第7回 なぞの少女

 翌朝、夜明けと同時に、一行は町を出発した。知絵と夕姫、ガイド役のステラさん、それに荷物運び用の六台のロボットたちだ。

 まずは四隻のゴムボートに乗って河をさかのぼる。先頭のボートをステラさんが操縦し、ロボットが操縦する他の三隻がそれについて来る。ボートにはエンジンがついているが、小さなやつなので、あまりスピードは出ない。

 本流からそれ、せまい支流に入ってゆく。そのまたさらに支流へ。だんだん川幅がせまくなってきたので、流木やら岩やらにぶつからないよう注意して進まなくてはならず、いっそうスピードは遅くなった。

 緑色のよどんだ河をのろのろと何時間も進むのは、知絵には退屈だった。おまけにひどく暑い。河の両岸から木の枝がアーケードのようにびっしり張り出していて、日光をさえぎってくれてはいるが、それでも気温は四十度近い。湿度も高く、都会育ちでエアコンのある生活になれた知絵には、かなりこたえた。持ってきたノートパソコンでテレビゲームをやって、気をまぎらわせる。

 しかし……。

「ああー! 何これ!? 熱暴走の警報が出た!」

「気温が高いせいだよ」

 ロボットは熱帯地方で使えるよう、電子部品は熱に強い設計になっている。でも、知絵のノートパソコンは家の中で使うためのものだった。いちおう小さな冷却ファンはあるけど、あまり気温が高いとうまく冷やせなくて、故障を起こすのだ。

「かんべんしてー」知絵はぐったりした。「パソコンも使えないなんて最悪よー」

「夜になれば気温が下がるから、また使えるようになるよ」

 ステラさんがなぐさめるが、一日に何時間もパソコンをさわっていないと落ち着かない知絵にしてみれば、夜までパソコンを使えないというのは大きなショックだ。

 早くもこの旅はひどいものなりそうな気がしてきた。


 夕方近く、最初の目的地、〈白い滝〉にたどりついた。

「うわーっ、すっごーい!」

 夕姫が歓声をあげる。高さ二十メートルぐらいある崖の上から、水が流れ落ちている。崖の途中には岩がいくつも張り出していて、そこに水が当たってはじけているため、水しぶきが真っ白なカーテンのようになって、滝つぼに降りそそいでいるのだ。日差しを反射して、まぶしく輝いている。

「なるほど、これは確かに〈白い滝〉だねえ」

 夕姫が感心した。都会育ちで自然には興味のない知絵も、さすがにこの美しい光景に感動をおぼえていた。

「ああ、すずしい」

 水しぶきが気温を下げているので、滝の近くはジャングルのほかの場所よりすごしやすいのだ。

「よっしゃ、泳ごう!」

 夕姫はそう言いながら、早くもシャツとズボンを脱いで、水着姿になっていた。滝つぼにドボンと飛びこむ。

 知絵も一日じゅう暑いところにいて汗びっしょりで、シャワーを浴びたいと思っていたところだった。水着になって、そろそろと水に入る。水はちょっと冷たかったが、日にてらされているので冷たすぎもせず、ちょうど気持ちいい温度だった。

 水の中で人魚のようにはしゃぎ回る夕姫。知絵は泳げないので、浅いところでぱしゃぱしゃやっているだけだ。それでも楽しかった。ステラさんはそんなふたりを、目を細めて見つめている。


 その滝から五百メートルほど下流。

 トマト、オニオン、ピクルスの三人が、ゴムボートを河岸に止めていた。知絵たちがボートに乗って河をさかのぼったと知り、自分たちも急いでボートを手に入れ、追いかけてきたのだ。エンジンの音を聞かれないよう、十分に距離をおいて尾行している。

