第40話 魔王の片鱗

 次の日の夕刻、再び教会の塔の最上部に潜んでいる元哉とさくらがいる。


 昼過ぎに、橘から『辺境伯の身柄を帝都に送ることを認める』と伯爵から連絡があったとの報告があり、その裏を取るために館周辺と街の様子を確認しているのだった。


「兄ちゃん、どう思う?」


 さくらは元哉に意見を求める。


「そうだな、まるで敵国の襲撃に対して備えているようだ」


 双眼鏡を見ながら元哉が答える。


「やっぱり兄ちゃんもそう思うんだ! 私から見ても兵の配置や警備が過剰に見えるよ」


 さくらが言う通り、館に500人、東門に1000人、西門に500人の兵士が配置されている。そのほか街の中を完全武装の兵士が10人単位で何組も巡回しており、とてもこちらの要求を無条件で呑んだとはいえないように映る。


「大方、要求を飲む振りをして大臣の一行が街に入ったら、襲撃を仕掛けるつもりだろう。下策の一言に尽きるな」


 元哉が履き捨てるように言い切る。


「兄ちゃんがやつらだったらどうするの?」


 さくらが今後の参考のために質問する。


「そうだな、素直に通して恩を売るか、どうしても辺境伯を取り戻すのならこの街は通してから追っ手をかけて、隣の領地にはいってすぐに襲撃するな」


「うわっ! 腹黒い!!」


 さすがのさくらも呆れる。


「それが戦術だろう。さくらのようにいつも正面からぶつかっていては、身が持たないぞ」


「ごもっともでございます」


 さくらとしてはここまで言われて素直に頷くしかなかった。


「さくらはどうやって伯爵を拉致する?」


 どうせ返ってくる答えはわかっているが念のため聞いておく。


「それは正面から突入して、有無を言わさずに引っさらってくるに決まってるよ! 一番手軽だし」


 清々しいくらいに予想通りの回答だった。


「今回はその意見は半分採用だ。さくらはさっきの風見鶏がある別棟の奥の森に、馬車を引き込んで待機していてくれ」


 その言葉にさくらが頬を膨らませる。


「ええー! また私待機なの!! まだこの街で何にもやってないよ!」


 どうやらこの娘はいちいち暴れないと気が済まないらしい。


「お前が参加すると毎度大事になるから今回はダメだ。また機会があるからそれまで我慢していろ」


 元哉の言うことにさくらは、渋々了承する。


「決行は明日の明け方だ、今日は早く寝ておけよ」


「兄ちゃんわかったから、今日も食べ放題でいい?」


 さくらの言葉に仕方なく頷く元哉だった。




 夜になってから魔法通信で橘と連絡を取り、町の中の警備状況から伯爵が信用できないことを伝える。


 したがって明日、拉致を決行するとともに、打ち合わせどおりに行動をするように頼んだ。


 



 夜明け前。


「さくら、起きろ!」


 寝ているさくらを揺り動かす元哉、ここは一瞬も気が抜けない。


 寝ぼけたさくらの手加減無しの攻撃が飛んでくる危険があるのだ。


 案の定鋭い裏拳が飛んできた。それをうまく掻い潜ってなおも揺らし続けると、ようやく目を覚ます。


「兄ちゃん、おはよう・・・」


 まだ眠たいようだが、アイテムボックスから湯気が出ている食事を取り出すと、さくらは急にシャキッとする。


 食事が終わるのを待ってから、馬車に乗って出発した。


 広場に差し掛かると、前方に20人ぐらいの兵士が警護を固めている様子が、夜明け前のほの明るい石畳に浮かび上がっている。


「さくら、止めろ」


 御者席に並んで座っている元哉が、さくらに指示を出す。 


 馬車から降りた元哉が、ゆっくりと兵士たちに近づいていくと『何者だ、止まれ』と警告の声がかかるが、そんなことにはお構いなく一気にスピ-ドを上げて襲い掛かった。


 突然の襲撃者にうろたえる兵士達。槍を構えてはいたものの、離れたところにいた元哉が突然目の前に現れたのだ。


 金属製の鎧を装備していても何の防御にもならなかった。元哉の打撃一発で3人まとめて吹き飛ばされて地面に叩き付けられる。鎧で重たくなった分だけさらに大きなダメージを受けて、重なり合うように倒れこんで起き上がってくる者はいなかった。


