕の心の奥底から溢れ出した旋律はやがて大きなうねりとなり、外の世界を満たし始めた。
意識が徐々に覚醒していく。
眼前には、狂気と呼ぶに相応しい光景が広がっていた。
少年たちが、屋上を囲む塀の上に立って歩いている。
吊り人形の様に、かくり、かくりと揺れながら歩いている。
1人、また1人、風が吹く度に声も上げず落ちていく彼ら。
「きゃあああああ!!!!」
下の校庭には生徒が疎らに残っているのだろう。
昇ってくる悲鳴が遠巻きにさざなみの旋律を乱す。
これは、僕が望んだ事だろうか・・・
目の前の状況をすぐには認識し得ずに、僕はその様子をぼんやりと眺めていた。
皮膚が裏側から泡立つ感覚・・・それは恐怖とも高揚ともつかない、未知の情動だった。
やがて、塀の上には1人の生徒を残すのみとなった。あの赤髪の生徒である。
ふらふらと何度も落ちそうになりながら、どうにか堪えている様にも見える。
不意に、突風が吹き抜けた。
彼は風に押されて、どすっ、と内側に倒れ込んだ。
非現実的な光景の中で、口の中に滲んだ血の味だけがリアルに知覚された。
「龍さんは、立派だね。」
聞き覚えのある声に振り向くと、そこには漆黒のコートを纏った少年が佇んでいた。
・・・鴉だ。
「龍さんは、生きる事を諦めなかったんだ。立派な勇気だよ。」
解る様な解らない様な鴉の言葉を深く吟味する気力は僕に残されていなかった。
僕の口から零れたのは、当然ではあるものの、ある意味緊張感に欠けた問いの言葉。
「どうしてこんなところにいるの?」
その問いに対し、鴉は心外そうに首を傾げて、こう返した。
「ここが羅生門だからさ。」
--------
「調子はどう?龍輔クン。」
入院着に袖を通した僕は、その裾を握り締めながら、
「大分良くなりました。ありがとうございます。」
ここでの休養は今日で3日目になる。
一昨日の放課後、「ここにいると面倒な事になるよ」と言った鴉が、僕をこの民家まで連れてきたのだ。
外装はどこからどう見てもただの民家。しかしその一室には、ベッドから医療機器まで、およそその佇まいにそぐわない医療設備が整っていた。
僕を連れてきた当の鴉は、要女先生に「後はお願い」と言い残して、どこかへ行ってしまった。
この民家の主は、1人の女性だった。親の世代よりはかなり若く見える。
しっとりとウェーブのかかった黒髪、縁の無い眼鏡が良く似合う、大人の女性という表現がピッタリなこの人物は、自分の事を要女とだけ名乗った。
ここに来た当初の僕は、正直酷い有様だった。
気が緩んだせいか、思い出したように体中が痛み出し、食事も喉を通らなかった。
点滴で栄養補給をしつつ、今では要女先生の作った流動食を何とか食べられるまでには回復した。
「全治1ヶ月ってとこかな。結構危ない状況だった様ね。肋骨にヒビが入ってるし、内臓もダメージを受けてる。」
それが要女先生の診断だった。
テレビでは、ニュースが流れていた。“高校生集団自殺事件”の続報である。
5人の生徒が即死。現場の屋上に倒れていた少年から事情聴取するも精神障害の疑いありと報じられていた。
あの出来事が夢ではなかったという事を、改めて実感させられる。
思い出すたびに、凍りつく様な悪寒に苛まれた。
あまりに現実味の無い体験でありながらも、自分が加害者だという妙な確信があった。
言うなれば、僕があの5人の背中を押したのだ。手のひらにそのときの感触が蘇ってくるような錯覚さえした。
吐き気がする。
食欲がなかなか戻らない原因はそこにもあった。
「随分、派手にやったようね。」
テレビを見ながら、要女先生が呟いた。
こちらを振り返った訳では無いが、その含みのある口調に、ああ、この人は何か知ってるんだ、と直感した。
堪らなくなって、僕は独白を始めた。
「どんなに殴られても、彼らの気が済めばそれでいいと思ってました。でも、段々耐えられなくなってきたんです。
