第8回 未開の村
次の朝──
「じゃーん! お姉ちゃん、どう?」
夕姫はファッションモデルみたいに、くるりと回ってみせた。服は脱ぎ、ビキニの水着の腰のまわりに、ぼろぼろの布をパレオのように巻いている。この布がステラさんが持ってきた「いいもの」だった。
胸には木の実をつなぎ合わせて作ったネックレス。ひたいやほおにはステラさんの口紅で赤い線を何本も引き、頭には落ちていた鳥の羽根をつけた。すっかり先住民みたいなかっこうだ。
「ほ、ほ、ほんとにこんなかっこうで行くの?」
知絵も同じようなかっこうで、前を押さえてもじもじしている。夕姫とちがうのは、スニーカーをはいていることだ。夕姫はジャングルをはだしで歩くのになれているが、知絵はさすがにそこまでまねできない。
ロボットをつれて村に近づいたら、警戒されてしまう。そこで、ここにロボットを残し、なるべく先住民に見えるようなかっこうで近づこうというのが、ステラさんの案なのだ。計算では、村まで約二キロ。知絵の足でも歩ける距離だ。
「なんか……裸みたいで、すごくはずかしいんだけど」
「どうして? 水着だから、はずかしくないじゃん」
「そりゃあ、あなたはそうでしょうよ」
夕姫はやはり原始的な暮らしをしているニューギニアの先住民とも接したことがある。そのときは先住民と同じく、素っ裸になった。裸になることに何のためらいもない女の子なのだ。
「ニューギニアの人たちとも、この方法で仲良くなったんだから、きっとうまくいくって」
「どうだ、名案だろう?」
ステラさんも二人と同じようなかっこうをしていた。
「あたしはともかく、あんたらは日本人だ。日本人とこのあたりの先住民は顔が似てる。きっと友だちだと思ってくれるさ」
「そうでしょうか?」
知絵は半信半疑だ。
「もちろん、いざというときの備えはしてるけどな」
ステラさんは布を巻いた杖のようなものをふりかざした。中にライフルが隠してあるのだ。
夕姫と知絵も、大きなバッグをかついでいた。食糧や水筒や医薬品のほかに、P光線銃を忍ばせている。
「じゃあ、レッツゴー!」
「動き出したよ!」
知絵たちのキャンプから一キロほどはなれたところで、盗聴器に耳をかたむけていたオニオンが声をあげた。
「やっぱり、ロボットを置いて村に近づくみたい」
「まいったなあ。盗聴器はロボットにしかけてあるのに。これじゃ追跡できないぜ」
ピクルスはトマトを見た。
「どうする、リーダー?」
「しょうがない、あたしらも動くよ」トマトは腰を上げた。「盗聴器が役に立たないんじゃ、この目で追跡するしかない」
「ま、まだですかあ……」
歩きはじめて一時間もたたないうちに、知絵はねをあげた。自分でリュックをかつぎ、自分の足でジャングルを歩くのは、想像以上につらかった。おまけにこのあたりは山に近く、ジャングルの中の道も、ゆるやかにのぼったり下ったりしている。ジャングル探検になれている夕姫やステラさんとちがい、裏山でハイキングすらしたことのない知絵には、人生で初めて体験するハードな旅だった。
「地図の上ではあと一キロぐらいだよ」
ステラさんはタブレットでGPSの画面を見て言った。
「この地図だと、アロロ族の村は川の近くにある。その川を見つけて、たどって行けば、すぐに着くさ」
「その川はどこにあるんですか?」
「うーん、もうじき見えてくるはずなんだけど……」
「ちょっと待って!」
先頭を歩いていた夕姫が立ち止まった。くんくんとにおいをかぐ。
「水のにおいがする。川が近いんだ」
「水ににおいなんてあるの?」
「あるよ。お姉ちゃんもかいでごらんよ」
