第35話 長い夜
キャンプでの訓練の成果は目に見えて上がっており、ディーナは盾の使い方と片手持ちの剣捌きが大分その体に馴染んできたようである。
ロージーはナイフを使った格闘訓練と平行して、南の森の浅いところで魔物を狩る実践訓練も行っている。まだレベルの低い彼女は、ディーナが始めの頃そうだったように、直接戦闘には参加せずに止めだけ刺してレベルを上げていく。
ただしロージーは斥候役でもあるので、さくらと共に前衛で索敵もおこなう。彼女が持っている探査のスキルはなかなか優秀で、さくらの探知とほぼ同じレベルで魔物を発見していった。
それだけではなく、ロージーは父親から様々な魔物の特徴や弱点を教え込まれており、これが効率よく狩りをするために大いに役に立っている。
だが、課題も明らかとなった。
それはロージーの責任というよりも、彼女の装備に問題があったのだ。彼女が身に着けているのは、動きやすい服と革の胸当て、女性用の小振りのナイフのみであった。
さすがにこれでは装備が貧弱すぎるということで、話が始まった。
「ロージーの装備に関しては、俺もうっかりしていた。街に戻ったら必要なものを用意するが、それまでは今の装備で我慢してくれ」
元哉がロージーに告げる。彼やさくらは基本的に日本から持ってきた自分の装備で事足りているために、装備に関しては割りと無頓着なところがあった。
「私よりも元哉さんやさくらちゃんの装備を整えるのが先ではないですか?」
ロージーが自らの意見を口にするが、彼女は大きな考え違いをしていることに気がついていない。
「ロジちゃん、私と兄ちゃんには装備なんて必要ないんだよ! 攻撃はこの拳で十分だし、相手の攻撃なんて当たらないから防具も必要ないし」
なんとも不遜なさくらの意見だが、それを聞いてロージーはなるほどとうなずいてしまう。元哉とさくらの組み手は全てにおいて次元が違いすぎていた。特にスピードが上がるとまったく彼女の目で追えるような代物ではない。
「そういう事だから,街に帰ったらしっかりと装備を整えましょうね。あなたは回復役もしなければいけないのだから、そのあなたを怪我させる訳にはいかないでしょう」
もっともな橘の言葉にうなずくロージー。さらに、彼女の回復魔法に一番世話になっているディーナが畳み掛ける。
「ロージーさん、私ばっかりこんな豪華装備で心苦しかったんですから、ロージーさんもいい装備をしっかり身に付けて下さいね。ロージーさんの回復魔法がないと、さくらちゃんに付けられた痣がいつまでも消えないんですから!」
言われてみれば、確かにディーナは豪華装備だ。ミスリルの剣、暗黒龍の鱗の盾、マジックアイテムのアクセサリー等、金額に直すと軽く金貨1万枚を超える。全部合わせて金貨3枚でお釣がくるロージーの実に3000倍以上に及ぶ。
「では明日街に戻ったら、早めにあのドワーフの親父のところへ行くとしよう」
元哉の言葉で今回の話し合いは締めとなった。
翌日は朝食をとってからキャンプ地を後にして、昼前には街に到着した。
ロージーを先頭に竃の煙亭に入っていく一行。
「ただいまー」
まだ昼前でそれほど混んでいなかったので、ロージーの両親が久しぶりに家に帰ってきた娘を迎える。
「ロージーお帰りなさい」
「元気そうで何よりだ! 少し逞しくなったか?」
両親揃っての暖かい言葉がかけられた。
「私レベルが20を超えたし、橘さんに教えてもらって回復魔法を覚えたのよ!」
両親の前で胸を張るロージー、さくらと違って胸があるので様になっている。
彼女の母親がふと娘の微妙な変化に気が付き、父親に耳打ちをする。『そうか!』といった表情で彼は娘に言った。
「それでロージー、孫の顔はいつ見られるんだ?」
思いもよらないところから飛んできたとんでもない言葉に、ロージーの顔は真っ赤になる。
「そ、そんなことするわけないでしょう! いったい何しに行ったと思っているのよ!!」