 20人の敵に対して5秒もかからずに掃討を済ませる。計算した攻撃で馬車が通れるスペースを作り出した元哉がさくらに出発を告げると、馬車は再び進み始めた。


「なんだ兄ちゃん、結局力押しじゃない!」


 さくらが不満を口にする。


「最小限の戦闘で済ませたいからな、お前がやると最大限の被害が出るだろう」


 元哉がさくらの不満を宥めるように説明するが、さくらとしては一向に収まらない。


「私は全滅が基本方針だからね。でも、あのくらいなら出来るから次は私にやらせてよ!」


 さくらの訴えに仕方なく首を縦に振る元哉だった。さもないとそのうち我慢できずに勝手に飛び込んできそうだ。


 館に通じる道には各所に兵士が小隊規模で待ち構えていたが、ことごとくさくらに突破された。彼女もこのところ加減がうまくなって死者は出していない模様だ。


 館の裏手に到着すると、塀の中では兵士が慌しく動き回ってくる様子か伝わってくる。襲撃を察知して表側にいた兵士を裏に回しているようだ。


 元哉が最初に伯爵邸に忍び込んでから3日がたち、その間厳重な警戒態勢をとっていた兵士達には疲労の色が濃い。しかも夜明け前の襲撃とあって、交代時間間近のため彼らの緊張感が切れかけているところだった。


 そこまで考えた上で元哉が立てた作戦だが、ここから最短時間で館内に突入することが作戦上の要となっている。


「行ってくるぞ」


 そうさくらに言い残して塀を飛び越える元哉、さくらは指定の場所まで馬車を移動させていく。



 塀を飛び越えた元哉はすぐに警備兵に発見されたが、そんなことにはお構いなく建物の一階の窓に向かって全力で走る。元哉を止めようとした兵士が二人いたが、その勢いで跳ね飛ばされて、地面で呻き声を上げていた。


 窓に取り付くと鎧戸に手をかけて一気に引き千切った。その鎧戸で窓を叩き割って室内に侵入する。


 どうやらそこは屋敷に仕えるメイドの部屋だったらしく、物音で目を覚まして怯えた目で元哉を見つめる彼女に対して、『驚かせて済まない』と一言詫びてから廊下に出た。


 元哉の動きが早すぎて人員の移動が間に合わないのか廊下にいる兵士はそれほどの数ではなく、たちまち元哉に制圧される。


 ホールには30人程いたが、目の前に立ちはだかった者だけを倒して階段へ突き進んだ。


 兵士からしてみると突進するダンプカーに槍で立ち向かうような感覚だろう。この世界にダンプカーはないのでドラゴンか・・・


 そしてそのドラゴンが器用に槍の間をすり抜けてくるから、対応のしようがなかった。


 元哉はそのまま階段を駆け上がろうとすると、上から槍が突き出されてくる。


 面倒なので再び槍の間をすり抜けつつ、すれ違いざまに兵士の背中を押してやると、元哉を追って階段を駆け上がろうとしていた兵士を巻き込んで派手に転落していった。


 二階に到達して廊下にいた兵士たちを片付けながら、徐々に伯爵の部屋に接近する元哉。兵士たちの抵抗が激しくなるが、元哉にとってはそれまでと大した違いには感じられない。


 ついに寝室のドアノブに手をかけて中に入ってみると、10人の兵士に守られて着替えをしている伯爵がいた。


 自分が狙われていることが分かっているにも拘らず、同じ寝室で寝てしかも寝巻きに着替えているとは危機感がないにも程がある。


 元哉はひょっとして自分が馬鹿にされているのではないかと考えたが、この世界の貴族とはその程度のものなのだろうと考え直した。


 あっという間に兵士を倒して、伯爵にナイフを突きつけて元哉は言った。


「残念だがチェックメイトだ」


 伯爵の襟首をつかんで背中にナイフを突きつけてから、さくらと通信を開始する。


「さくら、所定の位置で合流。抵抗するものは鎮圧しておけ」


「了解」


 さくらの短い応答を確認してから、伯爵を人質にして悠々と部屋を出て行く元哉だった。





 草原での夜明け前、出発の準備を整えた大臣の軍勢に混ざって馬車に乗っている橘達がいる。


「さあ、私たちも出発よ!」


 橘の号令の元、彼女が乗る馬車を先頭にして約200人の部隊が行軍を開始した。この馬車は大臣から借り受けていつもの御者が操縦している。彼は『行軍の先頭を進めることは非常に名誉なことだ』と喜んでいた。