知絵もかいでみたが、ジャングルにはいろんなにおいでいっぱいだった。何かがくさったにおい、甘い花のにおい、葉っぱのつんとくるにおい……水のにおいなんてわからない。たぶん夕姫は、自然の中で育ったので鼻が敏感で、においをかぎわける力が人よりすぐれているのだろう。
「あっ、ほら、水の音もするよ。人の声も」
知絵も耳をすませた。言われてみれば、遠くから風の音にまじって、しゃわしゃわという音がかすかに聞こえる気がする。
「こっちだ!」
早足で歩きはじめる夕姫。ステラさんがそれに続く。知絵も疲れた体にむちうって、ふらふらとその後を追った。
小さな坂を登りきって向こう側に下りると、浅い川が流れていた。幅は五メートルぐらい。そこで裸のこどもたちがきゃっきゃっとはしゃいでいた。知絵たちはいきなり出ていってびっくりさせないよう、樹のかげからようすをうかがった。
こどもは全部で六人。いちばん大きな男の子は、知絵たちと同じぐらいの年のようだ。肌の色は日本人より少し濃いが、顔は日本人に似ている。みんな顔に絵の具でもようを描いていた。これは魔よけのおまじないだ。顔にもようを描いておけば、悪霊におそわれないと信じられているのだ。
よく見ると、みんな遊んでいるのではなく、魚をとっているのだった。小さな子が水面をばしゃばしゃやって魚を上流のほうに追い上げる。それを待ちかまえていた大きな子がヤス(魚を刺すのに使うヤリのような道具)で刺して、かごの中に入れてゆく。
たぶん夕食のおかずだろう。知絵は感心した。アロロ族はこんな小さなこどもたちも働いているのだ。
そのうち、ひとりの男の子が顔を上げ、知絵たちに気づいた。指をさして「ニヴェニ! パムザ・ティサム・ラボハ・ボスフェ!」とさけぶ。ほかのこどもたちも、さっと緊張した。
「『よそ者がいる』って言ってる」ステラさんが通訳した。「たぶん、おとなたちに『よそ者には気をつけろ』って言われてるんだろうな」
「じゃあ、まずボクがひとりで行くよ」と夕姫。「こどものほうが警戒されないだろうから」
「だいじょうぶかい?」
「平気平気、こんなの初めてじゃないし」
そう言うと、夕姫は隠れ場所から出て、こどもたちのほうにすたすたと近づいていった。いちばん大きな少年は、他の子たちをかばうように立ち、ゆだんなくヤスをかまえている。その表情はけわしく、うたがわしげな鋭い目で夕姫をにらみつけていた。見なれない茶色い髪の女の子を、人間に化けた悪霊か何かだと思っているのだろうか。
「はーい」
夕姫はぜんぜん気にせず、にこにこ笑い、両手を頭の上で大きく振りながら近づいていった。武器を持っていないことを身ぶりで示しているのだ。
「はーい、フォーノ」
それは先住民の言葉で「こんにちは」という意味だ。夕姫はこの三日間、ジャングルを旅しながら、ステラさんから先住民の言葉をいくつか習っていたのだ。
「フォパビファー、ノーラ・シナッラ」
しかし、少年は警戒をゆるめない。それどころか、夕姫が近づくにつれ、ヤスをにぎりしめる手に力がこもってきた。おびえているようだ。
二メートルまで近づいたとき、少年はヤスを夕姫の顔めがけていきおいよく突き出した。知絵は悲鳴をあげそうになった。てっきり夕姫が刺されたと思ったのだ。だが、夕姫は頭をひょいと横にかたむけて、それをかわしていた。
少年はびっくりしてヤスをもどそうとしたが、夕姫はその柄をがっしりとつかんでいた。
「だめじゃん、こんなことしちゃ」
顔は笑いながら、夕姫は腕をぶるんと振り回し、ヤスを少年の手からもぎとった。それを頭の上にかかげ、バトンのようにくるくる回す。あっけにとられる少年。それから夕姫は、ひょいと川の中の岩に飛び乗り、ヤスを水中に突き立てた。
ヤスを持ち上げると、その先には大きな魚が刺さっていた。
「ほら」
夕姫はにこにこしながら、まだヤスの先でぴちぴちもがいている魚を、少年の顔に突きつけた。
