第9回 いきなり結婚!?

「恐竜?」

「そうだよ。この頭の形なんて、ティラノサウルスとかアロサウルスみたいだよ。父さんは言ってた。地球は広いから、まだどこかのジャングルの奥に恐竜が生き残ってても不思議じゃないって。もし恐竜だったら大発見だよ!」

 知絵は笑った。「あのねえ夕姫。ここをどこだと思ってるの?」

「どこって……中米でしょ?」

「メキシコ湾の近くよ」

「それが?」

「六千五百万年前に、ここで何があったか知ってる?」

「六千五百万年というと……そうか、恐竜の滅びた時代だね!」

「そう。ユカタン半島の北の端にあるチクシュルーブっていうところの沖合に、直径十キロもある小惑星が落ちたの。その衝撃はものすごくて、直径一八〇キロ、深さ九百メートルもあるクレーターができた。破壊力は一億メガトン――広島に落ちた原爆の七十億倍ぐらいの威力と言われてる」

「ふえー、すごいね!」

「熱と衝撃で、落下地点の周囲、半径何百キロが壊滅したのはもちろんだけど、大量の塵や灰が空に舞い上がって、地球の空を何年も覆ったの。太陽の光が届かなくなって、気温が下がったから、たくさんの生物が死んでいった。恐竜だけじゃなく、地球上の全生物の七〇パーセントが絶滅したって言われてる」

「で、それが?」

「メキシコ湾の近くに住んでいた恐竜は、小惑星が落ちてきた最初の衝撃でみんな吹き飛ばされたか、その後に襲ってきた大津波に飲みこまれたかしてる。つまり、このあたりは、世界でいちばん恐竜が生き残っていそうにない場所なのよ」

「ああ、なるほどそうかあ」夕姫は大げさに感心した。「……で、恐竜じゃないとしたら、いったい何? やっぱり宇宙人? 幽霊? 妖怪?」

 知絵は肩をすくめた。「知らないわよ」


 その夜、村の人たちは知絵たちを歓迎してごちそうしてくれた。

 ごちそうと言っても、串に刺して焼いた魚、木のうつわに入ったどろどろした豆のスープ、イモの粉をこねて石の板で焼いて作ったお好み焼きのようなものなど、ちっとも衛生的じゃないし、お世辞にもおいしそうには見えない。実際、知絵はちょっとだけ口にしてみたが、魚以外はまったく口に合わなかった。夕姫もステラさんも、こういう原始的な食事になれていて平気だったが、文明世界の料理になれた知絵の舌には、まるで合わないのだった。

 特に困ったのは、親指ほどの大きさの白いものが山盛りになった皿を出されたことだ。地面を掘って見つけたカブトムシの幼虫だという。これはアロロ族にとってごちそうで、軽く火であぶって食べるとおいしいというのだ。

「へえ、ちょっと試してみよっと」

 しりごみしている知絵を無視して、好奇心旺盛な夕姫は、火であぶった幼虫をつまみ、ぱくっとかぶりついた。

「うん、ちょっと苦いけど、まあまあいけるよ」

「……ほんと?」

 知絵は信じられなかった。なれないから気味悪く思えるだけで、実際に食べてみたらおいしいのかもしれない。しかし、知絵は口にする気にはなれなかった。

 遠慮してると思ったのだろうか、あのムララという少年が、しきりに幼虫をすすめてきた。にこやかな顔で、知絵の口に幼虫を近づけ、「パー、ルーヴェニーザ、ブナビフェ」とくり返す。「食べてみろ」と言っているらしい。

 知絵は笑って手を振り、「ビサジェム、ビサジェム(いらない、いらない)」とくり返したが、ムララはしつこかった。いやがらせでやっているのではなく、本当に親切ですすめているのだ。知絵のことを気に入ったらしい。

 この村の人がみんないい人なのは確かだ――でも、あまり長くこの村にいたくないと思う知絵だった。


 その夜遅く――

 知絵は粗末なハンモックの中で、眠れなくて悩んでいた。今夜は長老の家に泊めてもらうことになったのだが、夕食をあまり口にしなかったので、おなかがすいてきたのだ。しかも腕時計を見ると、まだ八時半だ。

