第44話 密約
元哉がいったいどんな話を切り出してくるのか、一同は注目している。さくらだけは、元哉の分のお茶菓子に手を出してまったく話など聞いてはいないが・・・・・・
「そんなに大した事ではない。辺境伯と伯爵の話が聞きたいだけだ」
元哉達が捕縛または拉致した彼らの話とはいったい何のことか見当がつかないディーナとロージーであったが、大臣と橘は元哉が知りたいことを理解していた。
「ふむ、彼らのことは我々も取り調べてはいるが、今のところ興味を引く話は出てきていない。何しろ相手が大貴族だけに、拷問などするわけにいかないものだからな。君は彼らから何が聞きたいんだ?」
予想はついているという顔をして、大臣が元哉に尋ねる。
「簡単な話だ。あれだけ狙われると脅かされたにもかかわらず、辺境伯の奪還を諦めなかった理由だ。何か裏がありそうだから知っておきたい」
大臣としては『やはりそうきたか!』といったところだ。実は彼も同じように考えていて、伯爵達から事情を聞きだそうと試みていたのだった。
「先ほども言ったように拷問はできないが、それでも彼らに全てを白状させる手段があるのか?」
その言葉に元哉は頷いて答える。
「ここにいる橘に任せれば、簡単なことだ」
大臣は元哉の言葉に納得させられた。あのノルデンの街で見た彼女の魔法は、大臣が今まで見たこともない高度な魔法だった。
おそらく橘には伯爵達に話をさせる何らかの手段があるのだろうと推測できる。
「そういうことならぜひ私も同席したいが構わないかね? 彼らが話すことには、非常に興味があるのだよ」
大臣が身を乗り出して元哉に詰め寄った。
「むしろ閣下が同席してくれたほうがいい。さくら達3人はすまないが別室に移らせて待たせてほしい」
その言葉を聴いて大臣はすぐに秘書官を呼んで、手配を行った。
「大臣のおじさん! このお菓子、帝都に来てから食べたものの中で一番おいしいからいっぱい用意しておいて!」
さくらにかかっては、一国の大臣も『おじさん』扱いである。もちろん彼はさくらの機嫌をとるべく、秘書官に大皿いっぱいに用意をするように告げた。
しばらく待つと、取調べの担当者がやってきて、彼を先頭に伯爵達が収容されている西塔に向かう。
帝城の西側にそびえる西塔は、犯罪を犯した高位の貴族を収監する施設として現在使用されており、厳重な警戒態勢が敷かれている。
許可がなくてはおいそれと近づく事も出来ないが、元哉は『時間と準備はかかるものの忍び込めないこともないな』とその塔を見ながら考えていた。
伯爵が収監されている部屋は4階で辺境伯親子は5階なので、先に4階から訪ねることにする。
担当者が見張りの者に取調べを行う事を伝えると、彼は別の部屋から大きな鍵を持ってきて鍵穴に差し込んだ。
『ガチャリ』と音がして重い扉が開く。
室内は一通りの調度品が整えられており、拘束というよりは軟禁と言った方が近いかもしれない。
ソファーに座っていた伯爵は元哉の姿を見るなり、憎しみがこもった眼で睨み付けた。
だがそんな視線などお構いなしに元哉が彼の前に立つ。
「久しぶりだな。俺の警告に素直に従っていれば、こんな所にこなくても済んだかもしれないな。まあ、その辺は自己責任だと思って諦めてくれ」
淡々とした口調でそう告げる元哉。伯爵がこの先どうなろうとも、それは全て自らには関係のないことと割り切っている。
「さて、お前達が企んでいる事を素直に話してもらえると、こちらも手間が掛からずありがたいのだが。この場で話す気にはなれないか?」
元哉の言葉に伯爵はソッポを向いて答える。
「卑しい冒険者風情に話すことは何もない!」
ここに至ってもまだくだらない貴族のプライドにしがみ付いているこの男の事が、元哉には哀れに思えてきた。このような態度ならば、いっそこの場で引導を渡してやったほうがいい。
「橘、頼む」
元哉はそれだけ言って、橘に全てを任せた。
