第17話 遭遇
話は数日前に遡る。
ここはマハティール神聖帝国、異世界『アンモースト』で最大の版図を誇る人族の国家。200年前の覇王による騒乱で、宮殿を含むその中枢部が全て破壊され、皇帝やその血統と中央にいた有力貴族のほとんどが命を落とした。
騒乱後、地方にいた皇帝の遠縁にあたる者を、生きながらえた地方貴族たちが担ぎ上げて再興を計り現在に至っており、その成り立ち故に、門閥貴族の勢力が強く皇帝は飾り物のような存在になっている。
その帝都にあるベルファスト宮殿の奥まった一室。この国の実質的な最高権力者である宰相のワルス=ファン=アドストラ公爵は、いつものように執務を取っていた。書類の山に囲まれて、一枚一枚に目を通し決裁していくのはそれだけで大変な手間がかかることだが、その書類の一枚で国家が動くことになるので、決して手は抜けない。
壮年を通り越してすでに老境の域に達している宰相ではあるが、その眼光はいまだ衰えてはおらず、その経験と実務能力で国家の屋台骨を支える重鎮も、早朝から始めた執務にさすがに疲労が溜まる。近くに控えているものに声を掛け紅茶を一杯頼んだときに、秘書官が現れて前触れ無しの来客を告げた。
「丁度ひと休みしようとしていたところだ。構わぬから通せ。おそらくなにか急な用件であろう」
秘書官は宰相の激務に配慮して、来客を断ることを進言しようとしたが、宰相本人が構わないといっているものを断るわけにもいかないので、そのいささか礼を失した来客を執務室に通す。
「宰相閣下、お忙しいところ急に押しかけて申し訳ない。火急の用件につき、失礼する。」
宰相の前に姿を現したのは、アドルス=ファン=ルードライン軍務相。帝国軍を一手に掌握する国防の要で、宰相とは幼年学校の頃からの旧知の間柄である。
「アドルス殿、そなたがそのように畏まっている所を見ると、どこかで反乱でも起きたか?」
普段は、俺とお前で語り合う仲だけに、差し迫った問題が発生したことを感じ取った宰相はその危惧の具体的な内容を早く報告しろと促した。
「閣下、その前に人払いを。」
よほど重大な、あるいは国家の浮沈にかかる内容だとでも言いたげに、内密の話を求める軍務相。宰相はその求めにすぐに応じた。
「これでよいか、アドルス。」
「すまぬな、話の中身がまだ不確かなだけに、大勢の耳に入れたくない。」
周囲に誰もいなくなったことで、いつもの話し方に戻る二人。早速軍務相の方から話を切り出す。
「軍の魔道師からの報告だ。一昨日の『ほうき星騒動』の発生源が判明した。東にあるマナディスタの森の奥地だ。」
帝都でも目撃されて、民衆を不安がらせたとてつもない魔力を秘めた『ほうき星』、その正体は元哉が『道』を切り開くために放った暴走魔力のことで、道を作ったあと水平線を過ぎたあたりから空に飛び出して、そのまま帝都の上空をそのエネルギーの残滓を振りまきながら飛び越えて、彼方に消えていった。
各地の目撃報告を元に、帝国軍の魔導師たちが魔術的にその発生源を導き出した。微分も積分もない不十分な彼らの計算能力を魔術で補いながら、なんとかはじき出した解答がようやくこの日報告として上がったのだ。
その報告を聞いて、宰相は目を剥く。
「なんと、あの馬鹿げた魔法がよりによって森の奥からだと。」
「その通りだ。今のところ考えられる原因は3点ある。一つ目が魔物が放出したもの。これはこれで恐ろしい話だが、これが最も楽観的で可能性の低い見かただな。だが、あのあたりに住む魔物がいくら強力だとしても、さすがにあの威力は出せないだろう。」
宰相は無言でうなずく。もしかしてドラゴンならばならばあのような威力の魔法が放てるかもしれないが、仮定はあくまでも仮定に過ぎない。