(こんなに早く、眠れるわけないわよ)

 しかし、同じ家に泊まっている夕姫やステラさんは、ガーガーといびきをかいて眠っている。知絵は二人を起こさないように、そっとハンモックからぬけ出ると、リュックを持って家の外に出た。

 とてもきれいな満月が出ていた。月の光を浴び、村はしんと静まりかえっていた。都会なら夜九時をすぎてもあかあかと電気がともり、にぎやかだ。しかし、ここにはテレビもゲームもないから、みんな何もすることがなく、早くに寝てしまうのだ。

 知絵は家の裏に回りこむと、リュックから非常用のクッキーを取り出し、ぼりぼりとほおばった。「大自然の生活が健康的だなんてウソよね」と、小声でぼやきながら。

 お腹が少しふくれると、両親のことが恋しくなった。今度はリュックから携帯電話を取り出す。これは小型だが、人工衛星に電波を飛ばして、地球上どこででも話ができるというすぐれものだ。毎日、一日の終わりにメールを送っていたのだが、今日はママの声を聞いてみたくなった。七絵さんはまだプエルトリコにいるはずだから、時差はほどんどない。

(ママに泣き言を言おう)と知絵は思った。(こんなジャングルの暮らしなんてもういやだ、もうやめたい、早く日本に帰りたいって泣きつこう。わたしだってたまには、ママの前でわがまま言ってもいいはずよ。だって、こどもなんだから)

 そう心の中でつぶやきながら、携帯電話のボタンを押す。呼び出し音が何回かして、七絵さんの声が聞こえた。

『はい、竜崎です』

「あっ、ママ。わたし」

『あら、知絵。だいじょうぶ? 元気でやってる?』

 そう言われたとたん、知絵は反射的に「ええ、元気よ」と答えていた。

『村に着いたってメールがあったけど、いやなこととかされてない?』

「ええ、みんないい人たちよ」

『まあ、そう。安心したわ。なれないジャングルなんで、泣きべそかいてるんじゃないかと、ちょっと心配してたんだけど』

「ははは、やだ、泣きべそなんかかくわけないでしょ」

 そう言って笑いながら知絵は、心の中で自分をしかりつけていた。

(何言ってんのよ、わたし!? ママに泣きつくんじゃなかったの!?)

『さすが、知絵はお姉ちゃんだものね。こわいこととかはない?』

「う、うん。別にない」

『そう。ところで、例の暗号の謎は解けそうなの?』

「うん、もうちょっとのところ……」

『じゃあ、もうひとがんばりね。パパも期待してるわよ。夕姫と知絵ならきっとやれる、ぼくは信じてるって、力説してたわ』

 そんなことを言われたら、「もうやめたい」なんて言えなくなってしまう。

「パパのけがはどう?」

『ギプスは明日には取れるわ。お医者さんの話では、じきに歩けるようになるって』

「そう……」

『つらいでしょうけど、がんばってね。それから、体に気をつけて』

「うん、がんばる。それじゃ」

 電話を切って何秒かしてから、知絵は自分の頭をぽかりとたたいた。

「ああ、何でわたしってこうなんだろ……」

 ママに心配をかけてはいけない。ママの前では言うことをきくいい子で、優等生でなくてはいけない――何年もそうやって本当の自分をいつわる生き方を続けてきたせいで、知絵の心にはそれがしみついてしまっていた。ママに「だいじょうぶ?」とか「元気?」とかたずねられると、どうしても「ええ」と答えてしまうのだ。

「いやだ」の一言が、ママに向かってどうしても言えない。そんなことを言ったら、大好きなママを傷つけてしまいそうな気がして。

「わたしってだめだなあ……」

 そうつぶやいて、家にもどろうとしたそのとき――

「きゃっ!?」

 知絵は小さな悲鳴をあげた。いつの間にか後ろに人が立っていたのだ。

 よく見れば、それはムララ少年だった。

「ああ、びっくりした……ベー・キャム・フェムパー」

 知絵がアロロ族の言葉で「こんばんは」と言うと、ムララもちょっと照れ臭そうに「ブム、ベー・ヴリ・ワパー」と返事した。

「マムザ、ラムハベホヴォ・ティヴォッヴァムラ?」

「はあ?」

「ヤビノ・ボナベポ・ロヴォ、ウッヴォ、ラムハベ・ヴェヴァムザ。トザラヴェ、ボナベ、ラヤビ・ツヒス・ノムパ」

 ムララは早口でまくしたてる。

「えーと……」

 知絵はこまってしまった。知絵はものすごい天才だから、たいていの国の言葉は数週間で完全にマスターできる。でも、この村には着いたばかりで、まだあいさつの言葉やいくつかの単語しか知らない。長い文章はよくわからないのだ。