元哉と入れ替わりに伯爵の前に立つ橘。腕を組んで、ソファーに座っている男の事を冷たい目で見下ろしている。
「動かないで眼を閉じなさい」
その言葉でピクンと伯爵の体が硬直して、眼が閉じられた。
橘は魔力で彼の精神を圧迫しているのだった。徐々にこめる魔力を強くしていくと、伯爵の額に脂汗が浮かびだす。
橘は催眠術に魔力を加えた強力な催眠魔法を得意としている。この世界では精神魔法とも呼ばれているが、日本で体系だって構築された催眠術に魔力をプラスしているので、被験者の精神の最深部までその影響を及ぼす事ができる。
「あら、まだ抵抗するのね・・・・・・では自分の首を絞めなさい」
橘の言葉に抗する術のない伯爵の手が、自らの首にあてられる。
彼は苦しそうな呻き声を出すが、実際には手を当てているだけで絞めてはいない。彼の精神が『首を絞めている』と思い込まされているのだ。
催眠術は生命や身体に危険を及ぼすような指示や命令は、被験者が拒否する。だが橘の催眠魔法は、対象の心理抵抗など一切排除するため、対象は自らの意思に反する事を強制される。
ちなみに以前、元哉の気持ちを知りたいと思ってこの魔法を掛けてみたが、元哉の分厚い魔力の壁に阻まれて全く効かなかった。
さくらにもやってみたところ、彼女の思考があまりにも単純すぎて全く用を成さなかった。
この二人は特殊な例として、大方の人間は橘のこの魔法に晒されると心の中まで全て支配されてしまう。
「さあ、話す気になったかしら?」
ゼエゼエと荒い呼吸を繰り返す伯爵に向かって問いかける橘。
それでもまだ伯爵は抵抗しているようで、話をする素振りがない。何かよほど重要な事を隠しているのか、話す事が全くないのか・・・・・・可能性としては前者のほうが高い。
「仕方ないわね、自分で眼を抉り出しなさい」
冷徹な橘の命令に伯爵の手が再び持ち上がる。
「ギャーーーー!」
悲鳴が部屋に響き渡るが、彼自身の眼は一向に傷ついてはいない。拷問は硬く禁じられているので、そう思い込ませているだけだ。
確かに肉体的には傷つけてはいないが、精神には肉体をはるかに上回る苦痛が刻まれていく。
「そのくらいでいいわ、次は股間にしようかしら」
橘のその声で、伯爵の心が粉々に砕けた。
「話す、全て話すから助けてくれ!」
自身でも体に傷がついていないことを理解しながらも、精神的な苦痛に耐えかねて悲痛な声をで許しを請う哀れな男がそこにいた。
「我々北部の10貴族は・・・・・・」
伯爵の話によると、オフェンホース公爵を中心にした北部の大小10に及ぶ門閥貴族派は、連合して自らの軍を動かして帝都に攻め込む計画を練っていた。
特にファウロンゲン伯爵とブルーイン辺境伯は帝都の東側から攻め込んで退路を塞ぐ重要な役割を担っていたために、公爵の意向であのような強硬な態度で辺境伯を取り返そうとした。
「それで、攻め込む時期は?」
さらに橘が畳み掛ける。もうここまで話してしまえば伯爵は何の抵抗も見せなくなった。
「この秋、エルモリヤ教国がこの国に攻め込むのと時を合わせて」
現在6月で、あと3ヵ月後には教国軍6~7万と北部貴族連合軍4万が帝都に攻め込んでくる。
その事実は軍務大臣の肩に重く圧し掛かった。
その後辺境伯からも同様の証言を得て、大臣の執務室に戻った一行を重たい空気が包み込む。
攻めて来る敵が10万を超える兵力を誇るのに対して、帝都で動員できる兵は現状では1万5千。周辺に動員を掛けてもあと1万を集めるのが精々だろう。
ましてや圧倒的に不利な陣営に進んで味方しようと考える者は多くない。
「君にはこの難局を打開する案があるかね?」
突きつけられた問題の大きさに、藁にもすがる気持ちで大臣が元哉に尋ねる。
大臣は帝国を防衛するという観点で考えているのに対して、元哉の観点は彼とは少々異なっていた。
元哉の現在の最大の目的は、勇者を擁するエルモリヤ教国をディーナの故郷の新ヘブル王国に侵攻させないことだった。