殴られて、蹴られて、這いつくばって転がる自分が、情けなくて・・・彼らなんて、いなくなればいいって思いました。そうすれば、こんな思いをしなくて済むって・・・
そしたら、体の芯が熱くなってきて、気が付いたら、あんな事に・・・」
言葉にすると、あの時の事がより鮮明に想起された。
彼らの顔が、燐光の様に青白く、目の前に浮かんでは消える。
責めるでも、嘆くでもなく、押し黙ったまま虚ろな眼差しを僕に向けてくる。
「落ちていく彼らを見て、僕はほっとしてたんです。虫けらの様に、ただ落ちて、馬鹿みたいに、落ちて、落ちてっ・・・・!!」
抑えが利かなかった。最早何を言っているのか自分でも理解できない。
「あいつらが、死んで、僕が、僕が・・・ぐっ・・・かはっ!」
口の中がカラカラに乾いてきて、僕はこれ以上言葉を続けられずに咳き込んだ。
ようやくこちらに向き直った要女先生が、僕に代わって言葉を紡いだ。
「さっきも言った様に、あなたは危ない状況だったのよ。そのままリンチが続いてれば、肋骨が完全に折れて内臓を傷付けて、悪くすれば内臓破裂で死んでたかも知れないんだから。」
その顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
「龍輔くん、あなたは自分の命を見捨てなかった。それは誰からも卑下されるようなものではないの。」
落ち着いた口調が、僕の心の軋みを1つずつ解していく。
「彼らは、あなたという命に手を掛けようとした。それだけの代償を払う覚悟が、彼らには足りなかったというだけよ。」
先生の言葉を聞いている内に、なんだろう、よく解らない感情が僕の目頭を熱くした。
「あなたは悪くない。」
その一言が切欠だった。
視界がぼやけ、幾筋もの雫が僕の瞳から零れ落ちる。泣こうなんて思っていないのに、どうしてだか涙が止まらない。
不意に、僕の頭はふわりと柔らかいものに包まれた。先生の胸に抱き留められたのだ。
立ち昇る芳香を吸い込みながら、僕はその温もりに身を委ねた。
「怖かったのね、もう大丈夫。」
それは、遠い記憶の母の抱擁に似ていた。
--------
「よぉ!要女ちゃん、おるかぁ!!」
それは、翌日の昼下がりの事だった。
突然、ガシャッと扉を開ける音と共に、野太い声が玄関の方から聞こえた。
その粗野な響きに、僕は思わず身を竦めた。
「なあに、
一方の要女先生は落ち着いたもので、むしろやや呆れた様な調子さえ含ませてそう返した。
「なんやぁその言い草は。用が無けりゃあ来るなってか?」
「はいはい、それだけ元気なら今回は大した事なさそうね。」
「かすり傷やな、ちょっと肩に埋まったモン抜いてくれりゃあいい。」
ドタドタという足音が近づいてくる。
「おうっ、何でこんな坊主がここにおるんや!?」
現れたのは、岩の様な立ち姿だった。
てらてら光沢を放つ背広に身を包み、オーバーコートをマントの様に羽織っている。こんな季節に真冬のような格好をしているせいか、顔にはびっしりと汗が浮いていた。
ハンカチで額を拭うゴツゴツした手は大仰な指輪で彩られ、お世辞にも品があるとは言えない。
「数日前からウチに入院してるの。ウチには余剰が無くて個室は用意できないし、あなたにはそこの空いてるベッドで我慢してもらうから。」
「ほう、こんな坊主がお前のところにか。また新しいガキを飼う気になったんか?」
「やめてよ、人聞きの悪い。」
「ぐっはっは、まあ、あのクソ生意気なガキにくらべりゃあこっちの坊主は幾分可愛げがありそうなツラしとるわ。
おい、坊主、名前は何て言うんや?」
「え、あ・・・龍輔です。白峰龍輔・・・」
「ほう、リュウスケか。なんや気合の入った名前やないか。どう書くか教えぇや。」
向かいのベッドに腰かけたその男に、僕は口で説明しづらい自分の名前を宙に鏡文字で書いて伝えた。
「おうっ、ドラゴンの龍か!いい名前や!
