第22話 平穏な一夜

 ギルドマスターの紹介で一行が宿泊先としたのは、冒険者ギルドの斜向かいにある宿屋『竃の煙亭』で、ここは冒険者向けの宿としてはごく普通の石造りの二階建てで小ざっぱりとした宿だ。


 宿主のボルスは、大柄な男たちの多いこの町では珍しく痩せた小柄な体格だが元Bランクの冒険者で、今では若い冒険者たちの世話をあれこれと焼いている、とても世話好きな人物だ。主に厨房を担当していて料理の腕は折り紙つき。食事の時間帯はなかなか厨房から出てこれないが、手が空くと若い冒険者たちに魔物を倒す時のコツや自らの体験で役に立つことを教えている。


 女将のアンナは、小太りの人のいいおばちゃんといった感じで、いつも愛想のよい笑顔でホールの中を動き回っている。


 カウンターと掃除やリネン関係を一手に引き受けているのが、娘のロージーで、まだ17歳だが小さいころから両親を手伝ってきたお陰で、仕事に関してはすでにベテランだ。看板娘という言葉がピッタリ当てはまる美人で働き者、若い冒険者たちの間で人気が高い。


 とてもアットホームな雰囲気の宿屋の家族に温かく迎えられた元哉達は、現在自分たちの部屋で食事を取っている、たいていの客は、食堂兼酒場の一階のホールで食事をしながら酒を飲み、時には情報交換なども行っているが、元哉達は酔客に身元などを尋ねられると面倒なので自室で食べることにした。


 別の理由としては、手の早いさくらが酔っ払いに絡まれたりすると、再びギルドの事件を再現する恐れがあった為でもある。


「食べ終わったら、明日の予定を相談しよう。」


 元哉が食べながら提案する。


「兄ひゃん、はひふぁはひはひのほひに、ひふんひゃはいほ?」(明日は南の森に行くんじゃないの?)


「さくらちゃん、食べながらお話しするんじゃありません!」


 橘が妹を叱る様にさくらを嗜める。まあこれはいつもの風景なのでいまさら誰も気にしない。ちなみに夕食のメニューは、鶏肉のグリルがメインでスープとサラダに固焼きの黒パンがついている。メニューとしてはオーソドックスで味もなかなかのものなのだが、若い冒険者向けの食事のためとにかく量が多い。


 元哉は、体格に見合って普段の食事で結構な量を取っているがそれでも完食はきつい程で、橘とディーナは二人で一人前で十分だった。


 では残りの食事はどうなっているかというと、現在さくらの胃袋の中に着々と納まっている最中である。

この小さな体のどこにこれだけの量がしまい込めるのか、これだけ食べてもなぜ大きくならないのか、特に女子たちの間ではなぜ太らないのかが学校内で真剣に討議されるという事が過去にあった程だ。


 また、彼女は昼食で大盛りランチを3人前食べてから30分昼寝をした後、『小腹がすいた』と言ってカツ丼を2杯食べたという恐るべき伝説を残している。


 さくら曰く、『カツ丼は飲み物!』だそうだ。過去に『カレーは飲み物』という言葉を残した人がいるらしいが、2杯のカツ丼はあたかも水でも飲んでいるように、恐ろしい速度で消えていった。橘が止めなければ3杯目を注文していたことだろう。


 そんな怒涛の夕食が終わり食器を厨房に返してから、橘が用意した紅茶とデザートのプリンを食べながら明日の予定を話し合う。ちなみにさくらは、プリンを6個確保してホクホクしている。


 話し合いの結果明日は冒険者ギルドで今日引き渡した魔物の買取代金を受け取ってから、旅に必要な物資とディーナの装備を購入して回ることにして、疲れを取るために今日は早く寝ようということになった。




 一行が泊まっている部屋は、4人部屋で体格のいい現地の人たちに合わせて作られたセミダブルサイズの大きなベッドが4つ置いてある。一人がひとつのベッドに寝ればいいものを、さくらがしきりにディーナに一緒に寝ようと誘っている。


「ディナちゃん、仲のいいお友達はおんなじベッドで寝るんだよ!」


 まだそれほど長い付き合いではないが、毎日寝食をともにし、時には命を預ける仲間として、そしてこの世界で初めてできた友達としてさくらはディーナの事が大好きだった。ディーナもさくらのことを同じような気持ちで大好きなのだが、ひとつ問題があった。


「さくらちゃん、私もさくらちゃんが大事なお友達と思っていますけれども、一緒に寝るのだけはお断りします。」


 ディーナにしては珍しくきっぱりと言い切った。


「えー、なんでー?街に着いたらディナちゃんと同じベッドで仲良く寝るのを楽しみにしていたのに。」


 ディーナに断られてもなおも諦めのつかないさくらが訴える。


「さくらちゃん、今まで訓練や魔物との戦いの中で、私も多少の怪我をしました。でも一番ダメージが大きかったのは、寝ている間にさくらちゃんに蹴飛ばされた怪我です。もしベッドの上であんな風に蹴飛ばされたら、今度は床に落ちて私はもっと大怪我をします。」


 なるほどディーナの言い分はもっともだ。ここまで言われるとさくらも諦めざるを得ない。しぶしぶ一人でベッドに潜り込み、30秒後には寝息を立てていた。その様子を見てディーナも安心した表情で自分にあてがわれたベッドに横になる。


