第5回 真実はいつも目の前にある
翌日――
夕姫と知絵はプエルトリコの空港からフロリダ行きの飛行機に乗りこんだ。ひと足先に日本に帰国するように見せかけて、フロリダでパラサ行きの旅客機に乗りかえる。悪いやつらの目をごまかすためだ。さすがに悪人たちも、女の子がふたりでジャングル探検に向かうとは思っていないだろう。それでも知絵たちは、しょっちゅう後ろを振り返り、尾行がないことを確認していた。
「ねえ、お姉ちゃん」
飛行機の窓から、メキシコ湾の海面を暗い気分で見下ろしている知絵に、夕姫が声をかけてきた。
「何?」
「あの暗号だけどさ、どうやって解いたの? まだ話してもらってなかったよね」
「ああ」
気がまぎれると思って、知絵は説明をはじめた。
「まず、コンピュータでも解けなかったってことは、ひとつの数字がひとつの文字を表わすような暗号じゃないってことはたしかよね。それならコンピュータでありとあらゆる組み合わせを調べていけば、必ず正解が見つかるはずだから」
「うん」
「ということは、ひとつの数字がいくつもの文字を表わしてたり、同じ文字を表わすのに何通りもの数字を使うような暗号ということになる。でも、それなら暗号を解くための表がどこかにないといけない。数字をどうやって文字に置きかえるのか、その規則を表わした表がね」
「だよね」
「ヒントはふたつ。白石昭彦は探検家であると同時に、科学者でもあったこと。それと、『真実はいつも目の前にある』という言葉」
「それがヒントなの?」
「そうよ――あなたの目の前には何がある?」
「お姉ちゃんの顔」
「ほかには?」
「うーんと」夕姫は飛行機の中を見回した。「飛行機の壁、天井、座席、ほかのお客さんの頭……」
「じゃあ、目を閉じてごらんなさい。目の前には何がある?」
夕姫は言われるままに目を閉じた。
「何も見えないよ」
「いいえ、見えてはいなくても、あるはずよ。まぶたの裏が」
夕姫は目を開けた。「なぞなぞみたいだね」
「そう、なぞなぞよ。目の前にはいつも何かがある。空を見上げても、太陽や星がある。目には見えないけど、空気だってある──それらはみんな何でできてる?」
夕姫はちょっと考えてから、おそるおそる答えた。「……原子?」
「そう。この世のものはすべて原子でできてる。だから原子はいつも目の前にある」
「それが?」
「原子にはいくつもの種類があるのは知ってる?」
「酸素とか、水素とか?」
「そう。原子の種類のことを元素というの。そして、元素にはすべて原子番号というものがついてる。水素は1、ヘリウムが2、リチウムが3、ベリリウムが4……」
「それって発見された順番?」
「いいえ、原子核にふくまれる陽子の数。ややこしくなるから説明は省略するわね。とにかく元素にはみんな原子番号がついてるの。その他にも、元素を表わすのに元素記号というものがある。水素はH、ヘリウムはHe、リチウムはLi、ベリリウムはBe……」
「ああ、わかった!」
夕姫が大声をあげたので、前の席の人がびっくりして振り向いた。夕姫はあわてて声をひそめる。
「……あの数字は原子番号で、それを元素記号に置きかえるんだね?」
「そういうこと。たとえば最初の数字はこうよ」
知絵は紙に数字を書いた。
20198962536008595333670708-65507151601
「今では元素は百種類以上発見されてるけど、白石昭彦の時代には、たしか94番のプルトニウムぐらいまでしか発見されてなかったはず。だから、二ケタあれば原子番号をすべて書くことができた。つまり、この数字を二ケタごとに区切って、それを元素記号に変えてゆくの。
最初は20だからカルシウム。元素記号はCaね。次は19、カリウムだからK。そして89はアクチニウムだからAc、62はサマリウムでSm……」
そう言いながら、知絵は数字を文字に置きかえていった。彼女は原子番号と元素記号をすべて暗記しているのだ。
CaKAcSmINdOPrIAsHoNO-CCsNPSH