「二つ目だが、これが最も現実的だと思うのだが、魔族たちが森の中にある古代兵器を利用して何か大掛かりな魔法を行ったということ。我々も古代兵器の研究は行っているが、その使用法さえ皆目見当もついていない。もし奴らが何か発見したとなると、魔族の戦力が肥大化して現在保たれている均衡が崩れる恐れがる。」
宰相はその可能性について、考えを廻らせる。魔族は確かに魔法に秀でた種族であるが、過去の戦いの事例であのような強力な魔法が使用された事はない。もしあのような超高威力の魔法が使用されれば、戦争にすらならない。もしこの話が本当ならば、何らかの対策を講じる必要がある。
ただでさえ忙しい身で、これ以上頭が痛くなるようなことは聞きたくないが、3つ目の可能性についても聞かざるを得ない。
「で、最後が最悪のシナリオなんだが、聞く気はあるか?」
軍務相の問いかけに無言でうなずくしかない宰相。
「過去の文献で、あの『ほうき星』に比類する力が行使された例がある。今から200年前のことだ。」
「まさか、そのよううなことが・・・」
言葉を飲み込む宰相、軍務相の匂わせた言葉の意味が彼にはすぐに理解できた。それは200年前に起きた帝国史上最悪の出来事。
「そのまさかだよ、ワルス。覇王の復活だ。」
帝国にとって覇王は長年戦ってきた魔族よりも恐ろしい悪夢の象徴だ。
一夜にして帝都を跡形もなく滅ぼし、敵対したものは全て死んでいった。故に、その正体がまったく分からない。何しろその姿を目撃したものは全てこの世から姿を消していったのだ。一人なのか集団なのか、人間なのか魔族なのかまったく謎のままである。
現在でも帝国内では、泣いている子供に『覇王が来るよ」といっただけで泣き止むほどの恐怖が植えつけられている。
その最大の恐怖の可能性を冷静に告げる軍務相、彼は根っからの軍人だ。彼にとっては事実だけが自らの判断に必要なこととその経験で理解しているので、決して現実から目を背けることはない。
そして、そのアドルスの考えは、3つ目の可能性が最も正解に近かった。ただし今回は『覇王』ではなくて『破王』ではあるが。
「そこでワルス、相談なんだが。この件は至急調査をする必要がある。すでにその為の人員も編成を開始している。あと一日で、出発できるように手筈を整えるから、部隊を動かす許可を出してほしい。」
「調査をすることには賛成だが、あの森はブルーイン辺境伯領に接している。伯を動かして調査をさせるのはどうなんだ?」
準備のいいことだと感心しながらも、宰相はもっとも手早く調査に入れる手段を提案するが、その案に軍務相は首を横に振る。
「あの愚か者ではだめだ。やつがこの件に首を突っ込んだら、間違いなく問題を起こす。下手に魔族とぶつかってみろ、小競り合いではすまなくなるぞ。今回は、俺が直々に調査に行くから、その許可を得るために忙しいお前をこうやって訪ねてきたのだ。」
確かに軍務相の言う事はもっともだ。辺境伯は武勇は優れているともっぱらの評判だが、これは先代から引き継いだ部下に優れた人材がいるためで、伯自身は言ってみれば取るに足らない人物で、思慮がまったく足りない。この重要な任務に当てるのは、確かに荷が勝ちすぎている。
「わかった、アドルス。勅令を出すから、くれぐれもよろしく頼む。」
場合によっては国家自体が危機に陥る、この重要な案件を任せられるのは現在目の前にいる軍務相ただ一人だった。国軍の要が帝都を離れることや、マナディスタの森が危険な場所であることを鑑みても、尚この件を任せらるのは、年老いた無二の親友しかいないという国家の危うい現状に歯噛みしながらも、ワルスは彼を送り出す決意を固めた。
帝国の中枢部で、そのような深刻なやり取りが行われていることなどまったく知らずに、いつもの朝と同じようにディーナは目を覚ました。目を覚ますなり、指についている2つの指輪と首にかかるペンダントを見てにっこりと微笑む。
「お友達か・・・なんかとってもいい響き・・・」