俺は猪川達治って言うんやけどな。ガキん頃は自分の名前の
随分人懐っこく話しかけてくる人だったが、僕はとにかくその容姿と大きな声に圧倒されっ放しだった。
「あんまり龍輔クンを怖がらせないでよね。それじゃ、私はちょっと準備してくるから達治さんはここで待ってて。
全く・・・事前に電話でもくれればすぐに術式に入れたのに。」
そう言いつつ、要女先生は部屋を出て行ってしまった。
「ん?どした、えらい元気無いなぁ。遠慮は無用や。何か言わんかい!」
「え・・・えと、タツジさんは、どんな字を書くんですか?」
僕はとりあえず適当に質問を返す。
「達ってのはぁ達人の達や。それに怪我が治ると書いて達治。お陰で傷が塞がる早さやったら若いモンにも負けん。」
自慢げにそう言いつつ、達治さんは羽織っていたコートを脱いで外套掛けに掛けた。
「ひっ・・・!」
堪える間もなく、僕の口から悲鳴が漏れる。
コートの下に隠れていた背広の左肩の辺りは、べっとりと赤黒いもので染められていた。
(・・・血??・・・け、怪我??・・・)
頭が混乱する。目の前の人物がいつの間にか途轍もない存在に変容した様に見えた。
「何や?怯えとんのか?お前もこの病院に掛かっとるならこれくらい見慣れとるんやないんか。」
言っている事の意味が解らない。
「ここに掛かってるから・・・慣れてるって・・・」
「だから、普通のヤツは闇医者なんかに掛からんやろ。ここの要女ちゃんは何でも昔の研究で医師免許剥奪されたとかで、闇医者家業やっとるっちゅう話やけど・・・何も知らんで入院しとんのか?」
「・・・」
達治さんの言葉に、僕は呆気に取られて声も出なかった。
「てっきり、どこぞの組員のガキか何かと思っとったが・・・お前は何でここに入院しとるんや?」
質問した達治さんの視線が僕から僅かに逸れ、壁の一点に止まる。
「ぬ・・・お前、そこの高校の生徒か?」
視線の先には、壁に掛けられた僕の制服があった。
難しい顔をして小さく唸る達治さんの様子に、僕はぎくりとした。何か知っているのだろうか?・・・いや、知っていたとしてもそれが僕に関わる事である可能性は低い筈だと、自分に言い聞かせる。
「あの高校で・・・4日前やったか、ガキ共が束んなって屋上から落っこちるっちゅう事件があったやろ。奴ら、ここいらの組ん中で最近幅利かしとるところの、末端の売人やっとったガキどもでな。」
・・・最悪の展開だ。
「派手に売りさばいとったから、対立する組のモンに粛清されたんやないかっちゅう噂が立ったんやが、何せ時間も場所も悪すぎる。
まだ生徒の残っとる放課後の学校なんぞに忍び込んで事を成すんは至難の業やからな。
そうは言っても、売りモンに手をつけたガキ共が屋上でパーティーやってトチ狂った挙げ句揃って身を投げた、なんちゅう話で仕舞いにできそうも無い気がしとったところや。」
達治さんの目が、すっと細められる。威圧感の塊がぐわっと吹き付けてきた様な感覚に襲われ、僕は身震いをした。
「そうか、お前がやったんか。」
ここは嘘でも否定しなければいけないところだ。そう思っていても、達治さんの眼光に射抜かれて舌先まで凍り付いてしまっている。
「お前、何者や。
ガタイも無いのに、どうやって奴らをやった?何か得物使うんか?
見た感じ、掃除屋って風でも無いな。目的は何や。」
立て続けの質問のどれに対しても、僕は答える事ができなかった。
「・・・ごめんなさい。」
気が付けば、僕の口からはそんな謝罪の言葉が零れていた。
震えが止まらない。自分が自分でなくなってしまいそうで、僕は両手で自身を強く抱きしめた。そうしていないと、押し込めている心がバラバラに弾けそうな気がした。
ふうっ、と溜息を吐いて、達治さんが静かな口調で問いかけてきた。
「初めてか、人を殺したんは。」
殺す・・・自分の行為をはっきりと言葉にされた事が、僕の動揺を深くした。
「さてと、用意ができたからこっちに来てちょうだい。」
戻ってきた要女先生が、達治さんにそう促す。
「そいじゃ、ちょっと行ってくるわ。また後でな。」
要女先生の後に続いて出て行く達治さん。
