第4回 解けた暗号
翌日、地元の新聞には『アレシボ天文台で宇宙人が三人を誘拐!』という記事が出た。テレビでもニュースで流れた。もっとも、宇宙人が現われていたあいだ、カメラはずっと故障していたので、一枚の写真も撮れなかった。ようやくカメラが写るようになったのは、UFOが遠ざかりはじめたころで、画面にはオレンジ色の点が山の向こうに見えなくなるところしか写っていなかった。
「でも、すごいよねえ、父さん」
病室でテレビのニュースを見ながら、夕姫が楽しそうに言った。
「きっと宇宙人にタックルした世界初の人間だよ」
ここは天文台から十キロほど離れたウトゥアドの街にある病院。次郎さんは落っこちたひょうしに足の骨を折って、入院したのだ。他にも右手にするどい刃物で切りつけられたような傷ができていたが、さいわい、どちらも大きなけがではなく、すぐにも退院できそうだった。もっとも、しばらくは歩くのに松葉杖が必要だが。
「うーむ、しかし、取り逃がしたのが残念だったな。ぜひとも宇宙人をつかまえて、何の目的で地球に来ているのか、しめ上げて聞き出したかったんだが」
「そうだねえ、トマトたちがどうなったのかも気になるし――ねえ、まさか宇宙人につかまって解剖されたりしてないよねえ?」
知絵は笑った。「そんな心配はないわ」
「どうしてそんなこと、言えるのさ」
「だって、あれ、本物の宇宙人なんかじゃないもの」
「ええっ!?」
居合わせた夕姫、次郎さん、それにステラさんと総一郎おじいさんが声をあげた。おどろいていないのは七絵さんだけだ。
「知絵ちゃん、どうしてそんなことがわかるの」とステラさん。
「だってあの宇宙人、人間みたいだったんですもの」
「人間みたいだったら、どうして宇宙人じゃないの?」と夕姫。
「進化論の問題よ」
「シンカロン?」
「そう。地球に住むわたしたちは、たまたまサルの仲間から進化した。だからこんな姿をしている。でも、他の星でもそうだとはかぎらない。どこかの星では、ゾウに似た生物が知的生物に進化するかもしれない。手の代わりに長い鼻を使う宇宙人がね。レッサーパンダみたいな宇宙人もいるかもしれない。カンガルーみたいな宇宙人、エリマキトカゲみたいな宇宙人、ダチョウみたいな宇宙人も。
脊椎動物(背骨のある動物)とはかぎらないわ。ウミウシとかイセエビとかオケラとかクモとかが何億年もかけて進化して、知性を持つ可能性もある。もちろん、地球上の生物とまったく似たところのない生物もたくさんいるでしょうね。そう考えると、宇宙人が人間そっくりになる可能性は、すごく小さいのよ」
次郎さんは考えこんだ。「たしかにあの宇宙人、手足がほっそりしてたが、体格はかなり人間に似てたなあ……でも、人間じゃない大きな目があったぞ」
「それもおかしいわ。人間はそんな大きな目なんか持ってない。このサイズの目で十分なのに、どうして目が大きいの?」
「暗い星に住んでるからじゃない?」と夕姫。「暗いから目が大きくないとよく見えないとか」
「ヒョウみたいな夜行性の動物でも、目は大きくないわ。それに、そんな暗い星では寒すぎて、それこそ生命が存在できない」
「あ、そうか」
「じゃあ、あれはなんだったって言うんだ?」と次郎さん。「着ぐるみじゃなかったぞ。あんなに細いスーツに、人間は入れない」
「それに空を飛んでたし」とステラさん。
「そうだよ。空飛んでたの、どう説明すんのさ?」と夕姫。
「パパ」
知絵はちょっとためらいながら言った。新しいパパなもので、まだ「パパ」と呼びなれていない。
「その腕の傷だけど、もしかして、宇宙人の頭の上に手をやったときについたんじゃない?」
「うん、そうだ。頭をなぐろうとしたら、急にいたみが走って、血が出たんだ」
「それよ。糸で切れたんだわ」
「糸!?」
「そう、ものすごく細くてじょうぶな糸。たぶんカーボンナノチューブか何かでしょうね。あれなら直径〇・二ミリの糸で、百四十キロの重さをささえられる……」
「ううむ、なるほど」総一郎おじいさんがうなった。「直径が一ミリの何分の一しかない糸に手をぶつけたので切れたのだな?」
「そう言えば、もうすっかり暗かったですからね」と七絵さん。「そんな細い糸なら、とても目で見えませんわ」
「ということは、あの宇宙人は……?」
「そう、あやつり人形」と知絵。「上のUFOからつるされていたんです。たぶん腕はリモコン操作で動いて、人間をつかまえることができるようになってたんです」
「じゃあ、そのUFOはどうやって飛んでたんだ?」と次郎さん。
「ニュートラリーノ推進でしょうね」