昨日の事が夢でなかったことを確認したディーナは、そこではっとする。
「いっけなーい、みんなもう起きているのに。」
あわてて支度をするが、彼女は下着の上からで服を着るだけだ。支度といっても大した事をするわけではない。
外へ出ると、元哉とさくらが組み手を、橘が朝食の準備をしていた。あわてて橘の元へ駆け寄るディーナ。
「すみません、寝坊しました。」
頭を下げるディーナに微笑みながら橘がこたえる。
「寝坊してないわよ、私たちが起きるのが早かっただけ。」
実は夜明け前に目が覚めた橘は、そのあと元哉の腕の中でちょっとだけ甘えて、十分満足してから起きだしていた。睡眠時間は短かったが、口移しで魔力を補給してもらい昼間の疲労感も回復し心身ともに絶好調だった。
ディーナは、その橘の変化に気がついた。もともと色白で見方によってはやや青白かったその頬が薄っすらと紅を差した様に染まっている様子は、まるで青かった蕾が急に明るいピンク色の花を咲かせたような印象を与える。
「橘様何かいい事でもあったのですか?」
相変わらず橘に対して敬語のディーナだが、これだけあからさまな変化があると聞かずにはいられない。
「べ、べつに、いいことなんてにゃいわよ。」
完全に噛んでいる。ディーナの耳には橘の返事が『はい、ありました』に聞こえた。橘の中には天使がいる。天使は嘘をつかないので、橘もそのことに影響されて隠し事が下手だ。
朝食を済ませて、この日も森の中を歩き始める一行。
ピンク色のオーラを発する橘に当てられたのかどうかはわからないが、ディーナまで指輪を見つめてニヤついている。そんなしまりのない空気が漂い始めたそのとき、先頭を歩くさくらがハンドサインで『止まれ』の指示を出した。
途端に張り詰めた空気が流れる。元哉のの指示で一旦森の中に入り込む一行。道の上にいたのでは姿が丸見えで、狙ってくださいと言わんばかりのため、木々に紛れて身を隠しながらの作戦会議だ。
「兄ちゃん進行方向から3時の方向、距離500、数は40~50。」
ピンクのオーラにうんざりしていたさくらが短い報告をする。
「三人はここで待機してくれ、俺が様子を見てくる。すぐに戻るから動くなよ。」
結構な大きさの木の洞に身を隠した一行の中から、元哉が一人で偵察に出て行く。
気配を消して、正体不明の集団に接近する元哉、双眼鏡を手にその姿を確認すると、「なるほど」といった表情で元の場所に戻ってくる。
「さくらとディーナはここで待機していてくれ。橘は俺と一緒に来い。合流の通信が入ったら、道まで出てきてくれ。」
手早く指示を出してから出て行く二人、取り残されたさくらは不満顔だ。
「どうして兄ちゃん二人っきりで行っちゃたのかな?ひょっとして色ボケかな。」
「さくらちゃん、元哉さんには何か考えがあるのでしょうから、私たちはおとなしくここで待っていましょう。」
ディーナはさくらが言った言葉の意味が分からず、機嫌の悪いさくらを普通になだめていた。
一方の元哉と橘は、道を越えて反対側の森に踏み込んでいく。普通に歩いている元哉の様子をいぶかしんで、橘が声を掛ける。
「元くん、これから敵と戦うのにずいぶん無警戒なように見えるけど、大丈夫なの?」
「安心しろ。敵ではないし、おそらく戦わずにすむだろう。」
元哉が敵ではないといっているが、ではいったい何者なのか橘には見当がつかない。何も言わずに元哉は相手の待つ場所に歩いていく。
あちらの方も元哉達の接近に気づいたようで、迎撃の準備を開始している。
そして、お互いが相手を視認できる距離まで接近したとき、元哉が口を開いた。すでに相手は厳重な警戒態勢でこちらに剣や弓を向けている。
「お前たちは、ルトの民だな」
そう、彼らはディーナと同族のルトの民だった。
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