「フォワ、ヤビポ・ゾネジャムピ・パヤジェムラ?」ムララは今度は自分の胸を叩いて何か言った。「ボナベ・ポロヴォ・チバヤテピ・ツス・イチム・バスフェ」

 どうも、「おれってかっこいいだろう?」と言っているような気がした。知絵はステラさんから、「よくわからないときは『ベーフェ』と答えておくといいよ」と言われたのを思い出した。「いいね」という意味だという。

「ベーフェ」

 ムララは意外そうな顔をした。「ベーフェ? ジョムナピ・ベームラ?」

「あー、ベーフェ、ベーフェ」

「ローファム・ザ・モーヴェ? ヤビポ・ヴァネピ・ネチ・ヴルッヴェ・ルセス・ムラ?」

「ベーフェ」

「ウワーオ!」

 ムララは目を輝かせた。よっぽどうれしかったのだろう。知絵の肩をつかんで、また別の質問をぶつけてくる。

「ビヴザ? レッロムチリ・ビヴピ・チョブ? ジャサビ・ジョブハ・ベーパ? バチバジャ? バチバジャ・フォーワ?」

 おなかがいっぱいになって眠くなりかけていた知絵は、早くハンモックにもどりたくて、適当に「ベーフェ」と返事した。

「ウワーオ! ジョムナ・ザパ? ローファム・ジュリフェ・ボルタムミ・パッヴェ・ルセスム・ザジャ! ヤーブ!」ムララは飛び上がってよろこんだ。「ジョパ・バチヴァ・タットル・レッロムチリ・ザ!」

「あー、ベーフェ」

「ウワー!」

 ムララはひどくうれしそうに、踊るような足取りで走り去っていった。

「なんだったのかな……?」

 知絵は首をかしげたが、眠かったのでそれ以上深く考えることはしなかった。


 次の日は、朝からやけに騒がしかった。

「なんなの、いったい?」

 知絵はハンモックから起き出した。腕時計を見ると、午前七時だ。夕姫たちは先に起きたのだろうか、姿が見えない。知絵は目をこすりながら外に出た。

 村の広場には、村人たちが集まっていた。男も女も、羽かざりや腰みのでかざり立てていて、にぎやかに何かの準備をしている。お祭りでもあるのだろうか。

「夕姫~?」

 呼んだが返事がない。かわりに、うれしそうな顔のムララが飛んできて、手をつかんだ。

「チエ! ロッヴィ!」

「はあ?」

「ヤビサモ・レッロムチリ・ワ!」

 そう言って、ぐいぐいと知絵の手を引いてゆく。知絵は何がなんだかわからなかったが、とにかくついていった。

 広場のまん中で、女の人が、小さなつぼを持って待っていた。

「ロセヨ・プスムザ」

 ムララがつぼに指をつっこんで、中から赤い絵の具をすくい上げた。それで自分のほっぺたに模様を描くまねをする。同じようにして、知絵のほっぺたにも模様を描くまねをする。

「ああ、魔よけの模様を描いてくれるの?」

「トザ・トザ」

 たぶん、お祭りのときにはほっぺたに模様を描く風習があるのだろう。絵の具を顔につけるぐらいなら害はないはずだ。そう思って知絵は「ベーフェ」と返事した。

 女の人がまず、知絵の左右のほっぺたに、うずまきのような模様を描いた。同じ模様をムララのほっぺたにも描く。まわりには村の人たちが集まって、そのようすをじっと見つめていた。