ニュートラリーノというのは宇宙を飛びかっている高エネルギー粒子だ。光を出さないし、どんな物質もすり抜けてしまし、地球だってすり抜けてしまう。大量のニュートラリーノを浴びせられても、人間はまったく何も感じない。とても安全な粒子なのだ。
最近、そのニュートラリーノを噴射するエンジンが発明された。普通のジェットやロケットとちがって、噴射口が必要ない。ニュートラリーノは金属の壁を通り抜けるからだ。風も起こさないし、光や音も出さない。
そんなエンジンを何に使うのか? 敵地を偵察する飛行機に使う。光も音も出さないエンジンは、見つかりにくく、ステルス機にはうってつけだ。
「しかし、ニュートラリーノ推進はまだ試験段階のはずだ」と総一郎さん。「それをすでに実用化している組織があるとしたら……」
「ええ。すごい科学力と資金力を持つ組織――どこかの国の軍隊かも」
「どこ?」と夕姫。
「このプエルトリコはアメリカ領でしょ。アメリカ軍の基地もあるのよ」
「じゃあ、アメリカ軍がUFOを開発してるっていうの!?」
「いや、そんなうわさはずいぶん前からある」次郎さんは腕組みをした。「アメリカは昔から、極秘にいろんな飛行機やロケットを開発してきたんだが、それをごまかすために、UFOや宇宙人のうわさを流してると言われてる。新型機の試験飛行を目撃した人がいても、宇宙人のUFOだと思いこむわけだ」
「じゃあ、トマトたちは……?」
「アメリカ軍か、あるいは同じぐらいの科学力を持つ組織にやとわれてたのね。誘拐されたように見えたのも、お芝居よ。あの悲鳴、わざとらしかったもの」
そこまで言って、知絵は指でひたいをかいた。
「わからないのは、なぜあんな古い紙きれをほしがったのかってことなんだけど……」
「〈百年暗号〉か? いや、たしかにあれは、ほしがるかもしれんぞ」
総一郎おじいさんは説明した。あの紙きれは、白石昭彦という探検家が残した〈百年暗号〉と呼ばれる暗号書であること。ステラさんの家がそれを代々保管していたこと。そこには宇宙人の謎が隠されているかもしれないこと……。
「宇宙人の謎ねえ……」知絵は首をかしげた。「そこらへんはちょっと信じられないけど、でも、誰かが本気になってそれを手に入れようとしてるんだとしたら、もしかしたら信ぴょう性があるのかもしれませんね」
「でも、あいつらに取られちゃったよ」夕姫が落胆する。「秘密が隠されてたとしても、もうわかんないじゃん」
「そうとも言えないわよ。オリジナルの紙に秘密があると決まったわけじゃないし」
知絵はステラさんに向き直った。
「コピーはないんですか?」
「そりゃあ、念のためにコピーも持ってきてるけど」とステラさん。「でも、スーパーコンピュータでも解けなかったしろものだよ?」
「スーパーコンピュータなんて必要ないと思います。だってその白石という人は、コンピュータなんか使わずにその暗号を作ったんでしょ? だったら、コンピュータなしでも解けるはずです」
「解けるのかい、知絵ちゃん?」
「お姉ちゃんは世界一の天才だよ!」夕姫が自慢する。「お姉ちゃんに解けなかったら、世界のだれにも解けないって!」
「なるほど、それもそうか」
そう言ってステラさんは、ふところから封筒を取り出した。中に入っていたのは、あの〈百年暗号〉のコピーだ。それを手わたされた知絵は、じっくりと見つめた。見たところ、デタラメに数字が並んでいるだけのように思える。
「これってさあ、数字を文字に置きかえるんじゃないの?」横からのぞきこんだ夕姫が口を出す。「1がAで、2がBで、3がCで……っていうように」
「そんなの、コンピュータで一瞬に解けちゃうわよ」知絵は考えこみ、ステラさんにたずねた。「これって、単純なコード式やサイファー式の暗号じゃないと見ていいですね?」
ステラさんはうなずく。「そんなんじゃ、百年もかからずに解けてるよ」
「ということは、いくつもの数字が同じ文字を表わしていたり、同じ数字がいろんな文字を表わしているような、変則的な暗号ということですね」
「そうだろうね」
「パラサの言葉はスペイン語ですよね? ということはこの暗号もスペイン語なんですか? それとも日本語?」
「わからないのよ」ステラさんはため息をついた。「白石は解読のためのヒントを何も残してないの」
「ほんとうに? 何か解くための鍵がなければいけないはずでしょう? 白石さんはほかに何か言ってなかったんですか?」
「うーん……」
ステラさんは考えこんだ。
「そう言えば、生前、白石は口ぐせのようにこう言っていたそうだ。『真実はいつも目の前にある』と」
