第7話「引裂かれた絆」


 ―非政府組織(異形狩り)本部・尋問室―



 セピア色に染まったモノクロの世界。


 コンクリートで仕切られた一室で、手錠を掛けられた鎖渾と偉そうに振舞う美形の青年シャウロが居た。


「‥これはどういうことだ?鎖渾…。」


 美形の青年シャウロは癒花に訊いた。


 その瞬間、癒花の瞳は淡い光を捉えた。


 シャウロの胸の中に薄く汚れた結晶の花が、浮かんでいるのが見えたのだ。


 そんなことも知らず、シャウロは尋問を続ける。


「奴(木庭)はカグマだぞ?」


「しかもCA係数892の、我々ヴァリアント・ハンターが排除すべき…。」


「違います。」


 鎖渾はシャウロの言葉を遮った。


「彼は無害です‥、一緒に過ごしてわかりました。」


「ほぅ、奴と一緒に過ごしたのか。」


 ツンツンした黒髪を揺らしたシャウロは、更に鎖渾に尋ねる。


「‥で、奴の本性も見抜けず、ぬけぬけとカグマの討伐に向かったと?」


「倒すべき対象が居るのに、それを後回しにした。」


「‥いや、脅威であると知って、敢えて奴を匿った――――――。」


 シャウロは不敵な笑みを浮かべて言った。


「しかもおまえはヴァリアント・ハンターでありながら、奴の逃亡を助けた…。」


「つまりこのことから、おまえはカグマを匿った罪と、カグマの逃亡を助けた罪の、両方の罪を犯した。」


「ヴァリアント・ハンターでありながら…。」


「……………。」


 鎖渾は俯いた。


 シャウロは鎖渾に追い打ちを掛けるように言う。


「‥停職“無期限”の“重罪”だ、鎖渾。」


「っ‥!?」


 鎖渾は青年の言葉にショックを受けた。


 俯きながら鎖渾は、目を見開く…。


 無常に涙が溢れて来た。



「顔を上げろ。」


 ぐぃっ‥


 シャウロは無理矢理、鎖渾の顎を右手の指先で引いた。


 溜まった涙が鎖渾の頬を伝い、鎖渾の顎を持つシャウロの指先に染みた。


「…憎いか?」


「だが、俺は正当な裁きをおまえに与えたつもりだ。」


「――――――――“肉体的”に傷つけるよりはマシだろ?」


 たしかに、肉体的に傷つけられるよりは幾分かマシかも知れない…。



「……木庭は、どうなるの?」


 鎖渾はシャウロに訊いた。


「木庭?あー、奴は木庭というのか。」


「‥安心しろ、奴は幹部が血眼になって探してる。」


「もし奴を捕まえたら、おまえよりも“ゆっくり”と時間を掛けて‥。」


「殺す。」


 シャウロは癒花の耳元で囁くように言った。


「‥どうして?」


「ヴァリアント・ハンターは、“秩序を乱す存在”を狩るのが仕事なんでしょ…?」


「そうだよ。」


 シャウロは平然とした顔で答える。


「でも木庭は、秩序を乱す存在でも、私達が知ってるような野蛮なカグマじゃない。」


「それなのに…。」


「CA判定機が“討伐対象”だと認めたからって、そう簡単に命を奪って良いものなんですか?」


「これは“正義”に反します。」


 癒花は真っ直ぐな瞳でシャウロを見つめながら言った。


「‥おや?君は1つ勘違いをしてるようだね。」


 シャウロはそう言いながら、癒花の顎を掴んでいた手を放した。


「え?」


「ヴァリアント・ハンター。」


「“異形狩り”とも呼ばれる我々組織は、この世界の秩序を乱す存在を排除するために作られた治安部隊だ。」


「数年前に起きた、“カグマの反乱”の際にね…。」


「だが、これはあくまで“表向き”の人間が知る、我々の活動方針に過ぎない。」


「‥実際はもう一つあるんだ。」



「もう一つ?」


「そう。」


「なんだかわかるかい?元訓練生‥。」


 シャウロは癒花を見下すように問いかけた。


「…、わかりません。」


「わからない?」


「はい‥。」


 癒花は俯きながら答えた。