確かにあんな事やこんな事をしてちょっとだけ大人の階段を登ったと自覚はしているが、さすがにそこまでの事はしていないので『バカ!バカ!』といいながら父親の胸を叩く。
だが、両親に対してほんの少しうしろめたさがある分だけその力は弱くなっていた。
そんな和やかな親子のやり取りを後ろで見ていた四人は、完全に他人の振りをしていた。特にあらぬ疑いを掛けられた元哉は、あさっての方向を向いて何にも聞こえていない振りをしている。
ようやく彼らの存在に気が付いた親子、特に父親のボルスが『娘が世話になった』と礼を言って一行を部屋に案内しようとする。
「ロージー、食材の保管場所へ案内してもらえるか? すまないがボルスも一緒に来てくれ」
先に橘達を上に行かせてから元哉が、ロージーとボルスに声を掛ける。
「いいですけれど、いったい何をするんですか?」
元哉が何を考えているのかわからないロージーに『まあいいから』と言って、案内をさせる元哉、ボルスも『何が始まるのか』という表情で付いてくる。
「ここなら大丈夫だな」
ある程度の広さがあることを確認してから、アイテムボックスから一頭のワイルドボアを取り出す元哉。
「あっ、それは!」
ロージーはそのワイルドボアに見覚えがあった。自分で倒したのだから覚えているのは当たり前だが、これは仕留めるのに最も苦労した獲物だからだ。
さくらが一撃入れてからロージーに託されたのだが、その一撃がやや浅くて手負いとなって暴れ回り散々その攻撃をかわしながらようやく仕留めたのだった。
「ロージーが仕留めたものだ。傷が多くてあまり高く売れそうもないから、ここで使ってくれ」
元哉が金のことを持ち出したのは、彼なりの気遣いだ。
「いいのか、この程度の傷ならそんなに値落ちしないぞ。それよりこいつを本当にお前が仕留めたのか?」
ボルスがロージーに向き直って聞く。
「皆さんの協力でやっと仕留めたんですよ」
少し自慢げなロージーにボルスは厳しい顔をする。
「当たり前だ、冒険者になって10日のヒヨッコが一人でこいつを仕留められる訳が無いだろう!・・・・・・ だがな、よくやった!」
ボルスは、先輩冒険者としてそして親としての気持ちが綯い交ぜ(ないまぜ)になっている心情を吐露した。
その言葉を聴いてロージーの目に涙が滲む。
「お父さん、ありがとう」
彼女はその言葉を口にするのが精一杯だった。
「今日の夕食はこいつでうまい料理を作るから楽しみにしていろ! ロージー、お前は先に上がっていいぞ。元哉、済まないがこいつを外の作業台に運ぶのを手伝ってくれ」
父親の言葉にひとつ頷いてロージーは部屋に戻る。それを見届けてから二人で獲物を運び終えたボルスは、元哉に礼を言う。
「すまねえな、気を使ってもらって。もし時間があったら今晩降りてきてもらえるか」
「わかった」
そう短く返事をした元哉も二階に上がっていった。
夕食はボルスの言葉通り、贅沢にワイルドボアの肉を使った料理が並び、他の席の冒険者たちも大喜びしていた。
さくらは丁寧に煮込んだ角煮を7人前平らげてさすがに腹を擦っていたが、今はすでにグッスリ寝ている。
ディーナは隣のシャロンの部屋で話に花を咲かせている。46年ぶりの再会なだけに、積もる話もあるのだろう。
そんななか、元哉は『ちょっと下に行ってくる』と言って部屋を後にした。
「よお! 来たか」
ちょうど片付けが終わったボルスが迎え、元哉はその向かいの席に腰を下ろす。
「娘が世話になって済まないな。どうだあいつはやっていけそうか?」
ボルスとしては一番聞きたかったことだ。
「父親譲りで、優秀な斥候になれそうだ。それに結構な負けず嫌いのようだし」
その言葉でボルスはホッとため息を漏らした。
「ちょっと待っててくれ」
そういってボルスは一旦奥に引っ込むと、手に一振りのショートソードを手にして戻ってきた。
「こいつは俺が現役のときに使っていたやつだ。娘に渡してやってくれるか」