「これでも何のことだかわかんないよ」
「マイナスの符号に注意して。マイナスは、前の文字の列からその文字を引くってことなのよ。CaKAcSからCとCsを引いたら、残りはaKA……つまりローマ字の『あか』になるでしょ? mINdOPrIからNとPを引いたらmIdOrI、つまり『みどり』、AsHoNOからSとHを引いたら……」
「『あおの』だ!」
「他の列も同じように解いていけばいいの」
CaKAcSmINdOPrIAsHoNO-CCsNPSH
あかみどりあおの
HIKArIDyFeAuPtAcKIYOPrI-YFPCP
ひかりであうたきより
OOInArUZnISHAcKUNOUSe-NCS
おおいなるじしゃくのうえ
NiSeNbUNSMnOICHISnOHoUHe-Sm
にせんぶんのいちSのほうへ
YbOUAlTePuZnTlINOTaNiWONUKBe-BN B
YoualtePuztliのたにをぬけ
OTcOMnEuNOHAcKBa-CNUCB
おとめのはか
KAgErOUWOKUGaLuRbI-AlB
かげろうをくぐり
SPHInXeUNiCHoUSeNSeYO-Eu
スフィンクスにちょうせんせよ
「すごーい! お姉ちゃん、頭いい!」
夕姫は知絵の首に抱きついた。
「ありがと」知絵はほほえんだ。「でも、謎ときはこれからよ。『赤緑青の光出会う滝』はまだ意味がわからないから、それは置いといて、次に進みましょう」
「『大いなる磁石の上』『二千分の一Sのほうへ』……」夕姫は首をひねった。「この『二千分の一』というのは距離のことじゃないかな。でも、何の二千分の一?」
「おそらく地球の円周の二千分の一よ」
「地球の?」
「そう。『大いなる磁石』というのは地球のことよ。地球が大きな磁石だって知ってるでしょ? だから方位磁石のNが北を指すの」
「たしか地球一周って四万キロだったよね?」
「よく知ってるわね」
夕姫はてれた。「父さんに習った。地球をひと回りすると四万キロきっかりだって」
「そう。十八世紀にフランスでメートル法が作られたときに、地球の大きさを基準にすることにしたの。北極点から赤道までの距離の一千万分の一を一メートルと呼ぶことに決めたのよ。その一千倍、つまり一キロメートルは、北極点から赤道までの距離の一万分の一。北極点から南極点まではその二倍、つまり二万キロ。その二倍、つまり地球一周は四万キロ……」
「なあるほど」夕姫は何度もうなずいて、おおげさに感心した。「ということは、四万キロの二千分の一……つまり二十キロ、南に進めばいいんだね」
「南じゃない。北よ」
夕姫はびっくりした。「どうして? Sはサウス、つまり南でしょ?」
「南へ進むなら『南へ』と書くはずよ。『Sのほうへ』というのは、ひっかけなのよ。地球という大きな磁石は、北がS極で、南がN極なの。だから磁石のN極の針が北のほうに引かれるの。つまり『Sのほうへ』というのは、地球という磁石のS極のほうへ、つまり北に進めということなのよ」
「そうかあ! それに気がつかないと、反対方向に行っちゃうわけだね」
「ええ。白石という人、かなり頭がいいみたい」知絵はうなった。「じっくり考えないと、残りの謎は解けそうにないわ」
そのころ、トマトたちはどうなっただろうか。
「ああ、たいくつだあ!」
トマトはいらいらして、手にしたトランプを天井にたたきつけた。トランプはさくらの花びらのようにひらひらと舞って、彼女の頭に降りそそいだ。
「いつまでこんな部屋に閉じこめておくつもりなんだよ!?」
UFOにさらわれた三人は、どこかの小島にある秘密基地につれてこられて、せっかく手に入れた〈百年暗号〉を取り上げられたうえ、もう何十時間も部屋に閉じこめられているのだ。部屋はちょっとしたホテルのような感じで、ベッドやテーブル、バスルームもある。食事も悪くない。ただ、たいくつなのがたまらない。