「仕方ない‥、なら教えてやろう。」


「我々ヴァリアント・ハンターのもう一つの任務は…。」



「秩序を乱す“恐れのある”、カグマの排除及び討伐だ。」


「つまり、あのカグマ(木庭)が現在直接的な脅威でなくても、これから起きることを想定して、脅威と成り得る可能性をはらんだカグマの息の根を絶つ。」



「これは立派な“防衛処置”であり―――――――。」


「“正義”だ。」


「……………。」


 癒花を耐え難い絶望が襲う。


「‥わかったかい?鎖渾。」


「これが掟を破った“罰”というやつだ。」


「…………。」


「‥連れてけ。」


 シャウロは見張り担当2人に、鎖渾を本部の外に連れていくよう命じた。



 数分後。


 気付くと、陽が暮れようとしていた。


 癒花はシャウロの部下達に、家の近くまで乗せられてきた。


 その後は一人で道を歩いた。


 精神的な苦痛を与えられた癒花は、まるで抜け殻のように、生気のない目で自宅へ向かった。


 家に帰っても、誰も居ない。


 いつものことだった。


 ただ一つ違ったのは、ペンダントを失ったことで、能力がコントロールできなくなったこと。


 そのせいで、癒花の瞳に映る世界がまたモノクロの世界に変わってしまったのだ。


 意識していないのに聞こえてくる花(心)の声。


 またそれに苦しむのかと思うと、無性に溜息を吐きたくなる。



 ふと、朝木庭と過ごしたリビングに立つ。


 その時、癒花はモノクロの世界で、ソファー付近のミルク色の絨毯が汚れていることに気付く。


 癒花はその汚れた箇所に近づき、屈んだ。


 その瞬間、なぜか懐かしい感じがした。


 この汚れは、(木庭に対して)癒花が強引にオムライスを食べさせようとした時に、失敗して落ちたオムライスの断片が付着して出来たものだった。


 止まっていた時間が再び動き出す…。


 癒花はティッシュでそれをふき取り、濡れたタオルで付着したシミを取ろうとする。


 しかし、床に落ちてから結構な時間が経っていた。


 そう簡単に汚れが落ちるはずもない。



 この絨毯に付いた“落ちないシミ”のように、自分の木庭に対する気持ちは消えることはなかった。


 ふき取るだけで消えるものなら、その程度の関係だ。



「はぁ。」


 癒花は溜息を吐いた。



 木庭の安否もわからない。


 ヴァリアント・ハンターとしての仕事も、癒花は失ってしまった。


 無期限の停職処分になったということは、何かしらの行動を取らない限り、復帰する見込みがないということになる。


 それは、これまで賄われていた生活費や学園パウスの授業料も、全面的にストップすることを意味する。



 ‥最後の最後まで届かなかった癒花の想い。


 追われる立場になった木庭…。



 募る不安と心配が頂点に達する。


 同時に悔しさが込み上げて来た。



 ‥バァンッ!


 癒花はぶつけようがない感情を、リビングの中央に配置されたガラステーブルに向けた。


 自分でも信じられないくらい、この時の癒花はかなり感情的になっていた。


 ひび割れたガラステーブル。


 突出した破片が、癒花の右手を切った。


 テーブルの上で、手から血が滲むのがわかる。


 割れたテーブルの隙間から滴る、癒花の血液が、その下に敷かれた絨毯を赤く染めた。


 心の痛みに比べれば、どうってことない痛みに思えてきた。


 でも、それは一時的なものであると、癒花は思い知る。


 心に落ち着きを取り戻した癒花。


 残されたのは、これから自分を待ち受ける暗い現実と、木庭に対する不安感。


 そして、傷ついた手の痛みだった。



 癒花はしばらく、その場で泣き崩れた。



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