「これはこうやって使うもんでしょ?」
子供たちは目を丸くしていた。
夕姫がこどもたちと仲良くなるのに、時間はかからなかった。夕姫はいくつかの単語しか知らなかったので、言葉はほとんど通じなかったが、彼女が明るくて親切な人間であることは、こどもたちにはすぐにわかったのだ。最初は警戒していたあの少年も、出会って一〇分もしないうちに夕姫に打ちとけ、ヤスの使い方を習っていた。
「ボク、夕姫」夕姫は自分の胸をたたいて言った。「夕姫」
少年はすぐにその身ぶりの意味を理解した。「ボナベ・ユウキ? ユウキ・ヴェズブムラ?」
「そう、ユウキ」
すると少年は自分の胸をたたいた。
「ヤビ、ムララ」
「ムララ?」
「トザ、ムララ」
ムララ──それが少年の名前のようだった。
(うらやましいな)
そんな夕姫をながめながら、知絵はため息をついた。知絵はすごい天才ではあるが、人づき合いは苦手だ。勉強はもちろん、料理でも絵でもなぞなぞでも夕姫に負けない自信があるが、人と仲良くなる才能だけはとてもかなわない。
こどもたちの信頼をえたところで、夕姫は知絵たちを呼んだ。知絵とステラさんはおそるおそる隠れ場所から出てきた。
「これ、ボクのお姉ちゃん」
夕姫は知絵と腕を組み、ムララに引き合わせる。
「ほら、お姉ちゃん、あいさつして」
「あ、あの……フォーノ」
知絵はおずおずとあいさつしてから、自分の胸を小さくたたいて、「知絵」と名乗った。
「チエ?」ムララがふしぎそうにたずねる。「ボナベ・パナベ・チエ・ビブムラ? ジョムナピ・チエ? ローファム・ザ・ポーヴェ?」
「ええ、わたしの名前は知絵」
「チエ!」
とたんにムララはくすくすと笑い出した。
「ロビヴゥ・チエ・ザッヴェ!」
それを聞いたほかの子も、どっと笑った。「チエチエ!」と言ってはしゃぎ出す。腹をかかえて笑っている子もいる。知絵はわけがわからず、ぽかんとなった。
「あの……何がおかしいんですか?」
知絵が振り返ると、ステラさんも口を押さえて肩をふるわせていた。
「いえ、べつにたいしたことないのよ」
「わたしの名前、変なんですか?」
「え、ええ、ちょっとね……」
ステラさんは笑いをこらえながら言った。
「あの……先住民の言葉で、『チエ』ってガマガエルのことなの」
知絵はびっくりしてムララを見た。少年はまだ「チエ……」と言ってくすくす笑っている。知絵の表情はおとなしいままだったが、そのこめかみと口元がぴくぴくとふるえていた。
「なんかちょっとむかつく……」
「そういうときは蹴っていいと思うよ、お姉ちゃん」
その会話の意味がわかったわけでもないだろうが、ムララは急に笑うのをやめ、知絵に何かあやまりはじめた。
「ツナム・パ、チエ・ヴェ・リヴィヴァサ・ヴゥビ・ヤソヴェ・ティノヴェ。ロンパ・ラヤビビ・ロザポピ」
「『笑ってすまない』って言ってるわ」ステラさんさんが通訳する。「『こんなかわいい子にガマガエルって名前がぜんぜん合ってなくて、それがおかしかったんだ』って」
「う……」
かわいいと言われては、知絵は怒るに怒れないのだった。
その日の午後いっぱい、こどもたちといっしょに遊んだ後、三人はムララの案内でアロロ族の村に招かれた。
村はジャングルの中の小さな空き地にあり、草を編んで作った粗末な家が二十軒ほど並んでいるだけだった。もちろん電気もないし、水道もない。お金なんてものもない。村人たちが身につけているのは、草で作った腰みのや、木の実をつないで作ったネックレス、頭につける羽根かざりぐらいのもの。一万年も前から原始時代そのままの暮らしを続けているのだ。