楽しみといえばテレビぐらいだが、トマトは「一日じゅうテレビを見ていたら目が悪くなる」と言って、ピクルスたちにもテレビを長い時間見せなかった。「悪人だって健康に注意しないといけない」「病気になったら悪いことができない」というのが、〈ファストフーズ〉のリーダーであるトマトの信念だ。だから三人ともタバコはすわない。見る前には歯をみがくし、ごはんはちゃんとよくかんで食べる。
しかし、部屋から出られないのでは、テレビのほかにひまつぶしになるようなものがない。しかたなく、見張りにたのんでトランプを貸してもらったが、ババ抜きも七並べもポーカーも何十回やっているとあきてしまった。
「しょうがないだろ。おれたち、捕らわれの身なんだ。不自由なのはがまんしなくちゃ」
ピクルスはのんびりと言った。彼は床にすわりこんで、オニオンを相手にオセロをはじめていた。
「次はモノポリーを貸してもらう?」オニオンはコマを置きながら言った。「あれなら三人でも遊べるよ」
「あるかなあ、この基地に」
「たのむだけたのんでみようよ。オセロだって貸してくれたし、ここの人たち、けっこう親切みたいだよ」
「そういうことじゃないだろ!」トマトは声をはりあげた。「なんでいつまでも、あたしらを閉じこめておくのかってことだよ! だいたい、あいつら、何者だ!? 本物の宇宙人じゃなさそうだし」
最初、三人は本当に宇宙人にさらわれたと思っていた。しかし、じきにそれが人形だと気がついたのだ。この部屋の見張りをしている警備員も、ヘルメットとゴーグルで顔を隠してはいるが、人間のようだ。
「そうだなあ」ピクルスはオセロの白黒のコマを見つめ、考えた。「あんまりオセロを貸してくれる宇宙人の話は聞いたことがないなあ」
そのとき、入口のドアがさっと横にスライドして開いた。三人ははっとした。廊下に立っていたのは、銀色の髪をした背の高いハンサムな男で、両側に銃を持った警備員を従えていた。
「その通りだ。われわれは本物の宇宙人ではない」
男はちょっと冷たい感じの表情で言った。声優のようなかっこいい声だ。どうやら三人の話を部屋の外で聞いていたらしい。
「あんたは……?」
「わたしはこの基地の司令官だ。コマンダー・ブラックと呼んでくれたまえ。もちろんコードネームだがね」
「どこの基地だ? アメリカか?」
ブラックはうす笑いを浮かべた。「どこの国でもない。われわれはアンタレスだ」
「アンタレス?」
「悪い宇宙人の侵略から人類を守るために作られた秘密組織だ」
「宇宙人の侵略!?」トマトは笑い出しそうになった。「どっかの星から宇宙人が攻めてくるっていうの?」
「今はまだ、その気配はない」
「だったら……」
「だが、宇宙人が地球を訪れた証拠はいくつもある。地球人がしょっちゅう戦争をしているように、宇宙にだって戦争をしかけてくるやつらがいるかもしれない。いつ悪い宇宙人が攻めてきてもおかしくない。『宇宙戦争』という映画は見たかね? 『インデペンデンス・デイ』は? 宇宙人はわれわれよりはるかに進んだ武器を持っているにちがいない。こちらもそれに対抗する準備を進めなくてはならない」
「だって、まだ攻めてきてもいないのに……」
「攻めてきてから急に準備をはじめたんではまにあわない。だから今のうちに、宇宙人に対抗できる強力な兵器を作っておくのだ。そのために世界中の金持ちが金を出し合って作ったのが、この組織だ」
オニオンが「あっ」と声をあげた。
「じゃあ、あのUFOも?」
「そうだ。これまでに世界各地で目撃されたUFOをまねて、われわれが開発したものだ。まだ初歩的なもので、あまりスピードも出ないが、これからさらに改良してゆく予定だ」
「あの宇宙人の人形は?」
「人々に宇宙人の存在を知らせるために作ったものだ。まだ宇宙人の存在を信じない者が多い。われわれのUFOを世界各地に飛ばし、あちこちで宇宙人の目撃事件を起こせば、みんなの考え方も変わってくるはずだ」
「なるほど。壮大なビジョンをお持ちなんですねえ」
