第2話「命を燃やす花」



 夏祭りが終わった夜。


 月明かりに照らされた道を、水色の花柄模様の浴衣を着た女性と歩く少女がいました。


 黄色い浴衣を着た幼い少女は、色鮮やかな花畑が広がる道を、女性と手を繋ぎながら歩きます。


 女性は少女の母親でありましょうか。


 黒い後ろ髪を束ね、凛とした後姿が美しい女性でありました。


 女性の左手には、少女の手が握られています。


 少女もまた黒い髪をおさげにして、左手に持っていた綿あめを美味しそうに食べます。


 ふと、少女は何かに気付き、その場で立ち止まります。



「‥ねぇ。これ、なんていう名前なの?」


 少女はあどけない顔を上げて、青白い炎のような花びらをした、妖しい花を指差します。


 少女の疑問に、女性は答えます。


「その花は“ソンネンカ”。」


「そんねん‥?」


 少女は首を傾げながら女性を見ます。


 女性は優しく微笑みながら静かに腰を下ろし、少女と視線を合わせます。


「“尊く燃える花”と書いて、尊燃花ソンネンカよ。」


「ついでに、“尊い”という言葉は“命”を意味する言葉。」


「つまり、“命を燃やす花”。」


「へぇ。」


 少女はよほど好奇心が強いのか、女性と繋いでいた手を放し、吸い寄せられるようにソンネンカに近づいていきました。


 その後、青白い炎のように揺れるソンネンカの花びらに、手を伸ばします。


「待って癒花ゆか、何も考えないで触れちゃ…。」


 女性は少女こと、癒花を引き留めようとします。


「え?」


「その“花”は代償を求めるの。」


「だいしょう?」


 ズズッ!


「きゃあ!」


 癒花は、昨日の雨で不安定な土の上でバランスを崩し、ソンネンカが咲く畑に落ちていきます。


「癒花!」


 チリリリーン‥‥‥‥。


 鈴の音がどこからか鳴り響きます。


 フサッ!


 草がクッションとなり、癒花は何とか無事でした。


 ピピッ‥


 癒花の着ていた浴衣に泥が付きました。


「いたた…。」


 少女はすぐに上半身を起こします。


「癒花‥っ!?」


 癒花に声を掛けた女性は息を呑みます。


「ね、ねえさん?」


「あっ。」


 ここで、癒花は気が付きます。


 上半身を起こす際に、自分の左手が、ソンネンカの花に触れていたことを。


「触っちゃった…。」


 癒花は震える自分の左手を見ます。


 手のひらに付着した、青白く煌く花びらが、スーッと癒花の身体に溶け込んでゆきます。


「どうしよう姉さんっ!」


 癒花は焦った表情で、上にいる女性・姉を見上げます。


「え…。」


 すると、癒花の瞳に映る世界は一気に変わります。


 今まで自分が見ていた色鮮やかな景色は、そこにはありませんでした。


 あるのは、セピア色に統一された“モノクロ写真”のような、現実味を失った景色でした。


 姉の姿もまた、モノクロです。


「癒花、大丈夫…?」


 姉は癒花に近づこうとします。


 癒花は依然、自分に起こった現実を受け止められずにいます。


「夢‥?」


 癒花の瞳に映る“モノクロ調”の姉。


 しばらくすると、姉の胸元が青白い光を放ち出しました。


 それは淡く、儚い光でした。


 そんなモノクロの景色に浮かぶ光の中に、癒花はあるものを見つけます。


「きれい…。」


 あまりの美しさに、癒花はさっきまで感じていた恐怖を忘れ、セピア色に染まった姉の胸の中で輝く光に、心を奪われていました。


「綺麗?」


 癒花に手を伸ばした姉は、きょとんとした癒花に訊き返します。


「お花が‥見えるの。」


「花…。」


 姉の胸の中で光るそれは、淡い七色の光を放っていました。


「お姉ちゃんのお花、結晶みたいで…。」


「すごく、きれい…。」




 ―それから七年後の五月十三日(金)―



 教室や机が並ぶ広い空間。



 先生が黒板に何かを記す。


 窓際に目を逸らすと、広々としたグラウンドや“仮想空間”とは思えない美しい空が広がっていた。


 ノートの触り心地(触覚)も驚くほど鮮明に再現されていた。



 入学してまだ1ヶ月しか経っていない。


 いや、1ヶ月もの時が流れていた。


 本当に毎日が刺激的で、時間が経つのが早く感じてしまう。



 時間が経つ毎に、外の景色もちょっとずつ変わっていく。



 キーンコーンカーンコーン



「はーい、本日の授業はこれで終わりです!」


「ありがとうございました!」



「17時50分からサーバーのメンテナンス入りますんで、それまでに手動でログアウトして帰ってください。」



 ‥そう、ここはVRMMOCEP内で再現された“仮想現実空間”。


 その名も、“学園パウス”。


 ちなみにパウスとは、『Player Art World School』の略名(PAWS)である。



 授業内容は必須科目を除いてすべてが選択科目。


 受けたい科目を生徒が自由に設定できるのも魅力の一つである。


 ただし、受ける科目で授業料が変動するので、経済面で不安な生徒は格安プラン(おすすめ項目)から選択できる。


 さらに、部活動やサークル活動、その他学園内のイベントや行事が数多く存在するのも、この学園最大の特徴とも言える。


 あくまでも噂でしかないが、この学園パウスの開発者である須谷友史(スガイ トモフミ)氏も、『‥もしも自分が学生時代に戻れたら、真っ先に(学園パウスに)入ってみたい』と自身のブログで語っているんだとか。


