第39話 サイレント・ミッション

 女性陣が女の戦いを繰り広げている頃、元哉とさくらは馬車に乗ってノルデンの街に向かっていた。


 さくらが御者を務めて手綱こそ手にしているものの、相変わらず口頭で馬に指示を出している。こうしておけば馬が素直に言うことを聞いてくれるので楽なものだ。


 御者は橘達と一緒に草原に待機させている。厄介事に巻き込むのは気の毒だったので、元哉が配慮した。彼は馬車の借り賃とさくらが騎乗していた馬の世話代として、金貨30枚を受け取ってホクホク顔だった。



 さくらに馬車の操縦を任せて、現在元哉は車内に座っている。


 先ほどから原因不明の悪寒に襲われて何が起きているのか不安だったが、ようやくそれも治まった。


 念のためヘルメットを取り出して橘と魔法通信を開始する。


「橘か、そちらの様子はどうだ。送れ」


「元くん、こちら橘。えーと・・・大問題が発生しているけど問題ないわ。どうぞ」


 橘が言っている事が理解できない元哉。


「一体どういうことだ? 送れ」


「その・・・これは私たちで解決しなければいけないことだから、元くんには関係ない・・・とっても関係あるんだけど・・・どうぞ」


 相手が敵であれば三人の中でもっとも冷酷非情に振舞える『魔王』橘も、こと恋愛に関しては普通の女の子になってしまう。


「俺にも関係がある? どういうことだ、お前たちに危険はないのか? 送れ」


「私たちには危険はないけど、元くんには危険が迫っているというか・・・どうぞ」


 橘が言っている事が支離滅裂で首をかしげる元哉。


「お前たちには危険はないんだな。送れ」


「ええ、こちらは大丈夫だけど・・・元くん、頑張って! お願いだから頑張って!! どうぞ」


 橘がすがるような声を出している。


「いやこちらはそれほど危険なミッションではないから、普段通りに実行するだけだ。送れ」


「それは心配してないけど、とにかく頑張ってね。お願いだから! どうぞ」


 一体何を頑張ればいいのか全く意味がわからない元哉だが、とりあえず橘達に危険が無い事が分かり一安心して通信を終了した。



 ノルデンの街の門を馬車がくぐる。


 馬車を泊められる宿を取り、徒歩でギルドに向かう二人。そこで街の地図を手に入れて、元哉が地理を頭に叩き込む。


 その後街の中を歩き回って、今回のミッションに必要な箇所をチェックしてから夕方宿に帰投した。 


 さくらは初めのうちは自重していたのだが、我慢が出来ずに店や屋台に立ち寄ってはテイクアウトの商品を買い込んでパクパク食べ始めて、それが必要以上に時間がかかった大きな原因だ。