「どうだい? 何か言ってるかい?」

 トマトは通信機にかがみこんでいるオニオンに言った。オニオンは通信機のダイヤルをあれこれいじっているが、スピーカーからはざあざあという音しか聞こえない。

「変だねえ、雑音しか聞こえないよ」

「盗聴器がこわれたかな」とピクルス。

「電波はキャッチしてるんだけどなあ」

 オニオンは首をかしげた。

 三人とも、そのざあざあという音が滝の音だとは気がついていない。

「マイクだけ故障したのかもね」

「とりあえず、さっきから場所は動いていないみたい。日暮れが近いし、ここらあたりでキャンプするんじゃないかな」

「よし、あたしらもキャンプするか」

 トマトたちは用意してきたキャンプ用具を岸に下ろした。オニオンとピクルスがテントを立てているあいだ、トマトは夕食の準備をする。

「お昼ごはんは缶詰だったけど、夕ごはんはちょっと豪華よ。じゃーん♪」

 トマトはうれしそうに、リュックの中から保存食をひっばり出した。

「レトルトのシチュー、レトルトのカレー、レトルトのリゾット……どれがいい?」

「レトルトばっかじゃん」ピクルスが口をとがらせる。

「でも、一流メーカーのやつを厳選したんだから。ジャングルで食べる高級リゾット──風流だと思わない?」

 トマトは河の水をくんで浄水器で濾過し、鍋にそそいだ。平らな石を積んでコの字形の台を作り、鍋をのせる。その下に木の枝を積んで、あとは火をつけてお湯をわかすだけだ。

「おっと、ライター忘れちゃった。だれかライター持ってない?」

「おれは持ってねーぞ」

「ぼくも」

 三人は、はっとして顔を見合わせた。

「どうやって火、おこすんだよ!?」

「火をつけられるような道具はないの?」

「何もなかったと思うけど……あっ、兄きの銃で火をつけるってのは?」

「銃声を聞かれたらまずいだろ」

「木と木をこすり合わせて……」

「そんなやり方、知らねえって」

火打石ひうちいしを使うってのは?」

 昔の人は、火打石という石を火打金ひうちがねという鋼鉄で強くたたいて火花を出し、それを使って火をつけていた。三人は石をいくつも見つけてきて、ナイフやドライバーでかちかちかちかちとたたいてみたが、なかなか火花が出ない。火打石に使う石は何でもいいわけではなく、メノウ、石英、黒曜石などの硬い石でなくてはならないのだが、三人ともそんな基本的なことを知らないので、どうしてもうまくいかないのだ。ついには、疲れてあきらめた。

「しょうがない。レトルト食品、温めずに食おう」

「うわっ、まずそう」

「泣きたくなるな」

「どうしようもないだろ」トマトは肩を落とした。「あたしだって泣きたいよ」


「はあ……」

 知絵は浅瀬にあおむけに寝そべっていた。陽が落ち、ジャングルの空は金色の夕焼けに染まっている。都会では見られない、きれいな夕焼けだ。まるで空いっぱいが黄金でできた天井になったみたいだ。

 冷たい水にひたっていると、一日の疲れがとれてゆくようだ。目を閉じ、流れ落ちる滝の音と、熱帯の鳥のけたたましい声に耳をかたむける。知絵はすっかりリラックスして、ジャングル探検もそんなに悪くはないな、と思いはじめていた。

 何かがおなかをなでるような感じがした。草か何かが水に流れてきたのかな、と思い、知絵は目を開けた。

 次の瞬間――

「きゃあああああああ!」

 知絵の悲鳴がひびきわたった。


「ん?」

 なまぬるくて固まっているレトルトのシチューを、パックからスプーンでかき出して食べていたオニオンが、通信機のほうを見て、首をかしげた。

「どうした?」

 とピクルス。こっちはなまぬるいハンバーグをかじっている。

「いや、今、通信機から声が聞こえた気がするんだけど……気のせいみたい」

「ちくしょー、まったくう」

 お米のかたいリゾットを、やけになってがつがつと食べながら、トマトはぼやいていた。

「今回の仕事のギャラが入ったら、真っ先に高級イタリア料理店に行って、本物のリゾット食ってやる!」


「お姉ちゃん、どうしたの?」

 夕姫があわてて駆け寄ってきた。

「へ、へ、へ、へ……」

 知絵は浅瀬に横になったまま、顔を真っ青にして、「へ、へ、へ」と繰り返していた。笑っているのではない。「ヘビ」と言えないのだ。

 知絵のおなかの上を、長さ二メートル、太さ五センチぐらいある茶色いヘビが、ゆっくりと横切ってゆくところだった。

「ああ、それはおとなしい毒のないヘビだよ」駆けつけてきたステラさんが言った。「何もしなかったら、攻撃してこないから」

「で、でも……」

 知絵はごくりとつばを飲みこんだ。毒のないヘビだと言われても、恐怖が消えるわけではない。でも、はらいのけようとしたら、かえって攻撃されるかもしれない。じっとして、ヘビが通り過ぎるのを待つしかないのだ。