「橘様、本当にひとりで大丈夫ですか? 私たちも何かお手伝いしましょうか」


 ディーナが不安そうに橘に話しかける。無理もない、彼女は橘がすごい力を持っていることは知っているが、実際に戦闘に参加しているところをほとんど見ていないのだ。


「心配しなくて大丈夫よ! あなたたちは馬車で待機していなさい、元くんからの指示ですからね」


 そんな会話をしながら馬車は進み、1時間でノルデンの城門が見えてきた。部隊は矢が届かない距離でピタリと停止する。


「じゃあ、行ってくるわ」


 ジャガイモでも買いに行くときのように、まったく気負いがない橘が馬車を後にする。

 


 ようやく地平線のかなたに顔を出した朝日を背に受け、一人で門に向かって歩き出した橘は、門を固める兵士たちをざっと見渡す。


(ここから見える範囲で300人かしら。門の向こうにも同数いると思っておいたほうがいいわね)


 そんなことを考えながら門に向かって歩いていく。弓の射程に入る前に念のため対物シールドを張って、さらに接近してから音声を増幅させて警告を開始する。


「抵抗しないで門を開けなさい。そうすればこちらも穏便に済ませる用意があります!」


 守備兵達に上から目線で語りかける。


 門の兵士からしてみれば、見るからに魔法使いのような服装をした女が一人でやって来るので、使者だろうと考えていた。それがいきなり降伏勧告をしたのである。


 彼らの常識では兵士の後ろから魔法を飛ばして戦いの支援を行うのが魔法使いだ。それがのこのこと前線にやってきた、彼らから見れば絶好のカモだ。ただしそこにいるのが魔王でなければ・・・


「撃てー! 生意気な魔法使いを返り討ちにしてやれ!」


 守備隊の隊長が弓兵に指示を出す。弓兵が放った矢は狙い通りに橘に向かったが、当たる直前で壁のようなものに弾かれてすべて地面に落ちた。


「あらあら、大人しくしていればいいものを抵抗するのなら仕方ないわね」


 兵士たちの反応を楽しんでいるかのように橘がつぶやく。


「下がりなさい!」


 その一言で城門の前にいた兵士たちは全員昏倒した。


 橘は兵士たちに下がれといったわけではない。兵士たちの体温に『下がれ』と命じたのだ。橘の魔法が兵士達の魔法耐性を無視して一気に5度も体温を下げた結果、低体温症に陥って彼らは倒れた。


 すぐに元に戻したので後遺症もなく意識を取り戻すだろうが、2,3日は動けない。


 その様子を見届けて橘が後方にいた味方の歩兵に合図を出す。彼らは素早く門の前に倒れていて侵入の邪魔になる敵兵を横に片付けると、再び後方に戻った。


 後ろに下がった兵士たちを確認してから再び魔法を発動する橘。


「インパクトグレネード!」


 橘が放った魔法が城門にぶつかって硬い木を金属で補強した扉を粉々に吹き飛ばし、その後ろに待機していた守備兵にも大きな被害が出る。


 橘が使用した魔法はごく単純のもので、魔力を圧縮して放っただけのものだ。それでもこの威力に敵も味方も唖然としている。

 

 橘自身は、威力を抑えてあるので『命までは奪っていないから感謝しなさい』程度の認識だ。


 門の中から大勢の兵士が飛び出てきたが、今度は彼らを突然発生した霧が包み込む。


 橘の魔法によって生成された、イオン化した霧だ。


 霧に包んでから、弱い電流を流してやると見事に全員失神した。


 こうして東門を死者ゼロで制圧した橘、今回は特に元哉から『死人は出すな』と釘を刺されていたので、それに特化した魔法を使用した。


 後方からその様子を見ていたディーナとロージーでさえ、いったいどういう仕組みで兵士たちを無力化していったのか理解できない。


 ましてや軍務大臣にいたっては、これだけの戦果を見せ付けられて『まるで魔王のようだ!』とつぶやくのが精一杯だった。


 彼がこの言葉を事実と知るのは、もっと後のことである。

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