部屋には、僕1人が残された。
慣れないベッドにぽつんと座る僕は、どこまでも孤独だった。
西原や、治樹や、涼子ちゃんの顔が次々に浮かんでくる。
僕はまだ、みんなに笑いかけてもらえるかな。
僕はまだ、みんなと同じでいられてるかな。
いや、そもそも今まで同じだったなんていうのが思い上がりなのかもしれない。こんな僕にも優しく話しかけてくれるから、僕は自分が一端の人間であるみたいに勘違いしてただけなんだ。
窓の無いこの部屋で、僕の不安は行き場を失い充満していった。
僕は、はたして存在する事が許されているのだろうか。
湧き上がる問いは、答えを与えられる事も無く、宙にふわふわと漂い続けていた。
--------
「おい、坊主。ちょっと俺に付いて来い。」
その日の夜、手当ての済んだ達治さんが僕に声を掛けてきた。
「え、あ・・・どこに・・・?」
「いいから来いや。おーい!要女ちゃん。地下の射撃場借りるでぇ!」
「ちょっと、まだ麻酔も切れてないんだから大人しくしてたらどうなの。」
「右手が動けば充分や。この坊主も連れてくからなー!」
「はいはい、電子ロックは解除しとくから。」
訳も解らぬまま、僕は達治さんの背中に付いて行った。
達治さんは、ダンボールが積まれた物置の様な部屋に入ると、ずんずん奥に進んでいく。
そして、突き当たったところで、何の変哲も無いコンクリートの壁に手を当てた。
途端に、がうんっ、という音がして、振り向くと今までただの床だった箇所がせり上がっていた。
浮いた床石はそのままスライドし、そこに出現したのは地下へと続く階段だった。
「要女ちゃんの部屋の電子ロックとここの壁の静脈認証の2重セキュリティや。どうや、カッコいいやろ。これだけ厳重やから俺らも安心して使えるんや。」
何故か達治さんが自慢げに胸を張る。
階段を降り切ると、大型デパートの地下駐車場の様なだだっ広い空間に辿り着いた。
ゴルフのショット練習場みたいな仕切りがずらりと並んでいて、遠くには人型の的が見える。
「坊主、銃は使った事あるか?」
「い、いえ・・・」
「まあ、普通そうやろな。」
達治さんは仕切りの1つに入って、自分の懐に手を差し込んだ。
取り出したのは、黒い金属光沢を放つ物体。
拳銃だ。
斜に構えた達治さんは、銃を握った右手をすっと前に伸ばして狙いを定めた。
ガアァァァン!!ガアァァァン!!
「くっ・・・!」
鼓膜を突く轟音に、僕は咄嗟に耳を塞いだ。
人型の的の胴体部分、幾重にも引かれた同心円の中心付近に、2つの穴が穿たれているのが遠目に見えた。
「ほれ、お前も撃ってみろ。マニュアルセーフティは付いとらんから無闇に引き金に指掛けるなや。」
達治さんに渡された拳銃はずっしりとした手応えで、異様な存在感があった。
「ここは反響大きいからお前はこのイヤープロテクターしとった方がいい。会話とかは普通に聴こえる筈や。」
耳当てをすっぽりと被らされた僕は、見よう見まねで的に銃を向けた。
「おっと、そうやない。最初の内はしっかり両手で構えるんや。左手はグリップを下から包むような感じで・・・そう、そうや。しかっりと足を踏ん張って重心を安定させて・・・おう、それで撃ってみろ。」
言われるままに、トリガーを引き絞る。
ガアァァァン!!
「うわっ!」
思った以上の反動で、弾は的の上方に大きく逸れた。体を伝う衝撃が脇腹の傷に障り、僕は少しだけ顔をしかめた。
「あっはっは!まあ、最初はそんなもんや。」
達治さんが愉快そうに笑った。
行き付けのゲーセンではガンシューティングのハイスコアを持っているが、これはゲームのフォースフィードバックとは比較にならない。
呼吸を整え、僕は再び的に銃を向けた。
跳ね上がりを計算し、照準を合わせる位置を修正する。
ガアァァァン!!
今度は、銃弾は的の胴体のど真ん中に吸い込まれた。
「おっ!やるやないかぁ!」
声を上げる達治さん。
「えっと、あと数発撃ってもいいですか?」
「かまわんよ。弾倉に入っとる分は好きにせぇ。」
達治さんに許可を貰い、僕は的に向き直った。
ガアァァァン!!ガアァァァン!!ガアァァァン!!