「真実はいつも目の前に……」
知絵はその言葉をくり返した。目を閉じ、静かに考えをめぐらせる。
「真実はいつも目の前に……いつも……」
突然、知絵はぱっと目を開けた。
「あ……」
「どうしたの、お姉ちゃん?」
「解けちゃった……」
「ええー!?」
みんなはびっくりした。
「ほ、ほんとかね、知絵ちゃん?」
「ええ、たぶんまちがいないと思います。これは日本語です――紙と書くもの、あります?」
知絵はメモとボールペンを借りると、すごいいきおいで、ひらがなとカタカナとアルファベットを書き並べはじめた。しばらくして――
「できました」
知絵は宣言した。おじいさんもステラさんもぼうぜんとなっている。
「〈百年暗号〉をたった五分で……!?」
「でも、まだわからないところがあるんですけど……」知絵は首をひねった。「ユーアルテパズトリって聞いたことあります?」
「ユーアルテパズトリ? それはなんだね?」
「わかりません。解読できた文章の中に、そんな単語があったんです」
知絵はメモ用紙を見せた。みんなはそれをのぞきこんだ。日本語でこんな文章が書かれていた。
あかみどりあおの
ひかりであうたきより
おおいなるじしゃくのうえ
にせんぶんのいちSのほうへ
Youaltepuztliのたにをぬけ
おとめのはか
かげろうをくぐり
スフィンクスにちょうせんせよ
「これはヨワルテポストリだ!」次郎さんが興奮して言った。「メキシコの妖怪だよ。水木しげるのマンガにはヨナルデパズトーリという名前で出てくる」
「ヨワルテポストリの伝説ならパラサにもあります」ステラさんも興味深そうに身を乗り出してきた。「先住民の言葉で『夜の斧』という意味です。夜中にジャングルの中で、コーンコーンと、斧で木を切るような音をたてるんです。ゾンビのようなおそろしい怪物で、夜中にジャングルに入った者は食い殺されるとか、首をはねられるとか言われています」
「うむ、アステカの神テスカトリポカの化身のひとつと言われているな」
「でも、妖怪の名前がどうして……?」七絵さんが首をかしげる。
「ほかには何が書いてあるんですか?」
日本語が読めないステラさんが、次郎さんにたずねる。
「わからん。なぞなぞみたいだ。しかし、これは秘密の場所への道すじを示した暗号にちがいない。きっと白石昭彦が発見したというマヤの遺跡への道だろう。これはすごい発見だよ!」
次郎さんはクリスマスプレゼントをもらったこどものように、目を輝かせていた。
「光出会う滝、大いなる磁石、ヨワルテポストリの谷、乙女の墓、かげろう、スフィンクス……ああ、なんてなぞめいた言葉ばかりなんだ! わくわくしないか、夕姫?」
「うん、するする!」夕姫もはしゃいでいた。「ねえねえ、早く探しに行こうよ!」
「うむ、行きたいが、この足じゃなあ……」
次郎さんはギプスをうらめしそうに見つめた。
「そうかあ、父さんの足が治るまでむりだね」
「まあ、そんなに急ぐことないんじゃありません?」七絵さんがのんびりと言う。「これまで百年も解けなかった暗号でしょう? 知絵ならともかく、ほかの人にそうかんたんには解けませんわ。だれかに先をこされる心配はないと思いますけど」
「それもそうか。しかたがない。足が治ってから、あらためて探しに行くとするか……」
そう言いながらも、次郎さんは残念そうだった。
「あ、いかん」
総一郎おじいさんが急に心配そうな顔になった。
「どうしたんです?」
「いや、思いついたことがあってな。ほら、きのう、わしらが〈百年暗号〉を前にして話していたとき、ちょうどいいタイミングで、あの三人組がおそってきただろう?」
「ええ」
「もしかして、会話が盗聴されていたんじゃないかと思って調べてみたら、やはり屋敷から盗聴器とカメラが見つかったんだ。あいつらはわしらのことをずっと見張っていたんだよ。ひょっとして、この部屋にもどこかに盗聴器が……」
「ええ!?」
みんなはあわてて部屋の中を探し回った。やがて――
「あった! これじゃない?」
夕姫がテーブルの裏にくっついていた小さなボタンのような機械を見つけ、知絵に見せた。受け取った知絵はそれをしげしげと見て、「ドライバー、ありません?」と言った。
ドライバーを借りると、知絵はそれを使って、すばやく機械を分解した。中の配線をじっくりと調べる。
「まちがいありません。盗聴マイク――ありふれたタイプですね」
そう言って、小指の爪の先ほどの小さな電池を、ドライバーの先端でほじくり出した。
「これで電波は止まりました」
「ということは、今までの会話はすべて聞かれていたということか……」