 やがてヘビは、知絵のおなかを通り過ぎ、滝つぼの中をすいすいと泳いで去っていった。

「はあ。暑かったから、ヘビも水浴びしたかったのかもねえ」

 ステラさんがのんびりと言う。

「お姉ちゃん、だいじょうぶ?」

 ショックを受けている知絵を、夕姫はやさしく抱き起こした。

「わ……わたし……わたし」

 知絵は体をふるわせ、ぼろぼろと涙を流した。

「やっぱり『いや』って言えばよかった……」


 次の朝、知絵たちは滝を離れ、ジャングルの奥に分け入っていった。暗号文に書いてあったとおり、ここから北へ二十キロ、アロロ族の村をめざすのだ。

 そんなの歩いて行かなくても、飛行機かヘリコプターで行けば……と思うかもしれない。しかし、このあたりは一面のジャングルで、ヘリコプターが着陸できそうな空き地はまったくないのだ。しかもアロロ族は迷信ぶかく、機械を恐れている。大きな音を立てる機械が空から近づいてきたら、こわがって逃げてしまうかもしれない。地図によれば、村の近くには川があるようだが、とても細く、ボートで近づくこともできない。面倒だが、歩いて行くしかないのだ。

 先頭はガイド役のステラさんだ。GPS機能のついたタブレットを手に、正確に北をめざして歩く。カーナビにも使われているGPSは、人工衛星からの電波を元に現在位置を知る装置で、これがあれば迷うことはない。

 とは言っても、ジャングルの中には道らしい道なんてない。マチエーテという大きな刀で、おいしげった草やツタを切り開きながら進んでゆくのだ。

 二番手は夕姫。その後にロボットにまたがった知絵が、がしゃんがしゃんという足音を立てて歩いている。さらにその後からは、荷物をかついだロボットたちが続く。

「はあ、疲れた~」

 二時間もしないうちに、知絵は弱音をはいた。ロボットを止め、ぜいぜいと息をする。夕姫がそれを見て、引き返してきた。

「何言ってんの。お姉ちゃんがいちばん楽してんじゃん」

「でも、こんなのに乗ってるだけで疲れるのよ」知絵は汗びっしょりで、犬みたいに舌を出してはあはあやっていた。「それにこの暑さ――タガールのジャングル、こんなに暑くなかったわよ」

「あそこはぎりぎり、亜熱帯だからね」

「また水浴びしたい……」

「このあたりには川がないから、とうぶん無理だよ」

「どうしたんだい」ステラさんがふり返って言った。「まだ休憩には早いよ」

「どれぐらい来ました?」と知絵。

 ステラさんはGPSを見て、「うーん、滝から四キロってところかな」

「ま、まだ五分の一……!?」

 知絵は気が遠くなりそうになった。もう半分ぐらいまで歩いたような気がしていたのだ。

「なあに、このペースなら、遅くとも明日には着けるさ」

「はあ……」

 知絵はあきらめた。のどがかわいてきたので、水筒のふたを開け、口をつける。

 飲もうとして顔を上げたとたん、何かがおでこにペチャっと落ちてきた。

「んぶっ!?」

 次の瞬間、飲みかけていた水をぶわっと吐き出すと、知絵は「ぶぎゃあああ!」と女の子らしからぬ悲鳴をあげてしまった。

「どうしたの、お姉ちゃん?」

「おで、おで、おで……」

 おでこを指さし、目をまん中に寄せて、ふるえる知絵。目と目の間に、大きなナメクジみたいなものがはりついていた。

「なあんだ、ヒルじゃん」

 そう言って、夕姫はひょいとヒルをつまみ、草むらに投げ捨てた。それから、知絵のおでこを調べて、

「ああ、だいじょうぶ。血は吸われてないから」

「血、吸うんだ……」

「そりゃヒルだし」

「平気なの?」

「お姉ちゃんだって、ウミウシ好きだって言ってたじゃない。似たようなもんでしょ」

「ちがう。ヒルはヒルこうに属する環形動物の総称で、吸血性のチスイビルは、その中のがくビルもくヒルド科に属してるの。ウミウシは殻を失った巻貝の総称で、後鰓類こうさいるいの中の主として裸鰓類らさいるいがこれに属する……」