先にこどもたちと友だちになったのが良かったようだ。ムララが「この人たちは怪しい人じゃない」と説得してくれたので、おとなたちも三人を信用し、村に迎え入れてくれた。あとでわかったのだが、ムララは村の長老の孫だった。
ステラさんは彼らのためにおみやげを持ってきていた。塩、鉄製のお鍋、ナイフ、白い布などだ。どれも安いものだが、ジャングルでは手に入らないものばかりなので、先住民には喜ばれる。
知絵はポケットに入るぐらいの小型パソコンを持っていた。そこにはいろんな音楽も入っていたので、試しに聞かせてみた。村人たちは「音の出てくるふしぎな板」にとてもびっくりした。魔法だと思ったらしい。最初は珍しそうに聞いていただけだったが、やがてなれてくると、音楽に合わせて踊りはじめた。
だが、そんな和気あいあいとしたふんいきも、一度だけ気まずくなったことがある。ステラさんがヨワルテポストリについてたずねたときだ。アロロ族のあいだでは、どうやらヨワルテポストリは「ガガラ」と呼ばれているらしい。
ガガラについていろいろたずねていると、村人たちの顔がしだいにこわばり、しまいにはみんなだまりこんでしまった。
「えっ、何? どうかしたの?」
夕姫は何が起きたかわからず、きょろきょろあたりを見回した。
村の長老がつばを飛ばして何かわめきはじめた。
「なんて言ってるんですか?」と知絵。
ステラさんは長老の言葉を訳した。
「『ガガラの谷に近づいてはいけない。近づいた者は殺される。ガガラはとてもとても恐ろしい』……」
「それってやっぱりオバケみたいなものなんですか?」
ステラさんが知絵の質問を訳すと、長老は歌うような調子で、詩のような謎めいた言葉を口にした。ステラさんがそれを訳す。
ガガラは肉体を持つ幽霊。
ガガラは動く草。
ガガラは飛ばない鳥。
ガガラは二本足のヒョウ。
ガガラは目に見える風。
夜のジャングルで木をたたく。
耳にしたらすぐ逃げろ。
見ようとしてはならぬ。
ガガラを目にした者は
三人のうち二人死ぬ。
「うーん、またなぞなぞみたいだねえ」夕姫が腕を組んだ。「動く草で、飛ばない鳥で、二本足のヒョウで、目に見える風……何だろ?」
「さあ。やっぱり伝説に出てくる妖怪みたいなものだろうけど」
ステラさんがまた質問すると、長老はひどく怒り出した。
「それはただの伝説じゃないかって聞いたら、『ガガラは本当にいる。わしはこの目で見た』って」
「ええっ、見たの?」夕姫が目をきらめかせた。
「もう何十年も前のことらしいよ。まだ若かったころ、村のおきてを破って、ふたりの仲間といっしょにガガラの谷に近づいたんだって。そしたら襲われて、友だちふたりは殺されて、この人だけ生きて帰ったんだって」
知絵も興味をそそられた。どうもガガラというのはオバケではなく、何かの動物ではないかと思ったのだ。
「それ、どんな姿だったんですか? 絵に描いてもらえますか?」
ステラさんが知絵の言葉を通訳すると、長老は杖のような棒で地面をひっかきはじめた。
「どうやら実物大の絵を描くつもりらしい」とステラさん。
絵は一分ほどで描きあがった。その生き物だけじゃなく、横には立っている人間も描かれている。
「これは……」
ふしぎな絵に、知絵たちは息を飲んだ。
ニワトリのような形だが、頭は大きくてオウムのよう。竹馬のような長い二本の足で立っていて、長いしっぽのようなものがある。それだけなら、ただの鳥のようにも思える。しかし、問題なのはその大きさだ。
横に立っている人間との大きさと比較すると、長老が出会ったというガガラは、身長二メートル半ぐらいあることになる。
「ねえ、お姉ちゃん、これって恐竜じゃない!?」
夕姫は興奮していた。
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