 最後にムララが、きれいな石をつなぎ合わせて作ったネックレスを知絵の首にかけた。

「ラヤビーマ! ヤビポ・ボルタム・ザ!」

 ムララがそうさけぶと、村人たちがわっとおどり上がった。知絵はなんだかわからなくて、きょとんとしていた。

 ムララは知絵の手を取り、広場の中央に置かれた丸太の上に座らせた。自分もとなりに座る。その周囲では、ふたりをかこんで、村人たちが輪になって踊りはじめた。知絵もだんだん、何か変だと気がつきはじめた。

 そこに夕姫とステラさんがもどってきた。

「何やってんの、お姉ちゃん!?」

「どこ行ってたの?」

「お姉ちゃんが寝てたから、キャンプまでちょっと予備の食糧を取りに……ねえ、これってなんの騒ぎ?」

「さあ、何かお祭りらしいんだけど、よくわかんない」

 ステラさんが、ムララに何かたずねた。ムララがうれしそうに答える。それを聞いて、ステラさんの表情があおざめた。

「ねえ、知絵ちゃん、これって結婚式だよ!」

「はあ、だれのですか?」

 そう言ってから、知絵はどきっとした。

 おそるおそる横を向く。ムララはにこにこほほ笑みかけてくる。知絵は心臓がちぢみ上がるような気がした。

「まさか……?」

 ステラのほうを向き、自分とムララを指さして、

「……なんですか?」

「そうだよ。あんたとムララの結婚式。そのほっぺたの模様は、結婚するってあかし――結婚指輪みたいなもんだよ」

 知絵は悲鳴をあげそうになった。

「だ、だ、だってわたし、まだ十一なのに!」

「この村じゃ、十一歳や十二歳ぐらいで結婚するのがふつうなんだよ」

「で、でも、なんで……?」

「ムララは、あんたがオーケーしたって言ってるよ。『ぼくを好きか?』とか『ぼくのために一生、食事を作ってくれるか?』とか『ぼくと結婚してくれるか?』ってたずねたら、あんたが『ベーフェ』って答えたって」

「そんなあ!?」

 さすがに天才の知絵でも、まさか出会ったその日にプロポーズしてくる男の子がいるなんて、思うわけがない。

 そこへ長老がやってきた。やはり上機嫌でステラさんに話しかける。ステラさんはそれを通訳した。

「『ムララにいい嫁が見つかった』って言ってるよ。『美人だからきっと、じょうぶでかわいいこどもをいっぱい生んでくれるだろう』って」

「こども!?」

「だから、この村じゃ十二歳ぐらいでこどもを生むのは普通なんだよ」

「せ、説明してください!」知絵の声は裏返っていた。「誤解をといてください! みんなまちがいだって」

「いや、でも、こんなに盛り上がってるとなあ……」

 ステラさんは村人たちの陽気なうかれ騒ぎを見回して、ぼうぜんとなっていた。これでは「結婚はまちがいでした」と言い出せる状況ではない。

「どうするの、お姉ちゃん?」夕姫がおそるおそるたずねた。「ムララと結婚して、この村でずっと暮らす?」

 知絵はぶんぶんと首を横に振った。テレビもパソコンもない村で、カブトムシを食べて暮らすなんて、絶対にいやだ。

 でも、いったいどうすればいいのだろうか。

「こ、こうなったら……」

 知絵は携帯電話を取り出し、ボタンを押した。

「父さんたちを呼ぶの?」

「そんなことしたって間に合わない。結婚式が終わっちゃうじゃない」

「じゃあ、どうするの?」

「ロボットを呼ぶのよ」

 荷物運び用のロボットたちは、この村から少し離れたキャンプで待っている。電波で信号を送れば、いつでも呼び寄せられるのだ。

「何のために?」

「騒ぎを起こすの。ロボットが村に入ってきたら、怪物だと思って、みんなこわがって逃げ回るはず。そのすきに村から逃げ出すのよ」

「でも、だれかにけがさせたりしたら……」

「心配ない。ロボットは人間を傷つけないようにプログラムされてるから、ぶつかりそうになったらよけるわ」

 もちろん、おおぜいの村人が逃げ回っているうちに、だれかがころんで、ひざをすりむくぐらいの事故は起きるかもしれない。しかし、知絵はさすがにそこまで気にしてはいられなかった。このままでは結婚させられてしまうのだから。

 知絵は信号を送った。


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