おかしな話だとは思ったが、トマトはわざと感心したふりをしていた。なんといっても、自分たちはこの連中に捕まっている身だ。「あんたら、頭がおかしいんじゃない?」などと、思ったままのことを口にして、怒らせたらまずい。
それにこのコマンダー・ブラックという男も、本気で宇宙人が攻めてくるなんて信じていないのかもしれない。今までにないようなすごい兵器を開発する口実として、「宇宙人に対抗するため」なんて言っているのかもしれない。インチキなUFOや宇宙人を作るのも、本当に宇宙人が地球に来ていると思わせ、世界中の金持ちをだまして金を出させるのが目的なのかも。
だとしたら、頭がおかしいどころか、けっこう頭のいい奴なのではないだろうか。
「じゃあ、〈百年暗号〉を手に入れようとしたのも……?」
「そうだ。もし本当に宇宙人の遺跡があるのなら、ぜひ発見しなくてはならない。宇宙人のことがいろいろわかるだろうし、もしかしたら強力な武器が眠っているかもしれない」
「暗号は解読できたのかい?」とピクルス。
「いや。検査の結果、あの紙はたしかに百年前のもので、百年前のインクで書かれていることはわかった。あぶりだしとか、見えないインクとかで書かれた痕跡は、まったく見つからなかった」
「そりゃ残念だ」
「だが、情報によれば、われわれ以外に、すでに暗号を解いた者がいるらしい」
「だれ?」
「竜崎知絵だ」
「ああ、知絵ちゃんかあ」オニオンがうなずいた。「そうだよねえ。あの子ならすいすいと解いちゃいそうだねえ」
「知り合いなのか?」
トマトは笑ってごまかした。「いやまあ、いろいろありまして」
「それなら話が早い。君たちにやってもらいたい仕事がある」
「へ?」
「竜崎知絵は日本に帰国すると見せかけて、妹といっしょにパラサに向かった。どうやら宇宙人の遺跡を探すらしい」
「つまり、あの子たちを尾行して、先に遺跡を見つけろと?」
「そういうことだ。君たち〈ファストフーズ〉のことは調べた。依頼主の秘密は絶対に守るというのがモットーだそうだな」
「ああ」トマトは胸を張った。「どんな拷問にかけられたって口を割らないよ。この商売、信用が第一だからね」
「それなら、われわれアンタレスが君たちの依頼主になれば、君たちはわれわれの組織の秘密を守るということだな?」
三人は顔を見合わせた。
「そういうことに……」
「なるかなあ?」
「念のために聞いとくけど」とトマト。「もし依頼をことわった場合は?」
ブラックはにんまりと笑った。
「われわれの組織の秘密は決して外部にもらしてはいけないことになっている」
「なるほど……」
トマトはため息をつき、ベッドにどっかと腰を下ろした。頭に手を当てて考えこむ。
「姉き……」
「リーダー……」
オニオンとピクルスは心配そうにトマトの顔色をうかがった。
トマトは悩んでいた。こんな脅迫まがいの方法で働かされるのは、悪人としてのプライドがゆるさない。だが、依頼を受けなければ、ここから出られない。いや、口ふうじに殺されるかもしれない……。
やがてトマトは、オニオンとピクルスを手まねきした。三人はブラックに聞こえないよう、顔を近づけて小声で話し合った。
「……なあ、この前の戦い、勝ちか、負けか?」
「うーん、予定どおり、〈百年暗号〉はうばえたけど……」
「最後はこいつらに助けられなきゃ、警察に捕まってただろうしな」
「ということは、引き分け?」
「そういうことだな」
「じゃあ、二勝二敗一引き分けだ。まだ勝負ついてないじゃん」
「そうだな」
トマトは目を輝かせた。「もういっぺんやるか?」
二人はうなずいた。
相談はまとまった。トマトは立ち上がると、腰に手を当て、ブラックに向かって不敵な笑みを投げかけた。
「で、ギャラはどれぐらい払っていただけるのかしら?」
ブラックも笑い返した。
「たんまりと払ってやるとも」
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