 夕食後、部屋で元哉とさくらが打ち合わせをしている。


「さくら、明日の夕方に教会の塔から伯爵を狙撃してほしい。可能か?」


 元哉が具体的な作戦の説明を始める。


「えっ、兄ちゃん。対象をさらうんじゃないの?」


 さくらの疑問はもっともだ。


「警告だ。それで、要求を取り下げればこの件は解決する。もし、従わないようだったら拉致を実行する。相手にもチャンスを与えてやるべきだろう」


 元哉が不敵な笑みを見せる。


「でも兄ちゃん、それで従わない場合はやつらが警戒を強めるんじゃないの?」


 さくらがまともな事を言っている。お腹がいっぱいでよほど機嫌がいいようだ。


「そこまで込みで考えている。この世界には監視カメラも赤外線センサーもないからな」


 確かにそのとおりだ。各種警報装置が設置されている施設でも簡単に潜入できる元哉にとっては、人頼みの警戒態勢など無意味に等しい。


「確かにその通りだね。テルモナでもそんなものの存在を気にしないで潜入できたし!」


「お前はいつも監視システムを無視して力ずくで突破しているだろうが!」


 元哉の突っ込みに『テヘヘ』といって頭を掻くさくら。


 それと同時に、明日の夕方までは時間が出来たので、早速今日の下見をもとに食べ歩きの計画を練り始めるのだった。


 さくらにこれ以上指示を与えても頭の中から抜けてしまうので、話はここまでにして宿の風呂を借りてからベッドに入る。さくらはいつものように30秒で寝付いていた。


 真夜中、元哉が起き上がる。


 テルモナの街で作った潜入用のスーツに着替えてから、転移するときに背負っていた背嚢の中に入っている潜入用の装備を身につけていく。


 熟睡しているさくらに『ゆっくり寝ていろ』と一声かけてから外に出た。


 街は暗闇の中に静かに佇(たたず)んでいる。その中を失踪する黒い影、仮に目撃者がいたとしても余程注意深く見なければ、それが人間だとはわからない。


 昼間は人で賑わう広場を抜けて、領主の館に向かってひた走る。館の裏手に回りこみ、3メートルはあるレンガ造りの塀を一気に飛び越えて、かすかな物音しか立てずに敷地内に着地した。


 そこは建物の裏で、警戒されている様子はまるでない。夜目を働かせて建物全体を見渡すと、一箇所だけ鎧戸が閉まっていない窓がある。


 その窓を目標にして石造りの壁の僅かな凹凸に手を掛けてよじ登り始める元哉。


 二階のその窓には鍵などかかっておらず、音を立てないようにゆっくり静かに開けていく。


 窓に体を滑り込ませるように中に入るとそこは階段の踊り場で、床までは3メートルの高さがあった。


 極力音を立てないように床に降りて周囲を見渡すが、館内は寝静まっており人の気配は全くない。


 壁から僅かに顔を覗かせて廊下の様子を伺うが、警備をしている様子はなかった。あまりに無警戒な有様にやや拍子抜けの元哉だが、気を引き締めて廊下を進みはじめる。


 突き当りの部屋まで進みドアノブに手を掛けてゆっくり回すと、そこは執務室のようで人がいる気配はない。


 その隣の部屋に入り込んでみるとどうやら寝室だ。中で寝ている人物の顔を確認すると、大臣から聞いていた風貌と一致した。


 腰のホルダーから懐中電灯を引き抜いて、その男の顔に光を当て、僅かに反応したその男の胸倉に手を掛けてベッドから引き摺り下ろし、ソファーの上に投げつける。


 乱暴なその衝撃で完全に目を覚ました男が声をあげる前に、元哉は腰のナイフを喉元に突きつけて声を潜めて警告した。


「声を出すな、死ぬことになるぞ」


 男は怯えた様子で僅かに頷く。


「お前がファウロンゲン伯爵だな」


 ナイフを突きつけた手に少しだけ力を込めて元哉が尋問する。


「そうだ」

 

 恐怖で掠れた声をようやく搾り出した伯爵はそれだけ答えるのがやっとだった。


「辺境伯親子から手を引け、拒絶は死を意味するぞ」


 元哉の低い声が彼に更なる重圧を掛けていく。


「わかった、手を引く。命は助けてくれ!」


怯えた様子にもかかわらず、伯爵の目の奥に澱んだ光があることを元哉は見逃さなかった。


「そうか、今日は警告だけにしておいてやる。明日の昼までに大臣に返事をしろ。どれだけ警備をしても無駄だ、俺は好きな時にお前の寝首を掻きに来れるからな」


 それだけ言うと元哉は伯爵の首筋に手刀を入れて意識を奪う。そのまま再びベッドに投げ込んでから、ソファーにナイフで切込みを入れておいた。これで現実に起こったことだと、いやでも理解するだろう。