おじいさんの顔はけわしくなっていた。次郎さんもおちついてはいられない。「ヨワルテポストリ」とか「光出会う滝」とか、謎を解く鍵になる言葉をいろいろしゃべってしまったからだ。
「しまったなあ。だれかは知らんが、先に遺跡を探しに行くかもしれんぞ」
「こんなひきょうな手を使うやつは、悪者に決まってるよ!」と夕姫。
「うむ。もし本当に宇宙人の秘密が隠されているとしたら、ぐずぐずしてはおれん。宇宙人の進んだ科学力を、悪人の手にわたすわけにはいかん……」
次郎さんは顔を上げて、夕姫を見た。
「夕姫、おまえ、行ってこい!」
「えっ、ボクが?」
「そうだ。父さんの代わりに行ってきてくれ。おまえが先に宇宙人の遺跡を見つけて、その位置を通信機で知らせるんだ。そうすればすぐに世界中のテレビ局やら科学者チームやらが押し寄せる。だれかが遺跡の秘密をひとりじめすることはできなくなる」
「しかし、こどもにジャングルを探検させるなんて……」
おじいさんが心配したが、次郎さんは胸を張って、
「だいじょうぶです! 夕姫には豊富な経験があるし、ジャングル探検に必要な知識はすべて教えてあります。そこらの探検家に負けはしませんよ」
「そりゃそうだけどさあ……」
夕姫はためらった。幼いころからお父さんといっしょに世界を回り、ジャングルを探検したり、遺跡を調査したりする旅をしてきた。その気になれば、ひとりでもジャングルを何十キロも歩き回れる自信がある。だが、探検というのはただ歩き回ればいいというものではない。頭も使わなくてはならない。
「ボクだけじゃ謎は解けないよ。『大いなる磁石』とか『二千分の一』とか、なんのことだかわかんないもん」
夕姫はしばらく悩んでいたが、ふと振り返って、
「ねえ、お姉ちゃん、いっしょに来てよ」
知絵はビックリした。「え? わ、わたし?」
「そうだよ! 百年暗号をあっさり解いちゃったお姉ちゃんだもん! この謎だって解けるよ、きっと!」
「おお、それはいいかもしれん!」おじいさんもよろこんだ。「知絵ちゃんの頭脳はきっと役に立つはずだ!」
「あの、でも……わたし、体力に自信が……」
それは本当だ。知絵は体力も運動神経もまるでない。ふつうに街の中を歩くだけでも、一時間も歩いただけでへとへとになってしまうのだ。ジャングルを何十キロも歩くなんて、とてもできそうにない。
「いや、それなら心配いらん。うちの会社が開発した運搬用のロボットがある。ジャングルでも砂漠でも自由に歩き回れるやつで、荷物だけじゃなく人間を乗せることもできる。あれなら疲れることはない」
「でも、わたし、現地の地理なんかさっぱり……」
「それなら心配いらないよ」ステラさんが胸を張る。「わたしがガイドをしてあげる。あのあたりのジャングルにはくわしいんだ」
「でも、実際に行かなくても、無線で話を聞くだけでも……」
「いや、じかに目で見なければわからないことがたくさんある」と次郎さん。「謎を解くためには、その場所に行ってみないと……」
「あの、でも、えーと……」
知絵は断わる口実を探したが、どうしても見つからない。白石昭彦という人はとても頭が良かったらしい。彼が残した謎を解くには、自分の頭脳が必要だということはわかる。夕姫はジャングル探検のベテランで、彼女がいっしょにいれば安心だということも。
知絵はすじの通らないことが大きらいな性格だった。どんなことでも、必ずちゃんとした理由が必要だと思っている。ピーマンはきらいだったが、きらいだというだけの理由で「食べたくない」と言ってはいけない。ピーマンを食べるのを断わる理由がないのだから、きらいでもがまんして食べなくてはいけない……。
本当はジャングル探検なんていやでいやでたまらなかった。ふつうの女の子なら、理屈なんか無視して、「そんなのいやだ」「とにかくいやだ」と言って拒否するだろう。でも、知絵はそれが言えないのだった。
「ママ……」
知絵はなさけない顔で、救いを求めて七絵さんのほうを見た。おねがい、ママ、「そんな危険なこと、知絵にはさせられません」って言って……。
ところが、七絵さんは、ぽんと手をたたいて、うれしそうな声で言った。
「まあ、いいかもしれないわねえ。知絵はいつも家にこもって運動不足だから、たまにはアウドドアで体をきたえるのも大事だわ」
七絵さんは知絵にほほ笑みみかけた。
「行ってらっしゃいな、知絵」
知絵は絶望した。もう逃げ道はない。
「わかった……行く……」
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