3連射。イメージとしてはさっきの弾痕を通す感じだ。
無理に反動を押さえつけると怪我が痛むので、小さく円を描く様に銃身を回しながら撃つ。
大体思い通りに着弾し、的の穴は1つに繋がって歪な形となった。
「・・・ほぅ。」
心なしか、達治さんの声色が変わった様に感じられた。
「ありがとうございました。」
イヤープロテクターを外しながら拳銃を返すと、達治さんは弾倉に弾を詰め直して懐に仕舞った。
無心になって的を撃つのは、ちょっとした爽快感があった。先程までより少し心が軽くなった気がする。
「お前、見かけより使える奴かも知れんな。表の世界でどうにもならんようなったら、俺に連絡しろや。組の方で面倒見たる。」
「え、僕が・・・ヤ、ヤクザ・・・ですか?」
「そんなに変な話やない。ヤクザもんの世界は所詮表で生きていけんようなった連中の吹き溜まりや。エリートヤクザなんてもんは殆どおらん。何か1つ秀でたもんを持ってりゃあ重宝される。それが表で嫌われる類であっても、違法であってもや。
まあ、入ってくる奴は跳ねっ返りのガキ共が多いから、お前みたいなのは珍しいけどな。」
僕が何も言えずにいると、達治さんは複雑な笑みを浮かべた。
「俺が初めて人を殺したんは、丁度お前とおんなじくらいの歳の頃やった。」
達治さんの口調は穏やかだった。
「俺を女手1つで育てとったお袋が首括ってから、自分でも訳が解らんまま自棄んなって生きとる内に、いつの間にやら殺すか殺されるかの世界に足を踏み入れとったわ。
初めて殺しをやった夜は、寝るに寝れんやった。ようやっと眠ったときには、自分が取り返しのつかんところまでドブ色に染まっていく夢を見て飛び起きたもんや。自分はもう完全に人の道を踏み外したんやと、そう思った。」
壮絶な話だ。僕が想像できる域を超えている。
それなのに、その端々には、不思議と共感を呼び起こすものもあった。
ぞくり、と、背筋を這う様な嫌な感覚に襲われた。
戸惑う僕の心中を見透かすかの様に、達治さんがフッと笑い声を漏らす。
「今思い返すと、やたらと追い込んだ考え方しとった所がいかにも青臭くて、自分でも恥ずかしくなるわ。」
無責任とも取れるその言葉に、しかし、軽薄さは一切感じられなかった。
「裏社会におると、外国の貧民層上がりの輩を相手にする機会が多いんやけどな、奴らを見とると、国同士の関わりっちゅうのが富と資源の奪い合いやって事がよう解る。日本の普通のサラリーマン連中の生活も、結局は貧しい国から吸い上げる事で成り立っとる。それで向こうにもたらされるんは、飢餓と貧困や。
結局はどこの世界の人間も、殺し合いしながら自分の生きる場所を守っとるんや。俺が銃を取るんも、ただそれだけの事かもしれんなぁ。」
達治さんがどういうつもりで僕にこんな話をしたのかは解らないが、自戒の様なその言葉は、僕の心に深く染み渡った。
お前も考えすぎず思うように生きればいい・・・そんな励ましに、僕には聞こえた。
「ありがとうございます。」
「ん、なんや。こっちが一方的に身の上しゃべくっとっただけやのに、礼なんぞ言われると気持ち悪いわ。」
バン、と、力強い平手が背中に見舞われた。
「いっ!・・・つっ・・・」
「おっと、すまん。お前も怪我人やったな。うっはっは!」
「い、いえ・・・」
豪放な笑い声が、胸に溜まった泥濘を吹き飛ばしてくれる。
達治さんを怖いと思う気持ちは、もうすっかり消え失せていた。
その日の夕食を前に、達治さんはここを発った。
「気が向いたら、ここに連絡せえ。」
別れ際、裏に携帯番号の書かれた名刺を渡された。射撃場での誘いは丸っきり冗談という訳でも無かったらしい。
「それと、これもやるわ。餞別や。」
そう言って達治さんが僕に握らせてきたのは、1発の弾丸だった。
「実弾持っとる高校生なんぞ、なかなかおらんでぇ。そやからって見せびらかしたりするなや。」
「子供じゃないんですから・・・」
「高校生ゆうたらまだまだ子供や。片意地張らんでええ。」
「えっと、それだと見せびらかすなと言ってるのか見せびらかせと言ってるのか解りませんよ。」
「くっくっ、言うようになったやないか。そいじゃ、もう行くわ。じゃあな。」
「はい、お元気で。」
ひらひらと手を振りながら歩み去る達治さん。
ありがとうございます・・・僕はその後ろ姿に、もう1度、心の中で謝辞を告げた。
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