彼の頭の中には今回の件を利用して、エルモリヤ教国の戦力を削っておきたいという考えが浮かぶ。
「そうだな、おそらく北部の貴族達は利害で教国と組んだのだろう。まずこの結びつきを壊すところから始めるしかないな」
元哉の言う通りだ。彼らは現状多少の不満はあっても、帝国の貴族としてそれなりに安泰な生活を送っている。
わざわざ反旗を翻して、敵方につくのは勝ち馬に乗っかるだけの事だ。おそらく教国から領地の安堵といった約束を取り付けているのだろう。
まして先日教国は『勇者』の存在を発表した。これは北部以外の貴族も揺さぶって、帝国からの離反を促す策であろう。
したがって元哉はこれらの貴族を味方につけなくても、悪くても中立で構わないと思っていた。
「まず、公爵の暗殺は必須条件だ。首謀者がいない寄り合い所帯ほど脆い物はないからな」
彼の中では公爵はすでに故人となっている。いなくなってもらう時期は、教国が侵攻する1カ月前がちょうどいいだろう。
1カ月では教国や貴族連合が体制を整え直す時間が足りない。おそらくそれで、貴族連合は瓦解するはずだ。
そのついでに連合から教国に提供される兵糧なども奪ってしまえば、不信感で両者は対立するだろう。
この程度の事は手伝ってもよいと考えて、元哉は大臣に提案する。
「俺達はこの国に所属して戦う事は出来ないが、軍事顧問という形で協力しても構わない」
元哉の言葉に軍務大臣は立ち上がって手を取り感謝の言葉を述べた。
「砦や兵力の配置がわかる地図はあるか?」
元哉の要請で、秘書官が一枚の地図を持ってくる。
その地図を一通り見てから元哉はその一点を指した。
「このあたりに砦を築くのに適した場所はあるか?」
大臣は元哉が言っていることが理解できない。わずか3ヶ月でどうやって砦を築くというのか。
「砦は橘に頼めば3日で完成する。資材や人員の配置の必要があるから1ヶ月以内に適当な場所を確保してくれ」
大臣にもようやく元哉が言っている言葉の意味が理解できた。ノルデンの街の手前で彼らが野営していたときに、その隣に一瞬で出来上がった巨大な要塞のような宿泊施設。
あのようなものを造り上げる事ができれば、なるほど砦すらも準備できるのであろう。
さしあたっては、元哉とさくらは騎士の訓練校の教官になって、新兵をそれぞれ250人預かって鍛える役に就任した。
橘は魔法学校の教官に就任して、若い魔法使いを実戦に投入できるまでレベルを上げていく役割だ。
ディーナは魔法学校の教官に魔族(ルトの民)がいると聞いて、橘と同行を申し出て彼女の助手となった。
帝国は覇王の騒乱を引き起こした一因が種族の対立にあった事を認めて、エルモリヤ教と決別する際に他の種族同様に魔族も人間と認めた国家だった。そのおかげで、数は少ないながらもディーナの同胞が住み着いている。
ただし、エルモリヤ教国から見ればそれは教義に反する重大な裏切り行為で、邪教を信仰する滅ぼすべき国と認定されるに至った経緯がある。
ロージーは元哉達と一緒にいることになった。さくらという監視役がいるものの、ここは元哉を独占するチャンスが来たと一人張り切っている。
その後、細かい部分の打ち合わせは旧都の件が片付いてからということにして、元哉達は帝城をあとにした。
宿に戻った一行は、早速旧都のアンデッド退治の打ち合わせを始める。
「橘、どの程度掛かりそうだ?」
元哉の質問に笑って答える橘。
「あれの機嫌にもよるけど、一瞬で終わるでしょうね」
その言葉に『いくらなんでもそれはないでしょう』という顔をしているロージーがいる。彼女は橘の中に眠っているミカエルのことを知らないのだから無理もない。
ディーナは久しぶりにあの大精霊様の姿が見られるのを心待ちにしている様子だ。
そしてさくらだけは我関せずという顔をして、帝城から持ち帰ったお菓子を無心で食べていた。
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