 また学園パウスは、“多人数同時参加型”なので、“学園”自体が一つの大きな都市に成りつつあるのが現状だ。



 ‥そもそも、私がこの学園パウスに入ったキッカケは、千紗姉(ちさねえ)に勧められたのが始まりだった。



 ――今から1ヶ月前。


 リビングでシリアルを食べていた私に、姉は“VRMMOCEP”の話を持ち掛けた。



「え?ブイアールモモーシーイーピー‥?」


 私は首を傾げながら訊き返した。


「ヴイーアールエムエムオーね。」


「つまり、仮想現実を大人数で同時に体験できる通信制教育プログラム。」


「そんなことも知らないなんて‥、呆れたわ。」


 姉は肩を竦めながら言った。


「だって、普通みんなで学校に行って…。」


「癒花達の代はギリギリ中学までそうしてたけど、今は武装した人以外は危なくて、みんな外に出られない状況なの。」


「『安易に外を出歩くのは危険だ』って、この間テレビで言ってたでしょ?」


「それはそうだけど…。」


「‥食料はドローンで配給されるし、外は非政府組織のメンバーやカグマがうろついてる。」


「身を守るためにも、従うしかないのよ。」


「――――もう、あの頃に帰れないのだから…。」


 姉は悲しい目をしていた。


 私の胸元で、紺碧のペンダントが煌く。


「‥とにかく、そのペンダントは御守りだから、大事に扱うのよ。」


 姉はそう言うと、二階に上がって行った。

 

「うん。」


「わかった…。」


 私は返事をした。


 もちろん、二階に行った姉に聞こえるはずもない。



 このペンダントは、ソンネンカに触れた私が、能力を制御するために、姉がくれたものである。


 肌身離さず持っているだけで、瞳に映る世界は現実味(カラー)を維持できる。


 おかげで、自分が見たい時に“相手の花(魂=心)”を、見ることができるようになった。


 特に意識しなければ、他の人と変わらない“普通”の人間である。


 姉はしばらくして、入学願書を自分の部屋から持ってきた。



『…カグマの脅威によって被災した学生は学費免除‥、これは該当してる。』


「ふむふむ。」


 姉は記載された内容を読み上げながら、一つひとつの項目を確認していく。


「中学時代の内申点が3.5以上‥、ギリギリ当てはまる。」


「ほっ‥。」


 安堵の息が漏れた。


「よし、後は志望動機をパソコンで入力して…。」


「ダルっ!」


「ほら、こっちへ来なさい。」


「えー、めんどい。」


「まったく、仕方ないわね‥。」


 結局、姉が志望動機を適当に入力してくれた。


 数日後、専用の機材と共にシリアルコードが送られてきた。



 癒花は当時を振り返ったのち、軽く息を吸った。


 そして静かに、「はぁ‥」と、息を吐いた。


 

「‥今思えば、それはそれで良かったかも。」


 誰もいなくなった教室で、癒花は呟いた。


「さて、帰ろうっと。」



 5分後。


 学校から帰った癒花は、自室の勉強部屋で姉が書き遺した日記を読んでいました。


 日記の内容は、あの夏祭りが終わった日のことです。


 私がソンネンカに触れた、あの日…。


(この時の癒花はまだ、自分の身に起こったことを、あまり理解していないようでした。)


(一度ソンネンカに触れた命は“奉仕する存在”として、その世界を生きることになります。)


(私は癒花に、『今回の件は決して誰にも言わないように』と、言い聞かせました。)


(これは姉妹である私たちの約束です。)


(この約束は、決して破かれることはありません。)


(いいえ、そう信じています。)


(私がこの世界を去った後も、癒花がその名の通り、困っている誰かを癒していくことを、心から願います。)



 姉の書き残した日記を読んだ癒花は、静かに日記を閉じ、机の引き出しにしまいました。



 ――――――――姉は、何かを知っている。


 ソンネンカのことも、自分がこの世界から消えることも、すべて―――――――。



 しばらくして、癒花は椅子から立ち上がりました。


 癒花は紫水晶の色をした、フード付きのパーカーに黒いミニスカートを穿いていました。



 その瞬間、透き通った紺碧のペンダントが癒花の胸元で揺れました。


 このペンダントは、癒花の姉が彼女にプレゼントしたものです。


 今となっては、そのペンダントは姉の形見となりました。


 癒花もまた、ペンダントに手を当て、目を瞑ります。


「姉さん…。」




 ピリリリリリ…


「あ。」


 癒花の携帯に着信が入りました。


「もしもし。」


「‥はい、すぐに向かいます。」


 ピッ


 癒花は通話終了ボタンを押した。


 そして、一階の玄関へと走り、黒い鍵を手に取ります。


 その後、癒花は家のすぐ隣にあるガレージへと向かいました。


 ガラガラガラ‥


 シャッターを両手で開きます。


 するとそこには、漆黒の金属のフレームが月明かりに照らされて輝いていました。


 そう、その金属のフレームはあの大型バイクの一部です。



 癒花はバイクに跨ります。


 黒い鍵をハンドルの右側面の鍵穴に差し込みます。


 さっき癒花が手に取った鍵はバイクのエンジンキーでした。


「よし。」


 癒花はバイクのエンジンを掛けます。


 ブォオオオオオオオオオン…


 ピシピン!


 エンジンを起動した直後、癒花の身体を漆黒のボディスーツ(鎧スーツ)が覆います。


 準備完了です。


 無線機付きのヘルメットを被った癒花は、そのままバイクを走らせました。



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