 焦点の合わない目でぶつぶつつぶやく知絵。落ちつきをとりもどすのに、何分もかかった。


 途中で何度か休憩したものの、午後からは草のまばらな場所が続いたので、その日のうちに十八キロほど進むことができた。アロロ族の村までもう少しだ。

 日が暮れる直前、ちょっとした事件があった。先住民とばったり出会ったのだ。

 知絵や夕姫と同じぐらいの年の女の子だ。粗末な布を、インドのサリーのように体に巻いている。顔には赤い絵の具で何本も線を描いていた。

 知絵たちもおどろいたが、向こうもびっくりしたようだった。荷物運びのロボットたちを見て、目を丸くしている。怪物だと思ったのかもしれない。じりじりと後ずさりする。

「ねえねえ、このへんの人?」夕姫が笑顔で声をかけた。「ねえ、この近くで〈ヨワルテポストリの谷〉って知らない? あと、〈乙女の墓〉と〈かげろう〉と〈スフィンクス〉も」

 すると少女は、くるりと身をひるがえし、駆けさっていった。その姿は、たちまちしげみに隠れて見えなくなった。

「あれがアロロ族?」と知絵。

「いや、服装がちがうな」とステラさん。「アロロ族のかっこうは、もっと裸に近い。このあたりの別の部族だろう」

「びっくりしたんでしょうね」と知絵。「たぶん、ロボットなんて見るの初めてだから」

「ああ、このあたりの人たちは文明世界とぜんぜん接してないからな。テレビも見たことがないから、ロボットも知らないだろう」

「まずいなあ」夕姫が顔をしかめる。「アロロ族はもっと原始的なんでしょ? ロボットなんか見たら大さわぎだよ。怪物だと思って攻撃してくるかも」

「どうしてそんなに文明をきらうんですか?」

 知絵はそれがふしぎだった。今どき機械も電気も使わず、不便なくらしをしている人がいるということが、どうしても理解できない。

「聞いた話じゃ、ずいぶん昔、彼らはもっと南に住んでたんだそうだ。ところが、きんを探しにこのあたりに入ってきた白人に、ずいぶんひどい目にあわされたらしい。銃で撃たれたり、無理やり働かされたり」

「ひどい話ですね」

「それでこんな奥地まで逃げてきたんだ。それをおぼえていて、代々、こどもにも語り伝えているらしい。『文明には近づくな』って」

「それじゃあ、近づくのはむずかしそうですね」

「でもさあ」と夕姫。「白石昭彦はこのあたりを通ったわけでしょ? だったらアロロ族とも知り合ったんじゃないかなあ」

「うん、その可能性はあるな。ひいじいさんが見つけたとき、白石昭彦はズボンもシャツもなくして、先住民みたいな裸同然のかっこうをしていたらしい。最初は先住民とまちがえられたそうだ」

「つまり彼は先住民の村に世話になっていた可能性がある」知絵は考えこんだ。「それがアロロ族だった……」

「かもしれないなあ」

「じゃあ、どうやって友だちになれたんだろう?」と夕姫。

「わからんねえ。彼は何も話さなかったみたいだし……でも、方法はある」

「どんな?」

「いいものを用意してきてあるんだよ」

 ステラさんはにやりと笑った。なあ」


 そのころ、ロボットを見て逃げていった少女はどうしたか。

 彼女はジャングルの中の小さな空き地で立ち止まった。かなり走ってきたはずなのに、ぜんぜん息を切らしていない。

 その空き地にはもう一人の少女が待っていた。座禅でもやっているかのように、コケの生えた大きな岩の上にあぐらをかいている。走ってきた少女と顔がそっくりだ。双子かもしれない。

「どうだった?」待っていたほうの少女がたずねた。

「女ばかり三人。六体の機械人形をつれていた」走ってきた少女が、落ち着いた声で報告する。「三人のうち二人はこども。その一人に、〈ヨワルテポストリの谷〉についてたずねられた」

 その言葉に、待っていた少女の表情が、ぴくっと反応した。

「他にも、〈乙女の墓〉と〈かげろう〉と〈スフィンクス〉のことも」

「ということは、あの暗号を解いたのか?」

 走ってきた少女はうなずく。「おそらくは」

「解いたのは三人のうちの誰?」

「そこまではわからない」

 座って待っていたほうの少女は、ジャングルのこずえの上にのぞく、血のように赤い夕焼けの空を見上げた。

「……長かったな」少女はしみじみとつぶやいた。「もう無理かとあきらめていた。しかし、ようやく現われたのか。ケツアルコアトルの宝をうけつぐ資格のある者が……」

「まだ資格があるかどうかはわからない」

「もちろんだ」座っていた少女はうなずいた。「確かめなくては。その者たちが試練をくぐりぬけられるかどうかを」

 少女は立ち上がった。

「待つとしよう。〈ヨワルテポストリの谷〉の向こうで」

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