 一通りやっておくべきことが終わったので撤収する。窓を開けて二階から飛び降りてからはそのまま夜の闇に溶け込んでいった。




 翌日の昼過ぎ、元哉は橘と連絡を取る。


「橘どうだ、伯爵から連絡はあったか? 送れ」


 なにやら後ろのほうで『私も話がしたい!』『声を聞かせて!』などと聞き覚えのある声がしてくるが、ただの雑音だと考えることにして無視した。


「今のところ何もないわ、何かあったらこちらから連絡しようか? どうぞ」


「ああ、そうしてくれると助かる。送れ」


 相変わらずヘルメット内のスピーカー越しに『ギャーギャー』雑音が聞こえてくるが、気にしたら負けだ。


「了解。元くん、お願いだから本当に頑張ってね! 私にはもう無理みたいだから・・・通信終了」


 元哉は、橘が言いたいことをなんとなく理解して頭を抱えた。




 昼をだいぶ回った頃にさくらが戻ってきた。心なしかお腹が膨れているようで、どれだけ食べてきたのか想像がつかない。


 なんでも小麦粉を練って薄く延ばした生地に野菜や肉を炒めた具を載せて、濃厚なソースを掛けた『パテ』と呼ばれる料理が気に入ったそうである。


 味はほとんどお好み焼きに近くて、『マヨネーズがないのが残念』とさくらは悔やんでいた。


 何でも彼女は屋台の前に陣取って8枚まで食べたところで、店主から『他のお客の分まで残しておいてくれ』と懇願されて、やむなく帰ってきたそうだ。  


 一休みしてから、さくらが急に元哉に話しかける。


「兄ちゃん、あの棒を出して!」


 さくらが言う『棒』とは、擲弾筒を狙撃に使用する際のアタッチメントのことだ。全長70センチで、擲弾筒の先に捻じ込んで取り付けるようになっており、これで3000メートルまで射程が伸びる。


 さくらのリュックには入らないので常時元哉が保管していて、今回の転移のときも元哉の背嚢に入っていた。


 元哉が差し出したアタッチメントを受け取って、慎重に擲弾筒に取り付けていくさくら。


 ヘルメットのバイザー映る拡大画面を見ながら、窓の外の離れた建物を対象に照準の調整を始める。


 本当ならばどこかで試射をしたいが、街中ではそれは望めない。だが、今回はそれほど微妙な狙撃ではないので、これで何とかなるだろうと考えて調整を終了する。


「ホイ、兄ちゃん!」


 調整が済んだ擲弾筒を元哉に預けて、準備は完了した。




 夕暮れ時の教会、現在二人は西日を背にして塔の最上部に身を潜めている。


 彼らにとって、誰にも見咎められることなくここまでやってくるのは、ごく簡単だった。南京錠がかかった入り口は、元哉が工具を取り出して10秒で開錠した。


 手摺の隙間から元哉は双眼鏡で、さくらはバイザーの拡大画面で伯爵の屋敷を監視している。


 伯爵は執務室で幹部の兵士らしき人物と話をしているのが、レンズ越しにわかる。


 おそらく夜に備えて警備体制の確認をしているのだろう。


 元哉はついでに屋敷全体の警備状況と、街全体の兵員の配備状況も確認しておく。ここから見ると手に取るようにわかるので、今後の動きの参考にさせてもらうことにした。


「さくら、あの男が出て行ったら狙撃を行う。目標は部屋の隅にある花瓶と鎧の置物。あとは奥の壁に向けて3発でいいだろう」


 さくらは拡大画面で元哉から指示があった標的を確認する。


「兄ちゃん、標的確認終了。あの離れの屋根にある風見鶏に向かって試射をしていいかな?」


 元哉がさくらの言ったポイントを双眼鏡で確認する。確かに離れの屋根に風見鶏が取り付けられていて、その先は森になっていた。


「許可する。ただし気づかれたくないから、当てないようにしてくれ」


 元哉の言葉で、照準を合わせるさくら。目標の50センチ横を通って森に消えていく弾道を頭に描く。


「発射!」


 延長された擲弾筒の先端から反動もなく飛び出していった魔弾は、さくらの狙い通りの弾道で森に消えていった。


「試射よし! 照準確認完了!」


 その結果に満足したさくらの声が弾む。それに今回は人を狙撃するのではないので気が楽だ。


 しばらく待つと部屋から兵士が出て行き、伯爵一人がそこに残された。


「よしいいだろう、狙撃開始。さくらのタイミングで打て」


 元哉の声に合わせてすでに照準を定めていたさくらが第1射を放つ。


 双眼鏡で見ている元哉の目に、魔弾が窓を突き破って部屋の奥の花瓶を粉々に破壊した様子が伝わってくる。


 伯爵はいったい何が起こっているのか理解していないようだ。


 続いて第2射が鎧を破壊した。おそらく室内には大きな物音が響いているのだろう、室内に一人でいる人物が慌てている様子が伝わってくる。


 3射目以降は壁に大穴を空けたようだが、もうこの時には怯えた伯爵は床に蹲(うずくま)る事しか出来なかった。


「よし、目標達成だ。さくらよくやった! では撤収にかかる」


 得意げな表情のさくらに、『今夜は食べ放題だ』と言ってから、二人は教会を後にして人混みの中に消えていった。

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