 元哉と橘もそれぞれ自分のベッドに寝ていたが、部屋の明かりを消して幾許もしないうちに、橘は元哉のベッドに潜り込んで幸せそうにしていた。


 




 元哉たち一行が束の間の平穏な時を過ごしてぐっすりと寝入っていた真夜中、その時刻のエルモリア教国首都ミロニカルパレスの勇者召喚が行われた部屋に、浜山茂樹は立っている。彼の周りを数人の修道服を着込んだ男たちが取り囲み、口々に『勇者様がいらっしゃった。』『ありがたいことだ。』『神の御心が実現された。』などと彼の存在を讃えている。


 茂樹は、彼らの言葉を聞いて自分が勇者として召喚されたことが事実であることを理解した。なぜ言葉が理解できるのかとかそんな細かいことはこの際気にしないでおこうと心に決める。


 浜山茂樹には幼いころからヒーロー願望があった。大抵はそんな架空のものは存在しないからと諦めるものだが、今の日本には特殊な能力に目覚める青少年が次々に現れている。彼はその特殊能力に憧れて、それを得るために思いつく限りの努力をした。特殊能力について書かれている本も何冊も読んだ。


 しかし現実は、彼の努力をあざ笑うかのように、何も得られなかった。一昔前なら彼のような少年は、厨二病と言われていたのだろうが、昨今は誰もが通る道だ。


 諦めようとしても諦めきれない夢が、別の世界とはいえ現実のものになろうとしている。彼は一も二もなく飛びついた。勇者となって魔王を倒し人類の救世主となることを碌に話も聞かないまま、簡単に承諾した。


 この様子を見ている者がいる。光となって彼が召喚された魔法陣に後から飛び込んだ天橋椿だ。彼女は目立たないように、光の光度を限界まで下げてほとんど無色透明になっており、この場にいる誰にも気づかれていない。


『あーあ、あんなに簡単に返事しちゃって馬鹿な子ね、どうせいいように使われるだけなのに。それにしても胡散臭いところね。ここにいる奴等のなんとも下種なオーラはちょっと耐え難いかな。ん、あそこに倒れてほったらかしにされている女の子はどうしたのかしら?」 


 ユラユラと倒れている少女の方へ移動する椿。


『えっ、この子死んでいるの!それどころか魂まで消滅しているじゃない。なんて酷い事をするのかしら。恐らく勇者召喚の生け贄にされたのね。可哀想だけど助けてあげることはもうできないし、まだ死んでから間もないようだからこの体を借りちゃいましょう。』


 椿がその少女の中に入り込んでいく。実は彼女は人であって人ではない。肉体はとある場所に残して、神の力を借りて魂だけが光をまとって人の姿を作り出している、言ってみれば幽霊だ。


『はー、肉体に戻るのは久しぶりよね。なんか感覚がうまく掴めないから、この体に馴染むまでしばらく寝た振りでもしていましょう。』


 勇者を伴って部屋にいた男たちが全員出て行ったことを見届けて、しばらくしてから白いベールを被った巫女装束の少女はムクリと起き上がり、いずこに行くあてもないままにその部屋を後にした。




 




 翌朝、久しぶりのベッドで寝た元哉たち一行は、寝覚めがいつになくスッキリとしている。昨晩同様、朝からこんなに食えるかと突っ込みのひとつも入れたくなる大盛りの朝食を摂ってから、ギルドに向かう。


 ギルドの建物内は、早朝の時間帯が依頼を受けようとする冒険者たちでもっとも混雑するが、この時間はそれが一段落しており、人影はまばらだった。昨日のおしゃべり受付嬢に声を掛けると、すぐにギルドマスターの部屋に案内される。


「おう、待っていたぞ!」


 エドモンドが一行を笑顔で迎えるが、悪役プロレスラーの笑顔など朝からあまり見たいものではない。


「昨日の買取品の清算を先にしておこう。すまないな、本当ならば全て買い取りたいところなんだが、こんな田舎の貧乏支部ではこれが限界だ。買い取り代金は、全部で金貨3,620枚だ。」


 金貨が詰まった麻袋をテーブルの上にドスンドスンと無造作において、エドモンドは金額の内訳を説明する。その説明の途中で元哉が言葉を遮った。


「いや、細かい説明はいい。どうせ頭に入らない。」


 その言葉にギルドマスターはニヤリとする。


「信用してくれるということかな。」


 無言でうなずく元哉。麻袋をアイテムボックスの中にしまい込む。この世界の金貨1枚が日本の一万円と考えてもらえばよい。その様子を見てからエドモンドが言葉を続ける。


「今回買い取った魔物は、全てお前達が討伐したものとギルドでは認定する。この功績によりお前たちはCランクに昇格だ。カードを寄越せ、今から手続きをしてやる。」


 四人が出したカードを受け取って、昨日同様に職員を呼んで手続きを指示するエドモンド。元哉達を振り返りさらに言葉を続ける。


「さて、昨日俺が提案した昇格のための審査だが、改めた聞こう。やるのか?」


「やるやる、絶対やる!」


 さくらが真っ先に返事をする。エドモンドは彼女一人の意見だけでは流石に不安に思い、他の者の意向も確認した。中には非常に不本意に思っている少女が二人がいたが、どうやら一同さくらと同意見のようなので、無理だけはするなと注意をして南の森に行くことを認めた。


 最後に武器や防具を扱うお勧めの店を聞いて、冒険者ギルドを後にする一行だった。

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