元哉はその剣を手にして鞘から引き抜く。
「なかなかいい剣だな、手入れもきちんとしてある。だがこれは受け取れないな」
なぜだと納得のいかない表情のボルスに元哉が言葉を重ねる。
「これは父親が娘に手渡すべき品だろう、だから返しておく」
そういって剣をボルスに手渡す元哉。
「まいったな、お前さんに一本取られたぜ。元哉の言うとおり、俺から直接渡すことにしよう」
照れくさそうに笑うボルス、剣をしまって元哉の所に戻ってから本心を打ち明ける。
「本当はな、あいつに冒険者なんて危険な仕事はやらせたくないんだ。娘には好きな男を見つけて早く孫の顔を見せて欲しかったんだが、こうなったら俺も腹を括るしかないと思ってな」
元哉は黙って彼の話を聞いている。
「娘の成長ってのはうれしい反面、男親としては寂しいもんだな」
すこししんみりした表情のボルスに、元哉が口を開いた。
「そういう時は酒でも飲んで気を紛らわすものではないか。一杯だけなら俺も付き合うぞ」
「さすがは俺が見込んだだけのことはあるな、話がわかるじゃないか!」
そういって厨房から酒瓶とグラスに適当なつまみを持ち出すボルス、その後夜が更けるまで男同士の酒宴は続いた。
自分の部屋に戻った元哉を橘が不機嫌な表情で出迎える。
「まあ、お酒飲んでいたの!」
元哉達は状態異常完全無効化のスキルで酒に酔う事はないが、匂いでわかるほどの量をいつの間にか飲んでいたようだ。
「待っていてもらって悪かったな、切ない父親を慰めていた」
元哉が済まなそうに答える。そのまま自分のベッドに腰を降ろすと橘が当たり前のように隣にやってくる。
「ロージーのお父さん、何か言っていたの?」
ちょっと橘も気に掛かる事だったので、元哉に何があったのか聞いてみた。
「娘の成長が嬉しいのと、独り立ちする寂しさが混ぜこぜになった複雑な心境らしい。俺も将来娘を持ったりしたら、ああいう風に感じることがあるのかなあ・・・」
元哉としては珍しく自分の気持ちを素直に打ち明けた。恐らく橘の前だけで見せる元哉の一面だ。
「将来娘をって一体誰に生ませる気なの?」
何気なく特に深いことを考えずに聞いた橘。
「俺は、橘がいいと思っている」
元哉のこの言葉に、橘の思考は吹き飛んだ。
「それって、も、もしかしてプロ・・・・・・」
口をパクパクしてその続きを言えなくなっている橘。
「最も全ては日本に帰ってからの話だが」
元哉の声は動転している橘には届いていない。
「元くん、大好きーーーー!!!」
全力で元哉の胸に飛び込む橘、元哉はそれを受け止める。
一瞬冷静になって、遮音と遮蔽の厳重な結界を張る橘。
その日二人は初めてひとつになった。
最後の一瞬に元哉から膨大な魔力が橘に流れ込み、その衝撃に耐え切れず橘は失神したことを付け加えておく。
翌朝、二人の雰囲気と橘の歩き方がぎこちない事でで全てを悟ったさくらの尋問にあって、橘は昨夜の出来事を全て白状した。天使の資質上嘘がつけないので、話さざるを得なかったのだ。
じとーとした目で見るさくらに対して、橘は開き直って言う。
「でもね、さくらちゃん。昨日すごい量の魔力が流れ込んできて、私の魔力量が何倍にもなったみたいなの。まさかあんなところに魔力を蓄えられるとは思わなかったわ」
橘の言葉を聴いてもまださくらのジト目は続いている。
「ほほう、魔力が上がるなら私も兄ちゃんに頼んでやってもらおうかな」
さくらのとんでもない発言に橘は慌てる。
「ダメ! さくらちゃんは絶対ダメだからね!!」
「当たり前じゃーー!! 頼まれても誰がやるかーーー!!! こうなったらディナちゃんとロジちゃんをもっとけしかけて面白くしてやるーーー!!!」
さくらの発言にこの先の困難な道のりを思い、溜め息しか出ない橘だった。
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